ものみの塔は偽預言者か?過去に外した世の終わりの予言リスト


ものみの塔は偽預言者か?過去に外した世の終わりの予言リスト

もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない』(申命記18:22)

エホバから任命を受けた真の預言者かどうかは、その預言者が語った言葉がその通りになるかどうかによって明らかになります。さて、ものみの塔協会の主張するところによれば、エホバの証人は終わりの日において神の霊に導かれる唯一の組織であり、その組織を指導する統治体*[i]は、キリストから直接任命を受けた忠実で思慮深い奴隷です。(マタイ25:45)そして彼らは、エホバによって「預言者」として用いられている、とされています。

「5 しかしながらエホバは,連盟は神の真の王国のにせの代用物であるとの警告を,僧職者に導かれるキリスト教世界の人びとに与えないままにはされませんでした。エホバは彼らに警告する預言者を持っておられました。その「預言者」はひとりの人間ではなくて,一団の男女で構成されていました。それは当時,万国聖書研究生として知られたイエス・キリストの追随者の小さな群れでした。今日,彼らはエホバのクリスチャン証人として知られています。そして今なお警告をふれ告げており,信仰をいだいてその音信に耳を傾ける幾十万もの人びとが彼らに加わり,委ねられた彼らのわざを助けています。

6 もちろん,このグループが神の「預言者」として行動していると言うのは容易です。が,それを実証するのは別問題です。そうする唯一の方法は記録を再検討することです。記録は何を示していますか。」(『ものみの塔』1972年7月1日号、406-407頁)

確かに、自分たちが「預言者」であると自称することと、それを実証することは全くの別問題です。そこでものみの塔誌は、それを確かめる唯一の方法は「記録を再検討すること」だとしていますが、それは道理に適った方法です。そこで今回は、彼らが歴史的に預言(予言)してきた事柄が、本当にその通りになったかどうかを、記録から再検討してみたいと思います。

引用するものみの塔の出版物は、できるだけWatch Tower Library*[ii]で確認できる1970年以降のものを用いますが、必要に応じてさらに古い出版物も用います。

※「預言」とは神から預かる言葉全体を告げることを意味するのに対し、「予言」とは、将来に起きる事柄を予め告げること意味します。したがって、「預言」として語られる内容に将来の出来事が含まれていれば、その言葉を「予言」とも表現することができます。

重要な前提

統治体の主張―エホバの預言者

エホバの証人は、自分たちが属する組織が、終わりの時代において神の霊に導かれる唯一の組織だと信じており、全世界のエホバの証人を指導する統治体は、地上の代表者団としてエホバから正式に任命を受けていると信じています。つまり、統治体は自分たちが、かつてのモーセやエレミヤ、のような立場に置かれていると主張しているのです。

聖書によれば、このように大きな責任を委ねられた人には、多くのことが要求されます。ですから、統治体がこのような主張するからには、彼らがどんな実を表しているのかについて、普通以上に吟味しなければなりません。

「実際,だれでも多く与えられた者,その者には多くのことが要求されます。そして,人々が多くをゆだねた者,その者に人々は普通以上を要求するのです。」(ルカ12:48)

統治体は、出版物の正確性を主張している

エホバの証人は、「JWブロードキャスティング」というネット上の動画プログラムを持っていますが、2017年11月のマンスリープログラムでは、エホバの証人の執筆委員会が、出版物の内容の正確性を保つためにどんな努力を払っているかが強調され、宣言されました。

ビデオによれば、あらゆる出版物で説明される内容は、その根拠の正確性が慎重に考慮され、引用・参照される辞典や書籍は信頼のおけるものか、文章を引用する場合に著者の意図を踏み越えた間違った引用をしていないか、また引用元の団体に隠れた思惑を無いのか?などの様々な点が慎重に考慮される、ということのようです。

「執筆者がある書籍から引用したいと思っているとしましょう。参照資料には、その引用箇所が示されていますが、執筆者は大抵、その前後2~3ページも読めるように準備します。こうすれば、調査メンバーは引用文の文脈を吟味し、私たちの出版物が、その本の著者の本当の言わんとしていることを示しているか、確認できます。・・・確認し、確認し、確認するのです!」(一部抜粋)

もしも、マンスリープログラムで主張された内容が真実であるならば、過去の組織の歴史という極めて重要なテーマにおいても、読者に誤解を与えないような説明になるよう、慎重に書かれていることでしょう。しかし、もしもそうでないなら、統治体は偽善者だと言わざるを得ません。

▶ 11月ブロードキャスティング

「考えていた」とは何を意味するか

まず出版物で公表される

ものみの塔の出版物が、予言がなされた当時の歴史状況を振り返る際に、「当時のエホバの証人が『信じていた・信じられていた』『考えていた』」という表現を用いることが多々ありますが、このような表現は、普通わたしたちに「当時の人々が単に信じていただけだ」という印象を与えます。しかし、このような表現が実際に何を意味するのかを正確に理解することは大切です。

エホバの証人の中では、初代会長のラッセルの時代から、組織のトップの人が公表する教えに無条件に忠実に従う、という伝統があります。出版物で公表されていない・明言されていない教えを、信者の大多数が口コミで信じるようになる、ということは無いのです。もしも、公表されていない教えを、ある複数の信者が勝手に言い出して広めるとすれば、それは独善的・傲慢であると見做され、排斥の対象となります。ですから、過去のある時代のエホバの証人の大多数が「考えていた」ことがあるとすれば、それは例外なく出版物を通して明確に発表されていたことを意味するのです。

広くふれ告げられる

エホバの証人は、その初代ラッセルの時代から、伝道に対して極めて熱心でした。現代のエホバの証人が、他のどんな宗派よりも伝道に熱心なのは、初代のエホバの証人からの言わば伝統なのです。彼らは歴史的に、自分たちが教えられることを「ただ信じるだけ」ではなく、信じたことを「広くふれ告げる」よう組織から教育されてきたのです。

熱心に宣べ伝える
聖書研究者は,油そそがれた人は全員が真理を宣べ伝えなければならない,と教えた。 1885年に, 「ものみの塔」 誌はこう述べました。「忘れてはならない点として,油そそがれた体の成員は皆,宣べ伝えるために油そそがれ(イザ 61:1),宣教のために召されたのである」(『神の王国は支配している』19頁)

したがって、ある時代のエホバの証人の大多数によって「信じられていた」教えがあるとすれば、それは同時に、その教えが広くふれ告げられていたことを意味するのです。そして、予言の失敗という出来事を、このような観点で捉えることはとても大切です。なぜなら、ある特定の年代にハルマゲドンが来るという偽予言を、「単にあるグループの人々が自分たちの中だけで信じている」ことと、「その予言が公に出版されていた雑誌で語られ、それが広くふれ告げられていた」ということとでは、その失敗の重みや責任が全く変わってくるからです。

