1914年は「異邦人の時の終わり・キリストの臨在の始まり」ですか?①
1914年10月2日金曜日の朝、ものみの塔協会のブルックリン本部の食堂に入ったチャールズ・テイズ・ラッセルは、大きな声でこう言いました。
「異邦人の時は終わりました。その王たちの日は過ぎ去ったのです!」
その場にいた人々には大きな興奮が生じました。なぜなら、何十年もの間、1914年の到来を待ち望んでいたからです。
では、彼らが当時、1914年ついてふれ告げ、期待していた事柄とはどんなことだったのでしょうか?
それは、1914年にハルマゲドンが来て、異邦人諸国家が滅ぼされる、というものでした。
―『ふれ告げる』61頁。『千年王国』1974年、184頁より
1914年に関する教理の概要
1914年―教理の要点と意義
1914年は、エホバの証人の教義と権威構造にとって極めて重要な年代だと言えます。この年代に関して、エホバの証人が信じている教えの要点は、次のようなものです。
- 1914年に、異邦人の時が終了し、終わりの日が始まった。
- 1914年から、キリストの目には見えない「臨在」が始まり、全世界の王としての統治が始まった。
- 1914年から三年半の間、キリストは霊的神殿に来られ、当時のエホバの証人を精錬した。
- 三年半の後、1919年、エホバの証人の油注がれたクリスチャンは大いなるバビロンから解放され、キリストによって「忠実で思慮深い奴隷」として任命された。以後、キリストはこの組織を、神の霊に導かれる唯一の経路として用いてきた。
エホバの証人の教えの重要な特徴として「唯一正統の主張」が挙げられます。つまり、「エホバの証人こそが、終わりの日の時代における、神の霊に導かれる唯一の組織だ」という自負であり主張です。そして、その主張の重要な根拠が、この1914年という年代にかかっているのです。この教理の重要性について、元統治体の成員だったレイモンド・フランズ氏は、次のように証言しています。
「基本となっている1914年という年代の持つ意義が揺らぐようなことがあれば、ここに挙げた教義の体系が全て揺らぐことになる。また,あこの「忠実で思慮深い奴隷」級の正式な代行者グループの特権も揺らぐことになる。この年代にそんな意義がないと言ってしまうと、これを基盤とする教義体系も権威構造もすべて終わりとなる。1914年というのは、それほどまでに重要なものなのである。」―レイモンド・フランズ『良心の危機』190頁。
加えて重要な点として、今日に至るまで統治体は、ラッセルが1914年に異邦人の時が終わるという予言を、あたかも的中させたかのように、しきりに教えてきました。ですから、もしも1914年が異邦人の時の終わりだという教えが揺らげば、ラッセルの予言はいかなる意味においても外れたことになり、彼に「偽預言者」の烙印が押されることにもつながってしまうのです。
しかし、組織がこれほどの重要性を持たせている年代である一方、その聖書的・歴史的な根拠は、砂上の楼閣のようにもろい、というのが実際のところです。
教理の要約―異邦人の時とキリストの臨在
異邦人の時―その定義と年代計算方法
イエスは、エルサレムの崩壊を預言する文脈で「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」と語りました(ルカ21:24、新改訳)。エホバの証人は、この「異邦人の時」の開始が、かつてバビロン捕囚によってダビデ王朝が途絶えた時から、イエスが神の王国の王としての支配を開始するまでの時だと理解します。
「ターバンを取り除き,冠を取り外せ。・・これについてもまた,それは法的権利を持つ者が来るまで,決して[だれのものにも]ならない。」(エゼキエル21:6-7)
次に、異邦人の時の期間については、ダニエル4章の巨木の幻と関係があり、その幻で語られる「7つの時」が、異邦人の統治期間だと理解します。そして「七つの時」を聖書預言の年代計算法に適用すると「2520年」になり、その年数を、エルサレムが没落した西暦前607年を起点として計算すると、1914年の秋になると説明するのです。
キリストの臨在のしるしが預言解釈の正しさを裏付ける
1914年が異邦人の時の終わりである以上、その年は必然的に、キリストの王としての統治が開始された年となりますが、エホバの証人はその時の様子を、啓示12:9に当てはめます。
「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した! わたしたちの兄弟を訴える者・・は投げ落とされたからである。・・地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」(啓示12:10-12)
そして、「地と海にとっては災いである」という預言から、キリストの臨在のしるしは、地上に大きな災いが生じることであり、1914年から勃発した第一次世界大戦~飢饉、などが、一連の預言解釈の正当性を裏付けていると説明します。
「わたしたちにお話しください。・・あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。そこでイエスは答えて言われた,「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。8 これらすべては苦しみの劇痛の始まりです。」(マタイ24:3-7)
以上の教理の要点を踏まえ、本記事では具体的に以下の点について、聖書の言葉と歴史的事実からその誤りを説明していきたいと思います。
- 異邦人の時の終わりは聖書的に何を意味するのか?
