地獄・霊魂不滅④ 聖書はシェオル・ハデス(黄泉)について何を教えているか?

エホバの証人が、地獄の存在を否定する論拠の一つとして、次のようなものがあります。

最初に、「キリスト教世界は、聖書の中でシェオル・ハデスと表現される死者の行き先が地獄だと教えている」という前提を定義し、その上で「聖書はこれらの場所を、イエスが三日間いた場所、ヨブが行くことを望んだ場所として描いているので、シェオルは苦しみの場所ではない。だから地獄は存在しない。」と主張します。

聖書は実際に、シェオル・ハデスについて何を教えているのでしょうか?エホバの証人の教えに反論する流れで、この問いに正確に答えたいと思います。

エホバの証人の主張:ハデスは人類共通の墓である

悪い人だけでなく善い人も「墓(ハデス)」(幾つかの聖書で「地獄」と訳されている)に行く

使徒 2章31節には,「キリストが墓 a[ハデス]に見捨てられず,その体も腐敗しない」とあり,イエス・キリストも,死んで復活するまでの間,ハデスにいたということが分かります。イエスが地獄の火で罰せられるはずはありません。それで,ハデスは「地獄」ではなく「墓」を指していると言えます。(『JW.ORG』聖書の教え>質問>地獄-存在するか)

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さらに,多くの苦しみを経験した,義なる人ヨブの例も考えてください。ヨブは苦境から逃れたいという気持ちから,「願わくは,汝われを地獄[シェオル]にて守り,汝の憤りの去るまで我を隠し……給え」と嘆願しました。 * (ヨブ 14:13,「ドウェー訳」[英語])ヨブが保護を求めて,火の燃える灼熱の場所に行くことを望んだと考えるのは,全く道理に合いません。ヨブにとって“地獄”は,自分の苦しみが終わる墓にすぎませんでした。ですから,聖書の述べる地獄とは,良い人も悪い人も行く,人類共通の墓のことです。(『ものみの塔』(研究用)2002年7月15日、地獄とは実際には何か)

これらの記事を読むと、読者は「キリスト教のクリスチャンたちは、シェオル・ハデスと呼ばれる場所を地獄だと信じている」と思ってしまいますが、それは事実とは異なります。確かに、一部の聖書においては、これらの場所が地獄と訳されているため、そのように信じてしまっている教派やグループもあるかもしれませんが、そうではないグループもたくさんあります。

実際、かつて私が学んでいた福音派のグループでは、シェオル・ハデスの中に区分があり、慰めの場所と苦しみの場所に分かれていると教えられていました。

シェオル・ハデスとは

エホバの証人が教えている通り、聖書は死者の行き先を表現する際、旧約聖書ではヘブル後のシェオル、新約聖書ではギリシャ語のハデスという言葉を用いています。これらの言葉は共通の場所を指しており、新約聖書が旧約聖書を引用する際、そこに「シェオル」が含まれていれば、ギリシア語では「ハデス」と訳されています。実例として、使徒2:31を確認してみます。

「キリスト​の​復活​を​先見​し,それ​に​つい​て,彼​がハデス​に​見捨て​られ​ず,その​肉体​が​腐れ​を​見る​こと​も​ない​と​語っ​た​の​です。」新世界訳1985

「そして、キリストの復活について予見して、/『彼は陰府に捨て置かれず/その肉体は朽ち果てなかった』と語りました。」聖書協会共同訳2018

「キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。」口語訳

「それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。」新改訳2017

この通り、ギリシア語のハデスという言葉が、今日の日本の代表的な聖書においては、地獄ではなく「陰符・黄泉」と訳されていることがわかると思います。

ペテロが引用したのは、詩篇16篇10節からで、ハデスと訳される元のヘブル語がシェオルであることがわかります。

「なぜなら,あなた​は​わたし​の​魂​を​シェオル​に​捨て置か​れ​ない​から​です。 あなた​は​ご自分​の​忠節​な​者​が​坑​を​見る​こと​を​許さ​れ​ませ​ん」新世界訳1985

シェオル・黄泉は全て苦しみの場所なのか

シェオル・黄泉は全て苦しみの場所なのでしょうか?聖書はそうは教えていません。

「子らと娘らとは皆立って彼を慰めようとしたが、彼は慰められるのを拒んで言った、『いや、わたしは嘆きながら陰府に下って、わが子のもとへ行こう』。こうして父は彼のために泣いた。」創世記37:35、口語訳

「どうぞ、わたしを陰府にかくし、/あなたの怒りのやむまで、潜ませ、/わたしのために時を定めて、/わたしを覚えてください。」ヨブ14:13、口語訳

当然ながら、幼かったヤコブの子どものヨセフが、死んだとしても苦しみの場所に行くはずがありません。もしもシェオルが苦しみの場所なら、ヨブが「わたしを陰府にかくし」と言うはずもありません。

では、シェオル・ハデスの全てが苦しみの無い場所なのでしょうか?聖書はそうも教えていません。

「わたし​の​怒り​の​中​で​火​は​燃え立っ​て​おり, それ​は​シェオル​に,最も​低い​所​に​まで​も​燃え​て​ゆく。 それ​は​地​と​その​産物​を​焼き尽くし,山々​の​基​を​燃え立た​せる。」申命記32:21、新世界訳1985

