ものみの塔は偽預言者か?エホバの証人が過去に外した終末・ハルマゲドンの予言の歴史

終わりの日について予言は、エホバの証人の歴史から決して切り離すことのできないテーマです。実際、それはものみの塔協会のDNAそのものだとも言えます。なぜなら、およそ150年前にこの働きを始めたラッセルが、「1874年にキリストの目には見えない臨在が始まり、1914年には異邦人諸国家がハルマゲドンの戦いによって滅ぼされる」と予言し始めたことから、この組織の歴史は始まっているからです。

以来、エホバの証人はどれほど多くの終末予言を語り、それらを外してきたのでしょうか?外した時、組織はどう対応してきたのでしょうか?それら一連の出来事は、この組織の実体について何を明らかにしているのでしょうか?本記事では、その真相に迫りたいと思います。

※本記事は、2018年に書いた記事「ものみの塔は偽預言者か?過去に外した世の終わりの予言リスト」を、より簡潔に読みやすくまとめた更新版となります。(更新版で新たに加えた情報もあります。)2018年版の方がより詳細に説明している部分も随所にありますので、必要に応じて両方をご参照下さい。

ものみの塔は、自らを現代の預言者と位置付けているのか?

エホバの証人は、自分たちが属する組織が、終わりの時代において神の霊に導かれる唯一の組織だと信じており、全世界のエホバの証人を指導する統治体は、エホバから正式に任命を受けた「神からの唯一の経路」「忠実で思慮深い奴隷」(マタイ25:45)、そして「預言者」だと信じられています。

「5 しかしながらエホバは,連盟は神の真の王国のにせの代用物であるとの警告を,僧職者に導かれるキリスト教世界の人びとに与えないままにはされませんでした。エホバは彼らに警告する預言者を持っておられました。その「預言者」はひとりの人間ではなくて,一団の男女で構成されていました。それは当時,万国聖書研究生として知られたイエス・キリストの追随者の小さな群れでした。今日,彼らはエホバのクリスチャン証人として知られています。そして今なお警告をふれ告げており,信仰をいだいてその音信に耳を傾ける幾十万もの人びとが彼らに加わり,委ねられた彼らのわざを助けています。

6 もちろん,このグループが神の「預言者」として行動していると言うのは容易です。が,それを実証するのは別問題です。そうする唯一の方法は記録を再検討することです。記録は何を示していますか。」(『ものみの塔』1972年7月1日号、406-407頁)

確かに、自分たちが「預言者」であると自称することと、それを実証することは全くの別問題です。そこでものみの塔誌は、それを確かめる唯一の方法は「記録を再検討すること」だとしていますが、それは道理に適った方法です。聖書が言う通り、エホバから任命を受けた真の預言者かどうかは、その預言者が語った言葉が実現するかどうかによって明らかになるからです。

「もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない」(申命記18:22)

これから、ものみの塔が歴史的に語ってきた預言(予言)についての記録を調べ、彼らが本当にエホバから任命を受けた預言者、神からの唯一の経路なのかどうかを再検討していきます。

※引用するものみの塔の出版物は、できるだけWatch Tower Library*[i]で確認できる1970年以降のものを用いますが、必要に応じてさらに古い出版物も用います。

※「預言」とは、神から預かる言葉全体を意味するのに対し、「予言」とは、特に将来に起きる事柄を予め告げること意味します。本記事の中では文脈に応じて両方の表現を用います。

1914年:異邦人諸国家が滅ぼされる(ハルマゲドンの戦い)

予言の内容

ものみの塔の創始者チャールズ・テイズ・ラッセルが、当時およそ40年間にわたって大々的にふれ告げていた教えとは何だったのでしょうか?組織の出版物の説明によれば、次の三点です。

  1. 1874年:キリストの見えない臨在が始まる。
  2. 1914年:異邦人の時が終わり、異邦人諸国家は滅ぼされる。
  3. その時に、忠実なクリスチャンたちは復活し栄光を受ける。

