エホバの証人への伝道マニュアル②|状況別の対応方法


エホバの証人への対応・伝道方法|状況別の対応方法

エホバの証人(以下、JWとも略す)へ対応・伝道するシチュエーションとしては、「訪問伝道の場合」、そこから「定期的な話し合いへ発展する場合」、「駅前のJWへ話しかける場合」の3つを想定することができます。本記事では、主にキリスト教徒の立場から、それぞれの状況のおける対応・伝道方法について、具体的なアドバイスをご紹介します。

訪問された場合(戸別伝道)

エホバの証人側の視点

戸別伝道(訪問伝道)は、エホバの証人がもっとも力を入れている伝道方法であり、状況が許す限り、全ての信者はこの方法での伝道に参加するよう求められています。戸別伝道の目的は、単に玄関口で会話をして終わることではなく、定期的な聖書レッスンに結びつけることにあります。そのため組織は、全ての信者に対し、最初の訪問→再訪問→定期的な聖書レッスン、という流れを意識するよう指導しています。

ちなみに、訪問伝道において、どんなテーマを取り上げ、どんな展開に持っていくのかについては、毎月変わる雑誌の内容に合わせ、組織から具体的な指導がなされています。以下のページを開き、下へスクロールすると、「話し合いのサンプル」というコーナーがあり、そちらに毎月のサンプル動画がアップされますので、事前に見ておくと、対処しやすくなると思います。

JW Broad Casting 集会と宣教

組織から提供される会話の実例はあくまでサンプルであるため、全ての伝道者がその通りに話すわけではありません。しかし、事前にこちらで目を通しておくと、効果的な会話に持っていきやすくなるでしょう。

断る場合

訪問をしてくるエホバの証人を断る場合、将来的に彼らへ伝道する可能性があるかないかによって、対応の仕方は変わってきます。

普通に断る場合

お断りはするが、「将来的に彼らへ伝道をする機会は残しておこう」と考える場合は、「結構です」と普通に断れば大丈夫です。ただしその際に「わたしはクリスチャンなので結構です」とは言わないよう注意して下さい。なぜなら、そのような言葉は、「キリスト教徒は伝道しない」「聖書の学びもほとんどしていない」と考える多くのエホバの証人の信仰を、逆に強めてしまう結果となるからです。

実際に、かつてエホバの証人の伝道者であったある姉妹は、訪問先のキリスト教徒が「クリスチャンだから」と断るたびに、次のような会話を仲間内でしていた、と証言しています。

「エホバの証人がクリスチャンの家を訪ねると、ほとんどの人が話し合いを避けて逃げてしまう。真実を明らかにするために話し合いを拒むのは、闇にいる者、偽善者の特徴である。それは彼らが大いなるバビロン、サタンの組織に属している証拠に他ならない」*[1]

二度と訪問を受けたくない場合

「彼らへ伝道する気はない」「荷が重い」と感じられるなら、はっきりと断った方がよいでしょう。その方が、あなたの側も、訪問するエホバの証人の側も、互いに時間の無駄をせずに済むからです。その際に、「迷惑ですので、今度絶対に来ないでください」とはっきりと意思表示をすることが大切です。そうするなら、彼らはあなたの家を「訪問拒否リスト」に入れ、今後の訪問がなされないようにするからです。

普通に会話をする場合

訪問してくるエホバの証人と、短く会話する余裕がある場合は、まずは、余計に意気込んだりせずに、普通に会話してみるとよいでしょう。大抵の場合、相手のJWは話すテーマを考えてきていますが、わからないことは「わからない」と言えばいいですし、相手の語る教えに疑問を感じれば、その場で質問をすることができます。

そして、「信者となったキッカケは何だったのか」「どうしてエホバの証人になろうと思ったのか?」「ものみの塔協会のリーダーは、あなたにとってどんな存在なのか?」「家族の中で同じJWの信者はいるのか」「毎月どれくらい伝道をしているのか」などの質問をすることで、相手がどんな信者なのかを知る手がかりとなるでしょう。

また、クリスチャンとしての自分の証を話すなら、良い関係を築きやすくなると共に、相手に考えさせるキッカケとなるかもしれません。

トラクトや文書を渡す場合

他宗教の出版物を受け取ってはならない

ものみの塔は「他の宗教の文書を受け取らないように」と信者に指示しているので、仮に私たちが渡そうとしても断ってくる可能性が高いでしょう。過去の出版物では、具体的に以下のような指導がなされています。

「わたしのを読んでくれるなら,それをもらいましょう」
時折,このように言う人がいます。わたしたちは,誤りを広める宗教文書とわたしたちの聖書研究の手引きを交換することはしないので,そう言われた場合,どのように巧みに答えられるでしょうか。(ロマ 1:25)こう言えるかもしれません。
「お申し出ありがとうございます。一つお尋ねしたいのですが,世界に見られる不公正などの問題の解決策について,それにはどのように述べられていますか。
[答えの間を置く。この文書を読んで答えを見つけてくださいとその人が言うなら,わたしは内容を述べてからあなたに文書をお勧めしました,と言える。そして,マタイ 6:9,10を読むか,聖書を開かずに言う。]
イエス・キリストは,神の王国という一つの政府によって神のご意志が果たされる,つまり世界の諸問題が取り除かれると述べています。ですからわたしは,神の王国について述べる宗教文書だけを読むようにしています。神の王国が何を行なうのか,聖書から幾つか見ていただけますか」―『王国宣教』2013年9月3頁。

上記の会話のサンプルの中には、「神の王国について述べる宗教文書だけを読むようにしています」とありますが、キリストによる神の国の支配は聖書の中心テーマであり、解釈の違いはあれど、おおよそどのキリスト教の教団でも教えている事柄ですので、その点を指摘すれば、受け取ってもらえるかもしれません。

交換拒否の理由は情報統制にある

ものみの塔協会がこのような指示をする表向きの理由は、「偽りの宗教の影響を受けるので好ましくない」というようなものですが、本当の理由は「情報をコントロールして、組織の偽善や誤りが暴かれないようにするため」であると言えます。そして、その指示が情報統制を意図したものであり、「非聖書的」「非常識」なものであることを示す、3つの理由があります。