神の怒りは、シェオルの最も低い所にまでも燃えていくことがあります。

「また,富んだ人も死んで葬られました。23 そして,ハデスの中で目を上げると,自分は責め苦のうちにありましたが,はるか離れた所にアブラハムがおり,ラザロがその懐[の位置]にいるのが見えました。24 それで彼は呼びかけて言いました,『父アブラハムよ,わたしに憐れみをおかけになり,ラザロを遣わして,その指の先を水に浸してわたしの舌を冷やすようにさせてください。わたしはこの燃えさかる火の中で苦もんしているからです』。」ルカ16:22〜24、新世界訳1985

金持ちはハデスの中で、火の刑罰で苦しんでいました。ですから、ハデスの中には苦しみの場所もあるのです。ちなみに、ここではラザロという人物が「アブラハムの懐」と呼ばれる場所にいます。これまでの聖書的文脈を踏まえれば、ここでラザロやアブラハムがいる場所も「ハデス」です。つまり、シェオル・ハデスの中には、「アブラハムの懐」と呼ばれる慰めの場所と、火の燃える苦しみの場所の両方が存在しているのです。

キリストの贖い以降のハデス(黄泉)

「それゆえに​こう​言わ​れ​ます。『高い​所​に​上っ​た​時,彼​は​とりこ​を​連れ去っ​た。彼​は​人々[の]賜物​を​与え​た』。 9 さて,『彼​は​上っ​た』と​いう​表現​です​が,これ​は,彼​が​下方​の​領域,つまり​地​に​も​下っ​た​こと​以外​の​何​を​意味​する​でしょ​う​か。」(エフェソス4:8〜9)

キリストは、復活して昇天する際に、「とりこ​を​連れ去っ​た」とあり、とりことされていた人々を天へ連れ去ったことがわかります。ここでの「とりこ」とは、それまでにハデスの慰めの場所にいた人々のことだと考えられます。彼らは、死後に慰めの場所にいたとはいえ、キリストの血が流される前は、完全な清めを受けることができなかったため、天へ行くことはできませんでした。

しかし、十字架以降は、罪の完全な清めがなされたので、キリストはご自分の血を通し、彼らを天へ連れ上ることができるようになったのです。

ですから以下の聖句でも、クリスチャンが天にいる「完全​に​され​た​正しい​者​たち」に近づいている、と書かれています。天にはすでに、完全にされた者たちがいるのです。

「一方,皆さん​が​近づい​た​の​は,シオン​の​山,生き​て​いる​神​の​都市​で​ある​天​の​エルサレム,無数​の​天使​たち​が 集まっ​た​大群,天​に​登録​さ​れ​て​いる​初子​たち​の​会衆,全て​の​者​を​裁く​方​で​ある​神,聖​なる​力​に​導か​れ​て​生きる,完全​に​され​た​正しい​者​たち,」(ヘブライ12:22〜23、新世界訳2019)

使徒パウロも、地上の肉体を離れた後に、天にある主のもとに行く時を切望していました。

「それでも​わたしたち​に​は​勇気​が​あり,むしろ​この​体​から​離れ​て​主​の​もと​に​自分​の​住まい​を​定める​こと​を​大いに​喜ん​で​い​ます。」(コリント第二5:8、新世界訳1985)

ですから、キリストの贖い以降の時代は、ハデスの中の慰めの場所は、おそらく空になっていることでしょう。新しい契約の時代は、その血の恵みにより、救われて死んだ人は天へと直行することになるのです。しかし、救われたないで死ぬ人たちは、変わらずハデスの苦しみの場所へ行くことになるのでしょう。

最後の審判におけるハデス(黄泉)

「また​わたし​は,大きな​白い​座​と​それ​に​座っ​て​おら​れる​方​と​を​見​た。その​方​の​前​から​地​と​天​が​逃げ去り,それら​の​ため​の​場所​は​見いださ​れ​なかっ​た。 12 そして​わたし​は,死ん​だ​者​たち​が,大​なる​者​も​小​なる​者​も,その​み座​の​前​に​立っ​て​いる​の​を​見​た。そして,[数々​の]巻き物​が​開か​れ​た。しかし,別​の​巻き物​が​開か​れ​た。それ​は​命​の​巻き物​で​ある。そして,死ん​だ​者​たち​は​それら​の​巻き物​に​書か​れ​て​いる​事柄​に​より,その​行ない​に​したがって​裁か​れ​た。 13 そして,海​は​その​中​の​死者​を​出し,死​と​ハデス​も​その​中​の​死者​を​出し,彼ら​は​それぞれ​自分​の​行ない​に​したがって​裁か​れ​た。 14 そして,死​と​ハデス​は​火​の​湖​に​投げ込ま​れ​た。火​の​湖,これ​は​第​二​の​死​を​表わし​て​いる。 15 また,だれ​で​も,命​の​書​に​書か​れ​て​い​ない​者​は,火​の​湖​に​投げ込ま​れ​た。」(啓示20:11〜15、新世界訳1985)

千年王国が終わると、「最後の審判」「白いみ座の裁き」と言われる審判の時が来ます。そのとき、「死​と​ハデス​も​その​中​の​死者​を​出し」とある通り、ハデスは空になり、全ての死者が最後の裁きを受けるためによみがえらされます。この復活が、イエスが言及した「裁きの復活」だと考えられます。

「良い​こと​を​行なっ​た​者​は​命​の​復活​へ,いとう​べき​こと​を​習わし​に​し​た​者​は裁き復活へ​と[出​て​来る​の​です]。」(ヨハネ5:29)

その後、有罪宣告を受ける死者たちは全て、最終的に裁きと滅びの場である「火の湖」に投げ込まれます。その時、「ハデス」そのものも、同じく火の湖に投げ込まれます。

 

 

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