エホバとイエス、真のクリスチャンが呼び求めるべきみ名はどちらですか?


エホバとイエス、真のクリスチャンが呼び求めるべきみ名はどちらですか?

その名称が示す通り、エホバの証人にとって、「エホバのみ名」を重要視することは、彼らのアイデンティティそのものです。ですから、本記事の質問に対して、ほとんどのエホバの証人は、真っ先に「エホバ」と答えるでしょう。しかし、実際には、聖書はどちらの答えを示しているのでしょうか?今回の記事では、その答えを明らかにしていきます。

エホバのみ名を呼び求めていた旧約時代

まず、旧約聖書の時代の神の民が、自分たちが崇拝する神として、救いのために呼び求めるべき御名として、エホバのみ名を呼び求めていたことは、議論の余地無く明らかです。創世記4章を見ると、その行為は、セツの時代から始まっていたことが伺えます。

「26 そして,セツにも男の子が生まれて,彼はその名をエノシュと呼んだ。そのときエホバの名を呼び求めることが始まった。」(創世記4:26)

アブラハムは、エホバの名を呼び求める人でした。

ときにエホバはアブラムに現われて,こう言われた。「あなたの胤にわたしはこの地を与えよう」。そののち彼は,自分に現われたエホバのためにそこに祭壇を築いた。8 後に彼はそこからベテルの東の山地に移り,ベテルを西,アイを東にして天幕を張った。次いで彼はエホバのためにそこに祭壇を築いて,エホバの名を呼び求めた。」(創世記12:7~8)

旧約時代のイスラエルは、救いのために、エホバの名を呼び求めていました。

「しかし,エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる。」(ヨエル2:32)

このように、旧約時代の神の民が、一貫してエホバの名を呼び求めていたことは明らかです。では、新約時代のクリスチャンは、旧約時代と同じように、救いのためにエホバの名を呼び求めていたのでしょうか?

新約時代のクリスチャン

ペテロは、私たちがそれによって救いを得るべき名は、「イエス」だけであり、天の下に、他にどんな名も与えられていない、と言いました。つまり、その名が「エホバ」だとは言いませんでした。

「12 さらに,ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」(使徒4:12)

一世紀のクリスチャンたちは、「イエスの名を呼び求める民」として知られていたことが、以下の聖句からはっきりとわかります。また、イエスがパウロを改心させた目的は、パウロに「エホバの名」ではなく、「主イエスの名」をふれ告げさせるためでした。そして、パウロは「エホバの名」ではなく、「主イエスの名」によって迫害を受けると予告されました。

「しかしアナニアは答えた,「主よ,わたしは多くの人からこの男について聞いております。エルサレムにいるあなたの聖なる者たちに対し,害となる事をどれほど多く行なったかということを。14 そしてここでは,あなたのみ名を呼び求める者を皆なわめにかけようとして,祭司長たちから権限を受けているのです」。しかし主は彼に言われた,「行きなさい。わたしにとってこの者は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器だからです。16 彼がわたしの名のためにいかに多くの苦しみを受けねばならないかを,わたしは彼にはっきり示すのです」(使徒9:13-16)

ここでのパウロの文章から、当時のクリスチャンは、基本的に「イエスの名」を呼び求める民として知られていた様子が伺えます。しかもパウロは、当時の状況を「いたるところで主イエスの名を呼び求めている」と表現しています。

「2 コリントにある神の会衆,キリスト・イエスと結ばれて神聖なものとされ,聖なる者となるために召されたあなた方,ならびに,いたるところでわたしたちの主イエス・キリスト,すなわちその主でありわたしたちの[主]である方の名を呼び求めているすべての人たちへ:」(コリント第一1:2)

ですからイエスは、クリスチャンたちに、「エホバの証人」ではなく、「イエス・キリストの証人」となるよう命令なさいました。

「しかし,聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」(使徒1:8)

そして、ここで重要なことがあります。まず、新約聖書の記録の中に、当時のクリスチャンたちが、「エホバの名を呼び求める民」として知られていたことを示す聖句が一つも存在しない、ということです。

確かに、ものみの塔は、新約聖書の写本で「主」と記されている多くの箇所を、「エホバ」に書き換えました*[1]。しかし、そのようなものみの塔の新世界訳聖書を用いたとしても、実際に一世紀のクリスチャンたちが、エホバの名を呼び求める民として「知られていた」、あるいは「定義されていた」ことを示す聖句が存在しないのです。むしろ、見いだせる証拠となる聖句は、彼らが中心的に呼び求めていたみ名が「主イエス」であったことを示しているのです*[2]

結論

ここで再度、旧約時代からの流れをたどっていきましょう。旧約時代の神の民が、自分たちの救いのために呼び求めていたみ名は、一貫して、彼らが崇拝していた救い主なる神「エホバ」でした。

そして、新約聖書の時代になると、神の民は、彼らの救いのために「イエス」の名を呼び求めるようになりました。この事実から、「主イエスの名」は、救いのために呼び求めるべき救い主の名として、旧約時代における「主エホバの名」と同じような地位に置かれていることがわかります。つまり、かつてアブラハムやイスラエル人がエホバの名を呼び求めたのと同じような意味を込めて、新約時代のクリスチャンは、主イエスの名を呼び求めていたのです。

このように、神の救いの計画の進展によって、古い契約における「エホバの名を呼び求めていた時代」から、新しい契約における「イエスの名を呼び求める時代」へと移行していったのです。残念ながら、ものみの塔協会は、キリストの神性を否定した結果なのか、この流れが理解できていないがために、今でも、エホバの名に過度にこだわり、主イエスの名をないがしろにしてしまっているのです。

ですからイエスは、新世界訳聖書において、「救いの主要な代理者」*[3]と言われているようなお方ではありません。(ヘブライ2:10)

キリストは、救い主なる主であり、唯一の主なのです。

「わたしは,わたしたちの救い主なる神の命令のもとに,その[業]を託されたのです ― 4 共にあずかる信仰によって真実の子であるテトスへ: 父なる神とわたしたちの救い主キリスト・イエスから,過分のご親切と平和がありますように。」(テトス1:3~4)

「その理由は,聖書によりずっと以前からこの裁きに定められていたある人々が忍び込み,[その]不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え,わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっているからです。」(ユダ4)

本記事を通して、この重要な事実に気づいたエホバの証人の方は、ぜひ速やかに、「イエスは主です!主イエスよ、私を救ってください!」と告白し、主イエスの名を呼び求めてください。主イエス自身が、あなたに呼ばれることを、首を長くして待っておられるからです。

「その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。」(ローマ10:9)

脚注

[1] 新約聖書における「主」を、「エホバ」に置き換えたことについての当サイトの見解は、「神の御名エホバを用いるべきですか」をお調べください。

[2] 唯一、第一ペテロ1:17において、「さらに,各々の業にしたがって公平に裁かれる父を呼び求めているのであれば,」とあり、文脈上、父なる神を指していると思われますが、彼らが基本的に、誰の名を呼び求める人々として知られていたか、という話になると、その答えが「主イエスの名」であることを新約聖書は明らかにしています。また、上記の聖句は、一世紀のクリスチャンが、エホバの名を用いた根拠にはなりません。

[3] ここで「代理者」と訳されているギリシア語の「アルケーゴン」には、「代理者」という意味は全く無く、「創始者・君」と訳されるべき言葉です。「多くの子らを栄光に導くにあたり,彼らの救いの主要な代理者を苦しみを通して完全にすることは,すべてのものがそのためにあり,またすべてのものがそれによってある方にとってふさわしいことであったのです。」(ヘブライ2:10、新世界訳)


あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です