第一に、聖書の中には「他宗教の情報に目を通してはならない」という指示を正当化する聖句はありません*[2]

第二に、伝道活動とは、相互のコミュニケーションが必要とされる活動です。それなのに、自分たちの出版物だけを読ませ、相手の渡してくる出版物を読もうとしないなら、それは一方的な押し付けであり、コミュニケーションではありません。つまり、そのような方法は伝道の本質からかけ離れているのです。

第三に、ものみの塔の出版物では、彼らが「偽りの宗教」と非難するキリスト教の学者たちのコメントが、自説の信頼性を裏付ける目的で随所に引用されています。ですから、キリスト教の出版物を信者が読むべきでないなら、ものみの塔の出版物にも、キリスト教の学者たちのコメントを一切載せるべきではないのです。

このように「他宗教の出版物を受け取らない」という指示に妥当な理由がないことを踏まえれば、その指示の本当の目的が「情報統制」にあることは明らかです。以上に挙げた論点をちゃんと理解しておくことは、実際の会話でマインドコントロールの問題を指摘する上で、とても役に立つので、是非覚えておいてください。

対処方法

これまでに考慮したものみの塔のルールを踏まえると、訪問してくるエホバの証人に何らかの文書を渡そうとする場合、以下の対処方法を挙げることができます。

  • 「わたしが差し上げる文書も読んで下さるなら、そちらの雑誌も読ませていただきたいと思います」という交換条件を出して、文書を渡す。
  • 断られたら、情報統制に関する問題を指摘する
  • 文書に書いてある内容をその場で読み上げる。
  • 「この文書を読んで、教えていただけますか」と言って渡す。
    (定期的な話し合いを想定する場合はお勧め。詳細は後述します)

文書の交換を提案した時点で、大抵の信者はその提案を断ってきます。もっとも読んでくれればそれに越したことはありませんが、断ってくれば、情報統制の問題を指摘する絶好の機会となります。その際に、上記で取り上げた論点に基づいて会話を進めれば、相手のJWは自分がマインドコントロールされていると気づき始めるかもしれません。

また、文書の内容が、JWへの伝道で効果的なものであれば、渡さずに、その場で読んで聞かせることもできるでしょう。もっとも、読んで聞かせるのも拒否される場合がありますので、書いてある内容を頭に入れて、口頭で伝えるのがベストです。

「教えて下さい」と言って文書を渡す

「読んで下さい」と言って渡そうとすると、その時点でマインド・コントロールのスイッチが入って、拒否反応を起こされるパターンも想定されます。そこで「読んで下さい」ではなく、「教えて下さい」という姿勢で、次のように文書を渡してみることもできます。

「もし良かったら、この冊子の内容が、エホバの証人の教えがどのように違うのか、教えていただけませんか。私も真理を求める信仰者の一人ですので、是非知っておきたいんです。」

このように語りかければ、相手の警戒センサーは働きづらいでしょうし、「この人を偽りから救い出さなければ!」と感じて、誠実に対応してくれる可能性が高まります。ただし、このような提案をした時点で、定期的な話し合いへ発展していきますので、長期戦を控えたいと思われる方には不向きです。

会話のサンプル

こちらでは、「交換の提案→拒否→情報統制の問題を指摘」という流れを想定した、具体的な会話の流れとサンプルをご紹介します。

まず、トラクトなどを渡す際は、「こちらの冊子をお読みいただいてもいいですか」と聞いてみてください。「受け取ってもらえますか」よりも、「読んでいただけますか」と聞くべきです。なぜなら、受け取るだけだと、その場しのぎで受け取り、後で捨てられてしまう可能性があるからです。しかし「読んでいただけますか」と尋ねれば、良心があるエホバの証人であれば、断ってくる可能性は増すでしょう。

そして、もしも断ってきたら、相手の意志を尊重しつつ、「そうですか、失礼いたしました。よろしければ、読んでいただくことができない理由をお聞かせいただくことはできますか?」と尋ねてみて下さい。あくまで攻撃的な姿勢ではなく、会話全体の中で、敬意を込めて語りかけることが大切です。また、この時点で相手のJWは防御姿勢に入っている可能性もありますので、落ち着いて会話を進めることを心がけて下さい。

その次は、以下のような言葉で語りかけることができます。

「私が逆の立場だったら、伝道をする相手のことを知る必要があるので、快く文書を読むのですが、〇〇さんの場合は、どのような理由がありますか?よろしければ教えていただけますか?

「聖書には、『自分にして欲しいことを人にもする』という有名な言葉がありますよね。私はこのイエスの教えの通り、伝えたい内容が書いてある冊子を、お互いに読んだ方がいいと思うんです。〇〇さんは、どう思われますか?

「ものみの塔の雑誌にはキリスト教の学者のコメントがたくさん載っているので、執筆者の方々はキリスト教の本を普通に読んでいることになりますよね。でも、それ以外の信者の方は読んではならない、というのは、かなり不自然だと思うのですが、理由をお聞かせいただいても良いでしょうか?」

「エホバの証人は誠実な方が多い印象を持っていたのですが、指導をする側の人たちが情報のコントロールを行っている、というのはとても残念ですね。〇〇さんは、この点について考えたことがおありではないでしょうか?」

以上の語りかけ方は、相手のJWができるだけ話に耳を傾けることができるよう、以下の点に注意して考えられています。是非、実際の会話において参考にして下さい。

  • 褒めるべき点はほめる。
  • 「指摘する」よりも、「質問を投げかける」
  • 聖書の言葉を用いて、道理に訴える。
  • 「指導者」と「信者」を分けて考え、批判や疑問は「指導者」に対して語る。

その場で論破する場合

上記で紹介した方法も、その場で論破する方法の一つではありますが、その他に、エホバの証人特有の教理に対して、その場で簡潔に論破することもできます。具体的なテーマと取り上げ方は、追って当サイトで公開していきますので、是非実際の伝道にお役立て下さい。(メールやSNSでもフォローできます)