歴史記録は、時間と共に不正確になる

普通、歴史記録というものは、記録される年代がより後代になるにつれて、不正確になっていくものです。例えば、イエス・キリストの生涯は紀元前~紀元30年ころまでだと考えられていますが、この場合、紀元一世紀中に書かれた数々の記録は、紀元二世紀に書かれたものよりもその記録の正確性や信頼性が勝ると考えられます。実際に、新約聖書に含まれる全ての書簡が紀元一世紀中に書かれたものであるとう事実は、その原則の重要性を裏付ける一つの指標となっています。

本記事では、ものみの塔が過去に発表してきた数々の予言を取り上げますが、それらの予言が後の時代の出版物で言及される際に、内容が食い違っているケースが多々見られます。このような場合は、ここで説明をした歴史記録に関する一般的な原則を適用し、より古い出版物の記録の方が、より正確な事実を記録していると考えるのがふさわしい見方です。

それでは、以上の前提を踏まえて、ものみの塔の予言の歴史記録を、出版物の説明から確認していきたいと思います。

1874年:キリストの臨在、1914年:異邦人諸国家の滅亡

外れた預言

ものみの塔の創始者チャールズ・テイズ・ラッセルが、当時およそ40年間にわたって大々的にふれ告げられていた教えとは、以下の引用記事によれば、次の三点です。

  1. 1874年:キリストが神の王国の王となり、臨在を始める。
    ※「臨在」とは、目にはみえない支配を意味する。
  2. 1914年:異邦人の時が終わり、異邦人諸国家は滅ぼされる。
  3. その時に、忠実なクリスチャンたちは復活し栄光を受ける。

「こうした事実のゆえに,チャールズ・T・ラッセルは1879年の7月に独自の宗教誌を発行し始めたとき,彼はその雑誌を「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という題名で発行しました。彼はマタイ 24章3節その他の箇所のギリシャ語パルーシアを「来る」ではなく,「臨在」と訳出したウィルソンのエンファチック・ダイアグロット訳にすでに精通していました。その新しい雑誌は,キリストの見えない臨在が1874年に始まったことを告げ知らせました。その臨在は1914年における異邦人の時の終わりまで続き,その年には異邦人諸国家が滅ぼされ,「貞潔な処女」級の残れる者は,死んで霊者として命に復活させられることによって,天にいる彼らの花婿とともに栄光を受けるものと考えられました。こうして,五人の賢い処女で表わされた級の人たちは,戸口を通って中に入り,結婚式に連なるのです。」(『千年王国』1974年、184頁)

しかし、いざ1914年になった時、異邦人諸国家の滅亡によって表されるハルマゲドンは来ず、エホバの証人が天への栄光を受けることもありませんでした。つまり、ラッセルと彼の仲間たちがふれ告げていた音信は、基本的に大きな間違いだったのです。

ちなみに、1,800年代後半にラッセルが執筆した「時は近づけり」(The time is at hand)という本では、1914年に起こることとして、七つのことが予言されていましたが、実際に成就したものは、一つもありませんでした。この点については、別途資料に詳しくまとめてあります

なお、現代のエホバの証人は、(1)イエス・キリストが1914年から神の王国の王として臨在していること、(2)1,914年のその年に、異邦人の時が終わり、終わりの日が始まったこと、(3)その年に重要な出来事が起こることを、ものみの塔の初代会長チャールズ・テイズ・ラッセルが前もって一貫して指摘していたこと、以上の三点を、1914年に関連する教理として、力強く教えています。

現在の不誠実な説明

次に、2014年に出た最新の出版物『神の王国の支配している』から、現代のものみの塔協会が、当時の状況についてどんな説明をしているのかを確認してみたいと思います。ちなみにこの書籍は、組織の歴史の概観を通して、神の王国がいかにエホバの証人の組織を通して前進してきたのか説明する内容となっています。

その注目すべき年の意味を十分に理解していませんでした

[彼らは,早くも1870年代に,七つの時が1914年に終わることを指摘していました。 (ダニ4:25。 ルカ 21:24) 当時の兄弟たちは,その注目すべき年にどんな意味があるかを十分に理解していたわけではありません。 それでも,知っていた事柄を遠く広くふれ告げました。今のわたしたちもその益を受けています。」(『神の王国は支配している』15頁)

この文章を読むと、彼らがはっきりと信じてふれ告げていたことは「1914年に7つの時が終わり、注目すべき年が来る」ということであり、それ以外にことについては、あまりはっきりとはしていなかった、理解していなかった、という印象を受けますが、事実はそれとは異なります。

彼らはその年に異邦人諸国家が滅亡すると確信し、またふれ告げていたのです。

まさに彼らの予告どおりになりました

「1914年のずっと前から,聖書研究者たちは,その年に苦難の時が始まると述べていました。 そして,事態はまさに彼らの予告どおりになりました。」(『神の王国は支配している』2014年、22頁)

本の説明によれば、当時の聖書研究者たちは早くから1914年という年代を予言し、実際にその通りになったという印象を強く与えるものとなっています。しかし、既に確認してきた通り、彼らが1914年に関してふれ告げてきた内容は、基本的には外れていたのです。

さらにここでは「聖書研究者たちは、その年に苦難の時が始まると述べていました」とありますが、これも誤解を与えることを意図した虚偽の記載だと言えます。なぜなら、当時彼らは1914年のハルマゲドンが苦難の時のクライマックスだとふれ告げていたのであり、「その年から苦難が始まる」ということは信じていなかったからです。

1914年に聖書研究者はキリストの臨在を識別し始めた

1914年に聖書研究者はキリストの臨在を識別し始めた

この画像と文章は、当時のエホバの証人が、1914年にキリストが臨在し始めたことを識別した、という印象を強力に与えます。しかし残念ながら、これは完全な「嘘」です。既に確認した通り、ラッセルが40年以上にわたってふれ告げていた内容は「1874年からキリストの臨在が始まった」というものでした。

さらに、1914年になった時、彼らがその教えをすぐに変更し、キリストの臨在の開始を1914年に修正した、ということも全くありません。実際には「1874年からキリストが臨在を開始した」という教えはその後もおよそ30年間にわたって続き、1943年に発行された「真理はあなたがたを自由にする」という出版物によって、ようやく現行の教理「1914年からキリストは臨在を始めた」に落ち着いたのです。

