真のクリスチャンは十字架をキリスト教の象徴として用いるべきですか?


真のクリスチャンは十字架をキリスト教の象徴として用いるべきですか?

「十字架といえばキリスト教」、「キリスト教といえば十字架」と言えるほど、十字架はキリスト教の象徴として、歴史的に用いられてきました。しかし、二十世紀のはじめ、キリスト教系のある団体が、この十字架のシンボルに異を唱えだしました。それは今日「エホバの証人」として知られるグループです。

それからというもの、ものみの塔は十字架を否定すべき様々な理由を挙げて、キリスト教を批判してきましたが、それがキリスト教を「偽りの宗教」とする根拠の一つとなっているわけですから、この問題を決して軽く見ることはできません。

また、ものみの塔を脱会する信者の中には、長年「十字架否定」の教えを植え付けられてきたために、十字架が掲げられた教会へ行くことに抵抗を感じたり、教会で十字架を見るだけで「震え上がる」と言ったケースも報告されているようです。

したがって「十字架のシンボルをどう見るか」という問題は、エホバの証人問題に関わる全ての人にとって、避けて通ることのできないテーマだと言えるでしょう。

本記事では、十字架否定に関するエホバの証人の主張を一つ一つ取り上げながら、「真のクリスチャンは十字架を用いるべきか」という問題の真相に迫っていきたいと思います。

ものみの塔は十字架を否定する

エホバの証人の十字架否定の歴史

エホバの証人は、最初から十字架の使用を否定していたわけではありません。むしろ、1928年に調整が加えられるまでは、十字架と冠のシンボルが『ものみの塔誌』に掲げられ、それが愛着を持って受け入れられていたほどです。

ところが、ラザフォードが二代目の会長になって以降、組織はキリスト教との境界線をさらに広げていき、1928年の大会で十字架の使用が好ましくないものであることが示されてからは、それを「異教のシンボル」と見做し、避けるようになっていったのです。

最新の出版物『神の王国は支配している』では、その経緯が以下のように説明されています。少々長いですが、協会の方向性や、個々のエホバの証人の信者の見方をよく反映している文章なので、全文を引用させていただきます。

聖書研究者は長年,十字架をキリスト教のシンボルとして用いてよいと考えていました。もっとも,十字架を崇拝すべきでないという認識はありました。偶像礼拝が間違っていることを理解していたからです。(コリ一 10:14。ヨハ一 5:21)「ものみの塔」誌は早くも1883年に,「偶像礼拝はすべて,神にとって忌まわしいものである」と率直に述べています。それでも,聖書研究者は当初,十字架をふさわしく用いることには問題がない,という見方をしていました。例えば,自分たちの立場を示すものとして,十字架と冠をあしらったピンバッジを誇らしげに身に着けていました。そのバッジには,死に至るまで忠実であるなら命の冠を受ける,という意味があったのです。また,1891年以降,十字架と冠の図柄が「ものみの塔」誌の表紙に掲載されるようになりました。

13 聖書研究者は十字架と冠の表象に愛着を抱いていました。しかし,1920年代の後半以降,キリストの追随者たちは十字架の使用について漸進的な啓発を与えられました。後に統治体の成員として奉仕したグラント・スーター兄弟は,1928年に米国ミシガン州デトロイトで開かれた大会を思い出し,こう語りました。「その大会で,十字架と冠の表象は不必要なばかりか好ましくないことが示されました」。続く数年間に,さらに多くの啓発が与えられました。霊的に清い崇拝に十字架が全く似つかわしくないことは明らかでした。

14 神の民は,十字架に関する漸進的な啓発にどのように反応しましたか。愛着のあった十字架と冠の表象を使い続けましたか。長年エホバに仕えてきたリーラ・ロバーツ姉妹は,「それが何を表わしているかが分かった時,使うのをすぐにやめました」と述べています。別の忠実な姉妹ウルスラ・セレンコは,多くの人の気持ちをこう表現しています。「以前はそれを,主の死とわたしたちクリスチャンの専心の思いの象徴として大切にしていました。でも,実際にはそれが異教のシンボルであることを理解しました。箴言 4章18節にあるとおり,道筋がもっと明るく照らされるようになったことに感謝しました」。キリストの忠節な追随者たちは,偽りの宗教の汚れた慣行に一切かかわりたくないと思っていたのです。」(104頁)