- エルサレムが没落した年代は西暦前607年なのか?
- ダニエル4章の幻は異邦人の時と関係があるのか?
- 七つの時を2520年とする計算方法は聖書的か?
異邦人の時の終わりは何を意味するのか?
異邦人の時代とは
イエスは、エルサレムの荒廃を預言する文脈で、「エルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられる」(新世界訳)と語りましたが、エルサレムが諸国民(異邦人)に支配される時代を、一般的には「異邦人の時代」、あるいは「異邦人の時」と言います。
「また,エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。21 その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。[都]の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は[都]の中に入ってはなりません。22 なぜなら,これは処断の日であり,それによって,書かれていることのすべてが成就するのです。23 その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! その土地に非常な窮乏が,そしてこの民に憤りが臨むからです。24 そして人々は剣の刃に倒れ,捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは,諸国民の定められた時が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです。」(ルカ21:20-24)
イエスはまず、物理的な都市であるエルサレムが荒廃する前に、その都市が「野営を張った軍隊に囲まれる」と予告しました。続いてエルサレムの住民が殺され、異邦人へ捕囚とされていく様子を伝えた上で、「その都市」が定められた時が満ちるまで、異邦人に踏みにじられる、と預言したのです。
したがって「異邦人の時代」とは、明らかに「物理的・地理的なエルサレムが異邦人に支配される時代」を意味しています。
異邦人の時代の始まり
次にエホバの証人は、異邦人の時代の始まりについて、以下のように述べていますが、この解釈は正しいと言えます。エルサレムが没落し、ダビデ王朝の最後の王ゼデキヤが殺されてからは、エルサレムは常に、異邦人が支配する場所となってきたからです[1]。ただし、その年代が西暦前607年だった、という点は間違いです。その点については、追って説明します。
「神の支配はいつどのように「諸国民に踏みにじられる」ようになったのでしょうか。それは西暦前607年に生じました。その年に,エルサレムはバビロニア人に征服されました。「エホバの王座」は空位となり,ダビデの家系の王統は中断されました。」―『聖書は実際に何を教えていますか』216頁。
異邦人の時代の終わりはいつか
異邦人の時代の終わりについて、ものみの塔は次のように説明しています。
「この『踏みにじられた』状態はいつまでも続くのでしょうか。そうではありません。エゼキエルの預言はエルサレム最後の王ゼデキヤについて,こう 述べていたからです。「ターバンを取り除き,冠を取り外せ。……それは法的権利を持つ者が来るまで,決してだれのものにもならない。わたしはその者にこれを必ず与える」。(エゼキエル 21:26,27)ダビデの王統の冠に対する「法的権利」を持つ者とは,キリスト・イエスのことです。(ルカ 1:32,33)ですから,『踏みにじる』ことは,イエスが王となる時に終わります。・・・」―『聖書は実際に何を教えていますか』217頁。
つまり、エゼキエル21章の「ターバン・・は法的権利を持つ者が来るまで,決してだれのものにもならない」という預言に基づき、異邦人の時代が終わるのは、イエス・キリストが王として支配を開始する時だと説明します。この解釈も、十分ではありませんが、問題はありません。
次にものみの塔は、ダニエル4章の巨木の幻が異邦人の時代の期間を表していると説明し、一連の年数計算をした後、次のような結論に結びつけています。