なお、効果的なテーマ選びは、JWの教理を熟知している人で無ければ中々難しいですので、基本は当サイトや、他の専門書や専門サイトで紹介されている方法をお選びいただくことをお勧めいたします。

再訪問をしてもらう場合

全ての伝道者は、再訪問をして聖書研究に結びつけるために戸別伝道を行っています。ですから、最初の訪問で、あなたが好意的な態度で接するなら、相手の方から「また来週のこの時間は、ご在宅ですか?」というような感じで、再訪問をするタイミングを伺ってくると思います。もしも、相手からそのような言葉が無くても、「また今度、聖書のお話をしましょう」とこちらから言えば、積極的に再訪問をしてくれます。

可能ならば、ゆっくりと会話に時間を取れる日時を指定し、次回の会話に望むと良いでしょう。また玄関先だけではなく、家の中へ案内し、お茶でも飲みながらお話ができればベストです。このような流れで、定期的な話合いへ繋げることができれば、その後の展開において、より効果的に、彼らへ福音を伝えることができるでしょう。

なお、差し支えなければ、メールや電話番号などの連絡先を交換しておくと良いでしょう。その方が、再訪問の日時を調整することができ、お互いに時間を無駄にせずに済みます。また、話し合いの前の準備や、その後の感想などについても、自由にやり取りすることができる等のメリットがあります*[3]

交換した連絡先情報の扱いを心配される方もいるかもしれませんが、無許可で他の信者へ連絡先が流されることはまずありませんので、ご安心ください。

定期的な話し合いをする場合(聖書研究)

エホバの証人側の視点

本記事で既に説明したように、エホバの証人の戸別伝道の目的は、定期的な聖書レッスンに繋げることにありますが、今の日本において、聖書に関心を示し、定期的な話し合いに応じてくれる人はそう多くありません。ですから、あなたが快く定期的な話し合いに応じるなら、ほとんどのJWはその事を喜ぶでしょう。また玄関先だけでなく、家の中へ招かれて聖書の話し合いができる人など、滅多にお目にかかることはできないのです。

さらに、定期的な話し合いにつながれば、エホバの証人の奉仕報告*[4]では、「再訪問」から「研究」へとカウント方法が変わり、より喜ばしい伝道実績を残したことになります。

まずは仲良くなる

定期的な話し合いへ展開したからといって、必ずしも急いで論駁していく必要はありません。まずは、「なぜエホバを信じるようになったのか」「クリスチャンになって人生がどう変わったのか」など、お互いの証を語りあってみるのも良いと思います。そうすることによって、相手のJWが「この人を救いたい、しっかりと向き合いたい」と思うようになれば、良い信頼関係が築かれたことになります。

もっとも、話すテーマが決まっている場合は、初回から議論のテーマに入っても良いでしょう。ただし、初めに最低限の信頼関係を築いておくかどうかは、その後の話し合いにおける効果に大きな違いをもたらすかもしれません。是非この点は、念頭において下さい。

なお、相手のエホバの証人に、事前に尋ねておくと良い質問は、以下の通りです。前回の記事で確認をした通り、脱会の難易度を左右する重要な要素は、「信仰生活を送る動機」「マインドコントロールの度合い」「家族との関係」にありますが、以下の質問のサンプルは、これらの要素を判断する上で役立つでしょう。

【信仰生活の動機】
・信者となったキッカケは何だったのか?
・どうしてエホバの証人になろうと思ったのか?
・エホバの証人として、どんな点に生きがいを感じているのか?

【マインドコントロールの度合い】
・統治体は、あなたにとってどんな存在なのか?
・統治体の教えと聖書の教えが合わないと感じる場合、あなたならどうするか?
・ものみの塔以外の出版物を読むことはどれくらいあるか?

【家族との関係】
・自分以外に、家族や親族の中にエホバの証人はいるか?
・いる場合、彼らは組織に忠実か、そうでないか?
・家族との関係は良好か?

話し合いを中断しないよう約束しておく

定期的な話し合いへ展開していく中で、予め「この話し合いを途中で中断しないよう」約束しておくのが良いかもしれません。たとえば、次のように言ってみるのです。

「もしも、よく話し合った上で、キリスト教の聖書理解が誤っていることがわかれば、私はエホバの証人になることを真剣に考える必要があるかもしれませんね。逆に、もしもエホバの証人の教えが誤っていることがわかれば、〇〇さんの方が考え直す必要があることになりますね。お互いに、大切なテーマだと思うので、この後の話し合いを途中で中断しないことをお約束いただけますか?」

このような事を事前に伝えておく理由は、話し合いが進む中で、エホバの証人側の形勢が不利になってくると、途中で長老から「研究の中断」の指導が入る可能性が高いからです。ですから、事前に「最後まで話し合う」約束をしておけば、仮に中断させられたとしても、相手の伝道者の良心は咎め、組織の閉鎖性に疑問を感じてくれるかもしれません。

また、中断される可能性を考慮すれば、中断の前の話し合いで、「決定打」となるような情報を相手のJWへ伝えておきたいところです。「決定打」としてお勧めのテーマは、「予言の失敗」や「聖書の改ざん問題」などが挙げられます。

可能であれば、話し合いは一対一で

可能であれば、定期的な話し合いを一対一でできるよう、お願いするのは良い方法です。なぜかというと、相手のJWが二人以上いると、お互いの目を気にして、本音を言わない場合が多いからです。お願いする時には、「こちらは一人なので、二人組で来られるよりも、一対一の方が話しやすいと思う」と言えば問題ありません。

ただし、相手が二人で来ているような時に「次回からは一人で来て欲しい」とあからさまにお願いしても違和感があるかもしれませんので、無理の無い範囲で検討して下さい。たとえ相手が二人であっても、こちら側が伝える福音が変わるわけではありませんので、大きな問題ではありません。

使い古した聖書があれば、それを用いる

エホバの証人の多くは、「キリスト教徒は聖書を真面目に勉強していない」と考えていますので、もしもあなたが使い込んだ聖書をお持ちであれば、話し合いの際に、その聖書を用いることをお勧めいたします。この方法は、エホバの証人問題の専門家であるウィリアム・ウッド氏がよく用いる方法のようですが、JWとの話し合いにおいて、良い効果をもたらすことが多いようです。