ものみの塔誌 1907年10月

ものみの塔誌 1907年10月号。
左上に十字架と冠のシンボルが掲げられていた。

十字架を否定する理由

現在、ものみの塔協会は、「真のクリスチャンは十字架を用いるべきではない」という教えを正当化するために、次のような理由を挙げています。

  1. イエスがはりつけられたのは「十字架」ではなく「一本の杭」である
  2. 十字架の象徴の起源は異教的なものである。
  3. 十字架のシンボルは四世紀に異教徒を取り込むために導入された。
    *1世紀~3世紀のクリスチャンが十字架を用いた証拠はない。
  4. それゆえ、十字架を崇拝で用いることは偶像礼拝に加担することになる。
  5. キリストが処刑された道具を象徴として用いることはふさわしくない。

この内、(1)の「十字架か杭か」というテーマについては、詳しく論じた記事を別途用意しており、イエスが掛けられたのが、確かに「十字架」であったことを説明しています。ですので、本記事では、その形状が「十字架であった」という前提を踏まえ、ものみの塔のその他の主張に対して、論じていきたいと思います。

※なお、ものみの塔が十字架を否定するようになった本当の理由は、(ラザフォードがそれを意図したかどうかに関わらず)キリスト教との境界線を明確にするためであったと考えられます。ものみの塔に限らず、多くのカルト教団は、自分たちのグループの絶対性・優位性を主張するために、周囲のグループとの差別化を行うものです。神の霊に導かれる唯一の組織を自称し、他の全ての教会を「偽りの宗教」とするためには、教会の様々な伝統を否定していく必要があったと考えられるのです。

初期のクリスチャンたちは十字架をどう解釈したか

十字架に関するものみの塔の色々な主張の鍵は、そのシンボルに対する「捉え方・解釈」にあります。そして、その解釈が聖書的に正しいものであることを確証するためには、初期のクリスチャンも十字架に対して同じような見方を持っていたかどうかを確認する必要があります。

ものみの塔は、「十字架の象徴は、四世紀以降に異教徒を取り込むために導入されたものであり、それ以前のクリスチャンたちがそれを用いた証拠はない」と主張していますので、それよりも前の時代~とりわけ紀元1~2世紀の初期のクリスチャンたちが、十字架をどのように解釈していたのかは、この問題を考える上で、大切な鍵となるでしょう。

二百年祭の家

西暦79年に廃墟と化したポンペイの町の遺跡からは、当時のクリスチャンが、十字架のシンボルを崇拝で用いていたことを示す証拠が発掘されています。その遺跡のある家の礼拝場所から、金属の十字架の跡が発見されたのです。この発見について、著名な考古学者ポール・マイヤーは、次のように述べています*[1]

ベスビウス山の火山による埋葬から逃れたリゾートの町に建てられた一つの家は、はっきりとした金属の十字架の跡を示している。それは、二階の黒焦げになった祈祷台の奥の壁に刻印されている。十字架は、魚と同じように古くからのキリスト教のシンボルだったのだ。・・・

二階には、『200年祭の家』と呼ばれた初期のクリスチャンの礼拝堂があった。白く漆喰が塗られたパネルは、大きな十字架の痕跡を示している。それはすでに取りのけられているが、印を押された寄贈財産として使われたのだろう。

※最近のものだと、The time of Israel に同発見についての記事が掲載されています。

ポンペイ遺跡から発掘された二百年祭の家の十字架

ポンペイ遺跡から発掘された二百年祭の家の十字架

十二使徒の一人「アンデレ」

十二使徒の一人・アンデレについては、次のような有名な伝承が残っています。

アンドレは、X型の十字架につけられ、ギリシャで殉教の死を遂げました。彼は、7人の兵士にひどくむち打たれたあと、苦しみを長引かせるために、ひもで体を十字架にくくりつけられました。十字架に引かれて行くとき、彼は次のようなことばをもって十字架にあいさつしたと、彼の弟子たちは報告しています。

「私は、この至福の時を長いこと待ち望んできた。十字架は、キリストのからだがかけられたので、神聖なものとなったのだ。」

アンドレは、2日後に息を引き取るまでの間、十字架上で彼を苦しめた人々に説教し続けたと言われています。彼にとって、十字架はもはや苦しみの刑具ではなく、「神聖なもの」となっていたのです。

バルナバの手紙

バルナバの手紙は、使徒教父に含まれる一文書です。紀元70年~140年までの間に,異邦人キリスト者の一人によって記されたものであり、そこにはアブラハムが行った割礼が、イエスの十字架を予見していたことを示すために、次のような記述があります。

