目ざめたエホバの証人へのアドバイス④|教会へ通う


目ざめたエホバの証人へのアドバイス④ |教会へ通う

ほとんどのエホバの証人にとって、組織を抜け出るということは、信仰を励まし合う仲間を失うことを意味しますが、そのような状態に留まることは、霊的に健全な状態とは言えません。誰でも、神への信仰に堅く立つためには、共に主を礼拝する兄弟・姉妹を必要とするからです。

それで、状況が許すなら、是非早い内に、キリスト教の教会へ足を運んでみることをお勧めしますが、教会の種類、教えや伝統・習慣等について、わからないことも多いと思います。筆者の場合、組織の活動を離れてからは、視野を広げるために、延べ数十の教会へ足を運んできましたが、一度行っただけで終わった教会もあれば、数回に渡って足を運んだり、数ヶ月間所属していた教会もあります。

そうした経験を踏まえ、お勧めの教会の条件や、探し方、持つべき態度などについて、この場でご説明させていただければと思います。

お勧めの教会の条件

聖書信仰に立つ教会

聖書を最高の権威と認め、聖書全体を神の霊感を受けた言葉と信じる*[1]教会をお勧めいたします。キリスト教の中では、聖書全体を神の言葉と認めるかどうかについて多様な議論があり、それを認めない教派も多く存在するからです。

見分け方ですが、多くの場合、各教会のホームページを確認すれば、信仰の立場が説明されています。記載の無い場合は、個別に尋ねると良いでしょう。

ものみの塔を離れるあなたが、キリストを主と信じ、霊的に成長していくためには、聖書信仰に立つ教会に身を置くことはとても大切になってきます。是非この点を念頭に置きつつ、教会を探してみて下さい。

なお、聖書の霊感性に関する議論については、以下の記事を一読されることをお勧めいたします。

福音主義と自由主義神学(リベラル)― 聖書の正しい読み方はどれか」(別サイト)

カルト的傾向の無い教会

当サイトの記事「エホバの証人のカルト性」にて説明した通り、カルト研究家の間で広く認識されている「カルトの定義」とは、指導者の絶対的権威を掲げ、信者を過度にコントロールする団体のことを意味します。

そして、残念ながらキリスト教の中でも、カルト的傾向を持つ教会が時々存在します。ある教会がカルト的傾向を持っているかどうかは、見た目では中々判断し辛いものですが、もしも指導者の権威が過度に高められていたり、排他的な傾向を感じたりした場合は、その教会を離れることをお勧めいたします。

その他の点

なお、本記事では、お勧めの教会の条件として、以上の二つの項目だけを挙げましたが、この二つが必ずしも十分な条件だというわけではございません。ただ、これ以上色々な条件を加えすぎると、地域によっては「該当する教会が無い」という事にもなりかねませんので、あえて控えさせていただきました。

教会選びについて、より具体的なご質問等ありましたら、個別に提案やアドバイスをさせていただくことも可能ですので、直接お問い合わせ下さい。

教会の探し方

インターネットで検索する

ご自身が通える範囲内の都道府県名や市町村名を入力し、「教会」あるいは「チャーチ」というキーワードを加えて検索します。ほとんどの場合、その地域で人が集まっている教会の情報は、1ページ目から2ページ目の目立つ場所に出てくるはずです。「人が集まっていれば、良い教会だ」と必ずしも言うことはできませんが、しっかりと聖書の教えが語られている教会には、一定数の人が集まっている場合が多いものです。

次に、教会のホームページを確認した上で、候補となる教会に実際に足を運んでみて下さい。既に、お勧めの教会の条件として、「聖書信仰に立つ教会」を挙げましたが、この点は、ホームページ上からも、ある程度確認が可能です。(どの教派や教会が聖書信仰に立っているか、等のより具体的な情報については、直接お問い合わせいただければ、お答えが可能です。)

実際に教会の礼拝に参加し、印象が良ければ、続けて礼拝に参加してみることをお勧めいたします。また、日曜の礼拝だけでなく、平日に行われているような聖書の学び会にも参加したり、そこの信者の方との交わりを持つことができれば、その教会をより深く知る助けになるでしょう。

JW支援教会のリストから

当サイトでは、「JW支援教会」のリストを作成しています。「支援教会」の定義とは、エホバの証人関連の問題にある程度の理解があり、相談を受け付けることが可能な教会(または個人)であることを意味します。もし、リストの中にお近くの教会があれば、是非一度足を運んでみて下さい。

聖書フォーラムネットワークから

聖書フォーラムネットワークとは、ヘブル的視点(ユダヤ的視点)に基づく聖書解釈を土台にし、共に聖書を学び、教え合うホームチャーチ(家の教会)やスモールグループのネットワークです。プロテスタントの福音宣教団体「ハーベストタイム・ミニストリーズ」による学びのコンテンツが、このネットワーク内の多くのグループで用いられています。

また、同団体は、カルトや異端問題に関する情報発信やリーダー訓練も行っていますので、ネットワークの内のリーダーたちの多くは、エホバの証人に対するある程度の理解を持っています。

全国に広がりを持つネットワークなので、お近くにあれば、一度足を運んでみることをお勧めいたします。

柔軟性を持つ

「郷に入れば郷に従え」という諺がありますが、エホバの証人が教会へ通い始める時には、理解しておくべき大切な点です。聖書という共通の土台があるにしても、キリスト教の社会と、エホバの証人の社会では、用いる言葉、祈り方、習慣など、多岐に渡る違いがあります。

そのような違いを目にした時に、ついつい「エホバの証人ではこうだった」とか、「こうであるべきだ」という疑問や反感を感じる時があるかもしれませんが、安易に裁いたりせず、柔軟性を持って、違いは違いとして受け入れる必要があります。それは、外国の人が、日本へ移住した時に、日本の文化に合わせて生活するのと同じです。

ただし、抵抗を感じる場合は、無理にその習慣に合わせる必要が無い場合もあります。例えば、教会での交わりにおいて、よく「イエス様」という表現が用いられますが、抵抗を感じるなら、他の呼び方でも良いと思います*[2]。また、もしも教会の習慣の中に、聖書的で無いものが見受けられるなら、そのような習慣に従う必要は無いでしょう。

なお、元エホバの証人が教会に来た時に感じる疑念や反感は、誤った知識に基づく偏見であることも少なくありません。そこで、通い出す段階においては、キリスト教に対する偏見を無くしておくために、次の記事「教会に対する偏見を取り除く」を事前に学んでおくことをお勧めいたします。

脚注

[1] 聖書全体が、その原本において、神の霊感を受けた誤り無き書物と見做す考え方を、「十全逐語霊感説」と呼びます。

[2] 例えば、元エホバの証人の私の友人は、その呼び方に今でも抵抗を感じるので、「主イエス」と呼ぶようにしている、と言っていました。一方、「イエスは主である」ということを自覚した時に、自然と「イエス様」と呼ぶようになる人もいます。このあたりは、人それぞれで良いと思います。


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