血を食べるなと命じた神が、なぜイエスの血を食べるよう命じているのか?
「血を食べてはならない」と命じた神が、なぜイエスの血を食べるよう命じたのか?最近、改めて輸血拒否の教えと向き合うまでは、この質問についてあまり深く考えたことがありませんでした。しかし、記事を書く中で、輸血に対するユダヤ教側の理解に目を通していた時、現代でもユダヤ教徒たちが、「イエスの血を飲み、肉を食べる」という教えに対して大きな反発を感じていることを知りました。
それで私はこの疑問の答えを知りたいと思いましたが、その時点では全く答えがわかりませんでした。しかし、答えを祈り求め始める中で、主の助けによってこの疑問に対する納得の行く答えを見出すことができました。本記事の中で、その答えを分かち合いたいと思います。
※本記事の聖句の引用は、全て新改訳2017です。
二千年間続く、イエスの教えに対するユダヤ人のつまづき
“わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。” ヨハネの福音書 6章55~56節
“これが、イエスがカペナウムで教えられたとき、会堂で話されたことである。これを聞いて、弟子たちのうちの多くの者が言った。「これはひどい話だ。だれが聞いていられるだろうか。」“ ヨハネの福音書 6章59~60節
イエスが「わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物なのです」と語ったとき、それを聞いていた多くのユダヤ人たちがイエスにつまずき、彼から離れていきました。それもそのはず、厳格な血の禁令を守るユダヤ人にとって、人間の血と肉を食べることなどあり得ないことだったからです。ですから、本当に心を開いてイエスを信じていた人以外は、この教えによって皆離れてしまいました。
実は、このユダヤ人のつまずきは、一世紀だけで終わってはおらず、二千年の時を経て今日まで続いています。「ユダヤ教が輸血をどう理解しているか」のテーマで紹介したオーストラリアのラビ、レイモンド・アップル氏は、輸血について述べる記事の後半で、次のように語っています。
いくら善意を持って考えても、ユダヤ人にとって、キリスト教徒が聖餐式のワインをイエスの血の象徴と見なし、それによって――少なくとも比喩的には――救い主の血を飲み干しているという行為を理解することはできません。
With the best will in the world, a Jew cannot understand why Christians regard communion wine as symbolic of Jesus’ blood and thus – at least metaphorically – imbibe their saviour’s blood.
イエスの血に、血の禁令が適用されない理由
血の禁令の意図は、血の中にいのちがあるからであり、たとえ肉を食べても、そのいのちを食べてはならない、というものです。いのちは神のものであるため、その血は、地面に注ぎ出すか、祭壇にかけるかのいずれかによって、神のものを神に返す、ということです。イエスが、「カエサルのものはカエサルに、しかし神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)と言われた通りです。
“ただし肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。” 創世記 9章4節
“実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。” レビ記 17章11節
“見よ、すべてのたましいは、わたしのもの。父のたましいも子のたましいも、わたしのもの。罪を犯したたましいが死ぬ。” エゼキエル書 18章4節
では、命の源である神が、自らの命を与える時に、この血の禁令は問題になるでしょうか?それはなりません。なぜなら、命の権限を持つ神には、それを与える権限も、それを取り返す権限もあるからです。
“だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。」”ヨハネの福音書 10章18節
例えば、通貨の発行権を持つ国家が、国民に対して収入の10%を課税する場合、収入の10%は国のものなので、収入を得た後に国にお返ししなければなりません。では、税金の徴収者である国自らが、国民に10万円の給付金を配る場合はどうでしょうか?
この場合、通貨の源であり、税金の徴収者でもある国が自ら与えるわけですから、課税する必要はありません。むしろ課税する場合、なぜ給付金なのに課税するのか、と国民は不満を持つでしょう。(実際、日本で2020年に実施された一律10万円の「特別定額給付金」は非課税でした。)
同じように、神のものである血(命)を食べるな、という命令は、その命の所有者が自ら命を与える時には適用する必要がないのです。
血の中にあるいのちの返済を求めてきた神は、世の終わりに、自らの命を捧げて下さいました。ですから、イエスの血と肉を食べることについての聖書の教えは、血の禁令と矛盾するものではなく、むしろ神が愛であること、イエスが命の所有者なる神であることを示すものなのです。
“・・神がご自分の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、聖霊はあなたがたを群れの監督にお立てになったのです。”使徒の働き 20章28節
イエスの血を食べないこと、輸血拒否との霊的な関係
しかし、神ご自身が食べるように命じているその血と体をあえて拒んでいる人々がいます。それはエホバの証人です。彼らはイエスの贖いに感謝しつつも、それを取って食べることを拒むことによって、死の罪からの解放を拒み、死に留まることを選んでしまっているのです。
加えてエホバの証人は、この地上における自分たちの命を救出する血をも拒んでいます。それは輸血を拒否する教えのことです。したがって、「記念式でぶどう酒とパンを食べないこと」と「輸血を拒否すること」は、一見別々の出来事に見えても、霊的には繋がっているのです。彼らは命を救うことについての神の御心と本質を理解することなく、むしろ掟の外面をとらえ、「血」を受けることによる救済をあらゆる形で拒み続けているのです。この背後にあるのは、罪と死の律法であり、人を恐怖に陥れる奴隷の霊なのです。
エホバの証人を、霊的にも物理的にも血の救済から遠ざけている真犯人はサタンと呼ばれる狡猾な悪魔です。なぜなら、エホバの証人は自分たちが正しいことをしていると信じきっており、統治体でさえ、自分たちもまた霊的な欺きの中にいる、ということに気づいていないのでしょう。私は、この敵の狡猾さに対して憤りを覚えます。イエスの内にある真理と命だけが、この敵のあらゆる策略と力を打ち破ることができます。
全世界のエホバの証人が、これらの欺きの霊と死の律法とに気づき、本当のイエス・キリストの内にある「いのちの御霊の律法」によって自由になることができますように。イエスの名によってお祈りします。
“イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」” ヨハネの福音書 8章31~32節
“神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。” ローマ人への手紙 8章14~15節