解釈の間違いの訂正
48 「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」の編集および発行者は確かに,天の花婿の「臨在」あるいはパルーシアは西暦1874年に始まったと計算しました。また,エホバ神が最初の人間を創造した年は西暦前4128年であると計算しました。ということは,地上における人類生存の六千年は,ラッセルとその同僚が計算したように,西暦1872年に終わったことになります。この計算は1906年7月1日号を皮切りに,「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」の第1ページに公示され始め,この習慣は1928年9月15日号まで続けられました。」(『千年王国』205頁)

1943年,ものみの塔聖書冊子協会は,「真理はあなたがたを自由にする」と題する本を発行しました。同書は「時の計算」と題するその11章の中で,裁き人の時代に対してなされた100年の挿入を廃止して,使徒 13章20節の最古の,そして最も信頼できる読み方に従い,ヘブライ語聖書の正式につづられた数字を受け入れました。その結果,人類生存の六千年の終わりは,1970年代の10年間の時期に移されることになりました。それで当然のこととして,西暦1874年を主イエス・キリストの再来およびその目に見えない臨在つまりパルーシアの始まりの年とする考えは葬り去られました。ですから,悪魔サタンが底知れぬ所につながれて監禁され,14万4,000人の共同相続者がキリストとともに天的な栄光を受けて統治することにより特色づけられることになっていた千年期は,なお将来の事がらでした。では,キリストのパルーシア(臨在)についてはどうですか。前述の本の324ページはこう述べています。「王の臨在もしくはパルーシアは1914年に始まりました」。また,1949年7月15日号の「ものみの塔」誌(215ページ,22節)にはこう記されています。「……メシア,つまり人の子は紀元1914年に王国の支配権を執りました。……これは彼が再び来て,その二度目のパルーシアもしくは臨在が始まったということにほかなりません」(『千年王国』208頁)

なぜ嘘をつくのか?

1914年にまつわる一連の教理は、エホバの証人にとって極めて重要な教えです。なぜなら、ラッセルが早くからこの年代に関する予言をしそれを的中させたこと、その後の三年半の間に神の預言者として忠実な奉仕を行ったことが土台の一部となり、1919年にエホバから地上における神の代表者として正式に任命を受けたと教えているからです。

ですから、当時のエホバの証人が実際には1914年に関する予言を全く的中させていなかったことや、1914年におけるキリストの臨在のしるしに、1943年まで気付いていなかったことが明らかになることは、彼らが任命を受けたことを説明する上で、とても不都合な真実となってしまうのです。

1918年:世界大戦はハルマゲドンへ

外れた預言(予言)

1914年に関するラッセルの予言は外れました。謙虚なクリスチャンであれば、普通、予言の失敗という結果を真摯に受け止め、悔い改めるものですが、彼らの態度はどのようなものだったでしょうか?

「第一次世界大戦が行なわれた1914‐1918年の迫害の期間中,その世界戦争がそのまま世界革命ひいては無秩序状態のハルマゲドンに至る,と考えた油そそがれたクリスチャンがいました。 彼らが大いに驚いたことに,第一次世界大戦は1918年11月11日,突然終わりました。しかしながら,大いなるバビロンは依然存続し,ハルマゲドンの戦いも到来しませんでした。」(『秘義』1976年、69頁)

「国際聖書研究者協会の期待に反し,『ハルマゲドンの戦闘』は第一次世界大戦直後には起こりませんでした。1918年11月11日,戦争に参加した諸国間で休戦条約が調印されましたが,油そそがれた残りの者は天にあげられず,依然として地に残されたままでした。」(『秘義』303頁)

「しばらくの間,使徒ヨハネには,四人の使いが今にも四方の風を解き放ち,その結果,風が地と海とすべての木に吹きつけ,至る所を荒廃させるかのように見えました。第一次世界大戦の最後の年,つまり1918年の事態は,表面的にはそのように見えたのです。当時,現代における使徒ヨハネの霊的兄弟たちは,現前に荒れ狂っている戦争と革命が,予期されていた『ハルマゲドンの戦争』,すなわち,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる象徴的な場所で行なわれる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」にそのまま突入すると考えていました。」〈『秘義』86頁〉

「同様に,1918年11月11日に第一次世界大戦が終わった当時,霊的なイスラエルの現代の残りの者は自分たちの道や考えをある程度改めねばなりませんでしたが,地上でなお生き長らえて大戦後の時代に入りました。神の恵みを十分に受ける立場から追われて大いなるバビロンの領域に流刑に処された彼らの状態は,まさに終わろうとしていたので,当時は神への崇拝と奉仕に関して犯した失敗や間違いをよく考える適当な時となりました。」(『救い』1976年、116頁)

「彼らは今や自分たちの前に開かれた予想外の新たな事態に合わせて自分たちの考え方や歩み方を再調整する必要がありました。彼らは西暦1914年あるいは1918年などという特定の年までではなく,永遠に自分たちの神のために「聖別されて」いたのです。」(『救い』117頁)

以上に挙げた一連の記事から、以下の点が明確にわかります。

  1. 使徒ヨハネ級の霊的兄弟たち(当時のエホバの証人)は、第一次世界大戦がハルマゲドンの戦争に突入し、1918年にはこの世の終わりが来ると信じていました。
  2. 彼らの期待に反し、ハルマゲドンは起きず、1918年に世界大戦は終結したため、その年は彼らにとって「神への崇拝と奉仕に関して犯した失敗や間違いをよく考える適当な時」「再調整する必要が」ある時となりました。

当時のエホバの証人がこぞって信じていた、ということは、それが出版物を通して公表されていたことを意味します。そして、彼らは公表された教えを、熱心に宣教したはずです。念のため、1917年にラザフォードによって出版された『完成した奥義』を確認すると、次のような記載があったことがわかります。

「1918年に教会が滅び、数百万人の会員が死ぬ」(『完成した奥義』1917年、485頁)―『エホバの証人へのハンドブック』86頁より転載

「1918年に教会が滅び、数百万人の会員が死ぬ」(『完成した奥義』1917年、485頁)―『エホバの証人へのハンドブック』86頁より転載

不誠実な説明

出版物おける言及は無し

当時のエホバの証人が「1918年にハルマゲドンが来る」と予言したことについては、現代の出版物では説明がありません。いや、それは組織にとって、説明してはならないことなのです。最近の出版物では、1914年から1918年の間に、当時の聖書研究者たちが忠実な奉仕をしたことが繰り返し強調され、それが1919年にキリストから任命を受ける根拠となっているのです。

