駅前のエホバの証人へ伝道する方法を紹介します!
エホバの証人の駅前伝道は、家から家への戸別伝道と合わせて、最近では彼らのトレードマークとなりつつあります。そんな中、駅前で立っている彼らに伝道をしたいと思いながらも、不安や緊張から伝道への一歩を中々踏み出せないでいたり、せっかく話せても話が噛み合わず平行線をたどったりしているクリスチャンも多くいることでしょう。
当サイトの管理人は、関東圏に住んでいますが、普段から、駅前で立っているエホバの証人を見かけては積極的に声をかけ、たくさんの伝道の実践を重ねてきました。それは、彼らがものみの塔の偽りに気づき、真の羊飼いであるイエス・キリストの元へと導かれるためです。
そして、私だけでなく、他の多くのクリスチャンも、私と同じように、彼らに伝道をし、真実に気づく機会を与えることができるようになることが、私の願いであり、本記事を書く目的です。
執筆にあたっては、エホバの証人救出の専門家の方々のご意見や、これまでの管理人の経験や知識を活かし、できるだけ彼らに効果的に伝道する方法をご紹介していきますので、ぜひ祈りの内に、伝道の参考にしていただければ幸いです。
エホバの証人は救いを必要としている
クリスチャンとして、エホバの証人への伝道を考えるべき最大の理由は、彼らもノンクリスチャンと同じく、福音によって救われる必要があるということです。ここで「たとえ異端だとはいえ、エホバの証人の中にも救われている人はいるのではないか」という考えを持つ方もいらっしゃるかもしれません。確かに彼らは創造主なる神を信じ、聖書全体を神の言葉として認め、キリストが救い主であることを受け入れています。加えて、私自身、数年間エホバの証人として活動をしてきた経験から、あの組織の中に、誠実な思いで信仰生活を送っている人がたくさんいることも理解しています。
しかし、救いに関する聖書の言葉を熟慮し、彼らの教えや活動に照らし合わせて考えるならば、「エホバの証人は救われている」と断言することは困難であると、私は考えています。
唯一の神、創造主がエホバであり、この方こそ、神の民が信仰の中心に据えるべき方であるというエホバの証人の理解は間違っていません。しかし、そのエホバご自身であるイエスを「エホバでは無い」とし、「救い主なる神」としてのキリストの役割をことごとく否定することによって、彼らはキリストの証人として決定的な誤りを犯しているのです。
その結果、証人たちは巧妙に書き換えられた聖書を用いて、「異なるイエス」を宣べ伝え、真理であるイエスから人々を遠ざけてしまいました。そして、彼らが伝えているのが別のイエスであれば、本物のキリストと出会い、新しい契約を結ぶことも不可能です。(なお、エホバの証人をはじめとする多くの異端の共通点は、「キリストの神性の否定」および「キリスト論の誤り」にあります)
「というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。」(第二コリント11:4)
そして、救われるためにはキリスト教世界から離れ、エホバの証人の一人となり、組織の教えに従わなければハルマゲドンで滅ぼされると主張します。このような教えを説く人々に対して、聖書は次のように警告しています。
「たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです」(ガラテア1:8)
加えて、ものみの塔という組織を客観的に観るならば、その実体は多くの誤った教えを説く異端的・カルト的な宗教団体であり、「キリスト教は偽りを教える悪魔的宗教である」というプロパガンダを用いて、キリストの体に分裂をもたらしているのです。
「さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,・・分裂,分派,・・およびこれに類する事柄です。・・そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。」(ガラテア5:19-21)
間違いなく言えることは、ものみの塔が「増し加えられてきた光」*[1]として教えているほとんどの教理は、聖書から大きく逸脱しており、大部分の信者は、組織の指導者たちから偽りを信じ込まされている、ということです。
こうした事実を考慮すれば、クリスチャンがエホバの証人へ伝道し、彼らに本当の福音を告げ知らせることがいかに大切な働きであるかを、ご理解いただけると思います。
予備知識
エホバの証人を理解する
エホバの証人へ伝道をする前に、事前に彼らについて最低限の知識を取り入れておくと良いでしょう。エホバの証人の公式サイトの記事「エホバの証人はどんなことを信じていますか」(記事名で検索すればすぐに出てきます)には、エホバの証人が信じている主要な教えが簡潔にまとめられています。実際に、彼らのサイトや出版物を読んでおくと、彼らへの理解を深めておくことができるだけでなく、実際の会話で、「サイトには〇〇と書いてありましたが、どうしてそうなるのですか?」というように、話したいテーマにスムーズに進んでいくことができるようになります。
