十字架と杭―イエス・キリストがはりつけられたのはどちらですか?

十字架と杭―イエス・キリストがはりつけられたのはどちらですか?

紀元一世紀、イエスがはりつけられた刑具は、本当に十字架だったのでしょうか?あるいは、一本の真っ直ぐな杭だったのでしょうか?この問題に関してまず言えることは、イエスの死は、それが人類の罪の身代わりの死であった、というところに重要な意味があるのであって、その時の刑具の形状が十字架だったかどうかは大きな問題ではない、ということです。

そもそも、この十字架か杭か、という議論自体、おそらく20世紀初頭までは、存在しなかったテーマです。ことの発端は、1930年代に、当時のものみの塔協会の二代目会長であったラザフォードが、突如として「十字架は好ましくない」と言い始め、イエスが磔にさられたのは十字架ではなく、一本の真っ直ぐな杭だった、と主張しだしたことによるのです。

刑具の形状が二次的な問題であるとはいえ、この事を根拠に、協会が歴史的にキリスト教のシンボルである十字架を否定してきたことを考えれば、本テーマを丁寧に取り扱う意義は十分にあると言えます。

また、およそ800万人にも上る世界中のエホバの証人が、統治体の指導によって、「十字架は異教から持ち込まれたものであり、それを用いることは偶像礼拝になる」と信じ込まされていることからも、この問題を正確に論じる必要性は、決して軽くはありません。

十字架に関するエホバの証人との議論の内容は多岐に及びますが、本記事では、「十字架か杭か」という点に的を絞り、その真相を明らかにしていきたいと思います。

※別の関連記事「真のクリスチャンは十字架を用いるべきか」では、この問題をより総合的に論じていますので、本記事と合わせてお読み下さい。

言語的背景からの考察

十字架を表すために用いられたギリシャ語

多くの聖書において、キリストが「十字架に付けられた」と訳されている箇所は、エホバの証人の新世界訳聖書では「杭につけられた」となっています。

例:マタイ28章5節

「あなた方は恐れてはなりません。あなた方が杭につけられたイエスを捜していることを,わたしは知っているのです。」(新世界訳)

「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。」(新改訳)

聖書筆者たちは、キリストが十字架・杭につけられたことを表現するために、ギリシャ語の名詞「スタウロス」を27回、動詞の「スタウロオー」を46回、「シュンスタウロオー」を5回,また「アナスタウロオー」を1回用いました。また、イエスが架けられた刑具を表すのに,「木」を意味する「クシュロン」というギリシャ語を5回用いました。

そこでものみの塔は、これら「スタウロス」や「クシュロン」というギリシャ語は、決して「十字架」を意味するものではなく、むしろ「一本の木」を表していた、と主張しています。

スタウロスについて

新聖書辞典の解説

エホバの証人の出版物では、スタウロスの意味について、次のように解説されています。

「キリストが死なれた時の刑具を表わすギリシャ語は二つあります。それはスタウロスとクシロンです。・・・「新聖書辞典」はこう述べています。「『十字架』を表わすギリシャ語(スタウロス,動詞はスタウロオー)は第一義的には,まっすぐな杭あるいは梁を意味し,第二義的には,処罰を加え処刑をする際の道具として用いられる杭を意味する」―『目ざめよ!』1984年9月22日、13頁。

「古典ギリシャ語でもコイネーでも,スタウロスには2本の材木で作られた“十字架”という考えは含まれていません。それは,柵,砦柵,もしくはとがり杭の柵に使われるような,まっすぐな杭,棒ぐい,パイル,または柱を意味しているにすぎません。ダグラス編,1985年版,新聖書辞典は,253ページの「十字架」の項で,「『十字架』に相当するギリシャ語(スタウロス; 動詞スタウロオー……)は第一に,まっすぐな杭もしくは梁材を意味し,第二に刑罰や処刑のための道具として使われた杭を意味する」と述べています。」―『洞察一巻』783頁

上に挙げた二つの出版物では、スタウロスは単に「まっすぐな杭」を意味するとした上で、その見解を裏付けるために、『新聖書辞典』を引用しています。ところが、実際に新聖書辞典の文脈を確認すると、これが全くの悪引用であることが明らかになります。『新聖書辞典』では、協会が引用した上記の箇所に続いて、次のような文章を載せているからです。