ですから、これら二つの重要な年代において、繰り返しハルマゲドンの予言を外したという事実は、ものみの塔協会にとって極めて不都合な真実となるのです。

『神の王国は支配している』では、かろうじて次のような失敗に関する記載があるものの、ハルマゲドンの予言については言及されていません。

「また、「ものみの塔」誌は1917年の終わりに、40年に及ぶ収穫の期間は1918年の春に終わるだろう、と述べました。」(『神の王国は支配している』、23頁)

ラッセルの追随は真理を告げるゆえに迫害される

エホバの証人の歴史の詳細を記録した『ふれ告げる人々』(1993年)には、次のような記載があります。

攻撃の的
1917年の終わりから1918年の初めにかけて,聖書研究者たちは「終了した秘義」という新しい本を精力的に配布しました。1917年の終わりまでに,よく動く印刷機からはその本が85万冊生産されていました。「ものみの塔」誌(英文),1917年12月15日号は,「聖書以外の既知のどの本の売り上げを取ってみても,同じ長さの期間で比較すれば,第7巻が記録した売り上げには及ばない」と伝えています。

しかし,すべての人が「終了した秘義」の成功に胸を躍らせたわけではありません。この本には,キリスト教世界の僧職者に対する非常に痛烈な言葉が幾らか含まれていました。そのため僧職者は激怒し,政府をたきつけて,聖書研究者たちの出版物を封じ込めようとしました。僧職者が操るこのような反対の結果,「終了した秘義」は,1918年の初めにカナダで発禁処分を受けました。反対はやがて,米国の聖書研究者たちにも降りかかってきました。

僧職者が操るこのような圧力を暴露するため,ものみの塔協会は1918年3月15日に“Kingdom News”(「王国ニュース」)第1号というパンフレットを発表しました。内容はどのようなものだったでしょうか。6欄抜きの大見出しは,「宗教的不寛容 ― パスター・ラッセルの追随者は,人々に真理を告げるゆえに迫害される」というもので,「聖書研究者に対する処置は『暗黒時代』を思わせる」という小見出しのもとには,カナダで始まっていた迫害と発禁処分に関する様々な事実が説明されていました。・・

・・1918年の春,暴力的な迫害の波が,北アメリカとヨーロッパの聖書研究者たちに押し寄せました。僧職者が操る反対は,1918年5月7日に頂点に達しました。J・F・ラザフォードとその親しい仲間数人に対する米連邦政府の逮捕状が出されたのです。ラザフォードと7人の仲間たちは1918年の半ばに,ジョージア州アトランタの連邦刑務所に入れられました。」(『ふれ告げる人々』1993年、69-70頁)

この記録を読むと、「終了した秘義」が精力的に配布され、そこに書かれた内容がキリスト教世界の僧職者に対する批判を含んだ「真理」だったため、彼らは「迫害」されるようになった、という説明となっています。

しかし、既に説明した通り、「終了した秘義」の中には、「1918年に教会が滅び、数百万人の会員が死ぬ」という偽りの予言が載っていました。そのような予言が載っている本が配布されている以上、宗教的にも、社会的にも反対を受けるのは当然だったと言えます。

そして、実際に1918年に、ハルマゲドンは到来せず、教会は滅びませんでした。したがって、彼らが受けていた試練は、迫害ではなく、自分から蒔いた種だったと言えるでしょう。このような経緯をちゃんと説明せず、物事のある一面だけを切り取って、それを組織にとって都合の良いように表現する手法は、マインドコントロールだと言わざるを得ません。

1925年:復活が起きる

「1920年の”Millions Now Living Will Never Die”(「現存する万民は決して死することなし」)という小冊子は,「1925年には,アブラハム,イサク,ヤコブや昔の忠実な預言者たちが[死者の中から]……人間としての完全な状態に戻って来ることを確信をもって期待できる」と述べていました。1925年には昔の忠実な人々の復活が予想されていただけでなく,油そそがれたクリスチャンがその年に天の報いを受けることを期待していた人もいました。1925年は過ぎて行きました。中には,希望を捨てた人もいました。」(『ふれ告げる』1993年、77頁)

「私たちが1925年について期待できる事柄として,同兄弟の述べた間違った陳述について,兄弟はかつてベテルで私たちに,『全くばかなことをしてしまった』と告白したことがありました。」(塔1984年10月15日号、31頁)

ラザフォードは、1925年に昔の忠実な預言者たちの復活が起きることを「確信をもって期待できる」と語りました。「確信をもって」教えた以上、それは特定の年代に起きる出来事を予言した、と言わざるを得ません。

しかし、ラザフォードが二度目に語ったこの予言もやはり外れました。その失敗は、後に彼が「全くばかなことをしてしまった」と告白した事実からも明らかです。

なお、エホバの証人の間では、1922年にラザフォードがオハイオ州シーダーポイントの国際大会で語った言葉が非常に有名です。そこで彼は、聴衆に対して「王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」と強く呼びかけ、それを聞いた人々は精力的に伝道を展開していきました。しかし、彼らが当時熱心に信じふれ告げた音信には、「1925年に復活が起きる」という教えが含まれてと考えられます。

「世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今はあらゆる時代のうちで最も重大な時代です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい」(J・F・ラザフォード)

1940年代:第二次世界大戦はハルマゲドンへ

外れた預言(予言)

「第二次世界大戦がたけなわだった,1942年9月18日から20日まで,米国のエホバの証人は「新しい世神権大会」を開きました。主要な大会開催都市となったオハイオ州クリーブランド市は,50余りの他の都市と電話回線で結ばれ,出席者最高数は12万9,699人に達しました。世界の各地で戦時下でも事情の許すところでは,同じプログラムの大会が行なわれました。当時,エホバの民の多くは,その戦争が神のハルマゲドンの戦争に発展するものと考えていました。」(『啓示の書』1988年、246頁)

「私は第二次世界大戦のぼっ発した1939年に生まれました。両親はハルマゲドンが目前に迫っていると考えていましたから,私たち子供は非常に幼い時から,滅びゆくこの古い体制の中にあって時を賢明に用い,エホバの奉仕にあずかるよう励ましを与えられてきました。」(『年鑑』1982年、15頁)

「当時,エホバの民の多くは,その戦争が神のハルマゲドンの戦争に発展するものと考えていました」とあります。当時、エホバの証人は既に世界的にかなりの数に上っていましたので、その大多数が信じていた、ということは、組織の側からそういう情報が公にされていたことを物語っています。そしてそれは宣伝されていたはずです。

