バプテスマの聖書的な意味を明らかにする方法ーエホバの証人への伝道サンプル

バプテスマの聖書的な意味を明らかにする方法ーエホバの証人への伝道サンプル

エホバの証人は、現代のエホバの民が、天的な希望を持つ144000人と、地上の楽園の希望を持つ大群衆のグループに分かれると信じており、今日のエホバの証人のほとんどが、この大群衆のグループに属すると考えています。そして、大群衆は、新しい契約の当事者ではないために、イエスを信じてもすぐに神の子供とはならず、天へ行くことも無いと信じられています。

さて、新約聖書を確認していくと、イエスの名によるバプテスマには、「キリストと共に葬られ、共によみがえることにより、キリストと一体化し、神の子供となる」という意味があることが明白にわかります。

しかし、全てのエホバの証人は、イエスの名によるバプテスマを受けていながら、自分たちは神の子供とはなっていない、と主張します。そこで、いくつかの聖句から、聖書的なバプテスマの意味を明らかにしつつ、次の二つの点に気づいてもらうことが、今回の伝道サンプルの狙いです。

(1)バプテスマと、神の子供の特権が、決して切り離せない関係にあること
(2)エホバの証人が行うバプテスマが聖書的では無いこと

なお、実際にこの伝道サンプルを用いる場合は、事前の準備として、当サイトの記事「エホバの証人のバプテスマは聖書的ですか?」を読んでおくことをお勧めします。

伝道サンプル

【CH】こんにちは、いつも頑張ってらっしゃいますね。

【JW】えぇ、ありがとうございます。聖書にご関心はおありですか?

【CH】はい、実は、私は教会に通っているクリスチャンなんですけど、ちょうどこの間、皆さんのウェブサイトの記事を読んでいたところなんです。

【JW】そうだったんですか、お読みくださってありがとうございます。読んでみて、いかがでしたか?

【CH】よくインターネットで、聖書について調べるんですけど、皆さんのサイトはよく上の方に表示されて目立ってますよね。それで、以前から、何度か読んだことはあったんです。とても、きれいに情報がまとめられているサイトですよね、完成度が高いので関心しました。

【JW】よくご覧になってらっしゃるんですね、そう言っていただけて嬉しいです。

【CH】この間は、ちょうどバプテスマに関する記事を読んだんですけども、バプテスマの意味について確認したい事があったんです。今少しよろしいですか?

【JW】えぇ、もちろんです。

【CH】キリスト教では、イエスを信じた時点で、誰でも救われて、神の子供となって、天へ行く希望が与えられると理解されていますが、皆さんの場合は、それが144000人だけに適用されるんですよね?

【JW】はい、よくご存知でらっしゃいますね。その通りです。

【CH】現代のエホバの証人のほとんどの方は、144000人以外のグループだと、どこかの記事に書いてあったと思いますが、お間違いはありませんか?

【JW】はい、そうなんです。なので、私たちの多くは、144000人以外の「大群衆」というグループに属しているので、天ではなく、地上の楽園で永遠に生きる希望を持っているんです。

【CH】皆さんも、私たちと同じように、「イエスの名によるバプテスマ」を行っていると思うのですが、バプテスマにどんな意味があると思いますか?

【JW】えぇ、そうですね。バプテスマは、エホバへの献身を意味するもので、古い生き方において死に、新しい生き方をしていくという決意を表すものだと思います*[1]

【CH】確かに、神に従って歩んでいく、という決意は、バプテスマにおいてとても大切ですね。ペテロも、バプテスマは神に対する誓約だと述べていますから。ただ、聖書は、バプテスマの意味について、他にも重要な事を明らかにしているんです。ガラテア3章*[2]を開いてみてもらえますか?*[3] 26節以降のところです。

【JW】はい、、開きました。

「現にあなた方は皆,キリスト・イエスに対する信仰によって神の子なのです。27 キリストへのバプテスマを受けたあなた方は皆キリストを身に着けたからです。28 ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の[人]となっているからです。」(ガラテア3:26~28)

【CH】ありがとうございます。ここでパウロは、「あなた方はキリストへの信仰によって神の子供だ」と述べていますが、その理由として、「キリストへのバプテスマを受けた・・からです」と言っていますね?

【JW】えぇ、そうですね。。

【CH】ということは、聖書によれば、私たちは信仰によって「キリストへのバプテスマ」を受けることにより、神の子供となっている、ということになりますね。また、28節では、「キリスト・イエスと結ばれて一人の人となっている」とあるので、バプテスマを受けることによって、私たちはキリストと一体となる、ということにもなりますね。

