1914年は「キリストの臨在の始まり」ですか?②

弟子たちはキリストの臨在のしるしを尋ねる

キリストの臨在のしるしを尋ねる弟子たち|イエス―道・真理・命、111章。

わたしたちにお話しください。・・あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。―マタ 24:3『新世界訳』

「1914年」という年代に関するものみの塔協会の重要な教えは、「異邦人の時の終了」と、「キリストの臨在の開始」という二つのテーマに分かれます。前回の記事では、異邦人の時について詳しく説明したので、今回は「キリストの臨在」の教えにフォーカスを当て、聖書から論じていきたいと思います。

キリストの臨在―その教えの歴史

ラッセルはキリストの臨在を確信する

キリストは目には見えない様ですでに支配を開始している

「キリストの臨在」と呼ばれるこの教理の歴史は、実にものみの塔協会の最初期の頃にまで遡ります。創始者のラッセルは、元々このような教えを信じていたわけではありませんでした。きっかけは、アドベンティスト派の雑誌の編集者「ネルソン・H・バーバー」という人です。

ラッセルは、ある日バーバーが編集した雑誌を手に取り、「キリストはすでに(目に見えない様で)臨在しておられ,「小麦」(王国級を構成する真のクリスチャン)を集める収穫の業はすでに始まっている」という教えを知りますが、はじめはその教えを疑問視していました。

ところがラッセルは、バーバーと実際に会い、彼と多くの教えについて意見交換をした後に、「キリストの見えない臨在が1874年に始まっている」と確信するようになったのです。

そして、キリストの臨在に関する確信は、ラッセルを宣教の意欲へと駆り立て、後に「シオンのものみの塔およびキリストの臨在の告知者」という雑誌の創刊へとつながっていきました。この雑誌は現在「ものみの塔」誌として知られています。―『ふれ告げる』46-47頁。

「我々が既に収穫の時期にいるという事実を知った私は,今まで少しも知らなかったその真理を広めなければならないという衝動に駆られた。そこで直ちに,私は真理のために精力的な活動を始めることを決意した」―C・T・ラッセル

揺れ動くキリストの臨在説と嘘

1874年からキリストが臨在し、1914年にハルマゲドンが来る、と確信を持って宣教していたラッセルとその仲間たちでしたが、1914年を過ぎても何も起こりませんでした。しかし、ものみの塔はその後も、1933年まで「1874年キリストの臨在説」を説き続けましたが、それからしばらくの間、臨在の開始年代が何度も変わることになります。

1933年:キリストの臨在の開始が1914年だと説明される―『保護』1933年、45頁。

1934年:キリストの臨在の開始は、1879年に訂正される。―『光第一巻』1934年、13頁。

1937年:キリストの臨在の開始は、再び1874年に訂正される。―『神の立琴』1937年、242~235頁。

1943年:キリストの臨在の開始は、1914年であると決定される。―『真理はあなた方を自由にする』

―参考資料:ウィリアム・ウッド『エホバの証人カルト集団の実態』69頁~

協会が、キリストの臨在の開始した年代について、これほどまでに教理を訂正してきた最大の理由は、その教えに聖書的・客観的な証拠が欠けているからだと言えるでしょう。

また重要な点として、エホバの証人の信者のほとんどは、組織がキリストの臨在開始の年代を数多く変更してきたことは知りません。なぜなら協会は、その事実を信者から隠すだけでなく、むしろ1914年の臨在開始説を「一貫して主張してきた」と欺いてきたからです。

「他国の首脳がある国を訪問する場合は普通,滞在の日程が発表されます。同じことが主イエス・キリストの臨在についても言えます。「ものみの塔」誌は,天の王国の権能を持つイエスの臨在が1914年に始まったという証拠を,誠実な態度で聖書預言を研究する人々に首尾一貫して示してきました。」―『ものみの塔』1993年1月15日号、15頁。

キリストの臨在のしるし

この絵は「当時のエホバの証人が1914年からのキリストの臨在を識別した」という印象を読者に強く与えますが、事実とは大きく異なります。|神の王国は支配している、20頁。

第一次世界大戦の開始時期の疑問

前回の記事でも確認しましたが、ものみの塔は、以下のような啓示12章の流れに沿って、第一次世界大戦を、キリストの臨在が始まった証拠だと説明しています。

  1. キリストの臨在の開始
  2. 天での戦争でサタンが敗北
  3. 時の短いことを知り怒ったサタンが第一次世界大戦(地の災い)をもたらす。
1914年に係るエホバの証人の教理