「その期間は1914年10月に終わりました。その時,「諸国民の定め られた時」が終わり,イエス・キリストは神からの任命を受けた天の王として即位されました。」―『聖書は実際に何を教えていますか』217~218頁
この結論の段階で、異邦人の時代に関する重大な視点が忘れ去られています。最初に確認した通り、ルカ21章のイエスの預言によれば、異邦人の時代とは「物理的なエルサレムが異邦人に支配される時代」を意味しています。しかし、1914年になっても、また現在においても、エルサレムはユダヤ人が完全に支配する場所とはなっていません。つまり、イエスが預言した「異邦人の時代」は、まだ終わってはいないのです。
この点を支持する、ある聖書教師の見解を、以下にご紹介したいと思います。
第四に、この1914年以降、エルサレムはもう異邦人たちによって踏みつけられることはなくなり、神の不興を被っていた状態から、神を讃えるべく立ち上がる、ということ。「異邦人の時」が満ちるからである。
第五に、1914年までに、あるいはもっと早い時期までに、イスラエルはかたくなさから解放され始めるであろう、ということ。「一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことであって」(ローマ11:25)
このような理解をかつて主張した教師とは、他でもない「チャールズ・テイズ・ラッセル」です。彼は、1914年を遡ること25年前に出た『時は近づけり』という出版物の76~78頁で、上記の見解を明言していたのです。そして、ラッセルが1914年について予言していた内容とは、ユダヤ人が悔い改め、「物理的なエルサレム」が異邦人の支配から解放される、ということだったのです。
「異邦人の時」に関するラッセルの理解は正しいものでした。しかし、それが1914年までに起こる、という彼の予言は、完全に誤っていたのです。今日のエホバの証人は、この事実を知りません。統治体に欺かれ、ラッセルがあたかも予言を的中させたかのように信じ込まされているからです。
エルサレムの倒壊は西暦前607年なのか?
ものみの塔協会の主張
次に考えたいのが、エルサレムの倒壊年代です。異邦人の時が1914年に終わったとする一連の年代計算は、エルサレムが倒壊した年代に、その起点を置くわけですが、ものみの塔協会はその年代が「西暦前607年」であると主張します。
「神の支配はいつどのように「諸国民に踏みにじられる」ようになったのでしょうか。それは西暦前607年に生じました。その年に,エルサレムはバビロニア人に征服されました。「エホバの王座」は空位となり,ダビデの家系の王統は中断されました。」―『聖書は実際に何を教えていますか』216頁。
しかし、この年代が一般の歴史と常に食い違うために、「西暦前607年説」は、1914年の教理に関連して、ものみの塔協会が最も多くの批判を受けてきたテーマでした。事実、協会はそれらの批判に返答するための記事を、数回にわたって公開してきたこともあります。
一般の歴史の証言
しかし、世の中の歴史の専門家で、エルサレム倒壊がBC607年であったと主張する人は皆無であり、どの学者もその年代が西暦前587~586年だと主張します。つまり、ものみの塔が主張する年代には、考古学的な根拠が無いのです。
「前 597年3月には,エルサレムを攻略し,エホヤキン王をはじめ,ユダヤ人をバビロンに連行 (第1回バビロン捕囚 ) ,続いてシリア,東部バビロニアに転戦した。前 586年8月再びエルサレムを攻略し,第2回バビロニア捕囚をユダヤ人に強いている。」―『ブリタニカ国際大百科事典 小項目版』2012年―ネブカドネザル二世。
「《Nebuchadnezzar Ⅱ》[?~前562]カルデア王国(新バビロニア王国)第2代の王。在位前605~前562。アッシリアに次いでユダ王国を滅ぼし、前587年にはエルサレムを破壊し、多数のユダヤ人を強制移住させた。→バビロン捕囚」―『デジタル大辞苑』
「新バビロニア王国の王(在位前605~前562)。・・・ただし、『旧約聖書』とギリシア人による記録から、前598年にユダ王国を服属せしめ、さらに前587年にはなおも反抗するユダを攻撃し、エルサレムを陥落させて多くの民を捕囚に拉致(らち)したこと(バビロン捕囚)」―『日本大百科全書』