「こうした事実のゆえに,チャールズ・T・ラッセルは1879年の7月に独自の宗教誌を発行し始めたとき,彼はその雑誌を「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という題名で発行しました。彼はマタイ 24章3節その他の箇所のギリシャ語パルーシアを「来る」ではなく,「臨在」と訳出したウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳にすでに精通していました。その新しい雑誌は,キリストの見えない臨在が1874年に始まったことを告げ知らせました。その臨在は1914年における異邦人の時の終わりまで続き,その年には異邦人諸国家が滅ぼされ,「貞潔な処女」級の残れる者は,死んで霊者として命に復活させられることによって,天にいる彼らの花婿とともに栄光を受けるものと考えられました。こうして,五人の賢い処女で表わされた級の人たちは,戸口を通って中に入り,結婚式に連なるのです。」(『千年王国』1974年、184頁)

こうして、彼らが待望していた1914年を迎え、その年の10月2日の金曜日の朝、ものみの塔協会のブルックリン本部の食堂に入ったチャールズ・テイズ・ラッセルは、大きな声でこう言いました。

「異邦人の時は終わりました。その王たちの日は過ぎ去ったのです!」

しかし、彼らが必ず起こると待望していた異邦人諸国家の滅亡―すなわちハルマゲドンの戦いは来ず、エホバの証人が天への栄光を受けることもありませんでした。つまり、ラッセルと彼の仲間たちがふれ告げていた音信は、一つも成就しませんでした。

そして、1914年に終わりが来ないことを認識したラッセルは、その年代を1915年に修正しました。これらの年代修正の経緯がわかるよう、当時のラッセルの著書『時は近づけり』(The time is at hand)の1910年版と1914年版の比較をご紹介します。

▼『時は近づけり』1910年、101頁
「この異邦人の時に関する聖書からの強力な証拠に基づき、次のことは揺るがぬ真理であると考える。すなわち、1914年の終わりに、この世界にある王国の数々は終末を迎え、代わって神の王国が打ち立てられるということである。」

▼『時は近づけり』1914年、101頁
「この異邦人の時に関する聖書からの強力な証拠に基づき、次のことは揺るがぬ真理であると考える。すなわち、1915年の終わる頃の時期に、この世界にある王国の数々は終末を迎え、代わって神の王国が打ち立てられるということである。」

しかし、1915年にも何も起こらず、その翌年の1916年10月31日、ラッセルは旅行中の汽車の中で健康上の悪化による死を遂げました[1]

なお、『時は近づけり』の中では、1914年に起こるべきこととして七つのことが予言されていましたが、実際に成就したものは一つもありませんでした。この点については、別の資料に詳しくまとめてありますので興味のある方はご欄下さい。

動画の資料「エホバの証人の真実② 偽予言を語ったラッセルとラザフォード」

その後、「1874年からキリストの臨在が始まった」とする説は、その開始年代を「1914年」「1879年」「1874年」とする様々な説で右往左往し、現在の「1914年からキリストの臨在が始まった」とする説に最終的に落ち着いたのは、1943年以降のことでした

なお、現代のエホバの証人は、(1)イエス・キリストが1914年から神の王国の王として臨在していること、(2)1914年のその年に、異邦人の時が終了し、終わりの日が始まったこと、以上の2点を、1914年に関連する教理として力強く教えています。

不誠実な印象操作:外れた予言を当たったように見せかける

次に、2014年に出た最新の出版物『神の王国の支配している』から、現代のものみの塔協会が、当時の状況についてどんな説明をしているのかを確認します。ちなみにこの書籍は、組織の歴史を振り返りながら、神の王国がいかにエホバの証人の組織を通して前進してきたのか説明する内容となっています。

まさに彼らの予告どおりになりました

「1914年のずっと前から,聖書研究者たちは,その年に苦難の時が始まると述べていました。 そして,事態はまさに彼らの予告どおりになりました。」(『神の王国は支配している』2014年、22頁)

すでに確認してきた通り、事態は何も彼らの予告通りとはなりませんでした。当時のエホバの証人がふれ告げていたのは、「1914年から苦難が始まる」ではなく、「1914年に異邦人諸国家の滅亡という苦難が生じる」と言う内容であり、その年に始まる神の王国の支配によって全ての苦難が終わりを迎えるとされていたからです。ですから、出版物の説明は明らかに事実とは異なる虚偽の記載です。