最初に割礼を施したアブラハムは、霊においてイエスを予見し、三文字の教義を受けて、割礼を施したのである。というのは、アブラハムは自分の家に属する十八人および三百人の男に割礼を施した(創世記17:22、27、および14:4)とあるからである。彼に与えられた知識とは、それでは何であったか。彼がまず十八人と述べ、それから間をおいて三百人と言っている点に注目しなさい。十八(を構成しているのは)は、(数価が)十であるI(イオーター)と、(数価が)八であるH(エーター)である。それは(それゆえ)イエスースとなる。またT(タウ)(数値は300)で(表される)十字架が恵みを意味しているので、および三百人、とあるのである。それはそれゆえ、二文字でイエスを、また一文字で十字架をあらわされる。」―荒井献(編)『使徒教父文書』バルナバの手紙、60-61頁

このように、バルナバの手紙の著者は、イエスが掛けられた十字架は、「300」とう数価によって表される「T」の文字で予見されていたと考えました。(当然、それはイエスが掛けられたのが一本の杭ではなく、横木が加えられた十字架であったことを前提とする解釈であると言えます。)さらにその十字架の形は、神の恵みを表すものと考えていたのです。

加えて同書では、かつてイスラエルがアマレク人と戦った時に、両手を挙げていたモーセの姿が、キリストの十字架を予見したものであったことを、次のように記しています。

「つまり霊はモーセに向かって、彼が十字架と、やがて苦しみを受けようとしておられる方との予型となるようにと言い、もし彼らが彼に望みを置かないのなら、永遠に攻撃を受けるであろうと語られた。そこでモーセは戦いの最中に武器を一つ一つ積み上げ、(その上に)誰よりも高く立って、両手を伸ばし(て上にあげ)た。・・・それは、彼に望みを置かないならば、救われることはありえないということを、彼らが知るためである。」―荒井献(編)『使徒教父文書』バルナバの手紙、66-67頁

したがって、バルナバの手紙の著者は、キリストが掛けられた十字架の形に対し、それを神学的な意味のあるものとして、積極的な捉え方をしていたことがわかります。

ユスチヌス

ユスチヌスは、使徒たちの時代とも近い二世紀前半に活躍した著名な教父ですが、彼はその著作『第一弁明』の中で、イエスが磔にされたのが「十字架」であったと述べるだけでなく、その十字架が「キリストの力と支配を示す最大のシンボル」であると語っています。

しかし、いわゆるゼウスの子らの誰を例にとろうと、十字架刑に処せられるという点は、悪霊共も決して模倣いたしませんでした。なぜならそれは、彼らには理解できなかったからです。と言うのも十字架に関するすべての言葉は、既に明らかにしましたように、シンボルによって語られているからです。

かの預言者が予告しましたように、これこそは彼の力と支配を示す最大のシンボルであり、そのことはわれわれの眼で知覚する所からも示すことができます。」―『ユスチヌス』教文館、1992年、73頁。

また、別の著作『トリフォンとの対話』の中では、旧約時代において犠牲として焼かれた羊の形が、キリストの十字架の形を表していたと解釈しています。

「完全に焼くように命じられた羊はキリストが経験された十字架の苦しみのシンボルである。焼かれた羊は、十字架の形のように焼かれ、並べられた。というのは、一本の串は下の方から頭に向かって刺し通されている。羊の足が付けられているものは、背中を横切っている。」―“Dialogue with Trypho” ,Ante-Nicene Fathers, vol.1, p.215

また、同書の244頁では、さきほどバルナバの手紙でご紹介したのと同じように、アマレク人を倒す時のモーセの姿を、キリストの十字架の姿を予見したものであるとも説明しています。

さらに、モーセの姿と十字架のキリストを対応させる解釈は、二世紀半ばに記されてと言われる『シビュラの託宣』*[2]にも見られ、初期の教会で広く浸透していた教えだと考えられます。

ペテロ行伝(AD180-190)

紀元180~190年に記された「ペテロ行伝」の38章では、十字架の形の神学的な意味について、次のような説明をしています。

「そこでわたしの愛する人々よ、今聞いている人もまた将来聞くであろう人たちも、あなたたちは最初の過ちを振り切って帰って来なければなりません。なぜならキリストの十字架にのぼることは適切なことなのです。このかたは唯一無比の広げられたことばであり、このかたについて霊は(次のように)語っています。『キリストはことば、神の響き(エコー)でなくて何だろうか』と。ことばとは私がかけられているこの真っ直ぐな木であり、響きというのは横木・・・すなわち人間的性質のことなのです。そして中央あたりで横木を垂直の木に固定している釘というのは人間の回心であり、悔い改めです。」―『新約聖書外典』講談社、1974年、167頁。