『慰め』1941年10月29日号、11頁

ドイツの国民は、立たされた苦境に目覚め始めている。・・・彼らは、近い将来もたらされるもの、急いで訪れようとしているものに対して、不安に満ちている。それはつまり、全能の神の大いなる戦い、ハルマゲドンである。」(『慰め』1941年10月29日号、11頁―『エホバの証人、カルト集団の実体』97頁より転載)

当時の出版物を見ると、確かにハルマゲドンが来ることが宣言されていたことがわかります。結局、第二次大戦でドイツは破れましたが、それはハルマゲドンの戦いには発展しませんでした。

これによってラザフォードは、1918年、1925年、1940年代と、三回もの予言を外し、ものみの塔の歴史上、最も多くの予言を外した人物となりました。

不誠実な説明

「第二次世界大戦中,ウクライナ西部の兄弟たちは一時的に組織とのつながりを絶たれ,進むべき方向を見失ってしまいました。第二次世界大戦の勃発がハルマゲドンの始まりを意味していると考えた人もいました。その教えは,しばらく兄弟たちの間に誤解を生じさせました。」―『年鑑』2002年 143頁

2002年になると、当時エホバの証人全体が信じていたはずなのに、それがあたかも「一部の人々だけが信じていて、その人たちが誤解を生じさせた」かのように書かれています。しかし、第二次大戦とハルマゲドンを関連付けたのは、明らかにものみの塔協会の方であり、またそれを信じていたのは、特定の人々だけでなく、信者全体でした。

つまりこの説明は、ものみの塔協会側の責任を信者の側に押し付ける「責任転換」であり、虚偽の記載です。

1975年:至福千年期が来る

外れた預言(予言)

「しかし,神を恐れ,聖書つまり古代のヘブル語聖書とクリスチャン・ギリシア語聖書の双方を研究する人々にとっては,はるかに重要な別の千年期が近づいています。それは第七千年期です。・・つまり,神が完全な人間男女をエデンの園で創造された時を起点とした第七千年期です。・・・ このことは一千年の平和もしくは平和の千年期が近づいていることと関係がありますか。明らかに関係があります!」(『ものみの塔』1970年1月1日号、14頁)

「*** あなたは自分の命をどのように用いていますか ***
そうです。1971年9月以来,開拓者の人数はただ1か月を除いてあとは毎月新最高数を記録し続けており,今日本では正規および特別開拓者は合計3,859人という空前の新最高数に達しました。これは2年半前の時よりも1,717人も増え,実に80%もの増加に当たります。これは私たちの心を暖めるものではありませんか。家や資産を売って,開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが,確かにそれは,邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。―ヨハネ第一 2:17。」(『王国宣教』1974年6月、3頁)

「前述の証拠があるにもかかわらず,至福千年期が実際に近づいたこと,そうです,わたしたちの世代のうちに始まることを確信させられるに足る「しるし」を要求する懐疑的な人は少なくありません。わたしたちは,イエス・キリストがメシアであることを確信させられるに足るしるしをイエス・キリストに求めた,19世紀前の律法学者やパリサイ人のあの「邪悪で姦淫の世代」の者ではありません。(マタイ 12:38,39)。」(『千年王国』1974年、162頁)

かつてエホバの証人が、1975年に終わりが来ると予言し、それが外れたことは今でも有名な話であり、今でも現役の信者で当時の様子を知っている人はおられます。

引用した出版物からわかる通り、その年は至福千年期の始まりとして「明らかに関係があります!」と語られ、信者は「家や資産を売って開拓奉仕をするのは優れた方法です」と励まされました。それだけでなく、1975年に終わりが来るという予言を信じない人は「邪悪で姦淫の世代」である、と批判されさえもしたのです。

不誠実な説明

責任転換①:一貫性の無い説明

一部の聖書の教え手たちにより,ある日付が過度に強調されていました。新しくバプテスマを受けた人々の中には,一時的な感情で真理を受け入れた人も少なくありませんでした。長老たちの中にさえ,1975年に望みをかけていた人がいたのです。」(『年鑑』88年、189‐190頁)

「一部の聖書の教え手たちにより」とありますが、それを教えたのは「統治体」でした。つまり、予言の失敗の責任が全面的に統治体にあったにも関わらず、その責任を一部の信者の側に押し付けたのです。

「知っていると思うけど、あの当時、この事物の体制の終わりについて、特定の日付に頼る人たちがいたんだ。中には家を売って仕事を辞めた人たちがいる。わたしも、この体制はいつ過ぎ去ってもおかしくないと思っていた。でも、何か正しくないように感じた。集会と個人研究で、イエスが言われたことを思い出した。『その日、または時刻については、何も知らない。』

自分が献身したのは、エホバであって日付じゃない。その日が過ぎ去ると、間違った期待を抱いていたほとんどは、必要な調整を受け入れて、会衆に留まった。出ていくことも、諦めることもしなかった。エホバは信頼したんだ。(『エホバの証人―地区大会』2017年1日目、『こうすれば「決して失敗することはない」』)

これは、2017年の夏に行われた地区大会のプログラムの内容です。ここでも「特定の日付に頼る人たちがいた」とあり、統治体ではなく、一部の信者の責任であるとされています。つまり、このような責任転換と虚偽の説明が、今に至るまで、歴史的・組織的に継続されているのです。

責任転換②:間違いを悟り調整を受け入れなさい

「神に奉仕してきた人の中には,特定の日または特定の年に何か起こる,という間違った考えに従って生活の計画を立てた人たちがいるかもしれません。そしてそういう理由から,さもなければ注意を払ったであろう事柄を延期したり,怠ったりしてきたかもしれません。しかしその人たちは,この事物の体制の終わりに関する聖書の警告の要点を捕えそこない,聖書の年代記述は明確な日を示すと考えていました。」(塔1976年10月15日号、632頁)

「しかし,ある特定の日に照準を合わせて,自分や自分の家族に本当に必要な事柄など,わたしたちがクリスチャンとして普通に注意を払うような日常の事柄を怠るのは賢明ではありません。その「日」が来ても,クリスチャンは常に自分の責任をすべて果たさねばならない,という原則は変わらないことを,わたしたちは忘れかけているかもしれません。こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,その人は,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません。」(塔1976年10月15日号、632頁)

特定の日付に望みをかけるよう力強く指導してきたのは、統治体でした。しかし、予言の失敗が明らかになった後、間違っていたのは組織のリーダーではなく、信者の側にあるとされているのです。

それだけでなく、「自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」と教え諭すような助言を与えてきています。間違いを悟り、見方を調整する必要があったのは、第一に統治体の側でした。しかし、その責任を全面的に信者に押し付ける結果となったのです。

