十四万四千人と大群衆④ 十四万四千人の定員オーバー問題
エホバの証人の教えによれば、「天的な希望を抱く十四万四千人」のグループは、聖書時代である紀元1世紀のクリスチャンと、エホバの証人の中の少数の油注がれた人たちからなる、とされています。しかし、実際に該当する人数を計算してみると、「あれ、その定員数はとっくにオーバーしてない?」というのが、今回の記事で考えたいテーマです。
エホバの証人の油注がれた者たちの数は?
天的な希望を抱く新しい契約の当事者は十四万四千人に限定されるのか、この数字は現実的なものなのかを検証する上で、まずは「エホバの証人の油注がれた者」とされている数がどれくらいになるのかを計算してみます。
十四万四千人と大群衆に関する教えをラザフォードが発表したのは、1935年のことでした。その時を境に、地上で永遠に生きる見込みを持つ大群衆が集められ始めた、ということですので、十四万四千人のメンバーの基本的な募集は、大まかには、その年に一旦区切りがついたはずです。
ではその1935年当時、エホバの証人の信者は全世界でどれくらいだったのでしょうか?出版物の中に、その正確な数字が示されています。
「1935年当時,エホバの証人は比較的少数であり,全世界に5万6,153人しかいませんでした。」ふれ告げる、443ページ
その数は約5万6千人、だったことがわかります。組織の教えによれば、その後も細々と十四万四千人のメンバーは集められているようですが、当時から90年が経過した現在、自分が十四万四千人のメンバーの一人だと信じているエホバの証人はどれくらいになるのでしょうか?
エホバの証人の『年鑑』から最新の2024年の統計を見てみると、その数およそ二万三千人、であることがわかります。
記念式でパンを食べ,ぶどう酒を飲んだ人の数: 23,212
この2万3千人のメンバーは、年代的に1935年当時のメンバーとほとんど重なっていないと理解して良いでしょう。すると、56000 + 23000 = 79000人となり、十四万四千人のうちの半数以上の79000人がエホバの証人で構成される、という教えであることがわかります。
すると、紀元1世紀の天的級の定員の椅子は、約65000人であることがわかりますが、こうやって見るとかなり少ない印象です。
一世紀のユダヤ人信者の総数を聖書の記録から計算する
初期の急成長
イエスは復活後、使徒たちを含む五百人以上の弟子たちに同時に現れています。
「そののち彼は一度に五百人以上の兄弟に現われました。その多くは現在なおとどまっていますが,[死の]眠りについた人たちもいます。」第一コリント15:6
次に、ペンコテステの日に三千人が救われました。
「そのため,彼の言葉を心から受け入れた者たちはバプテスマを受け,その日におよそ三千人の魂が加えられた。」使徒2:41
その後、足なえの人が癒された後のペテロの説教を通して、五千人の男性が救われました。この数字は男性だけの数字ですので、これに続いて女性や子供たちも合わせると、すぐにその倍の数にはなったことでしょう。
「しかし,話されたことを聴いた人々のうち大勢の者が信じ,男の数はおよそ五千人になった。」使徒4:4
ですので、まず初期のこの時点で、油注がれたクリスチャンの数はユダヤ人だけで13500人〜程度にはなっていたことがわかります。
そして、大収穫は止まりません。使徒たちを通して多くの奇跡が行われ、周辺からは人々が癒しを受けるために集まり、救われる人の数はさらに増えていきました。この辺りの流れで、さらに数はさらに加速していき、2〜3万人くらいにはなったと考えるのが自然です。
「12 そのうえ,使徒たちの手を通してその後も多くのしるしや異兆が民の間に起こった。そして彼らは皆そろってソロモンの柱廊にいた。13 ほかの者たちはだれも彼らに加わる勇気を持ってはいなかったが,それでも民は彼らをほめたてるのであった。14 そればかりか,主を信じる者が,男も女も大ぜい加えられていった。15 そのため,人々は病人を大通りにまで連れ出して来て,そこで小さな寝床や寝台に横たえ,ペテロがそばを通る際,せめてその影でも[病人]のだれかにかかるようにした。16 また,エルサレム周辺の都市の大勢の人が,病気の人や汚れた霊に悩まされる者たちを連れて集まって来た。そして,彼らはひとり残らず治されるのであった。」使徒5:12~16
紀元50年代後期