1914年に聖書研究者はキリストの臨在を識別し始めた

1914年に聖書研究者は目には見えないキリストの臨在のしるしを識別し始めた(『神の王国は支配している』22頁)

1914年に聖書研究者はキリストの臨在を識別し始めた

この画像と文章は、当時のエホバの証人が、1914年にキリストが臨在し始めたことを識別した、という印象を読者に与えますが、全く事実に反しています。当時の聖書研究者たち(エホバの証人)が大々的にふれ告げていたのは、1874年からキリストの臨在としるしが始まった、ということだったからです。

しかも、すでに説明してきたように、「1914年からキリストの臨在が始まった」という現在の教理に落ち着いたのは、それから約30年後の1943年以降でした。このように統治体は、当時のエホバの証人が語った予言が全く外れていた事実を、あたかも「予告通りになった」かのように見せかける巧みな印象操作をしているのです。

創始者のラッセルが早くからこの年代に関する予言をし、それを的中させたこと、その後の三年半の間に当時のエホバの証人が神の預言者として忠実な奉仕を行ったこと、その結果、1919年にエホバから地上の神の代表者として正式に任命を受けたこと、1914年にまつわるこれらの一連のストーリーが、エホバの証人の信仰の土台を形成しているわけですが、残念ながらその土台は真実に支えられているものではないのです。

1918年:世界大戦はハルマゲドンへ

外れた預言(予言)

1914年に関するラッセルの予言は外れました。その後、特定の年代に終わりが来ると予言する霊的DNAは、二代目の会長ラザフォードに継承されることになります。

「第一次世界大戦が行なわれた1914‐1918年の迫害の期間中,その世界戦争がそのまま世界革命ひいては無秩序状態のハルマゲドンに至る,と考えた油そそがれたクリスチャンがいました。 彼らが大いに驚いたことに,第一次世界大戦は1918年11月11日,突然終わりました。しかしながら,大いなるバビロンは依然存続し,ハルマゲドンの戦いも到来しませんでした。」(『秘義』1976年、69頁)

「しばらくの間,使徒ヨハネには,四人の使いが今にも四方の風を解き放ち,その結果,風が地と海とすべての木に吹きつけ,至る所を荒廃させるかのように見えました。第一次世界大戦の最後の年,つまり1918年の事態は,表面的にはそのように見えたのです。当時,現代における使徒ヨハネの霊的兄弟たちは,現前に荒れ狂っている戦争と革命が,予期されていた『ハルマゲドンの戦争』,すなわち,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる象徴的な場所で行なわれる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」にそのまま突入すると考えていました。」〈『秘義』86頁〉

「彼らは今や自分たちの前に開かれた予想外の新たな事態に合わせて自分たちの考え方や歩み方を再調整する必要がありました。彼らは西暦1914年あるいは1918年などという特定の年までではなく,永遠に自分たちの神のために「聖別されて」いたのです。」(『救い』117頁)

「現代における使徒ヨハネの霊的兄弟たちは」という表現から、当時のエホバの証人の指導的な人々が、「第一次世界大戦がそのままハルマゲドンの戦いに突入し、1918年に終わりが来る」と信じていたことがわかります。

ここで、1917年にラザフォードによって出版された『終了した秘儀』で、実際にどんなことが語られていたのかを確認してみます。

「また、1918年に、神が教会や何百万人もの教会員を滅ぼす時、脱出する人々はキリスト教の崩壊の意味についてラッセル牧師から学ぶようになるだろう。」―『終了した秘義』485頁

『慰め』1941年10月29日号、11頁

ドイツの国民は、立たされた苦境に目覚め始めている。・・・彼らは、近い将来もたらされるもの、急いで訪れようとしているものに対して、不安に満ちている。それはつまり、全能の神の大いなる戦い、ハルマゲドンである。」(『慰め』1941年10月29日号、11頁―『エホバの証人、カルト集団の実体』97頁より転載)