「相手を自分よりすぐれた者」だと思って接する

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」(フィリピ2:3、新改訳)

この点は、「エホバの証人への伝道方法(キリスト教徒の場合)」でも触れた点ですが、定期的な話し合いをする時には、特に重要となってくる態度です。たとえ相手の方が誤った教えを信じているとしても、相手の良い点にも目を留め、へりくだった思いを持って接していく必要があります。相手のJWが、あなたの人格に聖霊の実を見るならば、話に耳を傾けてくれる可能性は高くなるでしょう*[5]。そしてそのためには、日頃からあなたが、聖霊の導きに身を委ねて生きていることが不可欠です。

前準備としてお勧めの教材は、アン・ベイリーさんのクリスチャンリーダーシップセミナー(ハーベストタイム発行)です*[6]。相手との信頼関係を築く上で役立つでしょう。

駅前のJWへ伝道する場合(カートの証言)

エホバの証人側の視点

かつては、エホバの証人と言えば「家から家への戸別伝道」でしたが、最近では「駅前での街路伝道」とも言えるほど、あらゆる駅で活発に活動をする様子が伺えます。なお、エホバの証人の間では、この伝道方法を「公の証言」*[7]、もしくは「カートの証言」と呼んでいます。

駅前でカートと雑誌を掲げているエホバの証人は、基本的に、自分から積極的に話しかけたりはしないスタイルです。しかし、聖書やエホバの証人に関心があり、雑誌を受け取ろうとする人とは、積極的な会話をしようとします。実際に、雑誌を受け取ろうとする日本人は決して多くないので、関心を示す人と話すことは、彼らにとって喜ばしい伝道の時間となるのです。

また、単にその場で雑誌を渡すだけでなく、そこから定期的な聖書レッスン*[8]に結びつけることも、彼らにとって大切な目的の一つです。

まずは気軽に話しかけてみる

駅前のエホバの証人へ伝道を試みる場合、まずは気軽に話しかけてみるとよいでしょう。例えば、配布中の雑誌を受け取り、次のような自然な会話の流れに発展させるのもありです。

「よろしければ、一冊、いただけますか?・・へぇ、今月はこんなテーマを扱っているんですね。私はクリスチャンなんですけど、時々エホバの証人の雑誌を読むこともあるんです。」

このように、自分がクリスチャンであること、時々エホバの証人の雑誌を読むこと、などを伝えておくと、後々本題に入っていく際に、自然な流れで展開しやすくなるはずです。

次に、受け取った雑誌をその場でめくりながら、雑誌のテーマについて質問をしたり、別の扱いたいテーマに話を振ってみることができるでしょう。

わかりやすいテーマを選ぶ

駅前の場合は、自宅へ招いた時ほど落ち着いて話せるわけではないので、その場で完結するわかりやすいテーマが良いでしょう。「予言の失敗」や「改ざん問題」などは、別途資料の用意が必要であるため、駅前で扱うには難易度が高いかもしれません。代わりに、比較的簡潔でわかりやすいテーマを選ぶのが良いでしょう。

また、キリスト教のトラクトや冊子を渡すこともできます。断ってくる可能性は高い*[9]ですが、その場合は、「なぜ受け取れないのか」という理由を尋ね、マインドコントロールの問題を指摘することができるかもしれません。

そして、その場で論破するにしても、トラクトを渡すにしても、その際の注意点や方法は、本記事の「訪問された場合」で既に述べた点をよく参考になさってください。

後日の研究へ繋げる

「よかったら、今度ゆっくり、エホバの証人の教えについてお話を聞いてみたい。」と言えば、お住まいの地域に住んでいるエホバの証人が、後日ご自宅を訪ねてくれます。そこから、じっくりと定期的な話し合いを展開していくことができるでしょう。

またこの時に、必要であれば、「真理の重要性を相互に確認する」で紹介したようなことを伝え、互いに聖書の真理について話し合う必要性があることを強調すると良いでしょう。

また、このような流れを想定する場合は、駅前の会話の時点で、相手の教理や組織の矛盾を指摘するのは控えた方が賢明です。エホバの証人の伝道の目的は、あくまで「ふさわしい人を捜し出す」(マタイ10:11)ことであり、はじめから批判的な人に対して、時間を割くことは賢明でないと彼らは考えるからです。

脚注

[1] 中澤啓介『パンドラの塔』2000年、239頁。

[2] この点で、協会がかろうじて引用しそうな聖句として、「この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません」(第二ヨハネ10)が思い浮かびますが、文脈上、この警告はキリストの受肉を否定したグノーシス主義者たちのことであり、現代の正統的な信仰を持つクリスチャンには当てはまりません。また、「あいさつの言葉をかけてはなりません」とある以上、この聖句が適用されるなら、そもそもキリスト教徒の家に伝道に来るべきでは無い、ということになります。

[3] エホバの証人側の視点としても、(1)「留守で会えない」という事態を避けることができる、(2)メールや電話等の連絡も、毎月提出する奉仕報告の「再訪問件数」と「奉仕時間」にカウントでき、数字を上げることができる、等のメリットがあります。ちなみに、メールの返信を一回するだけでも、「再訪問+1」としてカウントされます。

[4] 全てのエホバの証人は、毎月「伝道時間数」「再訪問数」「研究司会」「配布した雑誌・書籍の数」などを、奉仕報告として地元の会衆へ提出しています。この報告は、すべてのエホバの証人の伝道者に課せられている義務です。

[5] エホバの証人は新生していないので、聖霊の内住はありません。また「自分たちは唯一の組織に属している」と信じているので、屈折した選民意識を内側に抱いている場合もあります。そのため、伝道の際に「相手を自分よりも上だと思ってへりくだった思いを持つ」ことを難しく感じるJWは少なくないでしょう。