終わりが来るとは一度も述べていません

「神の目的」に対する認識を深める ***
エホバの証人の出版物は,聖書の年代記述から考えて人間存在の満6,000年は1970年代の半ばに終わるということを示してきました。しかし,それらの出版物は,その時に終わりが来るとは一度も述べていません。それにもかかわらず,この問題に関してかなりの個人的推測がなされてきました。」(塔1975年1月1日、27-28頁)

これは、極めて悪質な言い訳です。1975年にまでの数年間、明らかに組織は、その年に重大な出来事が起こることを強調し、至福千年期の到来を強くアピールしました。さらにその日を念頭に生きるよう励まし、信じない人を「邪悪な世代」として糾弾してきたのです。

後になって「終わりが来るとは一度も述べていません」と言い訳することは、聖書的にも、社会的にも、全く呆れた嘘であると言えます。

1982~1995年:新しい世が来るのは創造者の約束

本誌は,1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます。」(『目ざめよ!』1982年4月8日号~1995年10月22日号、4頁「目ざめよ!誌が発行される理由」)

「純粋に人間的な見地からすれば,1914年の世代が姿を消す前に,これらの出来事が生ずることはとてもあり得ないと思えるかもしれません。しかし,1914年の世代に影響を及ぼす予告された出来事のすべての成就は,比較的に遅い,人間の行動にかかってはいません。「すべての事が起こるまで,この[1914年の]世代は決して過ぎ去りません」というのがキリスト・イエスを通して与えられたエホバの預言の言葉です。(ルカ 21:32)そして,霊感による,信頼の置ける預言の源であられるエホバは,比較的短い期間に,み子の言葉の成就をもたらされます。―イザヤ 46:9,10; 55:10,11。」(『ものみの塔』1984年10月1日号、23頁)

「2 わたしたちの中にいる若者の多くは,世俗の高等教育に関係した目標を含む物質主義的な目標をとらえようとすることのむなしさを見てきました。そのような目標は,直面する可能性のある危険を冒してまで追い求める価値がないと結論したのです。この世で達成したことから得られる益は,せいぜいこの体制が続く間だけ存続するものであり,この体制は今や完全な終わりに向かって急いでいます。しかしながら,神権的な目標は,神からの教育による啓発を伴って,今個人的に満足をもたらし,最終的にはとこしえの救いへと導くのです。―伝道の書 12:1,13。」(『王国宣教』1987年2月、1頁)

「に対する確信を強めます」「エホバの預言の言葉です。」「今や完全な終わりに向かって急いでいます。」

1975年に終わりが来なかったことを通して、統治体は悔い改めるべきでした。しかし、彼らはその問題と真剣に向き合わなかったため、再び同じ誤ちを、1982年~1995年の13年間に渡って毎月繰り返しました。

それは当時、目ざめよ!誌が発行される目的として堂々と掲げられ「1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強める。」と宣言されていました。それは「創造者の約束」であり、「エホバの預言の言葉」だとされました。そしてその誤った預言に基づいて、統治体は個々の信者に対し、この体制が「今や完全な終わりに向かって急いる」と警告してきました。

しかし、1914年の出来事を見た世代がどんどん減少していく中で、中々終わりが来ないことに気付いた組織は、1995年の途中から、さりげなく「創造者の約束」を修正し、その予言を無かったことにしてしまいました。

そして、現在は1914年の出来事を見た世代は、組織の中から誰もいなくなっていますが、「創造者の約束」は実現していません。したがって、その予言は「エホバの言葉」でも、その「約束」でもありませんでした。

「わたしは預言者たちを遣わさなかった。だが,彼らは走った。わたしは彼らに語らなかった。だが,彼らは預言した。」(エレミヤ23:21)

預言の失敗(偽予言)に対する協会の対応

人間は誰でも失敗をするものであり、それは他の多くのキリスト教系の団体でも変わりません。しかし、神に心から従いたいと願うクリスチャンであれば、失敗をした時に、悔い改めて悪い行いから立ち返るはずです。そして神は、そのような人々を進んで赦して下さるのです。

では、歴史的にたくさんの偽予言を行ってきたものみの塔協会のリーダーたちは、預言の失敗に対する然るべき悔い改めをしてきたのでしょうか?過去に行われた偽予言に対する統治体のその後の対応については、既に取り上げてきましたが、ここではさらに幾つかの事例をご紹介したいと思います。

「それでほんとうに,あなた方はその実によってそれら[の人々]を見分けるのです。」(マタイ7:20)

『エホバの名において』予言したことは一度もありません。

弁明の内容

「エホバの証人がイエスの二度目の到来を切望するあまり日付を示唆し,あとで間違いであることが分かったことが何度かあります。このため,ある人々はエホバの証人を偽預言者と呼んできました。しかし,これらの出来事のうち,証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません。また,『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありません。エホバの証人の公式機関誌である「ものみの塔」誌は,「我々には預言の賜物はない」(1883年1月号[英文],425ページ),「我々は自分たちの著作を崇めたり,絶対に正しいものとみなしたりはしない」(1896年12月15日号[英文],306ページ)と述べています。」(目ざめよ!1993年3月22日号、4頁)

証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません。・・『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありません」とあります。この弁明を注意深く読むと、過去に予言の失敗をしたことはかろうじて認めつつも、それらの予言を「エホバの名において」行ったこと否定しているわけですが、全くの嘘・言い訳であることは明らかです。

エホバの名によって語っている証拠

今日エホバの名によって語るわたしたちは,イザヤ,エレミヤ,ダニエルなどのように,厳しい試練に遭っても,忠誠を保つ者になれます。」(ものみの塔1990年1月1日、27頁)

「神の預言者たちは何と立派な模範を残してくれたのでしょう。彼らは苦しみを耐え忍び,辛抱し,ほかにも敬虔な特質を示したゆえに,エホバの名によって語る特権を与えられました。現代のエホバの証人であるわたしたちは,彼らと同じように行動しましょう。」(塔1994年9月15日号20頁)

このように、エホバの証人が「エホバの名によって語る民」であることは、出版物の中で明白にされているのです。そもそも、「エホバの目に見える唯一の組織」を自称している時点で、「エホバの名」によって語っていることになる、という基本的な点を、統治体は見逃しているのでしょうか。

さらに、上記の弁明の中では、「『これはエホバの言葉である』と言ったことも一度もありません。」という説明がありますが、その同じ雑誌の4ページには、「・・平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます」とあり、その予言が「エホバの約束」であることが宣言されているのです。