確かに、会長のラザフォード自身が、1918年という年代について予言していたことがわかります。しかし、事態は全く彼らの予告通りにはなりませんでした。なお、1914年〜1918年の期間は、当時のエホバの証人がキリストからの霊的精錬・検分を受けた時期と見做されています。そのような重要な時期に、1914年、1915年、1918年と3回に及ぶ大々的な予言の失敗があったという事実は、組織にとって信者に知られたくない都合の悪い真実なのでしょう。

1925年:復活が起きることを確信をもって期待できる

「1920年の”Millions Now Living Will Never Die”(「現存する万民は決して死することなし」)という小冊子は,「1925年には,アブラハム,イサク,ヤコブや昔の忠実な預言者たちが[死者の中から]……人間としての完全な状態に戻って来ることを確信をもって期待できる」と述べていました。1925年には昔の忠実な人々の復活が予想されていただけでなく,油そそがれたクリスチャンがその年に天の報いを受けることを期待していた人もいました。1925年は過ぎて行きました。中には,希望を捨てた人もいました。」(『ふれ告げる』1993年、77頁)

「私たちが1925年について期待できる事柄として,同兄弟の述べた間違った陳述について,兄弟はかつてベテルで私たちに,『全くばかなことをしてしまった』と告白したことがありました。」(塔1984年10月15日号、31頁)

ラザフォードは、1925年に昔の忠実な預言者たちの復活が起きることを「確信をもって期待できる」と語りました。また、「油そそがれたクリスチャンがその年に天の報いを受けることを期待していた人もいました。」とあるので、義人の復活と同時に、その時に生きているクリスチャンが天へと挙げられる携挙が起きることも予告されていたようです[2]

組織が「確信をもって」語った予言とは裏腹に、その通りのことは何一つ起きませんでした。ラザフォード自身も、後にその出来事を振り返って「全くばかなことをしてしまった」と告白していたようです。

なお、エホバの証人の間では、1922年にラザフォードがオハイオ州シーダーポイントの国際大会で語った言葉が非常に有名です。そこで彼は、聴衆に対して「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」と強く呼びかけ、それを聞いた人々は精力的に伝道していったのですが、おそらく彼らが当時熱心に信じふれ告げた音信には、「1925年に復活が起きる」という教えが含まれていたことでしょう。

「世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今はあらゆる時代のうちで最も重大な時代です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」(J・F・ラザフォード)

1940年代:第二次世界大戦はハルマゲドンへ

外れた預言(予言)

「第二次世界大戦がたけなわだった,1942年9月18日から20日まで,米国のエホバの証人は「新しい世神権大会」を開きました。主要な大会開催都市となったオハイオ州クリーブランド市は,50余りの他の都市と電話回線で結ばれ,出席者最高数は12万9,699人に達しました。世界の各地で戦時下でも事情の許すところでは,同じプログラムの大会が行なわれました。当時,エホバの民の多くは,その戦争が神のハルマゲドンの戦争に発展するものと考えていました。」(『啓示の書』1988年、246頁)

「私は第二次世界大戦のぼっ発した1939年に生まれました。両親はハルマゲドンが目前に迫っていると考えていましたから,私たち子供は非常に幼い時から,滅びゆくこの古い体制の中にあって時を賢明に用い,エホバの奉仕にあずかるよう励ましを与えられてきました。」(『年鑑』1982年、15頁)

「当時,エホバの民の多くは,その戦争が神のハルマゲドンの戦争に発展するものと考えていました」とあります。当時、エホバの証人は世界的にかなりの数に上っていましたので、その大多数が信じていた、ということは、組織の側からそういう情報が公にされていたことを物語っています。そしてそれは確かに宣伝されていたのです。

ドイツの国民は、立たされた苦境に目覚め始めている。・・・彼らは、近い将来もたらされるもの、急いで訪れようとしているものに対して、不安に満ちている。それはつまり、全能の神の大いなる戦い、ハルマゲドンである。」(『慰め』1941年10月29日号、11頁―『エホバの証人、カルト集団の実体』97頁より転載)