[6] この教材では、伝道に役立つ普遍的な原則を学べます。特に役立つと思われるのは、一貫して言われている「変えられるのは自分の行動と態度だけ」、また第3回の1「過去から未来に向かって導く」の図です。人の行動を変えるには信念を変える必要があり、信念を変えるには経験を変える(新しい経験を与える)必要がある、という視点です。
一例として、聖書を文脈に沿って字義通りに読めば、統治体の助けを借りなくても聖書の著者の意図を理解できることに気付かせる(新しい経験によって信念を変化させる)ことが必要です。

[7] 『王国宣教』2013年7月号を参照。なお、信者間での呼び方は、他にも「カートの奉仕」「スタンド奉仕」などバリエーションがあります。

[8] エホバの証人の間では、古くから「聖書研究」という表現が用いられてきましたが、最近では「聖書レッスン」という表現も多用されるようになってきています。「聖書レッスン」という表現の方が馴染みやすいからだと考えられます。

[9] カートの証言の場合は、近くで待機しながら見守っている仲間の信者がおり、組織のルールを破らないよう互いの目を気にしますので、受け取る可能性はかなり低いでしょう。


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16件のフィードバック

  1. エホバの証人 より:

    マタイ4:10にあるように
    あなたの神エホバを崇拝しなければならない
    とあるので、ほかの宗教の出版物をみること間違っています。

  2. アリウス君 より:

    ご苦労様です。いやこれは本当に貴殿に対して敬意をもって語っている言葉です。悪しからず。
    最近、奉仕報告の形態が変わりました。開拓者でない伝道者は「今月奉仕をしましたか?」の問いに「はい」か「いいえ」で報告するだけになりました。

    • Webmaster-GJW より:

      サイトへのご訪問ありがとうございます。普通の伝道者は時間をカウントしなくなったのですね。
      最新情報のシェアに感謝します!

  3. アリウス君 より:

    お気づきになられたようで感謝致します。笑
    実は自分でもどこのサイトに書き込んだか忘れてしまい、ここに辿り着くのに一苦労致しました。
    組織内では誰も回答できず、私の聖書研究のテーマとなっているものなのですが、貴殿の熱心なる真理探究の姿勢にシンパシーと誠意を感じご意見を伺いたく存じます。JWに属していると他の神学に接することがなかなかできず不便?しております。笑

    別のところでも”カイト”という現役JWの方がコメントしておられましたが、私個人として同じJWとして彼の信仰をリベラルな受け止め方であると評価させていただきました。私のハンドルネームからお分かりになると思いますがJWは「20世紀のアリウス派』と呼ばれておりますよね?つまりこのサイトで論じられている事もJWの聖書理解も21世紀における神学論争の延長だと受け止めております。実際キリスト文化社会に於いて数百万人がJWの主張?する「キリストは神ではなくエホバの最初の創造物である」との聖書理解を受け入れている事実はそれなりの説得力がある事を教えていると考えます。
    では質問です…
    人類に聖書だけをお与えになられた神はこの2000年にも渡るご自身の著作の解釈の混乱をどう見ておられるとお考えでしょうか?この書物で人類をお救いになられようとしておられるならば、人類のこの混乱の責任の一端は神自身にもあると思いますがプロテスタント教会の神学ではどのように理解しておられますか?

    • Webmaster-GJW より:

      おはようございます。
      昨年は当サイトをお読み下さり大変ありがとうございました。大切なご質問をいただきありがとうございます

      神学論争については、一時的な問題と二次的な問題を分けて考える必要があります。
      プロテスタント、あるいはキリスト教内において議論されがちなテーマとしては、
      聖霊のバプテスマ、異言、契約進学、携挙の時期、等がありますが、これらは全て二次的な問題であって、解釈の相違があるからと言って、分裂するべきではなく、互いの相違を乗り越えて「イエスにあって」一致する必要があります。

      しかし、イエスが神であるかどうか、という問題は一次的な問題であって、何が真理なのかをはっきりさせる必要があります。なぜなら、もしイエスが誰なのかについて、実像と異なるイエスを信じて宣べ伝えるのであれば、我々は「異なるイエス」を伝えることになるからです。

      Ⅱコリント11:4
      実際、だれかが来て、私たちが宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいは、あなたがたが受けたことのない異なる霊や、受け入れたことのない異なる福音を受けたりしても、あなたがたはよく我慢しています。

      イエスは言いました。「求めなさい、そうすれば与えられます」
      誰でも、イエスの真の姿を知ることを求める人には、神は必ず聖霊によってその真理を明らかにするはずです。神に不正はありません。ですから、一次的な神学論争における神の御心についていえば、「神は、霊とまことを持って神を礼拝しようとする人々を、必ずイエスの真理へと導いて下さる」と理解しています。

      私自身、三位一体論がもっともネックで、結論を出すのが難しいテーマでしたが、今振り返ると、その結論がわからなかった原因は、以下の通りです。
      ・エホバの証人の改ざんされた聖書を読んでいたから霊的に惑わされていた
      ・イエスを神とする聖句に気づいていなかった
      ・聖霊の証言に関する無知があった

      アリウスさんに、おすすめの動画と書籍があります。
      ・「元テロリストの証」アフシン・ジャビード:https://youtu.be/FTBegJm2ROg?si=UUWd4rCwDcbAEwg4
      ・「天国の人」ブラザー・ユン

      上記を通して、今も生きて働かれるイエスと聖霊の力が、イエスについてどんなことを明らかにしているかに気づかせてくれるかもしれません。
      ご参考になれば幸いです。

  4. アリウス君 より:

    質問2
    黙示録12;12「悪魔が自分の時の短いことを知り、大きな怒りを抱いてあなたがたのところに下ったからである」
    その後悪魔は黙示録に預言されているとおりに地に災いをもたらしていったのですが、普通自らの敵対者に(この場合神様ですが)2千年後の自分の行動を預言されて素直にその通りに行動する…という事が考えられるでしょうか?しかも相手(神様)は「私の言葉は必ず成果をもたらして成功を収める」(イザヤ55:11)とも述べており、エホバという名に至っては「成らせるもの」という名称をお持ちです。
    もし悪魔が終わりの日に預言されていることとは正反対の行動を取るなら、エホバがエホバではなくなり神の預言は成就しないことになります。それでも何故悪魔は預言されていたような行動を取るのでしょうか?