聖書の証言
次に、聖書の記述がこの年代について何と述べているかを考えていきたいと思います。エルサレムが倒壊した年代は、エレミヤの七十年に関する預言と、バビロン捕囚の期間と深い関係がありますが、本記事では細かい論点は避け、簡潔にまとめていきたいと思います。なお、以下を読み進めて行く上で、以下の表は助けになるでしょう。
ゼカリヤ1章7~12節、ダリウスの第二年とは
この問題の答えを得るための鍵となるのが、ゼカリヤ1章7~12節に記録された預言です。
「7 ダリウスの第二年,第十一月つまりシェバトの月の二十四日,エホバの言葉が預言者イドの子であるベレクヤの子ゼカリヤに臨んでこう言った。・・・すると,エホバのみ使いは答えて言った,「万軍のエホバよ,いつまであなたは,エルサレムとユダの諸都市に憐れみを示されないのでしょうか。この七十年の間,あなたはこれを糾弾されたのです」(ゼカリヤ1:7-12)
まず、7節の冒頭にある「ダリウスの第二年」が、どの年代を指しているのかを確認します。ものみの塔の出版物によれば、それは「紀元前519年」であり、一般の歴史家も、そのことを認めています。
「西暦前519年の2月9日ごろ,預言者ゼカリヤは,「全地は静かに座し,何の騒乱もありません」という言葉を聞きました。(ゼカリヤ1:7,11)」―『洞察二巻』28頁
帰還後も続いたエルサレムに対するエホバの糾弾
次に、ゼカリヤに臨んだ預言の言葉の中で、エホバの御使いはエホバに対し、「いつまであなたは,エルサレムとユダの諸都市に憐れみを示されないのでしょうか。この七十年の間,あなたはこれを糾弾されたのです。」と語ります。
紀元前519年といえば、ユダヤ人が紀元前537年にバビロンから帰還して18年も経過した頃ですが、エルサレムやユダの諸都市の状態は、未だ悲惨なままだったのです。その歴史的背景について、協会は以下のように説明していますが、正しい見解となっています。
「神殿の土台は西暦前536年に据えられていましたが,敵からの反対のために神殿再建の業は遅々として進まず,とうとう西暦前522年には公式の禁令の下に置かれてしまいました。(エズ?4:4,5,24)それだけでなく,故国に帰還したユダヤ人は神殿再建の業をなおざりにしていたため,干ばつや不作に見舞われて非常に難しい状況に陥っていました。(ハガ?1:6,10,11)」―『洞察二巻』28頁
七十年の糾弾の始まりは、西暦前589年より後となる
では、その「糾弾の状態」はどれくらい続いていたのでしょうか?エホバのみ使いは、「この七十年の間,あなたはこれを糾弾された」と述べました。計算をすると、当時は紀元前519年でしたから、そこから七十年を遡ると、紀元前589年頃が、エホバがエルサレムを糾弾し始めた年となることがわかります。つまり、このゼカリヤ書の記述から、エホバの糾弾によってエルサレムが倒壊した年代は、西暦前589年よりも後であることがわかります。
既に確認した通り、全ての学者は、エルサレムの倒壊した年代が西暦前587年~586年だと主張していますが、その見解は聖書の記録と一致しているのです。
一方、もしもエルサレムの倒壊した年代が、ものみの塔協会の主張する通り「西暦前607年」だったのであれば、ゼカリヤ1:12のみ使いの言葉は、「この七十年の間,あなたはこれを糾弾されたのです」ではなく、「この九十年の間,あなたはこれを糾弾されたのです」となるはずです。
結論として、一般の歴史家の証言も、聖書の記録も、エルサレムの倒壊年代が西暦前589年以降だったという点で一致しているのです。
ダニエル4章の巨木の幻は異邦人の時と関係があるか
ものみの塔の主張
ものみの塔は、エルサレムの没落から始まった異邦人の時は、ダニエル四章の巨木の幻と関係があると主張します。なぜなら、聖書の預言の中では、木が支配権を表すために用いられることがあるからです。
「ですから,『踏みにじる』ことは,イエスが王となる時に終わります。
