輸血拒否は聖書の教えですか?③ 医学的な視点における矛盾
前回までの記事では、輸血拒否の教えの問題点を聖書から明らかにしてきましたが、今回は医学的な視点で、この教えの問題点をお話ししたいと思います。
エホバの証人は白い血液(母乳・牛乳)を食べている
成分輸血について
今日の医療においては、通常の輸血だけでなく、患者に必要な要素だけを投与する「成分輸血」も盛んに行われます。成分輸血(せいぶんゆけつ)とは、献血された血液を「赤血球」「血小板」「血漿」などの主要成分に分離し、患者が不足している成分だけを補う治療法です。
この治療方法には、心臓への負担軽減や副作用の抑制、血液の有効利用(1人の献血で複数人を救う)等の様々なメリットがありますが、エホバの証人の場合は、全血のみならず、血液の主要成分の摂取も禁止されているため、成分輸血は行いません。しかし、実はこの基準は、乳製品を食べることとの矛盾を生じさせています。
母乳・牛乳の正体
実は、人間の幼児が飲む母乳や牛乳は、母親の乳房の中の毛細血管に取り込まれた血液から作られており、血液の主要成分の多くが含まれているため、別名「白い血液」とも呼ばれているのです。
「母乳が作られる乳房は脂肪と乳腺組織からできています。乳腺組織の一番奥にあるのが乳腺房でここが母乳を作る大本です。この乳腺房のまわりにはたくさんの血管が張り巡らされていて、その中を流れる母親の血液を材料にして母乳が作られます。この時血液中の赤血球は取り除かれます。母乳には炭水化物、タンパク質、脂質などの3大栄養素はもちろん赤ちゃんの成長に必要な多くの成分が含まれています。」(「ダイヤモンドナース通信)秋田大学医学部附属病院 専門・認定看護師会」
統治体は、血液から取られたものだからということで、全血だけでなくその主要成分も拒否するよう指導していますが、同じく血液から作られた母乳や牛乳には、赤血球以外の全ての主要成分がしっかりと含まれているのです。
当然のことながら母乳を飲むことは神の意図した設計であり、統治体もそれを認めています。ならば、母乳や牛乳を飲むのと全く同じように、血液の主要成分を用いた成分輸血などの医療行為も受けることができるはずです。

母乳は白い血液と呼ばれており、赤血球以外のほとんどの成分が含まれている。
統治体が分画の摂取を認める理由とは?
ものみの塔は、「血液の主要成分」と定めていない「血漿たんぱく」(分画)を摂取することについては、個々のクリスチャンの良心の問題だとしていますが、その理由として次のような点を挙げています。
「ものみの塔」誌,1990年6月1日号の「読者からの質問」は,血漿たんぱく(分画)が妊婦の血流から,独立した胎児の循環系へ移動することに注目しました。母親はそのようにして免疫グロブリンを自分の子に渡し,貴重な免疫を与えるのです。・・・それで,クリスチャンの中には,血液分画はこうした自然の営みの中で別の人間へ移動するのだから,血漿や血液細胞に由来する血液分画は受け入れることができる,と結論する人もいることでしょう。」―『ものみの塔』2004年6月15日号、30~31頁。
この説明によれば、「血液分画は自然の営みの中で別の人間へ移動する」ということが、分画を許可する理由となっていることがわかりますが、これと全く同様のことが牛乳や母乳にも当てはまります。赤ちゃんが自然の営みの中で血液の主要成分を母乳から食べるのですから、成分輸血等により主要成分を許可することもできるはずです。
一卵性双生児による血液の交換
最後に、補足として「一卵性双生児による血液の交換」について考えてみたいと思います。母親が双子を授かる時、その双子が一卵性双生児の場合は、両方の胎児の血管が一つの胎盤で繋がることがあり、その場合は互いの血液が行き来することになります。
一絨毛膜二羊膜双胎 [MD 双胎]
→二人はひとつの胎盤を共有し、お互いの血管は吻合しています。血液は胎盤を通じて二人の間を行ったり来たりします。ただし、二人の間には膜があり、それぞれは独立した部屋で暮らしています。」(「双胎妊娠の方へ」大阪母子医療センター)
つまり、輸血と同様の「他者の血液を取り入れる行為」が、自然の営みの中で行われているのです。もっとも、この場合は一卵性双生児の場合という限定的な状況ですが、「血液分画が自然の営みの中で別の人間へ移動する」ことを理由に分画を許可するのであれば、「双子の胎児の血液が、自然の営みの中で行き来することがある」ことを理由に、輸血についても「良心の自由」とすることができるのではないでしょうか?

出典:大阪母子医療センター