『慰め』1941年10月29日号、11頁

ドイツの国民は、立たされた苦境に目覚め始めている。・・・彼らは、近い将来もたらされるもの、急いで訪れようとしているものに対して、不安に満ちている。それはつまり、全能の神の大いなる戦い、ハルマゲドンである。」(『慰め』1941年10月29日号、11頁―『エホバの証人、カルト集団の実体』97頁より転載)

当時の出版物を見ると、確かにハルマゲドンが来ることが予告されていたことがわかります。結局、第二次大戦でドイツは破れましたが、それはハルマゲドンの戦いには発展しませんでした。

これによってラザフォードは、1918年、1925年、1940年代と、三回もの予言を外し、ものみの塔の歴史上、最も多くの予言を外した人物となりました。

不誠実な説明

「第二次世界大戦中,ウクライナ西部の兄弟たちは一時的に組織とのつながりを絶たれ,進むべき方向を見失ってしまいました。第二次世界大戦の勃発がハルマゲドンの始まりを意味していると考えた人もいました。その教えは,しばらく兄弟たちの間に誤解を生じさせました。」―『年鑑』2002年 143頁

この説明の文章は、第二次世界大戦をハルマゲドンの戦いの始まりと見る考えが、あくまで一部の人々に限定された誤解だったという印象を読者に与えますが、実際には会長のラザフォード及び組織による公式な予言によって、信者全体に広がっていた教えです。

ですからこの説明は、ものみの塔協会側の責任を信者の側に押し付ける「責任転換」であり、事実を歪めた巧みな印象操作だと言えるでしょう。

1975年:至福千年期が来る

外れた預言(予言)

「しかし,神を恐れ,聖書つまり古代のヘブル語聖書とクリスチャン・ギリシア語聖書の双方を研究する人々にとっては,はるかに重要な別の千年期が近づいています。それは第七千年期です。・・つまり,神が完全な人間男女をエデンの園で創造された時を起点とした第七千年期です。・・・ このことは一千年の平和もしくは平和の千年期が近づいていることと関係がありますか。明らかに関係があります!」(『ものみの塔』1970年1月1日号、14頁)

「*** あなたは自分の命をどのように用いていますか ***
そうです。1971年9月以来,開拓者の人数はただ1か月を除いてあとは毎月新最高数を記録し続けており,今日本では正規および特別開拓者は合計3,859人という空前の新最高数に達しました。・・・家や資産を売って,開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが,確かにそれは,邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。―ヨハネ第一 2:17。」(『王国宣教』1974年6月、3頁)

「前述の証拠があるにもかかわらず,至福千年期が実際に近づいたこと,そうです,わたしたちの世代のうちに始まることを確信させられるに足る「しるし」を要求する懐疑的な人は少なくありません。わたしたちは,イエス・キリストがメシアであることを確信させられるに足るしるしをイエス・キリストに求めた,19世紀前の律法学者やパリサイ人のあの「邪悪で姦淫の世代」の者ではありません。(マタイ 12:38,39)。」(『千年王国』1974年、162頁)

かつてエホバの証人が1975年に終わりが来ると予言し、それが外れたことは今でも証人たちの間では知られた話です。当時の出来事を経験した世代の証人たちは今もまだ多数生き残っており、実際、私の研究司会者は、その時代を経験した方々でした。

引用した出版物からわかる通り、その年は至福千年期の始まりと「明らかに関係があります!」と語られ、信者は「家や資産を売って開拓奉仕をするのは優れた方法です」と励まされました。それだけでなく、1975年に終わりが来るという予言を信じない人は「邪悪で姦淫の世代」だと批判されるほどでしたが、その年になっても終わりが来ることはありませんでした。

組織の対応① 終わりが来るとは一度も述べていません

「神の目的」に対する認識を深める ***
エホバの証人の出版物は,聖書の年代記述から考えて人間存在の満6,000年は1970年代の半ばに終わるということを示してきました。しかし,それらの出版物は,その時に終わりが来るとは一度も述べていません。それにもかかわらず,この問題に関してかなりの個人的推測がなされてきました。」(塔1975年1月1日、27-28頁)