「・・・十字架のはりつけ刑は、フェニキア人やカルタゴ人によって行われていた。後になると、ローマ人によって広範囲に実施されるようになった。ローマ市民には稀で、奴隷、地方や下層階級の犯罪人がこの十字架刑にかけられた。従って、ペテロは、イエスのように張りつけになったが、パウロは打首にされたという伝承は、古代の処刑法に合致している。」― J.D. Douglas “The new Bible dictionary”

こちらのリンクから、新聖書辞典の該当箇所の確認が可能

このように、新聖書辞典が実際に教えていることは「イエスがはりつけられたのが十字架だった」ということであり、協会の主張とは真逆なのです。さらに続けて、同辞典は、刑具の形状について、次のような説明を加えています。

「犯罪者は一本のまっすぐに伸びた柱に縛られた、あるいは釘付けられたということの他に、三つの形態の十字架があった。まず、大文字Tの形態をした crux commissa(聖アントニオの十字架)と言われるもので、ある人々は、タンムズの神の象徴(タウという文字)から出て来たと考えている。次は、crux decussate(聖アンデレの十字架)で、Xの文字のような形態をしている。第三は、crux imissaと言われるもので、二本の棒が十字に組み合わされているもので、私たちの主はこの形態の十字架上で死んだという伝承がある(エイレナイオス、Haer. 2. 24. 4)このことは、四つの福音書において(マタイ27:37、マルコ15:26、ルカ23:38、ヨハネ19:19-22)、罪状書きがイエスの頭の上に釘付けられていたことから、説得力を持っている。

新聖書辞典に、このような説明が加えられていることを、協会側は知っていたはずです。ところが、キリストの十字架のシンボルを否定するために、自説を擁護する文章だけを抜き出し、引用文献の実際の説明を完全に無視しているのです。このような悪引用は、エホバの証人の他のあらゆる出版物にも、同様に見られるものです。

インペリアル聖書辞典の解説

協会の出版物『論じる』では、スタウロスの意味について、次のような説明もしています。

「現代の多くの聖書で「十字架」(「苦しみの杭」,新世)と訳されているギリシャ語はスタウロスです。古典ギリシャ語において,この語は単に,まっすぐな杭,つまり棒杭を意味しました。後に,この語は,横木を取り付けた処刑用の杭を表わすのにも用いられるようになりました。インペリアル聖書辞典はそのことを認めて,次のように述べています。「十字架と訳されるギリシャ語[スタウロス]の正しい意味は,何かを掛けるとか,一区画の土地を囲う[柵を巡らす]のに使う杭,まっすぐな柱,あるいは1本の棒杭である。……ローマ人の間でさえ,クルクス(英語のcross[十字架]はこれから派生している)は,もともとまっすぐな柱であったようだ」― P・フェアベアン編(ロンドン,1874年版),第1巻,376ページ,英文。
神のみ子の処刑に関しても事情は同じだったのでしょうか。」―『論じる』216頁。

引用された文章を読むと、「スタウロスの正しい意味はまっすぐな柱・一本の棒杭である」というのが、インペリアル聖書辞典が伝えていることだと、読者は理解します。ところが、引用文の途中で「・・・・・・」となっている箇所を実際に確認すると、以下のようになっているのです。

「しかし、変形されたものが導入され、ローマの使用法は、ギリシャ語を話す国々に広がっていった」

※インペリアル聖書辞典(英語)は、こちらからオンラインで確認可能

つまり、ローマ世界では、単なる一本の柱だけではなく、「変形されたもの」が導入されていった、というのが、インペリアル聖書辞典の説明なのです。その変形されたものとは、十字架を表しているわけですが、その事実は、上記の『論じる』で紹介されている引用文の後に、次のような文章が、同辞典で続いていることからわかります。

そして、それは、いつでも、より重要な部分として残されている。ところが、刑罰の道具として使われはじめた時からは、通常、横棒の木が加えられるようになった。・・・福音書の時代の頃には、はりつけは、通常、犯罪人を十字の木の上にぶら下げることによって成し遂げられた。」

つまり、インペリアル聖書辞典も、新聖書辞典と同様、イエスの時代における磔刑は、十字の形の刑具が用いられた、とはっきり説明しているのです。ここでも、自説を正当化するための、協会の悪引用が見られるのです。

では、ものみの塔が権威ある文献として引用した新聖書辞典と、インペリアル聖書辞典の説明を踏まえると、スタウロスの意味についてどんなことが言えるでしょうか?

