144000人と大群衆とはどのような人々なのか?十四万四千人と大群衆⑤

十四万四千人と大群衆のこれまでのシリーズにおいて一貫して強調してきたことは、どちらのグループも同じキリストの体であり、新しい契約の当事者である、ということです。これが本当に重要です。とはいえ、これまでの記事では「十四万四千人と大群衆がどのような人々なのか」という肝心な点について説明をしてきませんでしたので、最後にその実体についてお話をし、このシリーズの締めくくりとしたいと思います。
十四万四千人と大群衆〜どちらも新しい契約の当事者である。
エホバの証人の教えを背景にこの問題を論じる際、最も重要な点は「十四万四千人」であれ「大群衆」であれ、どちらも新しい契約の当事者であり、イエス・キリストの血によって罪を清められ義とされる民だということです。実際、これら二つのグループの実体について多少間違った理解を持ったとしても、新しい契約の当事者という側面から除外さえしなければ、さほど大きな問題は起きなかったでしょう。
しかし、ものみの塔が大群衆を新しい契約から除いてしまったために、エホバの証人の教え全体が福音の本質から外れ、「異なる福音」へとメッセージ全体が変質してしまったのです。そのために新約聖書の多くの言葉も、それらは十四万四千人のために書かれたものであって、今日の大多数の大群衆のためのものではない、とまで言われてしまっているのです。[1]
大群衆が新しい契約の当事者であることの根拠については、すでに本シリーズの一回目で詳しく説明しました。
「すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,『白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか』。 14 それでわたしはすぐ彼に言った,『わたしの主よ,あなたが知っておられます』。すると彼はわたしに言った,『これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。 15 それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も[神]に神聖な奉仕をささげている。』啓示7:13~15
ここで、大群衆が大患難から出て来て神のみ座の前にいる根拠(理由)として、「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と言われています。聖書的な理解では、子羊の血で自分の衣を洗って白くすることは、イエス・キリストの流された新しい契約の血で罪が聖められ義とされていることを表します。もしもこの理解に反対する人がいるとすれば、その人は聖書の事を何も知らないか、嘘をついているか、悪魔に欺かれているのでしょう。(統治体は反対しています)
ですから、この短い聖句のみで、大群衆が新しい契約の当事者であることは明白にわかるのです。
十四万四千人とは誰なのか
人数と部族について:字義通りか、象徴的な意味か?
次に十四万四千人について、聖書から見ていきたいと思います。最初に考えたいのは、その数字やイスラエルの部族名が、字義通りの意味なのか、それとも象徴的な数と名称なのか、という点です。
「そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。 5 ユダの部族の中から一万二千人が証印を押され・・・ベニヤミンの部族の中から一万二千人が証印を押された。 9 これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。」啓示7:4〜9、新世界訳
神学的な立場では、この十四万四千という数字に対して字義通りに理解する立場と、象徴的に理解する立場の二つがあります[2]。断言はしませんが、私の理解では、これらはおそらく字義通りの数字と部族名です。その理由を説明します。
まず人数についてですが、ヨハネはこの幻の中で、証印を押された者たちの数が「十四万四千」であると聞き、さらに各部族から一万二千人ずつ証印を押されたことがわかります。これらはこの啓示の中で実際に証印を押された人数であり、その数はとても具体的です。
一方、その後に登場する大群衆については、「だれも数えつくすことのできない」と言われており、「十四万四千」という数えることのできたグループとは対照的です。ですから、十四万四千人のグループの人数は、きっとその通りの実数なのではないか、と理解できます。
次に部族名です。「イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された」とあり、加えて各部族から一万二千人ずつ選ばれたという具体性もあります。もしも象徴的な意味であれば、部族ごとの人数まで列挙する必要があるとは思えません。
さらに、続いて登場する大群衆が「すべての国民と部族と民と国語の中から来た」のに対し、十四万四千人は「イスラエルの子ら」とされて対比されているので、やはり十四万四千人が字義通りのイスラエル人だと理解するのが自然ではないかと思います。
ここで少し、ものみの塔の理解を指摘させていただきますが、彼らは十四万四千人の人数を字義通りに理解しますが、部族名になると途端に象徴的に理解し始めます。これまでに説明してきた聖句の流れを踏まえると、統治体の理解には一貫性がないと思います。もしも十四万四千を字義通りに解釈するなら、部族名も字義通りに理解した方が良いでしょう。もっともそうなると、現行の統治体が実は誰も十四万四千人のメンバーではないことになってしまいますが。