また、当サイトの「エホバの証人とは」のシリーズも、エホバの証人についての最低限の理解や全体像を知るために構成されていますので、合わせて読んでおかれることをお勧めします。
エホバの証人側の視点
エホバの証人の間では、駅前でカートを立てて行う伝道方法を「公の証言」*[2]、もしくは「カートの証言」と呼んでいます。
駅前でカートと雑誌を掲げているエホバの証人は、基本的に、自分から積極的に話しかけたりはしませんが、聖書やエホバの証人に関心がある人とは、積極的な会話をしようとします。実際に、聖書に興味を持つ日本人は決して多くないので、関心を示す人と話すことは、彼らにとって喜ばしい伝道の時間となるのです。また、単にその場で雑誌を渡すだけでなく、そこから定期的な聖書レッスン*[3]に結びつけることも、彼らにとって大切な目的の一つです。
また、エホバの証人は、普段からキリスト教徒への伝道方法を訓練されており、三位一体等のキリスト教の主要な教えへの論破方法を心得ています。実際に、彼らの多くは、たとえ相手が牧師であっても、聖書から論破できると考えています。ですから、こちら側がキリスト教徒だとわかると、日頃の訓練を実践できる機会とみなし、喜んで会話をなげかけてくるケースも多く見られます。いづれにしても、聖書の話がゆっくりできるのは、彼らの多くにとって、喜ばしい時間となるのです。
ただし、全てのエホバの証人は、彼らへの反対者や、「エホバの証人を論破しよう」という目的を持って近づいてくる人を極力避けるよう組織から指示されています。ですから、会話をする際は、そのような雰囲気を出さないよう注意してください。
マインド・コントロール
統治体の絶対的権威
クリスチャンがエホバの証人への伝道を試みると、多くの場合、話が平行線で終わりますが、その重要な理由は「指導者への絶対的信頼」にあります。ものみの塔協会は「統治体」と呼ばれる少人数の男性信者によって統括されていますが、多くの信者は、統治体が「イエスによって任命された神からの唯一の経路」(マタイ24:45-47)だと信じており、彼らに強い信頼を抱いています。そして、その信頼こそが、救出を困難にさせている大きな要因なのです。
「統治体への信頼」が植え付けられたエホバの証人は、聖書を読む時にも、常に「統治体の見解が正しい」という前提に立って理解するようになります。実際に組織は、「統治体の助け無しに、聖書を正しく理解することはできない」と教えており、信者の側も、マインドコントロールの度合いが強くなるほど、それ以外の方法で聖書を読むことができなくなっていくのです。
すると、ある聖句に対する統治体の見解がよほどおかしなものでない限り、クリスチャンが指摘する「論理的な説明」よりも、組織の「非論理的な説明」の方を信じてしまうのです。つまり、エホバの証人の多くが実際に信じているのは、「聖書の字義的な意味」ではなく「統治体の解釈」なのです。(もっとも、彼らの多くはそのことに気づいていません。)
「自分で聖書を理解できる,と考える人がいるかもしれません。しかし,イエスは「忠実[な]奴隷」を任命し,霊的食物を分配するための唯一の経路として用いています。栄光を受けたイエス・キリストは1919年以来,その奴隷を用いて,追随者たちが神の書を理解し,その指示に従えるよう助けておられます。聖書の教えに従うなら,会衆の清さと平和と一致を促進できます。それで,こう自問するとよいでしょう。「わたしは,今日イエスが経路として用いている奴隷に忠節だろうか」―『ものみの塔研究用』2016年11月号 16頁、9節
こうした点を踏まえれば、会話のテーマを選ぶ際には、曖昧なテーマではなく、はっきりと聖書からものみの塔の教えの問題点を示せるもを選ぶ必要があることがわかります。
情報統制―他宗教の出版物を受け取ってはならない
エホバの証人への伝道を困難にさせているもう一つの要因は、情報統制に関係するものです。ものみの塔協会は、全ての信者に「排斥者・反対者・他宗教の出版物を受け取ったり読んだりしてはならない」と教えており、それにはキリスト教の出版物も含まれます。ですので、仮にクリスチャンが、トラクトなどを相手の証人に手渡しても、受け取ってくれないか、受け取っても後で捨てられる可能性が高いのです*[4]。
ですから、文書で渡すのではなく、できるだけ文書に書いてある内容を頭に入れておき、その場で聖書などを用いて自分の言葉で説明できると良いでしょう。
出没しやすい曜日や時間帯
大前提として、エホバの証人は、できるだけ一通りの多い駅と場所と時間帯を選んで伝道をしています。ですので、一週間の間で、どの駅のどの時間帯に人が集中しているのかを知れば、彼らに会える機会は多くなることでしょう。