「エホバの名」において語らなかったとしても責任は重大。

次に「エホバの名」において語らなかったとすれば責任が回避される、という問題でもありません。エホバの証人は、全世界に数百万人の信者がおり、そのほとんどの成員は、統治体の命令を神の命令だと理解するよう教えられ、その指導に人生を捧げるよう教育されています。

組織の教え通り、その年代に注目し、家や資産を売った人はたくさんいました。またエホバの証人の信者から伝道で終わりが来ると予告され、人生の方向性を考えた人もいました。ですから、エホバの名によるかどうかに関わりなく、一社会人として、その言動と教育には極めて大きな責任がありました。「エホバの名」において語らなかったから、問題は無かった、ということでは全く無いのです。

「エホバの名」の意味についての無知

統治体とものみの塔協会は「エホバの証人が、地上においてエホバから任命を受けた唯一の組織である」と歴史的に主張してきましたが、それは事実上、そこで行われるあらゆる活動が、「エホバの名」によって行われていることを示すものです。なぜなら、「エホバの名において行う」という言葉の意味は、エホバの代理・代表者として、エホバのご意志を行うことを意味するからです。

また、そもそも「エホバの証人」という名称を選んだ時点で、全ての信者は「エホバ」の「証人」となったのであり、その名に恥じない行動をする責任を負っているのです。

ですから、統治体が、「エホバの名において」預言してきたことを否定するなら、それは事実上、エホバから任命を受けた組織としての地位を自ら否定していることとなるのです。

仮に、もしも統治体が「エホバの名において」の基本的な意味を理解していないのなら、それは深刻な問題です。しかし、わかっていて、あえて否定しているのであれば、それもまた深刻な問題です。

使徒たちも同じ間違いを犯しました。

エホバの証人は教えの点で誤りをおかしてきたのではありませんか

エホバの証人は自分たちが霊感を受けた預言者であるとは言いません。イエス・キリストの使徒たちのように,証人たちも時には間違った期待を抱いたことがあります。―ルカ 19:11。使徒 1:6。」(『論じる』351頁)

確かに、使徒たちの時代、その時代にキリストが再び来るのではないか、という切迫感はありました。ただし使徒たちは、特定の年代にキリストが来る、とは預言しませんでした。

また、既に書いた通り、人間は誰しも失敗を犯すので、それ事態が深刻な問題だとは言い切れません。ただし、失敗した時に、正しく責任をとらなかったり、誠実に悔い改めなかったり、同じ失敗を何度も繰り返したりするのであれば、それは深刻な問題だと言うことになります。少なくとも、使徒たちはそのような失敗は犯しませんでした。

それほど重要な失敗ではありません

「これまでに見解を正す必要があったのは,証人たちが認識し,公に知らせてきた聖書の重要な真理と比べれば,それほど重要ではない事柄でした。その重要な真理の幾つかは次の通りです。エホバは唯一まことの神です。イエス・キリストは三位一体の神格の一部ではなく,神の独り子です。人を罪から請け戻すことはキリストの贖いの犠牲に対する信仰によって初めて可能となります。聖霊は人格的存在ではなく,エホバの活動する力のことで,その実は真の崇拝者たちの生活の中にはっきりと現われなければなりません。人間の魂は,古代の異教徒が唱えたように不滅ではありません。魂は死ぬものです。ですから,将来の命の希望は復活にかかっています。神が悪を許しておられるのは宇宙主権に関する論争のためです。神の王国は人類のための唯一の望みです。わたしたちは1914年以来,地球的な規模の邪悪な事物の体制の終わりの日に生活しています。14万4,000人の忠実なクリスチャンだけが天でキリストと共に王ならびに祭司となり,従順な人類の他の人々は楽園<パラダイス>となる地上でとこしえの命を受けます。」(『論じる』351頁)

ある特定の罪が、エホバの前で重要な問題であるかどうかは、私たち人間が決める問題ではなく、エホバの言葉―聖書が決定する問題です。それで、預言の失敗が、聖書的にはどのような罪に分類されるのかを聖句から確認してみます。

申命記18章:偽預言者に対する警告

「『しかし,話すようにとわたしが命じたのではない言葉をあえてわたしの名において話し,あるいは他の神々の名において話す預言者,その預言者は死ななければならない。21 そして,あなたが心の中で,「エホバが話されたのではない言葉をどのようにして知るのか」と言う場合であるが,22 もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない』(申命記18:20-22)

ここでは明確に、その預言者が死に値すると語られています。モーセの律法下で他に死に値する罪としては、偶像礼拝や、姦淫や殺人などがあります。したがって、預言の失敗をするということは、エホバの前では、偶像礼拝や姦淫と同列に置かれる深刻な問題です。

(なお、この聖句をあえて引用したのは、「偽予言」の罪が深刻であることを明らかにするためであり「エホバの証人の指導者たちが死ぬべきだ」と言いたいわけではありません。私たちは、統治体が「悔い改める」よう、祈り続けるべきです。*[iii]

エホバが実際に偽予言者を自ら裁かれた実例としては、預言者エレミヤの時代の「ハナニヤ」を挙げることができます。

「すると,預言者ハナニヤは預言者エレミヤの首からくびき棒を取って,それを砕いた。11 そして,ハナニヤはすべての民の目の前で言った,「エホバはこのように言われた。『このようにわたしは丸二年の内に,すべての国の民の首からバビロンの王ネブカドネザルのくびきを砕くであろう』」

・・・15 そして,預言者エレミヤは続けて預言者ハナニヤに言った,「ハナニヤよ,どうか,聴いてください! エホバはあなたを遣わされませんでした。それなのに,あなたはこの民を偽りに頼らせたのです。16 それゆえ,エホバはこのように言われました。『見よ,わたしはあなたを地の表から追い払う。あなたは,今年必ず死ぬ。あなたはエホバに対してあからさまな反逆を語ったからである』」。17 こうして,預言者ハナニヤはその年の第七の月に死んだ。(エレミヤ28:10-17)

この時に語られたハナニヤの預言は、エホバの言葉ではありませんでしたので実現しませんでした。その後、エレミヤの宣告通り、ハナニヤはその年に死にました。エホバの裁きが下ったのです。

他の教えに従順であれば律法違反は赦されるのか?