その後、パウロが使徒となり、異邦人の世界に福音が力強く広まっていきました。3度の宣教旅行を終えてからエルサレムに来たパウロに対し、ヤコブは次のように語っています。
「それを聞くと,彼らは神の栄光をたたえはじめ,それから[パウロ]にこう言った。「兄弟,あなたが見るとおり,ユダヤ人の中には幾万もの信者がいます。そして彼らはみな律法に対して熱心です。」使徒21: 20
ここので「幾万」という数字が、どこまでの範囲のユダヤ人信者を含めた数なのかははっきりと分かりませんが、エルサレム周辺やローマ帝国内のある程度の地域において、ヤコブが把握している信者数が幾万だったということでしょう。
このヤコブの証言は、紀元57〜58年の頃のものであり、初代教会が初期のリバイバルを経験してから20年以上経っています。20年前の時点で、2〜3万人はいたと考えられますので、少なく見積もってもその倍以上の数にはなっているでしょう。ということはこの時点で既に、ユダヤ人信者だけでも4〜6万人・それ以上の数にはなっていたはずです。
ちなみに、「幾万」という表現の意味するところですが、「幾」(英語:Many)と訳されているギリシア語のPososには、「いかに多いか、いかに偉大か」という量的な多さを表現する意味合いがあり、一例として、次の聖句では「どんなにかひどいことでしょう」と訳されています。
「あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば、その闇はどんなにかひどいことでしょう」(マタイ6:23、新世界訳)
ですから、当時のユダヤ人信者の「幾万」という表現の意図するところは、2〜3万というレベルではなく、少なくともその倍以上の数字にはなったと考えるのが自然ですが、そうなるともうこの時点で、一世紀の定員である「65000人」にユダヤ人信者だけで達していたと考えられるでしょう。
これにサマリヤ人や異邦人も加えると、、完全に「定員オーバー」だったことがわかります。
サマリヤ人と異邦人の救い
聖書から、その統計は分かりません。書かれていないからです。ただし、当時、使徒たちを通してなされた福音伝道とその福音に伴う力あるしるしによって、非常にたくさんの人が集団でイエス・キリストを信じていった様子が伺えます。
サマリア人のリバイバル
「そのひとりフィリポは,サマリア市に下り,人々にキリストを宣べ伝えはじめた。6 群衆は聴き,また彼が行なうしるしを見ながら,フィリポの語る事柄にこぞって注意を払っていた。7 汚れた霊につかれた者が大勢おり,それらが大声で叫んでは出て来たからである。また,まひした足なえの人も大勢が治された。8 こうしてその都市には非常な喜びが生じた。」使徒8:5~8
ピリポの伝道と超自然的な業によって、多くのサマリア人が主を信じたことがわかります。さらにこの後、ペテロとヨハネが来て、サマリア人にも聖霊が下りますので、信じる者の数はますます増え広がっていったと推定されます。
異邦人のリバイバル
使徒たちによる世界宣教によって、急速に福音が広がったことが、以下の聖句からわかります。
「もとよりそれは,あなた方が引き続き信仰にとどまり,土台の上に堅く立って揺らぐことなく,自分たちの聞いた良いたよりの希望からそらされないでいるならばのことです。その[良いたより]は天下の全創造物の中で宣べ伝えられたのです。私パウロは,この[良いたよりの]奉仕者となりました。」(コロサイ1:23)
ここでは「その[良いたより]は天下の全創造物の中で宣べ伝えられた」とありますが、ここで言う「天下」とは、現代で言う全世界ではなく、あくまで当時のユダヤ人が認識していた異邦人世界を意味します。コロサイ書は、紀元60前後に書かれたと推定されていますので、キリストの復活から約30年間で、福音が当時の世界全体に急速に伝達されていったことが伺えます。
エペソでのリバイバル
一例として、パウロによるエペソでの伝道の働きは凄まじいものがあり、周辺の多くの人々がイエスの名を恐れ、イエスを信じるようになりました。
「しかし,ある者たちがかたくなになって信じようとせず,大勢の人たちの前でこの道について悪く言った時,[パウロ]は彼らから離れて弟子たちを彼らから別にし,ツラノの学校[の講堂]で毎日話をした。 10 これは二年にわたって行なわれ,その結果,ユダヤ人もギリシャ人も,アジア[地区]に住むすべての者が主の言葉を聞いた。 11 そして神はパウロの手を通して異常なまでの力ある業を行ないつづけられた。 12 そのため,ただ布切れや前掛けを彼の体から取って患っている人のところに持って行くだけで,疾患は去り,邪悪な霊たちは出るのであった。・・