【JW】・・(考え込んでいる)・・

【CH】実はこれが、バプテスマの意味について、聖書が一貫して明らかにしていることなんです。ローマ6章も開いてみてもらっていいでしょうか?3~5節です。

【JW】えぇ、少々お待ち下さい。

「それともあなた方は知らないのですか。キリスト・イエスへのバプテスマを受けたわたしたちすべては,その死へのバプテスマを受けたのです。4 ですから,彼の死へのバプテスマ[を受けたこと]によって,わたしたちは彼と共に葬られたのです。それは,キリストが父の栄光によって死人の中からよみがえらされたのと同じように,わたしたちも命の新たな状態の中を歩むためです。5 彼の死と似た様になって彼と結ばれたのであれば,わたしたちは必ず,彼の復活と[似た様になって]やはり[彼と結ばれる]のです。」(ローマ6:3~5)

【CH】この聖句は、キリストへのバプテスマにどんな意味があるのかを、とても丁寧に説明している箇所だと思います。5節にある通り、バプテスマによって、私たちはキリストの死と似た様になって彼と結ばれ、キリストの復活とも似た様となって彼と結ばれる、という事がわかります。つまり、バプテスマは、キリストと共に葬られ、共によみがえることにより、キリストと一体化する事を意味する、ということになりますね。

【JW】えぇ、そこは、今までちゃんと調べた事がなかった点でしたが、よく勉強されているんですね。

【CH】バプテスマの意味は、とても重要なテーマなので、調べたことがあったんです。ガラテア3章の聖句とも合わせて考えると、バプテスマによってキリストと一体化し、神の子供となる、というのが、聖書が一貫して教えていることだとわかります。ですから、もしも皆さんが、聖書的なバプテスマを受けたのなら、もう神の子供となっているはずではないでしょうか?

【JW】、、私たちも、バプテスマを受けた人が、最終的には神の子供となる、と信じていますよ。

【CH】んん、、さきほど読んだガラテア3章では、パウロは、バプテスマを受けた信者にたいして、既に神の子供となっている、と断言していますね。ですから、聖書は、バプテスマを受ける人が、「将来」ではなく、「その時点で」神の子供となる、と教えていないでしょうか?

【JW】えぇ、では、この点は、今は即答できませんが、今度ゆっくり調べてみたいと思います。

【CH】ぜひ、そうなさってくださいね。最後に、エペソ4章を確認してみてもらっていいですか?

【JW】はい、

「主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つです。」(エフェソス4:5)

【CH】この聖書が述べている通り、バプテスマの意味は一つです。神は、私たちが、同じ主イエスへのバプテスマによって、同じ一つの体となることを願っています。そして、聖書によれば、そのバプテスマとは、神の子供としての地位と、キリストとの一体化をもたらすものです。

しかし、もしも皆さんが行っているバプテスマが、それらの祝福をもたらさないのであれば、それは聖書が教えるバプテスマでは無いですし、私たちは同じ一つの体となることができないことになります。でも、それはとても残念ですよね。

ですから、ぜひ、正しいバプテスマの意味を確認した上で、同じ聖書的なバプテスマを受けることを真剣に考えてみてくださいね。そうでないと、皆さんに対するキリストの死が無駄になってしまいますから*[4]

【JW】色々と、教えていただいてありがとうございます。

【CH】申し遅れましたが、私は〇〇と申しまして、こちらが私の名刺になります。よろしければ、またお調べになった後に、お話する機会があれば嬉しく思います。ぜひ、いつでもご連絡ください。

【JW】お名刺ありがとうございます。私は、〇〇と申します。まずは、調べてみたいと思います。

脚注・補足事項

以下に、上記サンプルの会話の内容に関する補足事項を取り上げています。伝道の際の参考にしていただければ幸いです。

[1] 一般的なエホバの証人の模範解答としては、このような感じになります。

[2] 実際の聖書箇所は、26~28節ですが、「3:26~28」とピンポイントで語ると、「事前に準備している感」が出て、警戒する人もいるかもしれないので、私の場合は、あえて該当の章だけ開いてもらって、その後、相手のエホバの証人のiPadを確認しながら、該当箇所を指で示したりします。

[3] ここで引用しているのは、1985年版の新世界訳聖書ですが、最近の多くのエホバの証人は、2019年の改訂版を用いています。そして、改訂版の場合は、27節のところが、「キリストへのバプテスマ*を受けた皆さんは,キリストを身に着けました。」となっており、「身につけたからです」から「身につけました」へと変えられています。

原文の表現では、「身につけたからです」が正しい訳出なのですが、ものみの塔は「身につけました」と変えて、前の節との関連性を消去することにより、バプテスマと神の子供の特権が結びつかないようにしているのです。

対処方法としては、ややこしい議論を避けるのであれば、初めからガラテア3章については自分のスマホなどを用いて新改訳や新共同訳を開くのが良いでしょう。いづれにしても、話の流れ次第で、「聖書の意味を変えている」という点を指摘するのは良い方法です。

[4] イエスが死なれたのは、彼を信じる全ての人が、同じキリストへの信仰と、その信仰に基づく同じバプテスマによって、彼と一つの体となることです。なお、プロテスタント諸教派で、バプテスマそのものにキリストとの一体化をもたらす効果があるかどうか議論がありますが、このようなエホバの証人とのやり取りにおいては、字義通りの解釈にしたがって話を進めるのが良いでしょう。

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