協会が主張する通り、スタウロスは、元々は確かに「まっすぐな柱・杭」を表していましたが、それは処刑の際の刑具を表す際にも用いられました。そして紀元一世紀には、ローマ世界で十字型の刑具が用いられるようになったことから、「スタウロス」が処刑の文脈で用いられるときには、それが横棒を加えた十字型をも意味するようになったのです。

ですから、「スタウロス」が「一本の杭」であったとするものみの塔の主張は、言語的・歴史的背景を無視した主張だと結論することができます。

クシュロンについて

「クシュロン」の意味について、上記で取り上げた『論じる』の続く箇所では、次のように説明されています。

「神のみ子の処刑に関しても事情は同じだったのでしょうか。その処刑に使われた刑具を表わすのに,聖書がクシュロンという語も用いているのは,注目に値します。リデルとスコット共編の希英辞典は,この語の意味を次のように定義しています。「すぐに使えるように切ってある木,薪,材木など……木片,丸木,梁材,支柱……こん棒,棒……犯罪者が付けられる杭……生きた木の場合は立ち木」。この希英辞典はまた,「新約では,十字架に関して」と述べ,例として使徒 5章30節および10章39節を引き合いに出しています。(オックスフォード,1968年版,1191,1192ページ)しかし,これらの節で,欽定訳,改訂標準訳,エルサレム聖書,ドウェー訳,および口語訳は,クシュロンという語を「木」と訳出しています。(この訳し方とガラテア 3:13; 申命記 21:22,23とを比較。)」―『論じる』216頁

引用されている『リデルとスコット共編の希英辞典』によれば、「クシュロン」は、木製の棒や柱などを表すために用いられるとありますが、「新約では,十字架に関して」とも述べられていることから、「クシュロン」を「十字架」と訳すことも可能であることがわかります。(続く箇所では、「しかし」と述べることにより、かろうじて異なる結論へ導こうと努力している)

「クシュロン」の他の用例としては、「絞首台」「両替人が使用する台」「木でできた首輪」などがあり、『論じる』の希英辞典の引用文の中で「・・・」と省略されている箇所には、そのような用例が明記されています。つまり、「クシュロン」は、木を材料として造られた様々なものに対して幅広く用いられた言葉だったのです。

したがって、『論じる』の文脈と引用方法は、読者が「クシュロン」に対して「一本の木製の杭」という印象を持つよう工夫されたものであることがわかります。

なお、キリストがはりつけにされた刑具に「クシュロン」が用いられたことは適切なことでした。なぜなら、キリストの死が罪の贖いとなるためには、「木にかけられる」ことによって、「呪われた者」となる必要があったからです。

「キリストはわたしたちの代わりにのろわれたものとなり,こうしてわたしたちを律法ののろいから買い取って釈放してくださったのです。「杭に掛けられる者は皆のろわれた者である」と書かれているからです。」(ガラテア 3:13)

聖書の証言

言語的背景とは別に、聖書の記録は、イエスが架けられた刑具の形状について、何と述べているでしょうか?