・・・このことは,エフェソスに住むユダヤ人にもギリシャ人にも,みんなに知れ渡った。そして,恐れが彼らすべてに臨み,主イエスの名は大いなるものとされていった。 18 また,信者となった者の多くがやって来ては告白をし,自分の行なってきたことをあらわに告げるのであった。実際,魔術を行なっていたかなり大勢の者が自分たちの本を持ち寄って,みんなの前で燃やした。そして,それらの値を計算してみると,合わせて銀五万枚になることが分かった。 20 このようにして,エホバの言葉は力強く伸張し,また行き渡っていった。」(エフェソス19章)
エデッサでのリバイバル|エウセビオスの教会史より
聖書ではありませんが、教会の歴史家であるエウセビオスが書いた教会史の中に、一世紀当時のクリスチャンの増加の様子がより詳細に記録されています。
一例として、当時イスラエルの北東にあったエデッサという町で起こった大きなリバイバルを紹介します。
※エデッサの場所は現在のトルコの南部(シャンルウルファ)であり、一世紀当時は「オスロエネ王国」という小さな王国の首都でした。
「また、この頃には、オスロエネびとの王(エデッサの王アブガル・ウカマを指す。I 13六参照)になしたわたしたちの救い主の〔約束〕が成就しつつあった。わたしたちが少し前で(I 13五)、その地で発見された文書から明らかにしたように、トマスが、神的なものにつき動かされて、エデッサにキリストの教えの宣教者・福音伝道者としてタダイを派遣したからである。タダイは、その地に赴くとキリストの御言(みことば)でアブガルを癒し、その地のすべて〔の住民〕を驚くべき奇蹟で驚嘆させた(I 13十一:一七)。彼は、〔不思議な〕業を十分に見せた後、彼らをキリストの権能の讃美者にし、救いの教えの弟子にした。そして、そのときから現在まで、エデッサびとの町全体がキリストの名に帰依(きえ)し、彼らに行なったわたしたちの救い主のよき働きの、尋常でない証しになっている。」エウセビオスの教会史(上)、90〜91ページ
福音伝道者、全地を巡る
さらにエウセビオスは、当時の世界にいかに福音が力強く広まり、異邦人が多く救われていったのかを説明してくれています。
「福音伝道者、全地を巡る
(3) こうして、天の力と助けによって、救いの御言が、太陽の光のように、人の住む世界を隈なく照らしはじめた。やがて、聖なる文書の預言どおりに、神の霊を受けた福音伝道者や使徒の「声が全地を〔めぐり〕、彼らの言葉が人の住む世界の果てまでおよんだ」(詩篇一九4、七十人訳)。そして、もちろん、どの町や村にも、打ち場(マタイ三12、ルカ三17参照)のあふれんばかりの〔穂〕のように、何万という人びとで満ちあふれる教会が起こったのである。〔その結果、〕先祖代々の誤りによって〔自分の〕魂が偶像崇拝という古来からの迷信の病で金縛りになっていた者たちは、その方の弟子たちや奇蹟の業を介し、キリストの権能によって、厳しい主人から〔解放される〕ように自由にされ、そして恐ろしい足枷(あしかせ)をはずされたのである。彼らはあらゆる類のダイモーン(悪霊たち)の多神教を唾棄(だき)し、全〔宇宙〕の生成者なる神が唯一である、と告白した。彼らはこの神に、わたしたちの救い主が人びとの生活の中でその種子を植えた、聖なる厳粛な礼拝を通し、真の宗教の聖典礼によって敬意を払った。
(4) 神の恵みは今や他の民族にさえも流れ出た(行伝一〇45)。まず最初に、パレスチナびとのカエサリヤのコルネリオとその全家族が、神的なものの顕現とペテロの奉仕によって(行伝一〇3以下)、キリストへの信仰を受け入れた(行伝一〇1−2)。そして、ステパノへの迫害のとき散らされた者たちが宣教するアンティオキヤの、その他大ぜいのギリシア人たちもそれに続いた(行伝一一19−20)。アンティオキヤの教会はすでに繁栄し、成長していた。」エウセビオスの教会史(上)、95〜96ページ
このように当時の世界でなされた力強い福音伝道と救いの記録を見ていくと、「十四万四千」という定員数が全く話にならないことが理解できると思います。