私の感触としては、駅にもよりますが、最も駅前のエホバの証人に会いやすい曜日は、土日だという印象があります。特に、土日のお昼時や、夕方以降の一通りの多い時間帯に行くと、高い確率で会うことができます。
また、一通りの多い駅であれば、朝の通勤の時間帯や、お昼時、19~20時以降の仕事終わりの時間帯にも、出没している可能性があります。
なお、駅のどのあたりの場所に立っているか、という点については、大抵の場合、各駅に決まった場所が一箇所~数箇所あります。
会話の始め方と進め方
まずは気軽に話しかけてみる
駅前のエホバの証人へ伝道を試みる場合、まずは気軽に話しかけてみるとよいでしょう。最初から、「伝道しなきゃ」と気を張る必要はありません。まずは、気軽に話しかけてみて、自然な会話をすることで、感触を掴んでみることが大事です。
大抵の場合、近くを通った時に、少し立ち止まって、カートにある雑誌を眺めていると、にっこりと目を合わせ、「エホバの証人の雑誌を読んだことはありますか?」という感じで向こうから話しかけてきますので、そこから自由に会話を始めると良いでしょう。
私の場合は、元エホバの証人でありながら、「伝道をしたい」という思いを持って初めて話しかけた時には、かなり緊張したものです。でも、一度感触を掴んでしまえば、それ以降は緊張することは無くなりました。
スムーズに本題へ入るための鍵
実際の会話の始め方ですが、例えば、配布中の雑誌を受け取り、次のような自然な会話の流れに発展させることができます。
「よろしければ、一冊、いただけますか?・・へぇ、今月はこんなテーマを扱っているんですね。私はクリスチャンなんですけど、時々エホバの証人の雑誌を読むこともあるんです。」
実は、この言葉の中には、スムーズに本題へ入っていくための、二つの重要な鍵が含まれていますが、これらの二点を会話の初期段階で伝えておくと、後々本題に入っていく際に、自然な流れで展開しやすくなります。
- 自分は教会に通っているクリスチャンである
- エホバの証人に興味があり、雑誌や本に目を通したことがある。
あるいは、知り合いにエホバの証人がおり、話し合った経験がある等。
エホバの証人に気づかせるための重要なポイントを伝えるためには、ある程度、彼らの教理的な問題や、聖書の教えの問題に踏み込まなくてはなりませんが、聖書やエホバの証人の事を何も知らない人が、そこまでの会話をすることは普通できません。
ですから、以上の二つのポイントを、会話の初期段階で伝えておくことによって、スムーズに本題へ入っていくことができるようになるのです。
なお、時間に余裕がある場合は、本題に入る前に「どんな理由でエホバの証人になったのか」と尋ねて、彼らの証に耳を傾けてみるのが良いでしょう。あるいは、自分の救いの証を彼らに話し、救われた喜びを分かち合ってみるのも良いでしょう。
そのような会話の中で、相手のエホバの証人が、「この人を救いへ導きたい」「エホバの証人以外でも、こんなに神を愛している人がいるんだ」と感じてくれれば、その後の会話が、より良い方向へ進んでいくはずです。
愛をもって接する
効果的な伝道をするためには、結果として、エホバの証人の教理の問題点をある程度明らかにすることが必要ですが、論破はあくまでも手段であって、動機であってはいけません。クリスチャンがエホバの証人に話しかける動機は、常に彼らへの心からの「愛」であるべきです。
ですから、私の場合、彼らとの会話で、教えの問題点を明らかにするような流れになる場合、その前後で必ず、彼らへの神の愛や、私の愛を伝えるようにしています。例えば、次のようにです。
「神は、皆さんを愛しているので、神の言葉を正しく知る事を誰よりも願っていると思いますよ」
「今話しているテーマは、皆さんの救いに関わりますよね。私は、皆さんを、同じ聖書の神を愛する仲間だと思っていますし、一緒に、神の国に入りたいと心から願っているんです。だから、どちらの教えが聖書的なのかをちゃんと一緒に確かめる必要がありませんか?」
このようにして、「隣人愛」が、彼らとの会話の目的であることが伝われば、話し合うテーマについて、より真剣に向き合ってくれますし、会話を途中で中断させられる可能性も低くなるのです。
「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」(ヨハネ13:35)
準備している感をあまり出さないように
既に、「予備知識」において触れた点ですが、エホバの証人との会話の中で、こちら側が、事前にエホバの証人を論破するための準備をしているという雰囲気が伝わらないように配慮する必要があります。なぜなら、彼らが駅前で伝道するのは、議論するためではなく、関心のある人を見つけ出すためだと組織から指示されているからです。相手のエホバの証人の性格にもよりますが、少しでもそういう雰囲気が伝わると、すぐに会話を打ち切ろうとされる場合もあります。