イエスの頭上の罪状書き

「また彼らは,「これはユダヤ人の王イエス」と記した罪状を彼の頭上に掲げた。」(マタイ27:37:並行記述は、マルコ15:26、ルカ23:38、ヨハネ19:19-22)

聖書の記録によれば、イエスの罪状書きは、「頭上」に掲げられた、と記録されています。ここで、その記録が何を意味するのかについて、絵を比較しながら確認をしてみます。

十字架と杭の比較

左側が、刑具が「杭」であったと主張するエホバの証人の絵で、右側が、刑具が「十字架」であったと理解するキリスト教の絵です。罪状書きが「頭上」に来るのは、明らかに十字架刑においてですので、聖書の記録は、一本の杭よりも、十字架の形状を支持していると考えることができます。

※もっとも、左側の図においても、「頭上」と表現できなくもないですが、その表現によりマッチするのは、やはり十字架の形状の場合であると言えます。

手を貫いた釘の数は複数だった

「そのためほかの弟子たちは,「わたしたちは主を見た!」と彼に言うのであった。しかし彼は言った,「その手にくぎの跡を見,わたしの指をくぎの跡に差し入れ,手をその脇腹に差し入れない限り,わたしは決して信じない」(ヨハネ20:25、新世界訳)

「So the other disciples were telling him: We have seen the Lord!・But he said to them: Unless I see in his hands the print of the nails and stick my finger into the print of the nails and stick my hand into his side, I will never believe it.」(NWT by JW)

トマスが主の復活を信じなかった有名な場面ですが、注目すべきは、ここでトマスがイエスの手を貫いた「くぎ」を表現する際に、その「くぎ」を単数形ではなく、「複数形」で現したことです。

もしも、エホバの証人の主張する通り、イエスが架けられたのが一本の杭だったのであれば、イエスの手を貫いたくぎは、一本だけでした。しかし、十字架刑だったのであれば、そのくぎの本数は二本(複数)だったことになります。

つまり、トマスが「くぎ」を「複数形」で表現したという事実は、イエスが磔刑が、十字架であったことを示唆しているのです。

なお、ものみの塔はこの点に関して、過去の出版物で次のような弁明をしています。

また,「くぎ」が複数であったということは,『イエスの手と足』にあった釘の跡を指していたのかもしれません。―『ものみの塔』1987年8月15日号、29頁。

しかし、この場面においてトマスは「その手にくぎの跡を見」と語っていますので、その弁明は不自然だと言えるでしょう。

教会教父たちの証言

聖書以外の文献で、紀元1~3世紀までの教父たちの証言からは、キリストがはりつけられた刑具の形状についてどんなことがわかるでしょうか?複数の記録をご紹介します。

イグナチウス(AD30-107)

イグナチウスは、一世紀後半に活動した教父で、新約聖書が書かれた時代に、まさに生きていた人です。

このイグナチウスは、彼の著作の中で、偽りの兄弟たちについて言及する際、もし彼らが父のものであるなら、「十字架の枝として現れる」と述べています*[1]

ここで、「主の枝」ではなく、「十字架の枝」として表現した事実は、キリストの死が十字架によるものだったと彼が認識していたことを示しています。

殉教者ユスチヌス(AD110-165)

「『ひとりのみどりごがわれわれのために生まれた、一人の若者がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にある。』話しが進むとより明らかになるのですが、これは彼が磔にされ、そこに肩をつけた十字架の力を示すものです。」―『ユスチヌス』教文館、1992年、50頁。

ユスチヌスは、使徒たちの時代とも近い二世紀前半に活躍した著名な教父ですが、イエスが磔にされたのが「十字架」であったと述べています。さらに、続く箇所では、次のように語られています。

しかし、いわゆるゼウスの子らの誰を例にとろうと、十字架刑に処せられるという点は、悪霊共も決して模倣いたしませんでした。なぜならそれは、彼らには理解できなかったからです。と言うのも十字架に関するすべての言葉は、既に明らかにしましたように、シンボルによって語られているからです。

かの預言者が予告しましたように、これこそは彼の力と支配を示す最大のシンボルであり、そのことはわれわれの眼で知覚する所からも示すことができます。」

ユスチヌスは、単にキリストが十字架に架けられたと言うだけでなく、その十字架が、「彼の力と支配を示す最大のシンボル」だとも語っているのです。したがって、十字架をキリスト教のシンボルとする風潮は、紀元二世紀初頭には、既に存在していたことになります。

エイレナイオス(AD130-202)

エイレナイオスは、小アジアのスミルナ出身、二世紀後半に活躍した著名な教父です。本記事で既に引用した新聖書辞典の内容から、エイレナイオスが彼の著作の中で、主が十字架刑によって死んだと証言していることがわかります。

