11. エホバの証人のカルト性|ものみの塔の実態に迫る


11. カルト性について|エホバの証人とはーものみの塔の実態に迫る

「エホバの証人とは―ものみの塔の実態に迫る」シリーズの最後に、エホバの証人のカルト性について検証します。本記事を通して、読者の方々は、ものみの塔が確かにカルト的教団であることを知るようになるでしょう。

カルトとは何か?

カルト―用語の語源と背景

「カルト」(Cult)とは、ラテン語の「Colere」(耕す)から来ている言葉であり、元々西洋では、単に宗教的な営みを表す用語として用いられていました。しかし、1970年代に、『人民寺院』等のグループが様々な事件を起こすようになったことから、アメリカでは反社会的な宗教団体を指して「カルト」という語が用いられるようになったのです。

その後、日本国内においては、1995年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件によって、悪い意味での「カルト」という用語が定着するようになりました。

カルトの定義

では、反社会的な団体を指す意味での「カルト」の定義とは、どのようになっているのでしょうか?次に紹介する定義は、1985年にアメリカで開かれた『カルト問題:学者と識者のための協議会』で採択されたものであり、以降、カルト研究家の間で広く受け入れられているものです。

「カルトとは、ある人間か、観念か、物に対して、過度の忠誠心・献身を現し、非論理的な方法で人を操作したり、高圧的な手段により人を説得したり、コントロールしようとする集団、あるいは運動である(その方法とは、友人や家族から隔離させること、衰弱させること、暗示感応性や服従心を高めるための特別な手段の使用、グループによる強い圧力、情報統制、個性の抹消や批判的な考えの停止、グループに対する依存心やグループを離れることに対する恐怖心を助成することである)。これらの手段は、グループの指導者たちの目的を推進するためのものであり、実際に信者自身やその家族、及び社会に損害をもたらす(あるいはその可能性を秘めている)ものである」(”Cultic studies Journal” 3, 1 <1986> : pp. 119-120)

また、日本国内でカルト問題を専門に扱う「日本脱カルト協会」による、カルトの正式な定義は、以下のようになっています。

「カルトは人権侵害の組織です。組織に依存させて活動させるために、個人の自由を極端に制限します。つまり、全体主義的集団です。そして、①各メンバーの私生活を剥奪して、②集団活動に埋没させる。そして、③メンバーからの批判はもちろんのこと外部からの批判も封鎖し、④組織やリーダーへの絶対服従を強いるといった特徴がみられますが、これらの特徴は表面的には隠されていますので、集団の外部から見ても区別がつかないことがふつうです。カルトは、こうした人権侵害の正体を隠すためにマインド・コントロールを用いることが多いです。」―日本脱カルト協会

上記にて紹介した二つのカルトの定義を踏まえ、簡潔に要約すると、カルトとは次のように説明できると筆者は考えます。

カルトとは、指導者たちの目的を推進させるために、信者を過度にコントロールしようとする人権侵害の組織のことです。多くの場合、指導者の絶対的権威が主張され、その権威に対する服従心、依存心を培わせるために、情報統制、社会からの隔離、個性の抹消、自律的思考・批判的考えの停止、などのマインド・コントロールの手法が用いられます。

※なお、カルト問題を専門的に研究している筆者の知り合いの方の見解によれば、カルトの定義を、あまり厳密に固定し過ぎてしまうと、かえってその定義から逃げ道を見出し、その定義に当てはまらない別のタイプの危険なグループの存在を容認する危険性も生じるようです。ですので、上記でご紹介した定義を用いる際は、この点に注意する必要があるでしょう。

カルト的要素を評価する「集団健康度チェック目録」

日本脱カルト協会は、カルト的要素を数量化するためのテスト「集団健康度チェック」を提供していますが、1992年2月に行われた同テストによれば、ものみの塔のカルト性は、日本国内における新興宗教団体の中で、第五位に位置づけられています。

第一位:オウム真理教=320.6点
第二位:統一協会=259.1点
第三位:ヤマギシ会=256.9点
第四位:ライフスペース=193.6点
第五位:ものみの塔=192.5
*カトリック=32.1点
*プロテスタント=1.9点

ものみの塔が真の宗教であることを信じる多くのエホバの証人にとって、自分たちが属する団体に高いカルト性が見出されるという事実は、信じられないようことです。しかし、エホバの証人のみならず、マインド・コントロールを受けている多くのカルト教団の信者は、通常、外部から正しい情報を受けない限り、その真実に気付くことはありません。

