⑤偽預言―予言の失敗|エホバの証人とは?ものみの塔の実態に迫る


⑤偽預言―予言の失敗|エホバの証人とは?ものみの塔の実態に迫る

外れた予言

ものみの塔協会が、特定の年代までに世の終わりが来ることを数多く予言し、それら全てが外れてきたという事実は、この組織の実体を知る上で重要な指標となっています。外れた予言として主だったものは、以下の通りです。

1914年:異邦人の時が終わり、諸国家はハルマゲドンで滅ぼされる
「この1914年に至るまでに、神の王国が権力のうちに組織立てられ、地にあって異邦人の像を打ち壊し、これらの王たちの権力を完全に失わせるだろう」―『時は近づけり』76~78頁。

1918年:教会が滅びる。世界大戦はハルマゲドンへ突入する
「1918年に教会が滅び、数百万人の会員が死ぬ」―『完成した奥義』485頁。

1925年:昔の預言者が復活することを、確信を持って期待できる
「1925年には,アブラハム,イサク,ヤコブや昔の忠実な預言者たちが[死者の中から]……人間としての完全な状態に戻って来ることを確信をもって期待できる」―『ふれ告げる』77頁。

1941年:ドイツはハルマゲドンで滅びる

「ドイツの国民は、立たされた苦境に目覚め始めている。・・・彼らは、近い将来もたらされるもの、急いで訪れようとしているものに対して、不安に満ちている。それはつまり、全能の神の大いなる戦い、ハルマゲドンである。」―『慰め』1941年10月29日号、11頁。

1975年:第七千年期の到来は、至福千年期の到来と明らかに関係がある

「神を恐れ・・る人々にとっては,はるかに重要な別の千年期が近づいています。・・つまり,神が完全な人間男女をエデンの園で創造された時を起点とした第七千年期です。・・・ このことは一千年の平和もしくは平和の千年期が近づいていることと関係がありますか。明らかに関係があります!」(『ものみの塔』1970年1月1日号、14頁。
※当時、第七千年期は「1975年」から始まると繰り返し教えられていた。

1982年~1995年:西暦2000年くらいまでに世の終わりが来る
「本誌は,1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます。」―『目ざめよ!』1982年4月8日号~1995年10月22日号、p.4「目ざめよ!誌が発行される理由」
※計算すると、「1914年の出来事を見た世代」は、どんなに長くても西暦2000年くらいまでに過ぎ去るはずだった。

1914―過ぎ去ることのない世代

予言の失敗に対する対応

残念ながら、ものみの塔協会は今日に至るまで、予言の失敗に対する聖書的・社会的責任を否認し続けており、特定の日付を示唆したことは部分的に認めつつも、「エホバの名において」予言したことは一度も無い、と断言しています*[1]

このような弁明の背景には、申命記18章20~22節において、偽預言者に対する厳しい警告が記されていることが関係していると思われますが、他の多くの協会の出版物では、自分たちが「エホバの名によって語る民」であることが断言されているため、全く矛盾した弁明となっています*[2]

「『しかし,話すようにとわたしが命じたのではない言葉をあえてわたしの名において話し,あるいは他の神々の名において話す預言者,その預言者は死ななければならない。21 そして,あなたが心の中で,「エホバが話されたのではない言葉をどのようにして知るのか」と言う場合であるが,22 もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない』(申命記18:20-22)

1914年に関するラッセルの外れた予言については、その年代に関わる組織の重要教理を擁護するため、繰り返し「予言が的中した」という説明がなされますが、事実を無視した虚偽の記載となっています。

「1914年のずっと前から,聖書研究者たちは,その年に苦難の時が始まると述べていました。 そして,事態はまさに彼らの予告どおりになりました。」―『神の王国は支配している』2014年、22頁

他にも、予言の失敗やその後の対応について様々な問題がありますが、詳しくは「ものみの塔は偽預言者か?過去に外した世の終わりの予言リスト」をご覧下さい。

記事一覧:エホバの証人とは?

  1. 基本概要
  2. エホバの証人の歴史
  3. 組織構造
  4. 教理(戒律)
  5. 偽予言
  6. 統計と動向
  7. 宣教活動
  8. 出版物・メディア
  9. 集会・大会
  10. 寄付制度と会計報告
  11. カルト性について

脚注

[1] 『目ざめよ!』1993年3月22日号、4頁

[2] 『ものみの塔』1990年1月1日号、27頁


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4件のフィードバック

  1. アリウス君 より:

    「預言者」という名称に対してJWがどのような理解をしているか彼らの出版物に受け止め方に注目することから始めなければなりません。
    定義「ヘブライ語のナーヴィー。この言葉は神の代弁者、将来の事を予言するという考えも含まれていますが、基本的な意味には予言という意味はありません。(ちなみに予見者、ヘブ語ローエは識別力が関係し、預言者は神のご意志を語る事が関係している)預言者達は危機の時代もしくは重大な危急の際に活発に働き将来に対する希望を与えました。義を擁護する者であり神のご意志や基準を擁護する者でした」
    とあるように、何か将来の事を具体的に識別しそれを告知するという考えは無いようです。元々「予言者」ではなく「預言者」ですので言語からして本来の意味と役割が違います。前者は予想する行為であり後者は「言葉を預かるもの」という意味合いがあります。故にJWの予言は外れた…と批判されますが、そもそもJWにそのような役割や能力は与えられておりません。ただイエスが言ったように「時代の印」に注意を払い警告として叫び続ける務めがあります。それが「ものみの塔」に上に立つ者の役目であるので「いついつ来る!」などと予告するのは僭越であり「天のみ使い達も子も知らない」訳ですから、言わば外れるのが当然ではあります。しかし遠くの砂煙を敵の襲来と見誤ることはあるでしょうが、問われるのはその務めを行なっているかどうかという事です。そのような意味で彼らを”偽預言者”と断罪するのは的外れでしょう。

