主イエスのみ名を呼ぶ重要性を示す方法ーエホバの証人への伝道サンプル


主イエスのみ名を呼び求める重要性を明らかにーエホバの証人への伝道サンプル

新約聖書の記録を丁寧に確認していくと、当時のクリスチャンが、「イエスは主である」という告白を大切にしていたこと、救いのために「主イエスのみ名」を呼び求める民として知られていたことを明白に理解できます。

しかし、非三位一体を掲げるエホバの証人は、キリストの神性を否定し、「エホバ」というみ名に過度にこだわった結果として、イエスを主とし、その御名を呼び求める信仰からそれてしまいました。

それで、今回の伝道サンプルの狙いは、「真のクリスチャンは、主イエスのみ名を呼び求める」という視点から、エホバの証人の決定的な誤解を明らかにし、「イエスの名」の重要性に気づかせることにあります。

「さらに,ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」(使徒4:12、新世界訳)

伝道サンプル

【CH】皆さんのウェブサイトを読んでいて、少し気になった事があったんです。お聞きしてもいいですか?

【JW】読んで下さったんですね、ありがとうございます。もちろん、いいですよ。

【CH】ローマ10:9についてなんですけど、今読んでみますね。このようになっています*[1]

「その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。」(新世界訳、1985)

ここでは、「イエスは主であるということを公に宣言」することによって救われると書いてありますが、皆さんは、イエスを主と公に宣言したことはありますか?

【JW】公に宣言、、ですか。それは無いかもしれませんね。。*[2]

【CH】この聖句では、はっきりと、イエスを主と公に告白することによって救われると書いてあるので、宣言した事がないのは、重大な問題では無いでしょうか?

【JW】ただ、、私たちは、イエスを主と信じていますし、その事を宣べ伝えていますので、問題では無いと思いますよ。*[3]

【CH】誤解の無いようお伝えしておきたいのですが、これを尋ねるのは、私が皆さんのことを、共に神を心から愛する仲間だと信じているからです。だからこそ、救いに関わる重要なテーマについて、皆さんと聖書から確認をしたいと思ったんです*[4]。*

【JW】そうですか、そのお気持ちは嬉しく思います。

【CH】皆さんは、神の言葉に、できるだけ忠実に従いたいと考えてらっしゃいますか?

【JW】はい、もちろんです。

【CH】であれば、救われるために「イエスを主と公に宣言しなさい」という聖書の命令を忠実に実行した方が良いのではないでしょうか?

【JW】えぇ、、そうですね。。

【CH】第一コリント12章にも、「聖霊によるのでなければ、誰もイエスを主とは言えない」とあります。ですから、イエスを主と心から告白することによって、聖霊の働きがわかるはずです。よろしければ、今、一緒に「イエスは主です!」と告白してみませんか?

【JW】・・・まあ、「主」とは言っても、どのような意味で「主」と信じているかが、きっと皆さんと私たちでは違うのではないでしょうか?*[5]

【CH】一緒に告白できないのは残念ですね。おっしゃる通り、どのような意味でイエスが「主」なのかについては、皆さんと私たちとでは考えが異なると思います。ただ、今ここで、いくつかの聖句を確認すれば、一世紀のクリスチャンがどんな感覚でイエスを「主」と呼んでいたのかがわかると思います。

例えば、真のクリスチャンは、「誰の証人」として知られるべきだと思いますか?

【JW】はい、私たちは、「エホバの証人」だと理解しています。

【CH】では、聖書から確認したいと思いますが、使徒1章を開いてみてもらっていいでしょうか?確か、8節あたりだと思います。

【JW】はい、

「しかし,聖なる力があなたたちに働く時,あなたたちは力を受け,エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所*にまで,私の証人となります」(使徒1:8)

【CH】ここでイエスは、クリスチャンに対して、「キリストの証人」となるよう命令していますね。確かに、旧約聖書の時代、神はイスラエルに対して、「エホバの証人」となるよう命令したかもしれませんが、新約聖書の時代以降は、その命令が「キリストの証人」へと変わっているんです。このような時代の進展に気づかれたことはありますか?

【JW】よく勉強されていますね、いえ、その点はよく調べたことはありませんでした。

【CH】ですから、もしも私たちが、聖書が教える通りにイエスを主としている場合、自然と、イエス・キリストを第一に証しする証人になっている、という事が、この聖句から言えるのではないでしょうか?

【JW】えぇ、まあ、私たちは、唯一の神であるエホバが重要だと理解していますが*[6]

【CH】父なる神が偉大な存在であることは、私たちも理解していますが、ここでは、聖書が、実際に、誰の証人となるようクリスチャンに命令しているか、ということに焦点を合わせる必要があるのではないでしょうか?

もうひとつ大事な点ですが、真のクリスチャンは、「誰の名」を呼び求める人として知られる必要があると思いますか?

【JW】私たちは、「エホバの名」だと理解していますが、、

【CH】では、紀元一世紀のクリスチャンが、実際に、「エホバの名を呼び求める民として知られていた」ことを示す聖句を挙げることはできますか?*[7]

【JW】えぇ、そうですね。。

【CH】私は、新約聖書を一通り読んでいますが、そういう聖句は無いと思います。よろしければ、使徒9章をお開きいただけますか?イエスとアナニアとの会話のところですね。13節以降です。

【JW】はい、開きました。

「アナニアは答えた。『主よ,私は多くの人からこの男について聞いています。エルサレムにいる聖なる人たちにいろいろと危害を加えたとのことです。 14  ここでは,あなたの名を呼ぶ人*を皆捕らえようとして,祭司長たちから権限を受けています』。 15  しかし主は言った。『行きなさい。この人は私が選んだ器であり,異国の人々に,また王たちやイスラエルの民に私の名を知らせるからです。 16  私は彼に,私の名のためにどれほど多くの苦しみを受けなければならないかをはっきり示します』」(使徒9:13~16)

【CH】ここで、エルサレムにいるクリスチャンたちは、誰の名を呼び求める人として知られていたことがわかりますか?