これは嘘であり、極めて悪質な言い訳です。1975年までの数年間、至福千年期の始まりとしてその年に重大な出来事が起こると宣言していたのは組織の方でした。

このことは一千年の平和もしくは平和の千年期が近づいていることと関係がありますか。明らかに関係があります!」(『ものみの塔』1970年1月1日号、14頁)

しかし、後になって「終わりが来るとは一度も述べていません」と開き直り、かつて公に組織がふれ告げた予言を「個人的な推測」と言い換えるのはあまりにも馬鹿げています。

組織の対応② 責任転嫁。特定の日付に頼る人たちがいた

一部の聖書の教え手たちにより

一部の聖書の教え手たちにより,ある日付が過度に強調されていました。新しくバプテスマを受けた人々の中には,一時的な感情で真理を受け入れた人も少なくありませんでした。長老たちの中にさえ,1975年に望みをかけていた人がいたのです。」(『年鑑』88年、189‐190頁)

「一部の聖書の教え手たちにより」とありますが、それを教えたのは「統治体」でした。つまり、予言の失敗の責任が全面的に統治体にあったにも関わらず、その責任を一部の信者の側に押し付けたのです。

「知っていると思うけど、あの当時、この事物の体制の終わりについて、特定の日付に頼る人たちがいたんだ。中には家を売って仕事を辞めた人たちがいる。わたしも、この体制はいつ過ぎ去ってもおかしくないと思っていた。でも、何か正しくないように感じた。集会と個人研究で、イエスが言われたことを思い出した。『その日、または時刻については、何も知らない。』

自分が献身したのは、エホバであって日付じゃない。その日が過ぎ去ると、間違った期待を抱いていたほとんどは、必要な調整を受け入れて、会衆に留まった。出ていくことも、諦めることもしなかった。エホバを信頼したんだ。(『エホバの証人―地区大会』2017年1日目、『こうすれば「決して失敗することはない」』)

これは、2017年の夏に行われた地区大会のプログラムの内容です。ここでも「特定の日付に頼る人たちがいた」とあり、統治体ではなく、一部の信者の責任であるとされています。このように「公の組織の責任」を「一部の信者の責任」にすり替える手法は、もはやものみの塔組織にとって、予言の失敗を覆い隠すための常套手段と化しているのです。

1982~1995年:1914年の世代が過ぎ去る前に新しい世が来る

1914―過ぎ去ることのない世代

目ざめよ!誌の発行目的:終わりの時期についての創造者の約束

1975年に終わりが来なかったことに対し、統治体は悔い改めるべきでした。しかし、彼らはその問題と真剣に向き合わなかったため、再び同じ過ちを繰り返すことになります。

本誌は,1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます。」(『目ざめよ!』1982年4月8日号~1995年10月22日号、4頁「目ざめよ!誌が発行される理由」)

「純粋に人間的な見地からすれば,1914年の世代が姿を消す前に,これらの出来事が生ずることはとてもあり得ないと思えるかもしれません。しかし,1914年の世代に影響を及ぼす予告された出来事のすべての成就は,比較的に遅い,人間の行動にかかってはいません。「すべての事が起こるまで,この[1914年の]世代は決して過ぎ去りません」というのがキリスト・イエスを通して与えられたエホバの預言の言葉です。(ルカ 21:32)そして,霊感による,信頼の置ける預言の源であられるエホバは,比較的短い期間に,み子の言葉の成就をもたらされます。―イザヤ 46:9,10; 55:10,11。」(『ものみの塔』1984年10月1日号、23頁)

エホバの証人の発行する『目ざめよ!』誌では、1982年~1995年の13年間に渡り、冊子の発行目的として「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます」という言葉が繰り返され返されました。

「1914年に異邦人の時が終わり、キリストの目には見えない臨在が始まった」という教理を掲げてきた組織は、その必然的な結果として「すべての事が起こるまで,この[1914年の]世代は決して過ぎ去りません」というキリストの言葉を、1914年以降の世界の出来事に結びつけてきたのです。それで、1914年を見た世代が過ぎ去る時とは、組織の計算上、遅くとも1990年代が終わるまでを意味していました[3]