なお、キリスト教の二大勢力であるカトリックとプロテスタントについて言えば、そのカルト指数は、ものみの塔よりもずっと低いものとなっています。カトリックの方が、若干その指数が高い理由は、おそらくローマ法王に、絶対的な権威が置かれているからだと考えられます。

プロテスタントについては、単一の団体を意味するわけではないので、その特徴には教団・教会によって違いが見られます。ただし、正統派のプロテスタント諸教会においては、基本的には、上記の数値の示す通り、カルト性はほとんどありません。ただし、一部の教会において、牧師が絶対的権威を掲げ、カルト的な特徴を示すような場合もあるので注意が必要です。

ものみの塔(エホバの証人)のカルト性を示す要素

一般的に多くのカルト団体は、以下のような七つの特徴*[1]を有しています。そして、ものみの塔協会の教理や戒律が、これらの多くの特徴と一致することから、「ものみの塔協会はカルト的な団体である」と結論付けることができます。

1:組織・指導者の絶対的権威を掲げる

カルト教団の指導者は、ほぼ例外なく「神の権威・絶対的な権威」を主張しますが、ものみの塔の場合も「神の唯一の経路」「エホバの地上の組織」を主張し、指導者や組織への信仰や服従を強調します。そのため多くの信者は、ものみの塔から出る教えや発表を、「エホバの言葉」と同列に見做します。また、エホバの証人同士の会話では、聖書にほとんど出てこない「組織」という言葉が頻繁に用いられますが、証人たちの組織信仰をよく表す習慣となっています。

「いま統治しておられるわたしたちの王は,忠実を保つための多くの励ましをご自分の民に与えてこられました。・・エホバへの信仰,エホバが代弁者として用いておられる人々に対する信仰,そうですエホバの組織に対する信仰です!」―『ものみの塔』1984年7月1日号、15頁(以下、「塔」と略す)

「エホバ神は,あらゆる国にいるクリスチャンが聖書を理解し,それを自分たちの生活に正しく適用するための助けとして,霊によって油そそがれた人々から成るご自分の見える組織,つまりご自分の「忠実で思慮深い奴隷」を備えてくださいました。神が用いておられるこの伝達の経路と連絡を保たなければ,どれほど多く聖書を読むとしても,わたしたちは命に至る道を進むことはできません。」―塔82年3月1日号、27頁。

2:情報統制

情報のコントロールは、あらゆるカルト団体が行う手法であり、カルトの重要な特徴の一つです。具体的には、内部の信者には都合の良い情報だけを流し、都合の悪い外部の情報は全て遮断する、といった方法が用いられます。

ものみの塔の場合も、内部の信者には都合の悪い一切の情報を伏せると同時に、反対者・背教者の情報へアクセスすることを固く禁止します。実際に、組織に対する批判的な情報を退けるかどうかによって、エホバへの従順が試される、と教えられています。

背教者や,兄弟であると主張しながら神を辱める人とは決してかかわりを持たないようにしましょう。家族の成員であってもそれは同じです。(コリ一 5:11)・・実際,文書であれインターネットであれ,彼らの書いたものを詳しく調べるのは霊的に危険なことであり,不適切なことです。―イザヤ 5:20; マタイ 7:6を読む。」―塔12年5月15日号、26頁。

そのため、多くのエホバの証人は、背教的な情報に対し、異様なまでの警戒心を示します。もしもある信者が、仲間の信者に背教的な情報を伝えたことが明らかになった場合、速やかにその情報は会衆内に伝達され、以後誰もその背教者とは口を聞かなくなります。

3:依存心を植え付ける

カルトは、信者をコントロールし、脱退を防ぐために、組織や指導者に対する依存心を植え付けようとします。ものみの塔の場合も「他に行く場所はありません」ということを繰り返し教えており、その感覚は多くの信者に浸透しています。

「自分は組織よりもよく知っていると考え始める人は,こう自問してみるべきです。「自分は最初に真理をどこで学んだだろうか。・・実際に神の組織の指導なくしてやってゆけるだろうか」。確かにやってゆけません!」―塔83年4月15日号、27頁。

そのため、ある信者が組織の間違いに気づいても、「組織への依存心」があるために、中々次のステップを踏み出せないことが多いです。特に、エホバの証人二世で、外の世界を知らない信者の場合は、この依存心が脱会を考える上で大きな障害となります。

4:集団活動に埋没させる(献身させる)

カルトには、信者を組織や指導者へ献身させ、集団活動に埋没させる、といった特徴が見られます。ものみの塔は、日頃から「エホバとその組織への献身」を強調していますが、実際に組織が推奨している伝道活動、集会とその準備、個人研究などをしっかり行うと、時間はほとんど余りません。