【JW】、、イエスの名、となっていますね。

【CH】そうですね。彼らは、エホバの名ではなく、イエスの名を呼び求めていることで知られていたようです。ということは、イエスを主とする聖書的な信仰を持っているならば、その人たちは「イエスの名を呼び求める人々」として知られるようになるはずです。

さらに、ここで主イエスは、パウロを「エホバの名」ではなく、「イエスの名」を広めるために選んだと述べており、彼が「イエスの名」のゆえに苦しみを受けるようになると予告しました。最後に、第一コリント1章を開いてみてもらえますか?

【JW】えぇ、・・開きました。

「他のあらゆる場所でも,主イエス・キリストの名を呼んでいる*人たちが招かれています。キリストはその人たちと私たちの主です。」(コリント第一1:2)

【CH】ここでも、当時のクリスチャンたちが、「イエスの名を呼ぶ人」として知られていた事が伺えますね。

【JW】えぇ、はい。

【CH】一通りの聖句を踏まえると、次のような事が言えると思います。もしも私たちが、イエス・キリストを正しく信じることができていれば、聖霊の働きにより、「イエス・キリストは主です」という告白へと導かれているはずです。また、そのような信仰を持つならば、必然的に、「キリストの証人」として、また「エホバの名」ではなく、「イエスの名」を呼び求める人として、知られるようになっていると考えられないでしょうか?

【JW】はい、この点は、ちょっと調べた事がなかったので、改めて聖書を調べてみたいと思います。

【CH】今日の会話から、皆さんが、一世紀のクリスチャンほどには、主イエスの名を呼び求めてはいないということが伝わってきましたが、どんなことに対する理解のズレが、そのような違いをもたらしたと思いますか?

【JW】いえ、ちょっとわからないですね。

【CH】私はその原因が、キリストが神であることを否定したからだと思います。なぜなら、聖書の教えによれば、神でない存在を、信仰の中心に置くことはできないからです。ですから、キリストの神性を否定すると、実際に、初代教会が、主イエスの名を信仰の中心に据えていたという事実が見えなくなっていくのです。

いづれにしても、今日の会話を通して、皆さんがこれまでに気づいておらなかった点について話し合うことができてよかったです。私としては、ぜひとも、皆さんと同じ信仰を分かち合う仲間となれたらと願っています。イエスの名がいかに重要なものかについて、今後とも学びを深めていってみてくださいね。

【JW】はい、この点は、ちょっと調べた事がなかったので、改めて聖書を調べてみたいと思います。

補足事項&脚注

[1] ここで、2019年に出た改訂版の新世界訳ではなく、1985年版の従来の訳を用いるのには、理由があります。改訂版の訳では、「あなたは,イエスは主であると口で人々に伝え」となっており、「公に宣言し」から、「口で人々に伝え」と変えられているのです。改訂版の訳出の「口で人々に伝え」は明らかに誤訳であり、バプテスマ前に、伝道すべきだというエホバの証人の教理を擁護するための書き換えです。あえて、この訳出の間違いを指摘するのもありですが、本題からそれないためには、ややこしい議論は避け、はじめからこちらで新世界訳の1985年版の該当箇所をスマホで開けるようにしておくと良いでしょう。(リンク先から開けます)

[2] 基本的に、「イエスは主である」と公に告白した経験のあるエホバの証人はいません。彼らがバプテスマの際に行うのは、「イエスは主である」ではなく、「私はエホバの証人になる」という宣言なのです。

[3] 改訂版の訳出で、「あなたは,イエスは主であると口で人々に伝え」となっていることもあり、このように返答して来るエホバの証人は比較的多いと考えられます。

[4] 私がこの台詞を言う時、もちろん本心から言いますが、会話の動機が「愛」であるという点を相手に印象付ける上で、とても大切な台詞となります。特に、ここから論破に入って行こうとする段階において、初めに動機を伝えておくと良いでしょう。

[5] 興味深い点ですが、エホバの証人も、ある意味において、イエスが主であると信じています。しかし、実際にこのような提案をする時に、一緒に「イエスは主です!」と告白できるエホバの証人はほとんどいません。

[6] はっきりと聖書から示しても、統治体の教えが叩き込まれているので、色々な事を言いながら、「エホバ」の重要性を訴えてきます。よくあるのは、福音書を開いて、「イエスもエホバを崇拝していましたよね」という感じです。しかし、ここで大切な事は、「誰の証人と呼ばれるよう聖書が示しているか」です。相手のエホバの証人が色々な弁明をしてきても、本題からそれないようにする必要があります。

[7] ここで、想定される返答として、彼らの聖書を用いて、ローマ10:13「『エホバ*の名を呼ぶ人は皆救われる』のです。」を出してくるかもしれません。その場合、(1)実際に、誰の名を呼び求める民として知られていたのか、という点に注目させてください。(2)あるいは、新約聖書のギリシア語の写本の中に、神のみ名「エホバ」を含むものが一つも無いので、この聖句は確定的な証拠とならない、という点も、余裕があれば伝えると良いでしょう。その点についての詳しい解説は、「神の御名「エホバ」を用いるべきですか?」をご参照ください。

 


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