ところが、1914年の出来事を見た世代がどんどん減少していく中で、中々終わりが来ないことに気付いた組織は、1995年の途中から、さりげなく「創造者の約束」を修正し、その予言を無かったことにしてしまったのです。そして今現在、1914年の出来事を見た世代は、組織の中から誰もいなくなっていますが、「創造者の約束」は実現していません。したがって、その予言は「エホバの言葉」でも、その「約束」でもありませんでした。

「わたしは預言者たちを遣わさなかった。だが,彼らは走った。わたしは彼らに語らなかった。だが,彼らは預言した。」(エレミヤ23:21)

2010年:二つの世代が重なる

1995年に『目ざめよ!』誌の中から「創造者の約束」をさりげなく削除したとはいえ、問題が解決したわけではありませんでした。「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に新しい世が来る」という教えの行方について、統治体は説明をする必要に追われていました。

そして、1914年から95年が経過し、「過ぎ去ることの無い世代」が十分に過ぎ去った2010年、組織はものみの塔誌の4月号にて、1914年の教えを大幅に延命させる最後の切り札「二つの重なる世代」説を発表したのです。

では,「この世代」についてのイエスの言葉をどのように理解すべきでしょうか。それは,しるしが1914年に明らかになり始める時に生きている油そそがれた者たちの生涯と,大患難の始まりを見る油そそがれた者たちの生涯とが重なる,という意味であったようです。(『ものみの塔』2010年4月15日号)

なんと組織は、終わりのタイミリミットを大幅に延長するために、「1914年を見た世代が過ぎ去る前に」という理解を、「1914年を見た世代を見た世代が過ぎ去る前に」という定義に変えてしまったのです。つまり、イエスが言及した「この世代」(This generation)を、「これらの世代」(These generations)に変更することにより、終わりが来るタイムリミットを大幅に延長したのです。

新たに発表された「二つの重なる世代説」の詳細は、「1914年⑤ 二つの重なる世代説の問題点。」で説明しているので、あえて本記事での詳細な説明は割愛させていただきますが、イラストで表すと次のようになります。

この修正によって、組織は1914年の教えを、最長2070年頃までは延長することが可能になりました。では万が一、その時になっても終わりが来なかったらどうするのでしょうか?その時には、「1914年を見た世代、を見た世代、を見た世代が過ぎ去る前に」というアップデートがあるかもしれません。(あえて、この説の問題点をわかりやすくするために、このような言い方をしています。)

「あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。」(マタイ24:34)

「あなた方に真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代を見た世代は決して過ぎ去りません。」(ものみの塔の新たな解釈)

さすがに、あまりにも無理のあるこの世代の解釈の変更を通して、組織に疑問を持ち始めた人も多かったようで、それによって離れた人はある程度の数に上ると考えられます。(私の周囲にも、この解釈の変更が組織を離れるきっかけになったと言う人が実際にいます)

預言の失敗(偽予言)に対する組織の対応

『エホバの名において』予言したことは一度もありません。

「エホバの証人がイエスの二度目の到来を切望するあまり日付を示唆し,あとで間違いであることが分かったことが何度かあります。このため,ある人々はエホバの証人を偽預言者と呼んできました。しかし,これらの出来事のうち,証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません。また,『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありません。エホバの証人の公式機関誌である「ものみの塔」誌は,「我々には預言の賜物はない」(1883年1月号[英文],425ページ),「我々は自分たちの著作を崇めたり,絶対に正しいものとみなしたりはしない」(1896年12月15日号[英文],306ページ)と述べています。」(目ざめよ!1993年3月22日号、4頁)

この説明には大きな問題があります。エホバの栄光を証言する者として「エホバの証人」と名乗り、統治体・組織が「エホバから任命された唯一の経路」と自称している以上、その公の発言や宣言は全て「エホバの名」において語っているのです。

また、「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世」が来ることが「創造者の約束」だと宣言していたのですから、今になって「証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません。・・『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありません」と言うのは、完全な誤りです。

