統治体に頼るのを止めて、聖霊の導きで聖書を読み直す|キリストの証人になる③
エホバの証人を辞めて、キリストの証人として新たな歩みを始める元エホバの証人は、聖書の読み方、祈り方、教会の礼拝への参加、伝道など、信仰生活の基礎的な事柄について、改めて聖書から学び直す必要があります。それぞれのテーマにおいて、変わることと、変わらないことの両方があるからです。
今回から続く一連の記事では、これら四つのテーマについて、元エホバの証人のクリスチャンが理解し直すべき点を簡潔にお話しさせていただきます。是非前回の記事と合わせてお読み下さい。
どの聖書が良いのか
新世界訳聖書は読み続けて良いか
エホバの証人が世界一の聖書として自負してきた『新世界訳聖書』は、実際のところ、世界最悪の聖書の一つだというのが、私の結論です。その結論に至った理由は、教理に合わせた翻訳上の問題が多数あり、特に新約聖書の230箇所以上において、「主」を「エホバ」に置き換えたことが大きな問題です。この置き換えと「イエスはエホバではない」という教えの組み合わせによって、大規模な人物のすり替えがなされており、多くの場面において、イエスを本来の「主」としての立場から引き下ろしているのです(詳しくは、「主をエホバに置き換えるとなぜ重大な問題が生じるのか?」にて説明しています)。
ですから、エホバの証人を辞めたクリスチャンは、新世界訳以外の聖書を読み始めることが必要です。
日本で代表的な三つの聖書
近代の日本で読まれてきた代表的な聖書は、口語訳、新共同訳、新改訳です。旧約と新約が揃っている聖書としては、これらの三つの聖書のどれかを選ぶことになります。(新約聖書のみだと、さらにかなりの種類の聖書が出版されています)
教会ごとにどの聖書が用いられるか、ということについては、カトリック教会とプロテスタント主流派の多くは共同訳聖書を、プロテスタント福音派では新改訳、その他一部の教会においては口語訳等が用いられる場合もあります。
訳によって特徴があり、人によってどの訳が読みやすい等の個人差もあるので一概には言えませんが、これら三つの中から選ぶとしたら、私のお勧めは新改訳聖書で、最新版は2017年版です。理由は、新改訳聖書の翻訳者は、聖書全体を神の言葉と信じる保守的な信仰を持つ人々によって構成されているからです。そのため、聖書に対して同じ立場に立つプロテスタント福音派・聖霊派の多くの教会において、この新改訳聖書が用いられています。
なお、新約のみの聖書だと、私の場合はエターナルライフ訳も日々の聖書の通読で用いています。英語の聖書なら、私のお勧めは、King James Version、New King James Version です。その理由は、底本で使用されているテキストに関係がありますが、そのあたりの話は本記事では割愛させていただきます。
聖書をどのように読むか?
統治体に頼らず、聖書の導きに頼る
エホバの証人を辞めて、新しく生まれ変わったクリスチャンとして聖書を読み始める時の最大の変化と祝福は、統治体の理解に頼らず、聖霊の導きによって聖書を理解できるようになることです。もしもあなたが、かつては忠実なエホバの証人だったのであれば、聖書を理解するために、いつも組織の出版物を参照していたことでしょう。それは、組織が信者に「統治体の助け無しに聖書を正しく理解することはできない」と教えてきたからです。
しかしこれからは、いかなる人間を通さずとも、聖霊がダイレクトに聖書の理解を助けてくれるよう神に祈り求めることができます。なぜなら、イエスを信じて神の子供とされた全ての人には聖霊が宿っており、各自がその聖霊の導きを直接受け取ることができるからです。
「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。」(ローマ人への手紙 8:14)
「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。」(ヨハネの福音書 16:13)
ですから聖書を読む時には、「天の父よ、これから読む聖書の言葉を深く理解できるよう、聖霊によって助けを与えて下さい。」と祈って下さい。読んだ後も、思い巡らす時間を取れるともっと理解が深まりやすくなるでしょう。きっと、これまでのエホバの証人としての信仰生活では経験できなかったような聖霊による理解の扉が大きく開かれていき、聖書を読む喜びが与えられるでしょう。
牧師・教師の働きの益も受ける
なお、信者が自ら聖霊によって真理を理解するのは大切なことですが、牧師や教師を通して聖霊が語られることもあります。実際、聖書によれば、神は教会の中に牧者や教師を立てており、彼らの働きを通してキリストの体全体が整えられ、建て上げられることを望んでいるのです。
「こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。」(エペソ4:11~12)
もしも、神が牧師や教師を通して信者を整えることを認めないのなら、その人は多くの祝福を得そこなってしまうだけでなく、色々な面で孤立していくことになるでしょう。逆に、牧師や教師を通して語られる言葉だけを信者が重視するようになるなら、「牧師がいなければ聖書を理解できない」と言う霊的依存体質が生まれ、語られるメッセージを正しく吟味することもできなくなります。ですから、神からダイレクトに教えられることと、人を通して教えられることの双方をバランスよく大切にすることが必要なのです。
以下の動画も、参考情報として合わせてご紹介いたします。