一世紀末のキリスト教徒の人口は100万人
世界キリスト教百科事典より
既に考察してきたように、十四万四千人という推定が明らかに定員オーバーであることがわかりますが、最後に他の資料の統計も見ておきたいと思います。
複数のデータによれば、紀元一世紀末時点におけるクリスチャン人口の推定は「100万人」です。この数字は、世界キリスト教百科事典の以下の表にて、当時の人口統計と合わせて詳しく記載されています。
<世界統計表8>キリスト教の伸展と世界伝道 AD30~2000年
【AD100年時点】(単位100万)
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世界人口:181.5
キリスト教徒:1.0
伝道に接した人々:50.8
キリスト教徒の割合:0.6%
伝道に接した人々の割合:28.0%
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このように、当時のクリスチャン人口だけでなく、世界人口に対する割合や、伝道に接した人々などの統計も出ていることがわかります。
さらに以下の表では、地域ごとのクリスチャン人口の数値も出ています。(画像をご覧下さい。)
<世界統計表21>キリスト教の伝播および世界伝道の状況 AD30~2000年
【AD100年時点】(単位100万)※以下、キリスト教徒人口のみ抜粋します。
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アフリカ:0.4
ヨーロッパ:0.3
南アジア:0.3
他の地域:0
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クリス・パーク博士(ランカスター大学)より
ランカスター大学のクリス・パーク博士は、以下でダウンロードできる論文「RELIGION AND GEOGRAPHY」の15ページ目で、一世紀のクリスチャン人口の推定が100万人であったと記載しています。
以下、該当箇所の抜粋
(英語の原文)Christian preachers and missionaries. It spread first to Samaria (in northern ancient Palestine), then to Phoenicia to the north-west, and south to Gaza and Egypt. Afterwards it was adopted in the Syrian cities of Antioch and Damascus, then subsequently in Cyprus, modern Turkey, modern Greece, Malta and Rome. It spread fast, and numbers quickly grew. Within the first century there were an estimated million Christians, comprising less than one per cent of the total world population.
(日本語訳)それは最初にサマリア(北部の古代パレスチナ)、次に北西はフェニキアへ、そして南はガザとエジプトに広がった。 その後、シリアの都市であるアンティオキアとダマスカスで、そしてキプロス、(現代の)トルコ、(現代の)ギリシャ、マルタ、ローマで公認された。 それは急速に広まり、数は急速に成長した。1世紀中には、世界中の人口の1%未満を占める百万人のキリスト教徒がいたと推定される。
このように、紀元一世紀のキリスト教人口の推定が「100万人」であったことは、専門家による複数の資料において一致しており、144000人を優に越えています。仮に、これらの数字に大きな誤りがあり、実際の総数がその半分以下であったとしても、やはり144000人を遥かに越えてしまうのです。
結論として、新しい契約の当事者・油注がれたクリスチャンの総数を十四万四千人に限定する教えは、聖書的にも統計的にも全く間違った教えであることがわかります。
イエスを信じる全ての者を、ただ恵みによって義とする福音の真理に、これからもたくさんのエホバの証人が気づいていくことができますように!