ここでは、真っ直ぐな木は「キリストのことば」、横木は「人間的な性質」、二つの木を真ん中で固定している釘が「人間の回心」を表している、と説明されています。つまり、十字架の形状には、重要な神学的な意味が込められていた、考えられていたのです。

要点の整理

このように、使徒アンデレから始まり、2世紀までの教父や著名な文献を確認すると、十字架のシンボルに対する捉え方について、次のような点が浮かび上がってくることがわかります。

  1. 紀元一世紀には、崇拝で十字架を用いていたクリスチャンたちがいた。
  2. キリストの十字架は、遅くとも紀元一世紀後半~から、キリストの勝利を表すもの、神聖なもの、として捉えられていた。
  3. 紀元二世紀~の初期のクリスチャンたちは、キリストの十字架の形に、聖書的・神学的な意味を見出しており、旧約聖書の様々な出来事が、その形を予見していた、と解釈していた。またそれゆえに、十字架を、キリストの力と支配を表すシンボルだとも考えていた。

このように確認していくと、初期のクリスチャンたちの十字架に対する積極的な見方は、現代のエホバの証人と大きく異なっていることが明らかになります。それを踏まえて、十字架に関するものみの塔の主張に、返答をしていきたいと思います。

※なお、上記で取り上げた十字架の神学的な意味に関する種々の注解が、聖書的に正しいものかどうかについては、また別のテーマとして熟慮すべき問題だと思います。当記事の論点はあくまで、「初期のクリスチャンが十字架に対してどのような見方をしていたか」という点にあるからです。

十字架の起源は異教なのか?

協会の不自然な資料の引用

ものみの塔は、「十字架の起源は異教である」と一貫して説明します。1989年に発行された『論じる』では、そのことを示すために、次のような形で、ブリタニカ百科事典を引用しています。

「キリスト紀元よりはるか以前のものとされる,様々なデザインの十字架を描いた物品が,古代世界のほとんどあらゆる場所で発見されてきた。インド,シリア,ペルシャ,エジプトからは,いずれもおびただしい数のそうした物品が出土している。……キリスト教時代以前に,非キリスト教徒の間で十字架が宗教的象徴として使用されたが,それはほとんど全世界的なものであったと考えてよいであろう。そして,非常に多くの場合,それは何らかの自然崇拝と結び付いていた」― ブリタニカ百科事典(1946年版),第6巻,753ページ,英文。

さて、1989年の出版物において、その40年以上も前の1946年版のブリタニカ百科事典を引用するのは、かなり不自然です。百科事典のような資料は、内容の正確性を上げるために、その都度更新されていくものであり、引用する際に比較的新しいものを用いるのは、学問の世界において常識だからです。1946年版を用いた理由は、十字架の起源が異教であることを示す上で、わかりすい表現を用いていたことが関係しているのでしょう。

その証拠に、『論じる』が出版される一年前の1988年版のブリタニカ百科事典では、十字架について、次のような説明に更新されているからです。

「十字架は、キリスト教以前よりはるか以前から、宗教的な、あるいはその他のシンボルとして使われてきた。しかし、それらが、何であるかを表す単なるしるし(マーク)なのか、それとも、所有物なのか、あるいは、信仰や礼拝と関わる重要な意味があったのかは、いつでも明らかであるわけではない。」―『ブリタニカ』1988年版、753頁。

このように、更新された定義においては、十字架のシンボルと異教との結びつきは、「いつでも明らかであるわけではない」とされているのです。

比較的新しい、2012年版のブリタニカ百科事典においては、十字架について、次のように説明されています。

古代世界のあらゆる文化層において,装飾形態あるいは象徴形態などなんらかの印としてしばしば表わされている。なかでもエジプト美術においてはアモン神レーが上部に輪のついた十字架アンクを持つ図で表現されており,その十字架は永遠の生命を象徴するものであり,のちのキリスト教の十字架が意味するものと最も近い例である。・・・十字は,古代の各地域で太陽,火,生命の象徴として用いられていた」―『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2012』十字架。

以上の説明を踏まえると、十字架のシンボルが、キリスト教以前から古今東西用いられてきたこと、その中には自然崇拝などの異教のシンボルとして用いられてきたことがあるのは事実です。ただし、十字架の形は普遍的に見出されるものであり、それが常に異教との結びつきにおいて用いられてきたわけではない、ということも事実として理解しておく必要があるのです。