1914年に係るエホバの証人の教理

協会は、異邦人の時が終わり、キリストの臨在が始まったのが、「1914年の10月」だと説明していますので、上記の流れを考慮すれば、第一次世界大戦が始まるのは、「1914年の10月以降」となるはずです。

ところが実際には、第一次世界大戦が始まったのは「1914年の7月」であり、順序が逆になっているのです。聖書で明らかにされている預言は、必ずその預言のタイムテーブル通りに進行します。したがって、第一次世界大戦の勃発が、キリストの臨在や啓示12章の文脈と関係があるとは考えられません。

「7月28日オーストリアがセルビアに宣戦布告すると,各国で総動員令の発布,宣戦布告が相次ぎ,8月半ばには二大勢力間の全面戦争へと発展した。」―ブリタニカ国際百科事典、第一次世界大戦に関する解説

啓示12章―キリストの王国は既に実現したのか?

エホバの証人の主張

既に確認した通り、ものみの塔協会は、1914年からキリストが臨在を開始したという教えを、啓示12章で預言されている出来事と結びつけています。

啓示 12章には,天に神の王国が設立される時のことがさらに詳しく述べられています。そこには,目に見えない領域で起きた戦いのことが記されています。ミカエル ― 天での地位に就いているイエス・キリスト ― とその使いたちが,悪魔と配下の悪霊たちに対して戦い,結果として悪魔サタンとその軍勢が地に投げ落とされます。その時,悪魔は「自分の時[存在期間]の短いことを知り」,大きな怒りを抱きます。(啓示 12:7‐12を読む。)ですから,キリストの王国の設立に続いて,地とその住民にとって「災い」の増す期間のあることがはっきり分かります。」―『ものみの塔』2008年2月15日号、22頁。

以上の出版物の説明は、どれほど聖書の預言に立脚しているのでしょうか?先ほどは世界大戦の時期から説明しましたが、ここでは啓示の書(黙示録)の文脈を確認しながら、また別の点を考察していきたいと思います。

黙示録12章以降の文脈の確認

啓示12章7節~で、天で戦争が起こった後、サタンの軍勢は敗北し、地に投げ落とされます。天におけるキリストの王権は、その時点で実現すると考えてよいでしょう。しかし、それらの出来事は、地にとっては「災い」です。なぜなら、投げ落とされた悪魔は、時の短いことを知り、大きな怒りを抱いているからです。では、悪魔の怒りによってもたらされる「災い」の内容とは何でしょうか?

一つ目は、「男の子を産んだ女」を迫害することです。しかし、地が救助にまわるため、悪魔の攻撃は失敗します。

二つ目は、「イエスについての証しの業を持つ者たち」への迫害であり、この迫害こそが、悪魔が怒りによって地にもたらす主要な災いであることが、以降の文脈から明らかになります。

13章以降では、悪魔は「野獣」(獣)に、「自分の力と座と大きな権威」を与えます。そして獣は、サタンの権威を用いて「四十二ヶ月」の間活動し、全地の人々は彼を崇拝します。一方、イエスの言葉に従う者たちは、厳しい迫害を受けることになります。

14節以降では、中天を飛ぶみ使いたちによって、「神による裁きが到来した」こと、「野獣とその像を崇拝して,自分の額または手に印を受ける者」たちに永遠の裁きが定められることが宣言されます。

15節以降では、大患難時代における三種類の裁き「封印」「ラッパ」「鉢」の最後にもたらされる「鉢の裁き」の準備がなされ、16節では、1~7までの鉢の裁きが、野獣とその王国、野獣を崇拝した者たちの上に下り、ハルマゲドンへの道が整えられるのです。

野獣の活動期間は三時半

ここで注目すべきは、「野獣の活動期間」についてです。13章では野獣の活動期間が「四十二ヶ月」であると述べられていますが、これは預言解釈の原則に沿って「三年半」だと理解できます。その後、以降の文脈を確認していくと、野獣の権威とその王国が存続している間に、全ての鉢の裁きが下っていることがわかります。つまり、啓示の書の文脈を踏まえれば、野獣の支配の開始から世の終わりまでの期間は、およそ三年半なのです

