目ざめたエホバの証人へのアドバイス⑥|バプテスマ(洗礼)を受け直す


元エホバの証人が、新生したクリスチャンとして新たな歩みをする場合、バプテスマを受け直す(再洗礼)必要があります。筆者が教会へ通い出した頃は、その必要性についてあまり考えませんでしたが、バプテスマの持つ本来的意味について、またエホバの証人のバプテスマの意味について正しく理解した時に、受け直す必要性を強く感じました。

バプテスマ(洗礼)の正しい意味とは

バプテスマの正しい意味については、抑えるべき二つの重要な点があります。1つ目は、それが「一体化」を表す行為であること、2つ目は、バプテスマを施す人のメッセージへの同意を表明するものである、ということです。

一体化について

以下に引用するローマ6章の聖句は、「キリスト・イエスの名によるバプテスマ」に、どのような聖書的意味合いが込められているのかを詳しく論じている箇所です。

「それともあなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです。4 ですから,彼の死へのバプテスマ[を受けたこと]によって,わたしたちは彼と共に葬られたのです。それは,キリストが父の栄光によって死人の中からよみがえらされたのと同じように,わたしたちも命の新たな状態の中を歩むためです。5 彼の死と似た様になって彼と結ばれたのであればわたしたちは必ず,彼の復活と[似た様になって]やはり[彼と結ばれる]のです。」(ローマ6:3~5)

5節で「彼と結ばれる」という表現がありますが、用いられている原語のギリシア語には、「一つになる・一体化する」という意味合いがあります。つまり、イエスの名によるバプテスマの意味とは、キリストと共に葬られ、蘇ることによって、キリストと一体化することを象徴することにあるのです。

同意について

バプテスマを受ける、という行為が、それを施す人のメッセージへの同意を意味することは明らかです。

例えば、バプテストのヨハネの元に来て洗礼を受けた人々は、「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」(マタイ3:2)というヨハネのメッセージに同意し、悔い改めたことを公に表しました。

ペンテコステの日に改心した三千人の人々は、「ナザレのイエスこそ、聖書で預言されていたメシアである」というペテロのメッセージに同意してバプテスマを受けました。(使徒2章)

では、これらのバプテスマの要点を踏まえると、エホバの証人のバプテスマについてどんな問題が明らかになるでしょうか?

エホバの証人の間違ったバプテスマ

エホバの証人が行うバプテスマの最大の問題点は、組織が受洗者に尋ねる以下の二つの質問の中に、その答えがあります。

(1)あなたは,イエス・キリストの犠牲に基づいて自分の罪を悔い改め,エホバのご意志を行なうため,エホバに献身しましたか。

(2)あなたは,献身してバプテスマを受けることにより,自分が,神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか。

組織は、バプテスマを受ける全ての信者に対して、「自分が,神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか」という重要な質問を問いかけています。つまり、エホバの証人のバプテスマとは、それを受ける人が、キリストの犠牲への信仰*[1]を持ったことだけを意味するものではありません。

そのバプテスマは、(1)ものみの塔が神の霊に導かれる唯一の組織である、という点に同意し、(2)洗礼によって、組織の一部となること、を表すものなのです。つまり、「キリストへの一体化」ではなく、「組織への一体化」なのです。

使徒の働きを読んでいけばわかりますが、クリスチャンのバプテスマとは、純粋にキリストの福音への信仰に基づいて行われるべきものです。そして、それが意味すべきものは、キリストの体の一部となることであって、特定の組織の一部となることでは無いのです。

このような理由から、エホバの証人の行うバプテスマとは、聖書的なバプテスマとは到底言えるものではありません。もしもあなたが、イエス・キリストへの正しい信仰へ導かれたなら、祈りの内に、再洗礼を検討なさることをお勧めいたします。

なお、どこで洗礼を受けるかという問題についてですが、所属を検討している教会があればそこで受けることをお勧めします*[2]。無い場合は、地域教会への所属に関係なく洗礼を授けてくれる団体や牧師に依頼することもできます。

脚注

[1] 厳密には、一番目の質問に込められている意味合いも、福音の本質からずれているところがありますが、この点の詳細は、また追って別の記事で説明を試みるつもりです。

[2] 洗礼を希望する時点で、正式な脱退をしていない場合、教会側が正式な脱退を求めるケースもありますが、状況によっては脱退が適切でないケースも多分に存在します。このようなケースにおいては、エホバの証人にとって「脱退」(排斥)が何を意味するのかを教会側が理解していないことが多いので、適切な説明をすることで理解してくれるかもしれません。具体的なアドバイスを望まれる場合は、ウェブサイトへお問い合わせ下さい。


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