十字架の普遍性

ものみの塔は、異教的な要素が少しでもあるものに対しては、シビアに退けるよう指導するのが常ですが、ある形式や教えが異教世界において広く見られるからといって、必ずしもクリスチャンがそれを拒否しなければならない、ということはありません。

一例として、協会は霊魂不滅の教えについて、それが「古今東西の宗教で広く見られるから、それは異教であり避けなければならない」と教えますが、霊魂不滅の教え普遍的に見出されるものであり、聖書の中にも一貫して見出されるものです*[3]

ですから、十字架の形についても、それが古今東西「異教」に限定されるものではなく、あらゆる文化的背景で普遍的に見られるものであるならば、「異教の要素」と一括りにするのではなく、そこに宗教や文化を越えた普遍性があることにも注目しなければなりません。

例を上げれば、先にも取り上げた教父の一人ユスチヌスは、『第一弁明』の中で、十字架の普遍性について、次のように説明しているのです。

「かの預言者が予告しましたように、これこそは彼の力と支配を示す最大のシンボルであり、そのことはわれわれの眼で知覚する所からも示すことができます。世界にあるすべてのものを考察していただきたいと存じます。一体万物は、十字の形なしに秩序と連関を保ちうるものでありましょうか。」

「あなたがたローマ人の間で用いられているシンボルも、この形状の力を示しています。つまり申し上げているのは、軍旗と勝標(トロパイオン)の形のことなのです。これによって至る所あなた方の進軍があり、そこに力と支配の印を示しているのです。たとえあなた方がそれと気づかなくても、なさっているのは実はこのことなのです。」―『ユスチヌス』教文館、1992年、73頁。

十字架は異教徒への妥協として導入されたのか

エホバの証人の主張

ものみの塔は、十字架の使用を否定するために、「十字架のシンボルは異教徒にとって受け入れやすくするために、紀元四世紀にキリスト教に導入された」としきりに主張します。その一例を、『聖書は実際に何を教えていますか』より、以下に引用します。

キリストの死後300年間について言えば,クリスチャンであると称する人たちが十字架を崇拝に用いたという証拠はありません。ところが4世紀になって,異教を奉じていた皇帝コンスタンティヌスが,背教したキリスト教に改宗し,その象徴として十字架を奨励しました。この皇帝がどんな動機を抱いていたにせよ,十字架はイエス・キリストとは何の関係もありませんでした。それどころか十字架は異教から出ています。・・・ではなぜ,この異教の象徴が奨励されたのでしょうか。その目的は,“キリスト教”を異教徒にとって受け入れやすいものとすることにあったようです。」―『聖書は実際に何を教えていますか』205頁。

ここに見られる協会の主張は、(1)初期のクリスチャン(キリストの死後300年間)が十字架を崇拝に用いた証拠はない、(2)皇帝の動機に関わらず、十字架はキリストと何の関係も無かった、(3)それゆえ、十字架の導入は異教徒のためであった、という三つの点に分類されます。以下に、それら一つ一つに対して、返答をしていきたいと思います。

初期のクリスチャンは十字架を用いたのか

初期のクリスチャンが、十字架を崇拝に用いた証拠は見つかっています。本記事でも取り上げた「二百年祭の家の十字架」や、もう幾つかの発見については、「十字架と杭」の記事で紹介しています。

加えて、ものみの塔がよく引用するブリタニカ百科事典の2012年版の解説によれば、初期のクリスチャンが、「T型」の十字シンボルを墓に記していたことや、十字の印を切ることが典礼的に行われたことも説明されています。

「東方においては古来,木で組まれた十字架は磔刑の道具であり,キリスト教ではキリストの磔刑を記念し,キリスト自身の印であると同時に信徒の信仰の印でもある。図像としては,(1) ギリシア形 (+) ,(2) ラテン形 () ,3) T字形,(4) アンデレ形 (×) の4種が基本形で,17~18に及ぶ変形がある。十字は,古代の各地域で太陽,火,生命の象徴として用いられていたが,初期キリスト教では墓標などに (3がおもに描かれた。4世紀以前は迫害を恐れて暗示的代替物 (いかり,おの,卍など) が用いられ,画像忌避から十字の印を切ることが典礼的に行われた。」―『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2012』十字架。

したがって、「キリストの死後300年間について言えば,クリスチャンであると称する人たちが十字架を崇拝に用いたという証拠はありません」というものみの塔の主張は、読者を欺いているか、よほど研究不足なのかの、どちらかです。