    • Webmaster-GJW より:

      アリウスさんが指摘される通り、聖書の預言を知っているサタンが、あえて預言が外れるように行動しようとしないのは、不思議なことですが、そこは神の領域である以上、私たち人間が計り知れることではないのかもしれません。
      「ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。」ローマ11:33

      上記を踏まえたうえでですが、私なりに、この点について考察させていただきます。
      以下のパウロの言葉からわかることは、悪魔が「不法の者」(獣、反キリスト)を通して世界を惑わすことについては、一世紀当時から、ずっと悪魔が最もやりたいことであるのがわかります。その方法が、最も多くの人の魂を盗んで殺して滅ぼすことができるなのでしょう。

      「006 不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。
      007 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。
      008 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。」第二テサロニケ2章

      しかし、その悪魔の策略が終わりの時代まで世に表れないのは、神がその計画を引き留めているからです。したがって、終わりの時代に悪魔がその通りに行動するかどうか、というよりは、悪魔は古代からずっとそのように行動したかったが、神がそれを引き留めていたのであって、時が来て神が引き留めるを止めるならば、悪魔はいつでも全力でその計画を実行したい、ということなのだと思います。

      これは、イエスの十字架についても同様で、悪魔としては、イエスを痛めつけなければ、預言の成就を阻むことができました。しかし、神によって許された、神の子を唯一存分に苦しめれる機会を、悪魔は逃したくはなく、あわよくば、イエスを試し切ったうえで、イエスに罪を犯させて、神の計画を破綻させたかったのでしょう。

      しかし、神の計画と力は、いつでも悪魔の上を行きました。

      • アリウス君 より:

        面白いテーマでしょ?神とサタンとのせめぎ合いを記している箇所は幾つかありますが、答えはエゼキエル38章にあります。ご存知のように堕天使でもあるサタンには強烈な個性があります。(エゼキエル28:12〜)高慢と最高度のナルシシズムです。
        「羊達の沈黙」という映画をご存知でしょうか。FBI検査官クラリスとレクター博士のせめぎ合いを描いた名画です。実に興味深いシーンがあります。ある時クラリスが収監中のレクター博士を尋ねます。その時にジュディホスター演じるクラリスに隣の監獄にいる変態が卑猥で下品な言葉を叫びせます。レクターは自らの客に対する非礼を詫びるのですが、次にクラリスが訪ねてきた時にその変態は居なくなっていたんです。理由はレクターが言葉だけで彼を精神的に追い詰め自殺に追いやってしまったからです。これがヒントです。
        エゼキエル38:4で「私は必ずあなたのあごに鉤ををかけ引き回す…」という聖句があります。サタンには個性があります。しかも高慢の極みにいます(イザヤ14:14)これが命取りになるんです。つまりエホバは遺伝子レベルで彼の特性を熟知しているのでサタンの行動パターンを読み取れる事ができます。よって彼を言葉によって精神的に追い込んでゆくことができるんです。彼は神によって怒りに燃えて暴れざるを得ない状況に追い詰められていかれる事になります。それがエゼキエル38:4の成就となります。自らの行動が予言されていても自らの激情がそのような行動へとサタンを追いやります。まさしくエホバの言葉は成るのです。故に創世記3:15の最初で最後で最大の預言は成就することになります。

        • アリウス君 より:

          ジョディフォスターです!急いで書くとろくなことはありません…あぁ恥ずかしい。

  5. アリウス君 より:

    管理人様(お名前が分からずこうお呼びさせて頂きます)
    誠実なるご対応に心より感謝致します。貴殿の真剣で誠意ある対応は本物の信仰だと思います。素晴らしい!
    ご紹介のビデオ拝見致しました。結論から申しますと、この手のスピリチュアルな体験はキリスト教だけではなく、とりわけ仏教関係の教団には山ほどあり、私自身も以前はそのような環境に身を置き更にはヒンズー教関係の超越瞑想なるものも経験しております。通常見えない物が見えたり聞こえたりとの経験もあります。よって彼の体験は現代のサウロの体験に等しく聞かせてもらいましたが、極めて個人的なものでありコリントⅠ13:8〜などの聖句から受け入れがたく感じました。しかし彼の信仰体験ですので否定するつもりはありません。

    さて三位一体の教義についてですが、「あなたの御言葉は真理です」(ヨハネ17:17)という主の言葉は真理つまり「本当の事」は一つしかありません。よってJWが他のキリスト教を認める事ができないのは本当の事は一つしか無いからです。
    ここで2000年にも及んだ「キリストは神か神ではないか」の論争をするつもりはありません。アタナシウス信教とアリウス派の論争は引き続き行われているからです。元JWならご存知かもしれませんが、この論争のそもそものきっかけは箴言8:22から始まる”私”が一体誰なのか?というものです。また黙示録7:10で「救いは神と子羊とによる」とあって何故聖霊が不在なのか?等、三位一体の教義は多くの神学者達の議論の的となってきたのもご存知かと思います。故に貴殿も認めているようにこの論議でJWの信条を覆すことは至難の業でしょう。合理的且つ整合性を持つ理論があればとっくに解決しているテーマだからです。
    ただ貴殿の言う”二次的な問題”があるとしたらそちらの方からお調べになる事も必要かと存じます。何故なら先ほど述べましたように「真理、つまり本当の事は一つ」だからです。ある教会が「地獄はある」と教え、別の教会は「地獄は無い」と教えているならば、どっちかが本当でどっちかは嘘(誤り)を教えている事になります。あるか無いかどっちが本当なの?という事です。よってJWだけでなく数多あるキリスト教の教義も一つになっていなければならないでしょう(コリント11:10)
    >解釈の相違があるからと言って、分裂するべきではなく、互いの相違を乗り越えて「イエスにあって」一致する必要があります。
    でもそれが可能ならとっくに一致していて然るべきでしょう。
    このように述べるのは貴殿と論争をしたいからではありません。そのようなものは無益且つ時間の無駄だからです。しかし貴殿の真理探究の姿勢に感激した次第なので「背教者との接触は避けるように」との組織からのお達しに逆らってメール致しました。(排斥の目的も世間から多分に誤解されております)
    聖書は素晴らしい書物だと思います。未だ人類はその牙城を壊す事ができません。多くの求道者達が様々な道に迷い込み抜け出せぬまま人生を終わりました。故に”大いなるバビロン”という名称で彼らの純粋な思いを一括りにするのは抵抗があります。
    私がJWに留まっているのも「彼らの純粋さを神はどうみなしておられるのか?」というその一点かもしれません。私の聖書理解もあの「沈黙」のイエスの言葉に集約されているのかもしれません。