その壮大な事柄はいつ生じるのでしょうか。イエスは,異邦諸国民が支配するのは,ある定められた期間であることを示されました。ダニエル 4章の記述は,その期間がどれほど続くかを知る上で重要な意味を持っています。そこには,バビロンのネブカドネザル王の見た預言的な夢のことが記されています。それによると,王は,途方もなく大きな木が切り倒されるのを見ます。その切り株には鉄と銅のたががかけられて,成長することができません。ひとりのみ使いが,「七つの時をその上に過ぎさせよ」とふれ告げます。―ダニエル 4:10‐16。
聖書の中で,木は支配権を表わすために用いられることがあります。(エゼキエル 17:22‐24; 31:2‐5)ですから,象徴的な木が切り倒されることは,エルサレムの王たちによって表わされていた神の支配が中断されることを示します。しかし,この幻は,『エルサレムが踏みにじられること』は一時的である,つまり「七つの時」しか続かないことを知らせるものでした。その期間はどれほどの長さでしょうか。」―『聖書は実際に何を教えていますか』217頁
巨木の幻はバビロンの王だけを意味する
確かに、ものみの塔協会の主張の通り、「木」は預言的に支配権を表すことがあります。しかし、その支配権が、「何の」支配権であるかについては、預言の文脈から特定することが不可欠です。
ダニエル4章を全て読むと、そこに登場する巨木は、明らかにバビロンの王の支配権のみを表しており、他の支配権を示唆する言葉は皆無です。したがって、この幻が、バビロンの王の支配権だけでなく、エホバの支配権をも表しているとする協会の解釈は、文脈を無視したものであり、聖書的な根拠がありません。
「あなたがご覧になった木,すなわち,大きくなり,強くなって,その高さがついには天に達して全地に見えるほどになり,・・その大枝に天の鳥たちが宿ったもの,王よ,それはあなたです。あなたは大いなる者となって強くなり,あなたの雄大さは大いなるものとなって天に達し,あなたの支配権は地の果てに[及んだ]からです。」(ダニエル4:20-22)
事実、参照されているエゼキエル17章で登場する「木」は、文脈上、エホバの支配権を表していますが、31章で登場する「木」は、エジプトの支配権のことであり、エホバの支配権とは関係がないのです。
さらに、ダニエル4章の巨木の幻の場合は、その幻の意味が明白に解き明かされ、その解き明かされた預言の内容が、バビロンの王にどのように成就したのか、一部始終が明らかにされています。したがって、この巨木の幻は、議論の余地なくバビロンの王の支配権のことであり、他の解釈の余地はありません。
七つの時を2520年とする計算方法は聖書的か?
ものみの塔協会の主張
既に確認したように、ものみの塔協会は、ダニエル四章で登場する巨木の幻が、エホバの支配権を表すと解釈しますが、その解釈の結果として、「七つの時」が異邦人の時の長さを表していると考えます。そして、その「七つの時」がどれくらいの期間を表しているかについては、以下のような計算方法を用いています。
「しかし,この幻は,『エルサレムが踏みにじられること』は一時的である,つまり「七つの時」しか続かないことを知らせるものでした。その期間はどれほどの長さでしょうか。
啓示 12章6節と14節を見ると,三時半が「千二百六十日」に相当することが分かります。ですから「七つの時」はその2倍,つまり2,520日間続くことになります。しかし,異邦諸国家は,エルサレムが倒壊してから2,520日後に,神の支配権を『踏みにじる』ことを終わらせたわけではありません。ですから,この預言がそれよりずっと長い期間を扱っていることは明らかです。民数記 14章34節とエゼキエル 4章6節には,「一年に対して一日」という記述があり,これに基づいて計算すると,「七つの時」は2,520年になります。」―『聖書は実際に何を教えていますか』217頁
七つの時は七年を意味する
啓示 12章6節と14節において「三時半」が「1260日」を表すという預言解釈の原則を用いて、「七つの時」が「2520日を表す」と理解するところまでは、問題ありません。この解釈の仕方は、「聖書が聖書を解釈する」という解釈学の原則に沿っています。*[2]
ですから、「七つの時」が意味するのは、「七年」だと結論するのが最も自然な解釈です。事実、バビロンの王の支配権が一時的に取り去られたのが「七年」だったとしたら、それは適切な期間だったと言えるでしょう。