今日エホバの名によって語るわたしたちは,イザヤ,エレミヤ,ダニエルなどのように,厳しい試練に遭っても,忠誠を保つ者になれます。」(ものみの塔1990年1月1日、27頁)

謝罪をしない

ものみの塔組織や統治体の重要な特徴は、決して謝らないことです。少なくとも、これまでの私の経験や調査の中で、組織が過去の間違った見解を修正する際に、「光が増し加えられた」と説明することはあっても、予言の失敗を含め、過去の間違った見解に対する謝罪をする場面を見たことがありません。(もしもありましたら、知りたいので是非教えて下さい)

では、「予言の失敗」に対する、聖書的な正しい態度とはどのようなものでしょうか?ものみの塔と同じような予言の失敗の歴史を持つ、ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド教団の公式の謝罪文を、ここでご紹介したいと思います。

「・・また同時に、我々は過去を重く受け止めています。誤った教義理解のため、イエス・キリストの単純明快な良い知らせに目を向けず、誤った結論や聖書的ではない方針の数々に至りました。大いに悔み、謝罪すべき点があります。・・預言に対する事柄を強調するあまり、イエス・キリストを通じての真の救いに目を向けませんでした。・・我々の誤りがもたらしたことをごまかそうとは思いません。理解と許しを心からお願いするばかりです。」(『明らかな真理』1980年3-4月号―『良心の危機』296-297頁、より引用)

文章の内容からは、誤った教理によって傷ついた方々への誠実な態度が見受けられます。このような謝罪こそが、神の前に正しい態度だと言えるのではないでしょうか?

結論

どんなグループや宗教も、創始者のDNAを受け継ぐものであり、ものみの塔も例外ではありません。では、エホバの証人がラッセルから受け継いできた霊的DNAとは何か、それは「1914年」という名の偽予言です。

このDNA―すなわち「ラッセルの呪い」を断ち切るために、組織は偽予言の罪を悔い改める必要がありましたが、これまでの歴史の中で、その悔い改めがなされた形跡はありません。それもそのはず、組織にとって偽予言を悔い改めることは、1914年を予言したラッセルを否定することであり、ラッセルを否定することは組織を否定することだからです。彼らが真に守ってきたもの、それは信者の霊的な命ではなく、組織の体裁だったのです。

そのため、偽予言というDNAがさらにまた次の偽予言を生み、その失敗を覆い隠すための偽り、責任転嫁、不誠実という実を生み出してきたのです。

「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。16 あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。・・良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。」(マタイ7:15-16)

組織は今後も、崩壊を覚悟しない限り、ラッセルの呪いの中を進み続けるでしょう。しかし、組織の中にいる兄弟姉妹一人一人には、その実によって彼らの正体を見分け、組織から出る権利と責任が与えられています。

どうか一人でも多くのエホバの証人が、遅くならない内に、神の前で良い判断と選択をすることができますように、心からお祈りしています。

脚注

[1] 軽率に言えることではありませんが、二度の予言の失敗に対して、神からの裁きを受けたのではないか、と個人的には推測しています。

[2]期待していた人もいました」という表現をものみの塔が用いる時、実際には組織が公式にふれ告げていた預言であった可能性が極めて高いです。1918年のラザフォードの予言の失敗の際も、同様の表現を用いて説明しているからです。

[3] 組織の計算では、1914年を見た世代の定義は、その当時の終わりのしるしを識別する判断力のあった油注がれたクリスチャンを意味します。(つまり、1914年に生まれた人、という定義ではありません)ものみの塔にとって、その世代の中で最も若く、かつ長く生きた人の代表格は、組織の第4代会長のフレデリック・フランズ兄弟でした。(1893~1992)そのため、フランズ兄弟がこの世を去った1992年頃から、組織は教理の修正のタイミングを検討し始めていたと考えられます。

[i] Watch Tower Library とは、エホバの証人の信者向けに作成されたソフトです。パソコンにインストールすることによって、ものみの塔協会が過去に出版したあらゆる書籍や冊子などにアクセスすることができる優れものです。残念ながら、比較的最近の日本語版では1970年以降の出版物しか見ることができません。ただし、英語版であれば、1950年以降から見ることができます。

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