十字架はキリストと何の関係も無かったのか

ものみの塔は、十字架がキリストと何の関係も無かった、と主張しますが、これは大きな誤りです。第一に、キリストが掛けられたのは、協会が主張する「杭」ではなく、明らかに「十字架」でした。したがって、十字架はキリストと関係がありました。

また、本記事で既に取り上げたように、十二使徒のアンデレや、ユスチヌスを始めとする初期の教父たちも証言からも、十字架が「神聖なもの」「キリストの力と支配を表す最大のシンボル」として解釈され、「アマレクを倒す時のモーセ」や「焼かれた羊の形」によって予見されていた、とも説明されているのです。

協会は、こうした歴史的事実を完全に無視しているのです。

十字架の導入は異教徒のためだったのか

ブリタニカ百科事典の説明

「初期のクリスチャンが十字架を用いた証拠はない」「十字架はキリストと関係がない」という主張が、歴史的証拠を度外視した誤りであるのと同じように、「十字架は異教徒のためだった」という主張も全くの誤りです。これについて、ブリタニカ百科事典は、次のように説明しています。

「4世紀以前は迫害を恐れて暗示的代替物 (いかり,おの,卍など) が用いられ,画像忌避から十字の印を切ることが典礼的に行われた。4世紀,コンスタンチヌス大帝の十字架幻視キリスト教公認十字架磔刑廃止などを契機に,十字架は悪魔と死に対するキリストの勝利信仰のシンボルとして旗,武具,紋章,葬祭具の装飾などに流行,教会建築にも十字架形が現れてきた。」―『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2012』十字架。

このようにブリタニカ百科事典は、十字架が導入された歴史的背景について、大帝の十字架幻想・キリスト教公認・十字架刑廃止、の三つの出来事があったと説明し、それがシンボルとして成立した理由が「悪魔と死に対するキリストの勝利」を表すからであったとしているのです。

W・E・バインの辞書について

十字架に関する協会の主張の根拠を示すため、ものみの塔はよくバインの辞書の言葉を引用します。

「西暦3世紀の半ばまでに,諸教会はキリスト教の幾つかの教理から逸脱するか,それをこっけいなものにしてしまった。背教した教会制度の威信を高めるため,異教徒が,信仰による再生なしに教会に受け入れられた。それらの者には異教の印や象徴を引き続き用いることが大幅に認められた。こうして,タウつまりTがキリストの十字架を表わすのに用いられるようになり,多くの場合に横棒を下にずらした形が使われた」― 新約聖書用語解説辞典(ロンドン,1962年),W・E・バイン,256ページ,英文。

確かに、バインの辞典によれば、十字架の導入の背景は異教的なものであったと説明されています。(協会がバインの辞書を悪引用していなければ、、の話しですが)しかし、バインの辞典を根拠に、こうした問題を論じることには、若干の問題があることが指摘されます。この点について、エホバの証人問題の専門家である中澤啓介牧師は、著書『十字架か、杭か』の中で、次のように説明しています。

「バインの辞書は、専門家を対象としたものではなく、一般の読者向けに書かれた通俗的な辞書である。それは、ある種の聖書解釈を前提としており、その独特な解釈の原理はすべてのキリスト教会に受け入れられているわけではない。特に、学術的な正確性を期して記された書物ではないので、ギリシャ語の解釈論争において、バインの『新約聖書用語解説辞典』を根拠に論じる学者は今日いない。」(このような評価は、著者の個人的な意見ではなく、すべてのギリシャ語学者、聖書学者も賛同するはずである。)―『十字架か、杭か』108頁。

加えて、協会が引用しているバインの辞書は、今から50年以上の前の1962年版であるため、2012年版のブリタニカ百科事典よりも、その正確性が劣る可能性が高いことは言うまでもありません。また、四世紀に入るずっと前から、十字架の神学的な意味が教父たちによって繰り返し説明されてきた事実を踏まえれば、十字架の導入が異教的なものではなく、キリストに関係するものであったことは明らかです。

十字架を用いることは偶像礼拝となるのか

エホバの証人の主張

ものみの塔協会は、十字架のシンボルを掲げる行為を「偶像礼拝」として批判していますが、その批判の根拠は、「十字架は異教のシンボルである」「崇拝に宗教的な象徴や像を用いることは偶像礼拝となる」という二つの理由からなっています。

「何であれ異教の象徴を専心の対象とすることは,聖書によって明確に非とされています。(コリント第二 6:14‐18)聖書は,どんな形態の偶像礼拝も禁じています。(出エジプト記 20:4,5。コリント第一 10:14)ですから,真のクリスチャンが崇拝に十字架を用いないことには正当な理由があるのです。」―『聖書は実際に何を教えていますか』205頁。