2520日は2520年を表すのか
「異邦諸国家は,エルサレムが倒壊してから2,520日後に,神の支配権を『踏みにじる』ことを終わらせたわけではありません。ですから,この預言がそれよりずっと長い期間を扱っていることは明らかです。」民数記 14章34節とエゼキエル 4章6節には,「一年に対して一日」という記述があり,これに基づいて計算すると,「七つの時」は2,520年になります。」―『聖書は実際に何を教えていますか』217頁
(1)巨木の幻が異邦人の時をも表すという解釈を据えて、「七つの時」を「七年」と理解するなら、異邦人の時は、エルサレムの倒壊から七年後に終了していなければなりません。しかし、異邦人の時代は実際に終了しませんでした。
(2)そこで協会は、この聖書解釈の矛盾を解決するために、「2520日」は、七年ではなく、「2520年」を表すと説明しています。
(3)そしてその根拠は、民数記 14章34節とエゼキエル 4章6節における「一年に対して一日」という原則に基づくとします。しかし、これら一連の解釈のパターンには、重大な問題があります。※以下の解説は、(1)~(3)という連番を用いて行います。
まず、(1)の段階で解釈上の矛盾が明らかになった時点で、通常は「巨木の幻が異邦人の時代と関係がある」という理解そのものを見直さなければなりません。
次に(2)の段階で、「2520日」を「2520年」としたことには、さらに問題があります。なぜなら、既に「七つの時」が「七年」を意味することは、聖書解釈の原則に沿って明らかになっているからです。協会はその計算が教理と合わないことを理由に、さらに「七つの時」→「七年」→「2520日」→「2520年」と、数字の意味の解釈を三回行っていますが、このような「意味の解釈を三回も行う」というややこしい年代の計算方法を求めている預言は、聖書の中にはありません。
◆通常の解釈の例:
「七つの時」→「七年」*意味の解釈は一回。◆不自然な解釈の例:
「七つの時」→「七年」→「2520日」→「2520年」*意味の解釈が三回繰り返される
もしも預言を与えた神が、「2520年」と解釈するよう要求したのであれば、民数記 14章34節とエゼキエル 4章6節の通り、はじめから「2520日」と記されるよう聖書筆者たちを導いたはずです。
「あなた方がその地を探るのにかけた日数,それが四十日であったので,一年に対して一日,一年に対して一日として,あなた方は四十年のあいだ自分のとがに対する責めを負う。あなた方は,わたしから離されていることがどういうことかを必ず知るであろう。」(民数記 14:34)
「また,二度目には,あなたは右を下にして横たわり,四十日の間ユダの家のとがを負わなければならない。わたしはあなたに一年に対して一日,一年に対して一日を与えたのである。」(エゼキエル 4:6)
▶どちらの預言も「一日」→「一年」と計算する=意味の解釈は一回。
したがって、七つの時を2520年と解釈する計算方法は極めて不自然なものであり、聖書的根拠は何もありません。
結論
本記事では、異邦人の時に関する協会の解釈について、合わせて四つの誤りを明らかにしてきましたが、一つの教理に対してこれだけ多くの誤りがあるというのも、驚くべきことではないでしょうか。
結論として、1914年に異邦人の時が終わったという説には聖書的根拠がなく、全くの誤りです。そして、1914年という年代を元に、統治体が「忠実で思慮深い奴隷」であり、「エホバの証人が神の霊に導かれる唯一の組織」だとする一連の説明も、聖書的根拠を持ち合わせるものでは無いのです。
次の記事では、「1914年からキリストの臨在が始まった」という説の問題点について、考えていきたいと思います。
脚注
[1] マカベアの時代、一時的にエルサレムの自治権を取り戻したことはあるが、ダビデ王朝は回復してはいませんでした。
[2] 啓示の書(黙示録)における「三時半」は、「1260日」の他に、「42ヶ月(啓示11:2)」とも表現されているため、それが「三年半」という期間を表していることは明らかです。(三通りの異なる表現で表されているのは、それがどれくらいの期間を表しているかについて、他の解釈の余地が入らないようにする目的があるのかもしれません)