「第三は、crux imissaと言われるもので、二本の棒が十字に組み合わされているもので、私たちの主はこの形態の十字架上で死んだという伝承があるエイレナイオス、Haer. 2. 24. 4)」―ダグラス編『新聖書辞典』1985年版、253頁

シビュラの託宣(二世紀半ば)

シビュラの託宣は、二世紀半ばに書かれたと言われる文書です。ここでは、モーセが両腕を伸ばしてアマレク人に勝利した時の姿と、キリストの姿を対応させる記述があります。

「モーセは、聖なる腕をさしのばし、信仰によってアマレク人に勝って、彼の原型となった。」―『新約聖書外典』講談社、1991年、348頁。

言うまでもなく、「彼の原型となった」の「彼」とは、イエス・キリストを現しています。アマレクに勝利したモーセの姿と、キリストの十字架の姿を対応させる解釈は、バルナバの手紙やユスチヌスの文献にも見られます。

つまり、当時の教父たちは、イエスがただ十字架にはりつけられたと考えるだけでなく、その十字の形に神学的な意味があると考えていたのです。

ペテロ行伝(AD180-190)

紀元180~190年に記された「ペテロ行伝」の38章には、次のような文章が登場しますが、明らかに著者は、自分が磔にされている十字の形の木と、キリストの十字架を対応させています。

「そこでわたしの愛する人々よ、今聞いている人もまた将来聞くであろう人たちも、あなたたちは最初の過ちを振り切って帰って来なければなりません。なぜならキリストの十字架にのぼることは適切なことなのです。このかたは唯一無比の広げられたことばであり、このかたについて霊は(次のように)語っています。『キリストはことば、神の響き(エコー)でなくて何だろうか』と。ことばとは私がかけられているこの真っ直ぐな木であり、響きというのは横木・・・すなわち人間的性質のことなのです。そして中央あたりで横木を垂直の木に固定している釘というのは人間の回心であり、悔い改めです。」―『新約聖書外典』講談社、1974年、167頁。

中世のリプシウスの絵

ものみの塔は、イエスが「一本の杭にかけられた」という説を支持するかのような絵を、2011年3月1日号18頁で掲載しています。その絵は、16~17世紀の文献・人文学者ユストゥス・リプシウスの著作『デー・クルケ・リプリー・トレース』の647頁からのものです。

中世のリプシウスの絵

この絵を見ると、あたかもリプシウスが、キリストが掛けられた刑具の形状として「一本の杭」を信じていたかのような印象を受けますが、事実は真逆です。実は、リプシウスの同文献では、合わせて16通りの処刑方法が紹介されており、上に挙げた一本の杭の方法は、あくまでその内の一つの過ぎないのです。(さらに、紹介されている処刑法のほとんどは、一本の杭ではなく、十字架の形状のものとなっています。)

中世のリプシウスの絵

さらに、同文献の661頁においてリプシウスは、エイレナイオスの言葉を引用しながら、キリストの場合は伝統的な十字架に掛けられた、という見解を示しているのです。

次の記録は、エイレナイオスによって伝えられたものである。『十字架の構造自体は、五つの終り(テルトリアヌスはそれを「点」と呼んでいるが)をもっている。二つは垂直のそれであり、二つは水平のそれである。もう一つは、真ん中にあり、そこに人が釘付けにされたのである。』

考古学的な証拠

ものみの塔は、「最初の300年間において、クリスチャンの間で十字架が用いられた証拠はなく、むしろそれは紀元四世紀に異教から持ち込まれたものである」と主張しています*[2]。ところが、以下に示す考古学的な複数の発見は、イエスがはりつけられたのが十字架であったことを示すと同時に、上記の協会の主張を覆すものともなっています。

二百年祭の家

紀元一世紀後半、西暦79年に廃墟と化したポンペイの町の遺跡の発掘によって、ある家から、金属の十字架の跡が発見されています。この発見について、著名な考古学者ポール・マイヤーは、次のように述べています*[3]