十四万四千人の役割とタイムテーブル
「この後わたしは,四人のみ使いが地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないようにしているのを見た。 2 また,別のみ使いが日の昇る[方角]から,生ける神の証印を携えて上って行くのを見た。彼は,地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んで 3 こう言った。『わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはならない』。 4 そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。」啓示7:1〜4、新世界訳
聖書預言によれば、この世の終わりに大患難が生じ、地上に厳しい神の裁きがもたらされます。この点については、エホバの証人もキリスト教も同じようにそう信じています。聖書の言葉そのものが明らかにそれを示しているからです。
そして、この大きな患難が本格的に地上で始まる時、「地と海を損なう」とある通り、人間だけでなく自然界にまで及ぶ神の怒りの裁きが下されます。しかし、その裁きが下される前に、十四万四千人の者たちが額に証印を押されなければなりません。

裁きが下る前に額に証印を押されるのは、その裁きの中での神の守りを表しており、裁きが下る場所や人が滅ぼされても、額に印のある人々は守られます。この理解は聖書に基づいており、旧約聖書の中に、同様の事例を見出すことができます。
「主は彼にこう言われた。『都の中、エルサレムの中を行き巡り、ここで行われているすべての忌み嫌うべきことを嘆き悲しんでいる人々の額に、しるしをつけよ。』また、私が聞いていると、ほかの者たちに主はこう言われた。『この者の後について都の中を行き巡って、打ち殺せ。あわれみをかけてはならない。惜しんではならない。』」エゼキエル書 9:4~5
エルサレムに下されようとする裁きの前に、正しい心を持つ人々の額だけにしるしが押され、それが裁きの中での守りとなりました。
実際、大患難の裁きが始まると、額に印のある人々だけが特別な守りを受けることがわかります。
「また,第五のみ使いがラッパを吹いた。すると,わたしは天から地に落ちた星を見た。底知れぬ深みの坑のかぎが彼に与えられた。 2 そして,彼が底知れぬ深みの坑を開けると,大きな炉の煙のような煙がその坑から立ち上り,その坑の煙によって太陽が,また空気が暗くなった。 3 そして,その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには権威が与えられた。地のさそりが持つのと同じ権威である。 4 そして,地の草木を,またどんな緑のものも,どんな樹木も[損なわないように],ただ,額に神の証印のない人々だけを損なうようにと告げられた。」啓示9:1〜4、新改訳2017
その後、啓示14章において十四万四千人についての最後の記述があります。
「またわたしが見ると,見よ,子羊がシオンの山に立っており,彼と共に,十四万四千人の者が,彼の名と彼の父の名をその額に書かれて[立っていた]。 2 またわたしは,多くの水の音のような,そして大きな雷鳴のような音が天から出るのを聞いた。わたしが聞いた音は,自分で弾くたて琴に合わせて歌う歌い手たちの[声]のようであった。 3 そして彼らは,み座の前および四つの生き物と長老たちの前で,新しい歌であるかのような[歌]を歌っている。地から買い取られた十四万四千人の者でなければ,だれもその歌を学び取ることができなかった。 4 これらは女によって自分を汚さなかった者である。事実,彼らは童貞である。これらは,子羊の行くところにはどこへでも従って行く者たちである。これらは,神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られたのであり, 5 その口に偽りは見いだされなかった。彼らはきずのない者たちである。」啓示14:1~4
黙示録を丁寧に読んでいくとわかることですが、14章の預言はその内容的に、大患難時代の中期から後期にかけてのメッセージです。そして、そのタイミングで十四万四千人は子羊と共にシオンの山に立っており、み座の前および四つの生き物と長老たちの前〜つまり天で新しい歌を歌っています。
流れを整理すると、十四万四千人は、大患難が始まる直前に証印を押されて選ばれて、その患難の時代を神の守りを受けながら地上で通過し、患難時代の中〜後期のどこかの時点で天へ引き上げられ、栄光の位に座するグループだと考えられます。
彼らは、なぜ神の守りを受けながらある程度の期間、地上にいる必要があるのでしょうか?おそらく、世界宣教のためではないでしょうか?患難時代の中での彼らの宣教が多くの実を結び、それが大群衆という最後の世界的な収穫へと繋がっていくのではないか、と私は予想しています。
なお、十四万四千人について「これらは女によって自分を汚さなかった者である」とありますが、聖書の中では、イスラエルの偶像礼拝が、よく「姦淫・淫行」の罪と結び付けられています。その点を踏まえると、この十四万四千はヤハウェ以外の偶像の神を生涯で拝んだことが一度も無い者たちを表すのでは?と思います。そうなると、この十四万四千人をイスラエル人だとする理解は辻褄が合うように思えます。