先ほどの文脈を振り返ると、地上における野獣による三年半の支配期間は、天でキリストが王となり、サタンが天から落とされたことに伴って生じます。つまり、黙示録の文脈を考慮すれば、天でのキリストの王権から、ハルマゲドンまでの機関は、およそ三年半~くらいになるのです。

ですから、ものみの塔の教えの通り、キリストが本当に1914年に天で王となったのであれば、1919年頃にはハルマゲドンへの道が整えられていなければなりません。しかし、実際にはそうはなってはいないのです。

ものみの塔は野獣を国際連合だと理解するが、聖書は野獣の支配期間が三年半だと教えている|
JW.ORG―啓示 17章の緋色の野獣は何を表わしていますか

「聖なる者を悩ます角」は三時半で滅ぼされる

上記で説明した点をさらに裏付けるのが、ダニエル7章です。ものみの塔は、啓示13章における野獣の活動期間「四十二ヶ月」は、ダニエル7:23-25において「獣から生じる角」が聖なる者たちを悩ませる三年半と同じ期間を指していると説明しています。

そして、その三年半とは、1914年~1918年の出来事であると理解しています。なぜそのような理解になるかというと、1914年をキリストの臨在の開始としたため、それに続いて起こる野獣の支配についても、1914年から近い年代の出来事と理解せざるを得なくなるからです。

「ここで言及されている42か月は,ダニエルの預言の中の一匹の獣から生じる角で聖なる者たちが悩まされる三年半と同じ期間のようです。(ダニエル 7:23‐25。啓示 11:1‐4もご覧ください。)ですから,交戦国が文字通り野獣のように互いにかきむしり合った,1914年の終わりから1918年にかけて,それらの国の市民は野獣を崇拝し,国家主義という宗教にふけり,祖国のために死ぬ覚悟をさえするよう強要されました。」―『啓示の書』28章

しかし、協会のこの解釈には決定的な問題があります。なぜなら、ダニエル7章で登場する「角」は、聖なる者たちを三年半悩ませた後、神に滅ぼされ、続いてキリストの王国が地上に実現することになっているからです。そしてこのタイムテーブルは、黙示録の預言の文脈で、既に確認した通りです。

「また彼は至高者に逆らう言葉を語り,至上者に属する聖なる者たちを絶えず悩ます。そして彼は時と法とを変えようとし,彼らは一時と[二]時と半時の間その手に渡される。26 そののち法廷が座に着いて,その者の持つ支配権をついに取り去った。[これを]滅ぼし尽くし,全く滅ぼし去るためである。そして,王国と,支配権と,全天下のもろもろの王国の偉観とは,至上者の聖なる者たちである民に与えられた。」(ダニエル7:25-27)

要約と結論

これまでに考察してきた内容をまとめると、次のようになります。

協会は、1914年からキリストが臨在を開始したという理解に基づき、サタンの怒りによる短い時の災いは、1914年から現在まで続いているとします。また悪魔が権威を与える「野獣」の活動期間の三年半を、1914~1918年までだと理解します。

ところが、黙示録13章以降と、ダニエル7章の文脈を確認すれば、野獣が活動する三年半を最後に、世の終わりとキリストの王国が到来することになっているのです。つまり、啓示12章におけるキリストの王権の実現からハルマゲドンまでの期間は、三年半~という比較的短い期間であることは明らかです。

加えて、天での戦争の後、キリストの王権が実現した後も、地上を「目には見えない姿で臨在する」という教えはありません。むしろ、野獣の活動期間である三年半の間は、野獣による支配が中心となる時代であり、それが終わった後、目に見える姿で、キリストは再臨するのです。

「見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちも[見る]。また,地のすべての部族は彼のゆえに悲嘆して身を打ちたたくであろう。しかり,アーメン。」(啓示1:7)

「臨在」はパルーシアの正しい訳か

パルーシアの意味

最後に、「臨在」という言葉について考えたいと思います。「臨在」は、エホバの証人がよく用いる表現であり、新世界訳聖書の中ではギリシャ語の「パルーシア(parousiaV)」を訳した言葉です。「パルーシア」は、新約訳聖書全体で度々用いられる表現であり、その正確な意味は次の通りです。

parousiaV:来ていること、到来、来訪(国王や高官が土地を訪れることも)。①(その場に)来ていること、到着、臨席;不在に対してその場に(一緒に)いること。②終末論用語として、栄光のメシアの到来、来臨、出現  ―織田昭『新約聖書聖書ギリシャ語小事典』教文館、448頁。