    最もこの数年来黙示録の言葉の説明は行なっておらず、「世代の見解」も殆ど見なくなっております。あの地域大会の主題もここ数年は「愛」とか「平和」「忍耐」などクリスチャンの特質に注意を向けたものばかりで、嘗てのストイックさが無くなり拍子抜けしております。そのうち”この世の教会”と見分けがつかなくなってくるのではないでしょうか。笑(事実そのような動きがあります…と私は推察しております)

    • Webmaster-GJW より:

      コメントありがとうございます。
      預言の定義については、仰る通りですが、聖書中の預言には実際に将来を予告する予言も極めて多く含まれますね。

      統治体が、聖書中の預言者のように、幻やしるしなどを与えられているということはないので、そういう意味では預言とは言えませんが、「神に任命された唯一の経路」を自称している以上、その責任は預言と同等のレベルには見なされるでしょう。

      確かに、僭越にも神が語っていないことを語ってしまう、非聖書的な罪を犯してしまう、という失敗は誰にでもあるものです。

      たとえば、日本キリスト教団は、戦時中に戦争に加担するという罪を犯しました。後にその戦争を振り返り、罪を認め告白し、団体のサイト上に罪の告白を堂々と掲載し続けています。犯した過ちは深刻ですが、とても立派な悔い改めではないかと思います。
      https://uccj.org/confession

      ものみの塔はどうでしょう。一度や二度、僭越にも再臨の日を予告したとしても、誠実に悔い改めて、日本キリスト教団と同様に堂々と罪を告白しているのなら、それはクリスチャンとして誠実な態度でしょう。しかし、ものみの塔の歴史を振り返ると、外しても謝らず、悔い改めず、何度も同じ過ちを犯してきました。
      今でも、堂々と罪の告白をせず、外れた預言をあたかも当たったかのように説明したり、信者のせいにしたりします。この点について詳しくは、以下をご覧下さい。
      https://gospel-jw.com/letter-elders-webmaster/#1914

      正直、こういう人が身近にいたら、やばい人だなと素直に思いますが、アリウスさんはどうでしょうか?

      最近の動向、教えていただきありがとうございます
      ストイックなところから、世に流れていく動きがあるのですね
      信者たちは、この世だけでなく、目を覚まして組織のことも見張っていく必要がありますね。

      • アリウス君 より:

        恐れ入ります!管理者様は既に立派な教会を立ち上げておられるんですね!凄い!の一言です。十分主の到来を見張っておられると思いますよ。

        統治体の見解の変更の手法は「良心の危機」(抜粋)でもレイモンドフランズ氏が語っておりましたね。あの本は禁断の書でもあるのですが、実際現場(審理委員会)に立ち会ってきた者としては慚愧の思いで読みました。彼の心境は痛いほど解ります。

        私が危惧しているのはJWの行く末なんです。実は最も増加した時期(1970〜80年代)の同志達の人生なのですが、ヨエル書の2:8の状況が見られます。結婚もせず高等教育も受けず定職にも就かず子供も作らず年金も収めてこなかった開拓者達(巡回も含む)が一斉に歳を取り始めているんです。私は個人的に友人として彼らを援助しているのですが、協会は相変わらず開拓奉仕を薦めております。彼らは「もう直ぐハルマゲドンだから頑張る!」と言って人生を宣教に捧げてきた仲間です。しかし彼らの予想や期待とは裏腹にその時は今だ訪れておりません。中には生活保護を申請している兄弟達もおられます。故に巡回訪問の度に「協会はこのような状況に何か指導や提案は与えておりますか?」と尋ねるのですが、答えは「何も…」です。

        私は過去幾人もこの組織に導いてきました。彼らは依然としてヨエルのいなごとして人生を捧げております。そのような彼らを後にしてこの組織を脱退することはできません。責任があるからです。故に微力ながら彼らを支えながらこの組織に留まることを考えております。

        きっとこのような事を書くと管理者様は「あなたが勇気をもって連れ出せばいい」などと仰られると思いますが、JWの棄教はそんな簡単なものではありませんよね。

        さて、このサイトはオフィシャル且つパブリックなものですので、管理人様とのやり取りは衆目に晒されます。それは立場上決して望ましいものではなく、内容も公に知れ渡ります。以前のご提案のとおり個人的んメールを差し上げることも考えております。

        • Webmaster-GJW より:

          ハルマゲドンを通過することを待望して伝道に励んできた開拓者たちにとっては、今の状況は本当に忍耐を強いられる状況なのですね。内情を教えていただきありがとうございます。

          仰る通り、「JWの棄教はそんな簡単なものではありません」とはその通りですね。ただ、私の場合は、組織を出る前にできる限りのことをしました。特に親族に対しては、多くのことを戦略的にも行いましたが、一人は組織を出てイエスの名によって洗礼を受けなおし、一人は最終的に組織に留まることを選びはしたものの、ちゃんと話を聞いてくれて「良心の危機」を読んでくれるなど、かなり良いところまでは行きました。

          もっとも、前提として、まず自分の側が、組織を出るべき明白な理由を確信していることが必要ですし、逆にそうでないのなら、安易に組織内の仲間に促すべきでもないなと思っております。

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