「わたしたちすべては最低限の目標として,日々の聖句を読んで考慮し,神権宣教学校の予定表に示されている聖書朗読の予定につき従い,会衆の書籍研究と「ものみの塔」研究の予習を行なうべきです。」―『王国宣教』1992年4月号、4頁。

「しかしエホバの民の大多数は会衆の伝道者として,魂をこめて宣べ伝え教える業に専念します。ですから,健康の問題,高齢,家族の責任その他の事情のため本当に制約されているなら,落胆してはなりません。最善を尽くす限り,あなたの奉仕も,全時間宣教を行なう人の奉仕と同じように,神の目には貴重なのです。」―塔89年12月1日号、20頁。

また、聖書的には、イエスの名によるバプテスマは、キリストとの一体化を表す象徴的な行為です(ローマ6:1~7)。しかし、ものみの塔の場合は、「キリストとの一体化」について何も説明せず、その意味を「エホバへの献身」(エホバの組織への献身)に置き換えています。

5:信者の生活への細かな規制

カルトは、信者の生活への細かな規制を設ける、といった特徴がありますが、これには外面の行動をコントロールすることによって、内面のコントロールもしやすくなる、という法則が関係しているのかもしれません。

ものみの塔の場合は、誕生日や伝統的習慣を全て否定する、髪型、服装、などにおいて、模範的なスタイルを設ける、輸血拒否、交友関係、言葉遣い、などにおいて、周囲の社会との境界線を設ける、などの様々な規制によって、明らかに信者の生活を細かにコントロールしています。

6:家族・友人・社会からの物理的・精神的な隔離・分離

カルトには、信者の生活を親族や社会から分離させる、と言った特徴があります。ものみの塔の場合、一部の過激なカルト団体とは異なり、物理的な隔離はありませんが、大学へ進学することを否定したり、伝統的習慣の一切を拒否したり、ノンクリスチャンとの交友を過度に危険視することにより、信者を精神的に隔離させています。

「不健全な仲間からは離れてください。霊的なことに熱心で,本当にエホバを愛しているクリスチャンとだけ交わるようにします。会衆内の消極的な若者や批判的な若者にさえ気をつけましょう。・・エホバの証人のある十代の少女は,「いろいろな会衆の人と新しく友達になりました。この世の友達なんて本当はいらないことが分かりました」と言っています―塔93年4月15日号15頁

7:自立的思考や感覚の否定(個性の抹消)

一番目の点と関連する項目ですが、カルトは自立的思考や感覚―つまり「自分で考えること」を「独立的な考え」として否定する傾向を持っています。そのため、信者の個性は全体的に薄められ、ただ組織の言いなりになる信者が増えていきます。

ものみの塔の場合、組織の教理に疑問を抱いたり、異を唱えたりすることは「独立的・背教的な態度」として非難されます。そのため、組織に長くいればいるほど、自立的思考ができなくなっていきます。

また、個性的な外見や話し方よりも、「模範的」なスタイルが推奨される傾向があるため、多くの信者の個性は、エホバの証人としての生活を通して、薄められていく傾向があります。野外で伝道するエホバの証人を見かける時、決められたユニフォームを来ているわけではないのに、何となく外見の雰囲気で判別できるのも、そのような理由からです。

「一部の人々は,この組織がこれまで幾つかの調整を行なってきたことを指摘し,「この点からすると,わたしたちは何を信じるべきかについて自分で決定しなければならない」と論じます。これは独立的な考えです。・・20 この考えは誇りの証拠です。そして聖書はこう述べています。「誇りは崩壊に先立ち,ごう慢な霊はつまずきに先立つ」(箴言 16:18)―塔83年4月15日号、27頁。

カルト性を否定するものみの塔の記事への反論

公式サイト「JW.ORG」では、「エホバの証人はカルトですか?」という記事が公開されており、エホバの証人のカルト性を否定する内容が載せられています。

いいえ、エホバの証人はカルトではありません。わたしたちはクリスチャンであり、イエス・キリストの手本と教えに従って生活するよう、最善を尽くしています。

同記事では、ものみの塔のカルト性を否定するために、まずカルトについての「よくある二つの見方」を取り上げ、それらの定義にエホバの証人が合致していないので、カルトではない、ということを説明しています。