統治体は、三位一体や霊魂不滅といった教理が偽りであることを見出したことに比べれば、予言の失敗はそれほど重要な問題ではないという論理を展開しています。しかし、このような主張の正当性についても、聖書的に検証する必要があります。

例えば、モーセの律法の時代、ある姦淫を犯した人が、「自分は普段から他の律法の全てを従順に守っているのだから、この姦淫の罪は大したことではない」と主張したとすれば、死刑を逃れることはできたのでしょうか?いいえ、それはできませんでした。なぜなら、律法の一つを犯せば、律法全体を破ったとみなされるからです。(ヤコブ2:10)

ですから、仮に三位一体や霊魂不滅の教理が、彼らの言う通り本当に偽りだったとしても、それによって予言の失敗の罪が深刻な問題とはならない、ということはありえないのです。(もっとも、三位一体や霊魂不滅の教理は、実に聖書的な教えです。それについては、別の記事で詳しく解説します。)

以上の点から、預言の失敗は深刻な罪であり、深い悔い改めを要求される問題です。言い訳は通用しないのです。

謝罪をしない

情報を公表することに関係した人々も含まれます

「ものみの塔」誌は,1976年10月15日号の中で,特定の日だけに目を留めるのが賢明でないことに触れ,次のように述べました。「こういう考え方をしていなかったために失望している人がいるなら,そういう人はみな,自分の期待に背いて,あるいは自分を欺いて自分を落胆させたのが神の言葉ではなく,自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り,自分の見方を今調整することに注意を注がねばなりません」。「ものみの塔」誌が「みな」と言っているのは,落胆したエホバの証人全部ということです。したがって,その日を中心とした希望を高める一因となった情報を公表することに関係した人々も,これに含まれます。」(塔80年6月15日、17頁)

協会が、預言の失敗に関して、かろうじて責任を認めている記事がこちらです。しかし、さりげなく触れられているだけで、ちゃんとした謝りの言葉もなく、謝罪とは程遠い書き方です。もしも、スキャンダルを起こした政治家が、テレビでこのような会見を開いても、納得する国民は一人もいないでしょう。

予言の失敗に対する正しい謝罪文の事例

では、「予言の失敗」に対する、聖書的な正しい態度とはどのようなものでしょうか?ものみの塔と同じような予言の失敗の歴史を持つ、ワールドワイド・チャーチ・オブ・ゴッド教団の公式の謝罪文を、ここでご紹介したいと思います。

「・・また同時に、我々は過去を重く受け止めています。誤った教義理解のため、イエス・キリストの単純明快な良い知らせに目を向けず、誤った結論や聖書的ではない方針の数々に至りました。大いに悔み、謝罪すべき点があります。・・預言に対する事柄を強調するあまり、イエス・キリストを通じての真の救いに目を向けませんでした。・・我々の誤りがもたらしたことをごまかそうとは思いません。理解と許しを心からお願いするばかりです。」(『明らかな真理』1980年3-4月号―『良心の危機』296-297頁、より引用)

文章の内容からは、誤った教理によって傷ついた方々へ誠実な態度が見受けられます。このような謝罪こそが、聖書的に正しい態度だと言えるのではないでしょうか?そして、この謝罪文とものみの塔協会の態度と比較するならば、そのあまりに違いに、驚きを隠すことができません。

結論

これまで考察してきた内容をまとめると、以下のようになります。

  1. ものみの塔協会は、これまでに少なくとも6度にわたって、「エホバの名」において、「特定の年代、あるいは特定の年代までに世の終わりが来る」ことを予言しましたが、全て失敗しました。
  2. その内の三つ(1914年、1918年、1925年)は、ものみの塔協会の統治体が、イエスに検分・精錬され任命を受けたと説明する1914年~1919年の前後です。
  3. 予言の失敗に対する統治体の一貫した対応は、「謝罪をしない」「信者に対する責任転換」「非聖書的な言い訳」「虚偽の説明」です。

以上の結論を踏まえると、ものみの塔協会及び、「忠実で思慮深い奴隷」である統治体の実体については、どんなことが言えるでしょうか?最後に、関連する聖句をご紹介し、本記事を閉じたいと思います。

「あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない。その名をいたずらに取り上げる者をエホバは処罰せずにはおかないからである。」(出エジプト20:7)

「あなたは仲間の者に対する証人となるとき偽りの証言をしてはならない。」(出エジプト20:16)

「もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない』(申命記18:22)

「羊の覆いを付けてあなた方のもとに来る偽預言者たちに警戒していなさい。内側では,彼らはむさぼり食うおおかみです。16 あなた方は,その実によって彼らを見分けるでしょう。・・良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです。」(マタイ7:15-16)

脚注

[i] 統治体とは、全世界のエホバの証人を指導する役割を担う複数のリーダーたちのこと。

[ii] Watch Tower Library とは、エホバの証人の信者向けに作成されたソフトです。パソコンにインストールすることによって、ものみの塔協会が過去に出版したあらゆる書籍や冊子などにアクセスすることができる優れものです。残念ながら、比較的最近の日本語版では1970年以降の出版物しか見ることができません。ただし、英語版であれば、1950年以降から見ることができます。

[iii] この問題と関連して気になるのは、偽予言を語ったものみの塔協会の会長たちの亡くなったタイミングです。初代ラッセルは、1914年に予言を外した後、1916年に亡くなりました。二代目の会長ラザフォードは、1918年、1925年、1941年に予言を外した後、1942年に亡くなりました。三代目の会長ノアは、1975年の予言を外した後、1977年に亡くなりました。このように、これら三人の歴代の会長は、全員予言を外してから二年以内に亡くなっています。(ラザフォードの場合は三度目の予言を外した後ですが)これらの事例が、エホバの裁きであったと断定することはできません。しかし、彼らが行った行為は、その可能性を考える上で十分だったとは言えるでしょう。

 


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2件のフィードバック

  1. おかもと より:

    エホバの証人の組織は間違っていても謝罪しないですよね!
    おそらく自分の組織はえらいんだと思っているんでしょうね。

    なので牧師先生とケンカ腰で伝道する。
    自分が通っている牧師先生もエホバの証人の対応が一番大変だとおっしゃっていました。
    この話を聞いた時、自分も牧師先生を迫害していたな・・・と感じます。
    今は本当に悔いを改めています。

    しかしエホバの証人の予言はすべて外れていますね。
    今語られている予言が成就したと書かれているのは、虚偽だと思っていましたが。
    なので自分は聖書に書かれている予言も結局は細工をしていると思ってしまいます。
    本当に聖書を悪用している組織だったんですね・・・

    • Webmaster-GJW より:

      喧嘩腰で伝道をするJWもいるのですね。それは大変悲しいことです。

      数々の預言の失敗、
      それに対する対応の数々は、聖書的にも社会的にも深刻なレベルですね。
      聖書の預言は完全なものであり、誤りはありません。
      誤っているのは、常に組織の方だいうことを痛感させられるテーマだと思います。

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