「パウロは,自分たちの崇拝に宗教的な象徴や像を取り入れることはせず,仲間のクリスチャンに,「偶像礼拝から」また異教の崇拝に由来する他の慣行から「逃げ去りなさい」と諭しました。―コリント第一 10:14。」―『ものみの塔』2011年3月1日号、19頁。

この内「十字架は異教のシンボルである」という批判については、既に本記事で次のように回答をしています。まず、十字架の象徴は古代から普遍的に存在してきたものであり、必ずしも常に異教の崇拝と結び付けられていたわけでありません。そして、十字架が用いられるようになった最大の理由は、キリストが十字架に掛けられたことを根拠とする聖書的なものでした。

象徴や像を用いることは偶像礼拝になるのか

「崇拝に十字架のような宗教的な象徴を取り入れることは偶像礼拝になる」というものみの塔の主張は、キリスト教批判のための「偶像礼拝の拡大解釈」だと言えます。

出エジプト記 20章の十戒に基づく偶像礼拝禁止命令は、あくまで「崇拝の対象」としての像を造ることを禁じたものであり、像を作ることや、像を用いること自体を禁止したものではありません。事実、かつて幕屋の至聖所の中には、ケルブ(天使)の像が配置されていましたが、それは崇拝の対象では無かったため、偶像礼拝とはならなかったのです。

それを踏まえると、十字架をシンボルとして掲げていた時代のエホバの証人は、この点をよく理解していたようです。

「偶像礼拝はすべて,神にとって忌まわしいものである」と率直に述べています。それでも,聖書研究者は当初,十字架をふさわしく用いることには問題がない,という見方をしていました。」―『神の王国は支配している』104頁。

かつてのエホバの証人が十字架をふさわしく用いていたのと同じように、今日の教会の多くも、十字架をふさわしく用いています。十字架そのものを、崇敬・崇拝の対象(偶像視)としている教会は、少なくともプロテススタントの教会ではほとんど見かけることが無いと思います*[4]

また、何らかの象徴を用いること自体を否定するのであれば、ものみの塔協会が「塔」をシンボルとして掲げていることも問題とされなければなりません。しかし、それについて協会は「あくまでシンボルであり、その形を偶像視しているわけではない」と言うでしょう。教会が十字架をシンボルとして用いることも、それと同じなのです。

(「塔」は、エホバの証人が終わりの時を見張る「見張りの者」としての役割を持つことを意識したシンボルですが、協会が「塔」によって表される時の見張りを意識しすぎるあまり、歴史的に何度も世の終わりの予言を外してきた事実は、見過ごすことのできないものです。)

最後に、かつてイスラエルが荒野で罪を犯した時、モーセが作った銅の蛇を見つめると救われる、という出来事がありましたが、それは、十字架にはりつけられるキリストを見上げる人々が救われることを予表したものでした。したがって、もしも十字架の象徴を掲げるクリスチャンが偶像礼拝とされるのであれば、荒野で蛇を見上げた人々も偶像礼拝の罪で裁かれたことでしょう。

処刑の道具を象徴として用いるべきか

エホバの証人の主張

ものみの塔が十字架を否定する最後の理由は、それが「キリストが処刑された道具だから」というものであり、出版物では次のように説明されています。

「歴史家も研究者も,初期のクリスチャンの間で十字が使われていたことを示す証拠を一つも発見していません。興味深いことに,「十字架の歴史」(英語)という本には,17世紀後半の著述家の言葉が引用されています。その人は,「聖なるイエスにとって,ご自分が恥を物ともせずに辛抱して無実の罪を忍んだ[ことになっている]その極刑用の道具の像を弟子たちが誇りとしているのを見るのは,喜ばしいことであり得ようか」と問いかけました。あなたならどう答えますか。」―『ものみの塔』2011年3月1日号、19頁。

崇拝さえしなければ,十字架を大切に持っていてもかまいませんか
もし,親しい友人が偽りの訴えに基づいて処刑されたなら,あなたはどう感じますか。処刑に使われた刑具の複製を作りますか。それを大切に持っているでしょうか。それとも,そのような物には触れようともしないでしょうか。」―『論じる』220頁。

確かに、親しい友人が処刑されるようなことがあるとすれば、処刑に使われた刑具を大切に持っていたいとは、多くの人は思わないでしょう。また、自分が処刑される立場であれば、残された家族や友人に、用いられた刑具を大切に持っておいて欲しいとは思わないかもしれません。ですから、ものみの塔のこの主張は、一見道理にかなっているように見えます。