    • Webmaster-GJW より:

      動画の体験のご指摘についてありがとうございます。これについては、あまり論じ合う必要はないと思いました。彼の証言から考察できる点は色々あるのですが、個人的な体験という性質があることに変わりはないからです。

      「彼らの純粋さを神はどうみなしておられるのか?」
      という点についてですが、私は組織内部にいた3~4年いて、その後脱会するまでに、また脱会した後にも、色々な証人たちと話しました。
      それで気づいたことですが、「本当に」真理と向き合おうとしている証人は、少数派ではないか、ということです。

      つまり、いざ組織や聖書的教理の問題点の話になると、目の前に明らかな証拠があっても、目をそらす人が多数派だと思わされたのです。
      というのは、そういう人がほとんどだったからです。
      一方、私の場合は、そうではなかったからです。私は目をそらしませんでした。

      そして、組織の戒律を破ってまで当サイトを訪問されているアリウスさんも、目をそらさずに真理をみようとされています。
      しかし、ふたをあけてみると、そうではない人が多数派なのでは、と思わされているのです。

      三位一体論において、やはり最も重要なのはまずイエスが神かどうか、であると私は理解しています。
      この点に沿って、エホバの証人と論じ合うことには、確かにかなりの障壁があると私も思いますが、角度を変えてみると、案外簡単にわかるバロメーターがあることに気づきました。

      アリウスさんに質問がございます。
      「イエスは主です!」と心から告白できますか?

      また、アリウスさんの周りのエホバの証人は、「イエスは主です!」と大胆に告白できますか?

      ローマ10章9節では、「もしあなたの口でイエスを主と公に宣言し・・・あなたは救われるのです」とあります。

      • アリウス君 より:

        忘れておりました!KAN様は嘗てJWであられた時、仲間の信者達の神に仕える動機について躓いておられましたが、マタイ13:47から始まる「引き網のたとえ」をご存知かと思います。
        あれはイエスによって網(教会)に引き寄せられても、最終的にイエスによって選別されてしまう…という事を教えています。つまり網を会衆と考えるならばJWでも滅ぼされてしまう者もいる事を教えております。多分私なんかその筆頭かと存じます。

  6. アリウス君 より:

    管理人様 同じ真理探究者としてシンパシーを感じております。貴殿を背教者などとは考えておりません。
    ご質問の件ですが、毎日何回も個人的に又集団の前で「愛する主」と公に祈っております。イエスの愛を考えると涙が出る程ですが、それは私に限らず彼の弟子であれば皆同じだとも思っております。
    さて前のメールで遠藤周作の「沈黙」のイエスの言葉から聖書理解の幅が広がった事を述べましたが、あの小説は農民達がイエスの教えを司祭ロドリゴから誤り伝えられたばかりに稚拙な信仰を持ち、その信仰故に彼らが獄門で苦しめられる姿を見せられて、何故主イエスは何も祈りに答えられないのか!と苦しむロゴリゴにイエスがお答えになる言葉で終わっております。踏み絵の前で棄教しようとする彼に「踏むがよい…私はお前達に踏まれる為にこの世に生まれ、お前達の痛さを分つ為十字架を背負ったのだ」と語る詩玉の名作です。私はこのイエスの言葉を聞いて(読んで)「そうか!私の考えていた神の愛は私が想像できない程にはるかに大きなものだったのだ…」と気付き涙を流しました。それ以来自らの尺度や知識で神の愛を理解するのは止めようと考えました。よって排斥された兄弟達が依然真理を求めていたり神の赦しに対して無理解である場合、全力で引き留め説得します。(管理人様には愚かな行為と映るかもしれませんが)故にJWの審理委員会の決定がそのまま天の裁きとリンクしているなどと考えてもおりませんし、「物事をありのままに見るエホバの証人」の筆者の考え方に所々同意します。しかし愚かな人間の集合体であるが故に誤りの無い完全な組織を期待する方が間違っております。実際そのような教団(教会)などあるはずはありません。私はペテロ13:21が救いの全てだと思っております。どんなに罪深くとも神に対して正しい良心を願い求めることが義認であると考えます。故にJWの仲間達を見て、自らも含めてその愚かさや純粋さや無知無理解、強いては罪深さに哀れみを感じます。私は自分の研究司会者や友人があの北海道広島会衆の事件で離れております。彼らの主張も理解しております。彼らは組織に躓いたのですが、どんなに誤りを指摘して改善しようとしても組織から出されたら城壁の外で叫ぶのと一緒です。JWの中には愛すべき兄弟達も沢山おりますが、排斥されたら彼らに対して何もできません。この事は痛感しておられるのではありませんか?一方で組織外にも貴殿のような誠実なる求道者も沢山おられます。故に最初に質問したように「神は御言葉もイエスの命もお与えになられたのに2000年に及ぶ教理理解の混乱に対して何故黙しておられるのか?」に興味があります。(御自分のお名前の正しい呼称すら明らかにされておられないのです!)そのような訳で今のところJWの内側にいて出来事の推移を眺めていたいと考えております。この善意溢れる人間の集合体に対して神がどのような裁きを下されるのかを見てみたいと考えているんです。

    • Webmaster-GJW より:

      こんばんは、アリウスさんが「愛する主よ」と告白できることは、アリウスさんが聖霊に導きを受けている証拠だと思います。組織への信仰ではなく、純粋なイエスへの信仰が、このサイトへアリウスさんを導いたのでしょう。実は、私はこれまでに多数のエホバの証人に、ローマ10章をもとに「イエスは主である」と告白できますか?と聞いてきましたが、告白できる人はいませんでした。多くの証人たちは、この告白に対して、何か霊的にしっくりくるものを感じないようでした。

      一方、キリスト教において、ちゃんと信仰を持っている人(名だけクリスチャンもたくさんいますので)にこの質問をするときに、誰でも躊躇なく告白することができます。第一コリント12章には、聖霊によらなければ誰もイエスを主ですと言えないとあります。つまり、この告白を通して、果たしてどちらの方が、イエスを聖書通りに聖霊によって理解しているのかが明らかになっているのです。

      アリウスさんは、すでに組織の間違いについて、普通の証人たちよりもずっと理解されています。しかし、エホバの証人とキリスト教を比較した時に、まだエホバの証人の側に軍配が上がる部分もあり、それゆえに留まる価値のある場所・組織だという理解から、留まっておられるのでしょう。

      「排斥されたら彼らに対して何もできません。この事は痛感しておられるのではありませんか?」という点については、僕個人としては、内部にいる時にできる限りのことをしました。そして、内部でできることも限界もあることがはっきりとわかりました。また、聖書の理解が深まるにつれ、まったくいるべき場所ではない、ということを悟ったために、必然と行かなくなっていった、という流れでした。

      ところで、よろしければ一度電話かZoom等でお話をしませんか?
      もしできそうでしたら、当サイトのメールアドレス、info@gospel-jw.com の方でやり取りができればと思いますので、一度メールアドレスへご連絡いただければ幸いです。

  7. アリウス君 より:

    笑!ありがとうございます。管理人様のご招待に心から感謝致します。本当に。
    仏教の寓話に私の好きなこんな話があります…
    「ある旅人が荒野を旅していたら目の前に大きな河が現れた。彼ははたと困った。するとすぐそばに小舟が浮かんでいるのに気が付いた。彼は大喜びして感謝しながらその舟に乗って対岸に渡った。反対側に着くと彼はその小舟のお陰で旅を続けることができるようになった事で心からその舟に感謝をした。でも助けてくれたからといってその小舟を背負って荒野の旅を続ける者はいないだろう」
    この話の要点はお分かりだと思いますが、エホバの証人によって聖書の真理に接することができた事には本当に感謝しております。でも新たな真理探究の道を拓いてくれるものがあれば私は躊躇なく後にすると思います。ご経験を拝見すると管理人様はまさしくそうだった訳ですよね。

    先回のメールで「サタンの行動」について質問致しましたが、あの目的はキリスト教の宗派が数多く存在してもまだまだ難解な箇所は数多く解明されていない事を確認したかった事に他なりません。一例を挙げればルカ22:43には、悶絶するイエスに対して一人の天使が”彼を強めた”とありますが、もしイエスが神だとしたら格下?の天使によって強められるのもおかしな話ですし、天使が何を語ったのかも記されておりません。また他の宗教者からは「全ての結果が預言されているならば、神の苦しみは茶番であり、そもそも悪魔は自らが処刑される事が定まっていた事になる。誰がそんな役を引き受けるというのだ。聖書の物語はマッチポンプだ」とも言われます。
    他にも宗派を超えて探究解明しなければならない聖書理解は数多あるでしょう。故に私は他の教会の聖書理解に興味があるんです。残念ながら今となっては他の教会に出向くことは排斥を意味しますので貴殿のような方が立ち上げたサイトに家内の目を盗んで訪れるのがやっとであります。笑(この点は管理人様も同様のご経験がお有りではありませんか?)故にZOOM等でのやり取りは状況的に難しいとご理解ください。
    では何故このJWの立場でありながらこのサイトを訪れるのか?といいますと、管理人様のようにJWから離れた人達にはどのような理由があったのか?という興味に尽きます。例えば比嘉兄弟の長老団に宛てた手紙は同意できる部分も多いですが同意できない部分もあります。当然ですが。また彼に対する長老達の対応も問題があるでしょう。私も審理委員会や復帰委員会を長老として経験しておりますが、現場の長老達の対応で結果が大きく異なることはあると思います。(まれに自分達の決定はマタイ18:18を根拠に天の裁きとリンクしていると勘違いしているアホもいますが、その程度の審理委員会も存在致します)
    残念な事ですがJWを批判しているサイトや書き込みは怨念や偽預言者等のくくりが多いですが、そのような感情的且つ無理解な言説でJWを棄教させようとしても無理です。非効果的であり且つつまらないです。何が正統派なのか?というのはパウロの時代から存在していた訳ですし、神学校がその教理理解の正当性を主張するなら、その是認の印は神から頂かなければならないからです。そんなの無理ですよね。嘗て北海道広島会衆で日本で最も規模の大きな背教をした金沢氏は自らの聖書研究を統治体のレベルまで高めたいと言っておりました。今にして思えばイザヤ14:13,14の悪魔のセリフと同じです。私は彼以上にJWを研究している人はいないと感じておりますが、彼のアカデミックなその研究も三十年の時を経ても実を結ぶことはありませんでした。神の祝福は結果で分かります。
    JWの問題点や実情をかなり正確に把握しているのはエホバの証人情報センター保管庫の「ものごとをありのままに見るエホバの証人より」だと思います。私も彼と同じ立場で奉仕しておりますので彼のジレンマは痛いほど分かります。が!彼に決定的に不足している部分も見つけております。彼はリアリストですが、信仰の世界にリアリズムを持ち込んで理解しようとするのは限界があります。

    少々長くなりました。私個人として管理人様に質問があるのですが、別の箇所で質問させて頂きます。このサイトの「教え」の「霊魂不滅.・地獄」でお会いしたいと存じます。
    ところでYouTUBEで貴殿をお見かけ致しました…KANさんとおっしゃるのですね!比嘉元兄弟と共に対談しておられましたが、お二人共爽やかな好青年ですね!笑

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