信仰がナップル湾近郊に広められたのは、この初期の会衆によるものだったかもしれない。というのは、それより少し後には、ヘリキュラネウムの近くにおいてはクリスチャンがいたからである。ベスビウス山の火山による埋葬から逃れたリゾートの町に建てられた一つの家は、はっきりとした金属の十字架の跡を示している。それは、二階の黒焦げになった祈祷台の奥の壁に刻印されている。十字架は、魚と同じように古くからのキリスト教のシンボルだったのだ。・・・

二階には、『200年祭の家』と呼ばれた初期のクリスチャンの礼拝堂があった。白く漆喰が塗られたパネルは、大きな十字架の痕跡を示している。それはすでに取りのけられているが、印を押された寄贈財産として使われたのだろう。その前には、小さな木の祭壇の残存物がある。それはベスビウス山の爆発による溶岩によって黒こげになってしまったが。

この発見は、初期のクリスチャンが、礼拝において十字架のシンボルを用いていたことを示すものとなっています。

※最近のものだと、The time of Israel に同発見についての記事が掲載されています。

ポンペイ遺跡から発掘された二百年祭の家の十字架

ポンペイ遺跡から発掘された二百年祭の家の十字架

エルサレム近郊の納骨堂

1873年、フランス考古学者チャールス・クレアマン―ガンネアウは、エルサレム近郊、オリーブ山のふもと近くにおいて、30の遺体が葬られた納骨堂を発見しました*[4]。石でできた長方形の棺には、体の骨と埋葬品が共にそのまま残され、それぞれの棺にはヘブル語とギリシャ語で名前が記されていました。

そして、その中のある棺には「ユダ」という名前が記され、縦横の長さが等しい十字架が刻まれていたのです。加えて、「イエス」という名前も三回登場し、その中の二回は、十字架と結び付けられていたようです。

ユダヤ人の第二の反乱以降、この地域にユダヤ人が入ることが禁じられていたことから、この棺は紀元70年~135年の間のものと推定されています。

家族の墓

1945年、ヘブライ大学のユダヤ人考古学博物館のE. L. シュケ―ニック教授が発見したある家族の墓には、ギリシャ語でイエスの名がつけられた二つの納骨堂がありました。そしてその二番目の方には、四つの大きな十字架も描かれていたのです*[5]

墓から出土した陶器、ランプ、文字の書体から、紀元前一世紀~紀元一世紀半ばまでのものと推定されています。つまり、イエスの十字架から二十年以内のものだと考えられるのです。

結論

キリストが磔にされた刑具の形状について、言語的・歴史的背景、聖書の証言、教会教父たちの証言、考古学的な証拠、などあらゆる角度から検証してきましたが、それらのどの証拠も、イエスがはりつけられたのが「十字架」であったことを、一貫して示しています。

したがって、ラザフォードの時代以来、エホバの証人が歴史的に主張してきた「一本の杭」説は、歴史的証拠を完全に無視したものであり、到底考慮に値する説とは言えません。

これほどまでに豊富な証拠の数々を、ものみの塔協会の指導部が何も知らないはずはありません。知ってはいるものの、今になって、長年の組織の主張と体裁を捨てることができなくなっているのです。そうでなければ、わざわざ文献の悪引用などをする必要は無かったことでしょう。

ものみの塔は、これらの歴史的証拠の数々と正しく向き合い、全世界のエホバの証人の信者への欺きを速やかに止めなければなりません。それこそが、エホバの重要なご意志だからです。

「地の人よ,何が善いことかを[神]はあなたにお告げになった。そして,エホバがあなたに求めておられるのは,ただ公正を行ない,親切を愛し,慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか。」(ミカ6:8)

脚注

[1] Epistle of Ignatius to the Trallians, The Ante-Nicene Fathers, vol 1, Wm. B. Eerdmans, Grand Rapids, Michigan, 1985, p.71

[2] 『聖書は実際に何を教えていますか』205頁

[3] First Christians, First Harper & Row, New York, 1976, p.140

[4] Ancient Times, Vol.3, No.1, July, 1958, p.3 にて詳細が報告されています。

[5] Ancient Times, Vol.3, No.1, 1958, pp.3-5。また、同誌、Vol.5, No.3, March, 1961, p.13

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です