ただし、イエスの十字架について考える場合は、別の視点を考慮する必要があることを、協会は見逃しています。

キリストがはりつけられた十字架は勝利を表す

上記で引用した協会の主張では、キリストが十字架に磔にされたことについて「辛抱して無実の罪を忍んだ」「偽りの訴えに基づいて処刑されたなら」という表現によって、キリストの磔刑に対して消極的なイメージを強調しています。確かに、キリストが偽りの訴えに基づいて処刑され、無実の罪を忍んだことは事実ですが、この問題を考える際は、その視点だけでは不十分です。

もしも、ある友人が偽りの訴えに基づいて処刑されることがあれば、それは意図せずに被る被害であり、深刻な悲劇です。しかしそれは、キリストが十字架にはりつけられた状況を表面的に説明したものに過ぎず、その死の本質的な意味を表現するものではありません。

キリストの場合は「殺された」のではなく、「自ら」死を選んだのです。つまり、それを避けることがいくらでもできた状況の中で、過ぎ越しの子羊として、命の犠牲を捧げるために、自らその道を選び、「罪と死に対する決定的に勝利」をもたらされたのです。

「そこで,「幼子たち」が血と肉を持つ者なので,彼も同様にその同じものにあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。15 またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした。」(ヘブライ2:14-15)

「神は・・わたしたちを責める手書きの文書を塗り消してくださったのです。それは[数々の]定めから成り,わたしたちに敵対するものでした。そして[神]は,それを苦しみの杭にくぎづけにして取りのけてくださいました。15 また,もろもろの政府と権威をあらわにし,それらを[苦しみの杭]による凱旋行列に引き立て,征服されたものとして公にさらしたのです。)(コロサイ2:14-15)

ですから、キリストの死によって救われたクリスチャンにとっては、十字架の象徴もはや「処刑の道具」ではなく、「罪と死に対する勝利」を表すものへと変えられたのです。

結論

「クリスチャンは十字架を用いるべきか」この問題について、本記事では十分なボリュームを割いて説明をしてきたつもりですが、それでも長年にわたって十字架否定をしてきたエホバの証人の方々にとっては、抵抗を無くすまでに時間のかかる問題かもしれません。

そこで最後に、十字架のシンボルが神の御心であることを示唆する、一つの経験をご紹介します。

かつて、ニューヨークで第三の地位につくほどの高位の魔術師であった、ジョン・ラミレス、という人がいます。彼が、人生の転機に差し掛かっていたある時、悪霊はラミレス氏を滅ぼすために、彼の魂を地獄へと連れ去りました。ところが、地獄の中で絶対絶命となっていたラミレス氏の前に、突如として十字架が現れたのです。

ラミレス氏が、その十字架を悪霊の方に向けると、その霊の力はまたたく間に弱まり、彼は無事生還することができたのです。キリストに助けられたことを悟ったラミレス氏は、その後1000万円相当の魔術の道具を全て処分し、キリストに人生を捧げるようになりました。―ジョン・ラミレス『地獄からの脱出

ジョン・ラミレス氏の前に現れた十字架

ラミレス氏の体験をどこまで信じるかは、読者の方々に委ねますが、魔術の世界に深く傾倒していた人がクリスチャンとなるには、それなりの重要な体験があったに違いありません。また彼だけでなく、幻などの超自然的な体験によって十字架を示された経験を持つクリスチャンは、他にも複数存在します。こうした体験は、十字架のシンボルを神が認めていることを示唆する、一つの根拠として考えることができるでしょう。

本記事で考察してきた通り、十字架はキリストの勝利と、神の恵み、私たちの救いを表す大切なシンボルです。歴史的な証拠や、聖書的な原則を踏まえた上で、クリスチャンがその十字架を大切なシンボルとして用いることには、十分な理由があるのです。

本記事が、エホバの証人の方々を、十字架に対する誤った見方から解放するものとなりますように。

脚注

[1] First Christians, First Harper & Row, New York, 1976, p.140

[2] 『聖書外典偽典6』教文館、1991年、348頁。

[3] ただし、協会が霊魂不滅を否定する理由は、それだけではありません。このテーマに関する詳しい解説は、「霊魂不滅・地獄は聖書の教えですか」をお読み下さい。

[4] とはいえ、歴史的に、十字架を崇拝・崇敬の対象として崇めてきた教会が無かった、と主張しているわけではありません。実際に、そのような教会は存在してきましたし、現代においても、おそらくあるでしょう。


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