カルト   新しい 宗教  伝統    ない 宗教  指す,と いう 見方。
エホバ の 証人 は,新しい 宗教 を 考え出し た わけ で は あり ませ ん。1 世紀 の クリスチャン の 残し た 型 に 従っ て 神 を 崇拝 し て い ます。1 世紀 の クリスチャン の 手本 や 教え は 聖書 に 記録 さ れ て い ます。(テモテ 第 二 3:16,17)伝統 的 な 崇拝 と は どう いう もの か は 聖書 を 規準 に し て 判断 す べき で ある と,エホバ の 証人 は 考え て い ます。

カルト      人間  指導   する 危険  宗教 集団  指す,と いう 見方。
エホバ の 証人 は,どんな 人間 を も 指導 者 と 仰ぐ こと は し ませ ん。イエス が 弟子 たち に 示し た,「あなた方 の 指導 者 は キリスト 一 人」で ある と いう 方針 に 従い ます。―マタイ 23:10。

本記事を、ここまでお読みいただいた読者の方であれば、上記のものみの塔の説明に、巧妙な偽りがあることに気付かれるでしょう。つまり、彼らが、そのカルト性を否定するために引き合いに出している「カルトについてのよくある二つの見方」自体が、広く認められているカルトの定義では無いのです。

カルト  新しい 宗教  伝統    ない 宗教  指す,と いう 見方」:カルトについて、このような定義をする文章を筆者は見つけることができません。通常、伝統的でない新しい宗教は、日本においては、単に「新興宗教」と呼ばれ、カルトの定義とは全く異なります。

「カルト      人間  指導   する 危険  宗教 集団  指す,と いう 見方」:この「一人の人間を」と定義する辞書や定義は存在しません。指導者の権威が問題なのであって、人数は関係無いからです。「一人の人間」という表現をあえて持ち出しているのは、統治体が「複数の指導者」からなっているからだと考えられるでしょう。

ものみの塔の統治体が、自分たちの教団のカルト性を誠実な態度を持って反論したいのであれば、まずは本記事の冒頭でご紹介したような、カルト研究家の間で広く受け入れられている「カルトの定義」を引き合いに出さなければなりません。

そして、カルト専門家の間で正式に定義されているカルトの特徴とは、①組織やリーダーによる絶対的な権威、②情報や行動の規制を伴うマインド・コントロール、です。そして、既に本記事で説明してきたように、ものみの塔の教えの多くには、確かにカルト性が見出されるのです。

残念ながら、このような不正確で偏った記事を公に公開し、それを絶対的に信じるよう信者に要求している時点で、やはりものみの塔という組織はカルトだと言わざるを得ないでしょう。

※なお、「ものみの塔」は、組織の法人名で、「エホバの証人」は、信者全体の呼称ですが、カルトという表現を用いる際、「エホバの証人はカルトである」ではなく、「ものみの塔はカルトである」と説明する方が適切です。なぜなら、カルト性とは、組織及びその指導者の方針によって生じるものであり、「エホバの証人」と呼ばれる大部分の信者は、その被害者だからです。

 

記事一覧:エホバの証人とは?

  1. 基本概要
  2. エホバの証人の歴史
  3. 組織構造
  4. 教理(戒律)
  5. 偽予言
  6. 統計と動向
  7. 宣教活動
  8. 出版物・メディア
  9. 集会・大会
  10. 寄付制度と会計報告
  11. カルト性について

脚注

[1] 実際には、カルト性を評価する要素は他にも複数ありますが、本記事においては、これらを簡潔にまとめる意図があるため、七つの要素に絞って記載いたしました。


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1件の返信

  1. アリウス君 より:

    よく「JWはカルトじゃないか」と言われるのですが、そもそも1世紀当時のキリスト教はカルトではないんですか?
    一人の強烈なカリスマ的指導者の元、奇跡によって民衆の心を捉え、ローマに対して反社会的な活動をして、脱疽の如く教えを広め、その教えによって殉教を遂げることも厭わない…これ立派なカルトですよね?つまり宗教というのはカルトでなければ成り立たないんです。日めくりカレンダーのような道徳的教えなどではなく、人間が作った社会常識の遥か上を行きます。天の神様の教えだからです。勿論オウム事件以来「カルト」という言葉は反社会的な宗教精力という定義に変わりましたが、本来の意味は「崇拝や礼拝を意味する宗教組織」と定義されておりますのでそのような意味ではカルトです。
    先ほども申しましたが、宗教的行為を社会常識の範囲内で制約するとしたら、神の命令より人間の命令を上に置いていることにならないでしょうか。徴兵を拒否する、輸血を行わない、他の宗教を認めない、人の迷惑顧みず宣教に出かける…エグいですよね。だって宗教なんだもん。
    すみません…ちょっと調子に乗りました。

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