大群衆について
全ての国民と部族と民と国語の中から来る大群衆
「これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。 10 そして大声でこう叫びつづける。「救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とに[よります]」啓示7:9~10
これらのこと−つまり十四万四千人が選ばれた後、ヨハネが天の幻の中で見た光景は「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」でした。彼らは、イエスの血によって義とされたことを表す白い衣を着た人々であり、その血によって救いを得る世界中のたくさんの兄弟姉妹たちです。実は、啓示5章の中に、この光景と対応する場面があります。
「そして彼らは新しい歌を歌って言う,「あなたは巻き物を受け取ってその封印を開くにふさわしい方です。あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を買い取ったからです。 10 そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです」啓示5:9~10
どちらもイエスの血による贖いを通して「あらゆる部族と国語と民と国民の中から」から来る人々であり、同じグループであることがわかります。彼らは王なる祭司であり「地に対し王として支配する」のです。

大群衆の希望とタイムテーブル
とはいえ、啓示7章に登場する大群衆というグループについては、その対象とされる時間軸がより限定されています。
「すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,「白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか」。 14 それでわたしはすぐ彼に言った,「わたしの主よ,あなたが知っておられます」。すると彼はわたしに言った,「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。 15 それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も[神]に神聖な奉仕をささげている。また,み座に座っておられる方は彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう。彼らはもはや飢えることも渇くこと」啓示7:13~15
イエスの血によって救いを得てきた人々は紀元一世紀から膨大な数に上りますが、特にここで大群衆と呼ばれている人々は、「これは大患難から出て来る」グループであることがわかります。
では、大患難から「出てくる」とは、どのような意味でしょうか?エホバの証人の聖書の「出て来る」という訳は、この部分についてはかなり原文通りの訳出で、英語のNew Kings James Version でも「come out of the Great Tribulaiton」となっています。
大患難を経験せずに天に挙げられ、その時代から救われて来るグループなのか、あるいは大患難を通りつつその中から救われてくるのか、あるいはそれらの両方を意味するのか?この短い箇所からだけでは断言できませんが、いずれにせよ、大患難直前か大患難中に存在する世界中のクリスチャンの大群衆を表すことは間違いないでしょう[3]。
そして、彼らは出て来た時点で「それゆえに神のみ座の前にいる」とある通り、天において神と子羊のみ前にいて、天の軍勢と共に大声で神を賛美することになります。また「彼らはもはや飢えることも渇くこと」も無いとあるように、一度大患難から出て来た彼らがもはや滅びることは決してありません。彼らはその時点で救いの完成を得て、第二の死を損なうことも決してなく、王なる祭司として永遠のいのちの中を歩むことになるのです。ハレルヤ!
ですから私の祈りと願いは、来るべき大患難の時代に向けて、一人でも多くのエホバの証人が福音の真理に目覚めて、大群衆の一人として神のみ座の前に立つようになることです。主の御心がなりますように!
脚注
[1] 大群衆にもある意味で適用されるため無関係ではないとされますが、直接的には適用されない、と教えられています。
[2] 象徴的な理解では、12 x 12 x 1000 = 144000 という数字に分解して理解されるようです。以下、解釈事例です。12 x 12 =旧新約にわたる全聖徒の完全な連帯。1000 = 神の軍勢としての圧倒的な規模と力。144000 = 「神によって選ばれ、守られている民の総数」であり、一人も欠けることのない救いの完成
[3] この点は、携挙の時期についての議論と関係する問題であり、丁寧に考察しようとすると、話がやや複雑になります。世の終わりに地上で生きているクリスチャンが一斉に天に挙げられる出来事を「携挙」と言いますが、この携挙が大患難の前なのか、患難中なのか、患難後なのか、という点についてクリスチャンの間で議論があるからです。どちらにしろ、患難時代の中でもたくさんの人々が救われていくことは聖書的に間違いはありません。この問題についてさらに詳しく知りたい方は、「携挙の真実―終末に起こるキリストの空中再臨の全てを解説」をお読み下さい。