ですから、例えば、彼らへの伝道の際に、ガラテア3:26~28を示そうとする場合、初めからそこまで正確に伝えずに、あえてまず3章を開いてもらって、相手の聖書を見ながら、「あぁ、ここから、ここですね」という感じで、指で示したりします。
また、こちら側が、エホバの証人について知りすぎているという印象を与えるのもよくありません。なぜなら、そういう人は、外部の批判的な情報を元に、エホバの証人に反対することを動機としていたりする可能性があると思われるからです。
ですから、私の場合、たとえ彼らが信じている事を十分に知っていても、あえて「知っている感」を出さないよう、その点についてあえて質問をし、信じている内容の確認を行ったりします。
効果的な伝道の判断基準
エホバの証人の伝道の目的は、聖書に関心のある羊を見つけ出すことにあります。そのため、こちら側が色々な質問を投げかけても、話が平行線になってくると、「私たちは、議論するためではなく、聖書を学びたい方のために伝道しているので、お引取りください」というような感じで、会話を終わらせようとしてきます。
このような言い方で会話を終わらせる方法は、組織からの指示に基づくものですが、次のように言い残しておくことによって、組織の指示の矛盾点に気づくきっかけ与えておくのは良いでしょう。
「関心のある人に伝道をするのは素晴らしいことですが、伝道で教える内容が聖書的かどうかを確認する必要は無い、ということでしょうか?」
一方、効果的な伝道ができた場合は、「後日、調べてみます」というような返答をしてきます。エホバの証人は、たとえ論破されても、その場では組織の教理の間違いを認めないよう教育されていますので、「後で~調べてみます」というキーワードが出てきたら、効果的な伝道ができたと判断することができます。
なお、伝道されたエホバの証人が、後日調べやすいように、お勧めの書籍やウェブサイト等の情報を伝えておくと良いでしょう。また、こちらの連絡先を教えておき、「いつでも話し合いや相談に応じます」と伝えておくのも良い方法です。
そして、最終的に相手の証人が、本当に調べ直して組織の誤りに気付くのか、調べないで疑問に蓋をするのかは、当人と神との問題です。ぜひ、神が彼らの心を開いて真理へ導いて下さるようお祈りして下さい。
※なお、エホバの証人に対して当サイトを紹介すると、すぐにサイト名から「反対者のサイト」だと気づかれ、会話を拒否される可能性が高いので、間違っても、会話の初期段階では伝えないようにしてください。効果的な伝道ができた場合は、別れ際に伝えるのもありですが、そうでない場合は、伝えることに注意してください。私の場合は、伝えないことの方が多いです。
お勧めの伝道サンプル
伝道サンプルの用い方
ここでは、実際の会話を想定した複数の伝道サンプルと、その用い方について説明します。
(1)いずれのサンプルも机上の空論ではなく、実際に筆者が現役のエホバの証人に対して実践し、その効果が認められたものです。ただし、実際の会話において、必ずしもこの通りに行くとは限りませんので、事前に用いるテーマのポイントを把握し、柔軟に会話を進めるようにして下さい。余裕があれば、その場で複数のテーマを組み合わせるのも、効果的な方法となるでしょう。
(2)伝道サンプルでは、会話の意味や理由を理解していただくために、所々の台詞で脚注を入れてあります。合わせてご参考になさって下さい。
(3)伝道サンプルは、相手の聖書知識や言語能力、信仰の動機などに合わせて、使い分ける必要もあります。例えば、伝道サンプルの中には、特定の聖句のギリシア語の意味など、多少専門的な話を含むものもありますが、難しい話が苦手なタイプの信者が相手である場合、有効ではありません。
伝道サンプルの紹介
以下に、駅前のエホバの証人への伝道に使えるお勧めの伝道サンプルをリストアップいたします。当サイトの「伝道サンプル」のカテゴリーでも、随時新たな伝道サンプルを公開していきますので、合わせてご参照ください。
脚注
[1] ものみの塔は、歴史的に主張してきた多くの独特な教理を、「キリスト教世界の偽りから解放されてきた証拠」だと説明しており、それらを「増し加えられてきた光」「エホバの漸進的な啓示」として紹介しています。しかし、それらの独自の教理のほとんどは、聖書から大きく逸脱したものとなっています。
[2] 『王国宣教』2013年7月号を参照。なお、信者間での呼び方は、他にも「カートの奉仕」「スタンド奉仕」などバリエーションがあります。
[3] エホバの証人の間では、古くから「聖書研究」という表現が用いられてきましたが、最近では「聖書レッスン」という表現も多用されるようになってきています。「聖書レッスン」という表現の方が馴染みやすいからだと考えられます。
[4] 『王国宣教』2013年9月3頁「わたしのを読んでくれるなら,それをもらいましょう」
「わたしたちは,誤りを広める宗教文書とわたしたちの聖書研究の手引きを交換することはしない」と述べられており、交換を申し出られた場合の対処方法について説明されています。