上記辞書の説明によれば、確かに「パルーシア」という語を「臨席、その場に一緒にいること」というニュアンスで訳すことも可能であることがわかりますが、ある語をどのように訳すかは、文脈に注意をしなければなりません。そして、上記説明によれば、パルーシアがイエスの再来に関する終末論の文脈で用いられる際は、「到来、来臨、出現」と訳されるべきであることがわかります。

聖句の訳文の比較―マタイ24:3

ここで、エホバの証人の出版物で、キリストの臨在(パルーシア)との関連でよく引き合いに出されるマタイ24章3節の訳文を比較してみたいと思います。

「kaqhmenou de autou epi tou orouV twn elaiwn proshlqon autw oi maqhtai kat idian legonteV eipon hmin pote tauta estai kai ti to shmeion thV shV parousiaV kai sunteleiaV tou aiwnoV」(Hort & Westcot、ギリシャ語本文)

「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」(新世界訳)

「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」(新改訳)

「”Tell us, when will these things be, and what will be the sign of your coming and of the close of the age?”」(ESV)

「Tell us, when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming, and of the end of the world?」(KJV)

英語訳聖書一括比較 →日本語訳聖書一括比較

全ての日本語と英語訳の聖書を見比べてみても、パルーシアを「臨在」と訳す聖書は皆無であり、ほとんどの場合「来る、来臨」「Coming、return」となっています。つまり、「臨在」という訳は、どの聖書学者も支持していない、ということです。

さらに、「パルーシア」がどのような文脈で用いられているのかを、新約聖書の他の箇所でも確認してみます。※以下、全て新世界訳からの引用です。

「では今,子供らよ,彼と結ばれたままでいなさい。彼が現わされる時,その臨在(パルーシア)の際に,わたしたちがはばかりのない言い方ができ,恥を被って彼から退かなくてもよいようにするためです。」(ヨハネ第一 2:28)

「これは,その聖なる者たちすべてを伴ったわたしたちの主イエスの臨在(パルーシア)の際に,わたしたちのまたのみ前にあって,あなた方の心を確固たるもの,神聖さの点で責められるところのないものとしていただくためなのです。」(テサロニケ第一 3:13)

上記で挙げた聖句は、どちらも終末論の文脈で用いられている「パルーシア」ですが、やはり主の「パルーシア」は、キリストが聖なる者たちを救い、裁きを与えるために来臨する時の様子、またそれに関わる比較的短い期間を表していることがわかります。ですから、「来臨、来る、Coming、return」という訳が、最も自然で正確なのです。

しかしそのような表現は、「1914年にキリストが見えない姿で再来し、以降100年以上にわたって見えない姿で統治している」というエホバの証人の教理とは調和しません。そこで統治体は、「聖書の言葉に自分たちの教理を合わせる」のではなく、「協会の教理に聖書を合わせる」よう工夫してきたのです。

結論

最後に、本記事で考察してきた内容をまとめると、次のようになります。

  • 「キリストが見えない様で再来し、見えない様で臨在を始めた」という教えは主観的であり、客観性が無いため、協会はこれまでに幾度もキリストの臨在開始の年代を訂正してきました。またその事実を信者から隠すために、嘘をついてきました。
  • ものみの塔の教えが正しければ、第一次世界大戦は、異邦人の時が終了した1914年の10月以降になるはず。しかし、大戦が始まったのは1914年の7月であり、順序が逆であるため、預言と事実が調和しません。
  • 1914年をキリストの王権が実現し、臨在を開始した年だとすることには、聖書的な根拠が無く、黙示録やダニエル書の預言と矛盾します。
  • ギリシャ語のパルーシアに対する「臨在」という訳は、終末論の文脈を無視し、エホバの証人独自の教理を反映したものであり、誤訳です。

以上の点から、「1914年」に関する協会の教えは誤りです。またその年代を根拠として、統治体の唯一性を主張する他の全ての教理も誤っているのです。

「私の知っていることもある。エホバが神であること、キリスト・イエスが神の子であること・・・しかしまた、あまりよくわからないこともある。1914年、これはよくわからない。我々も1914年の話はずっとしてきている。正しいかもしれないし、そうであってほしいとも思う。」

―ものみの塔協会三代目会長、ネイサン・H・ノア
1979年2月19日統治体会議にて
―『良心の危機』282頁より引用。

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