教会に求められる対応③|キリストの元へと導くために
信者の交わりに迎え入れる
既に触れた点ではありますが、ものみの塔は、「世との交流」を否定し、信者がエホバの証人以外の人々と必要以上に仲良くならないよう指導しています。(ここでの「世」には、キリスト教徒も含まれます)そのため、多くのエホバの証人は、外部の人々との親密な交流が少なく、真面目に活動してきた信者ほど、その傾向は顕著になります。
ですから、ほとんどの信者にとって、ものみの塔を離れることは、それまでの人間関係の多くを捨てること意味します。それまでの組織の活動に生きがいを感じてきた信者であれば、その活動を離れることによって、心に大きな穴が空くものです。また、カルト的な価値観によって揺さぶられたり、ストレスを抱えたりしている元証人も少なくありませんが、信者同士の内部批判が禁止されているために、吐き出す場を失っている場合もあります。
ですから、受け皿となる教会は、このような状況を理解し、彼らが新しい仲間と生きがいを見つけることができるよう、速やかにキリストにある交わりに迎え入れてあげる必要があります。
「私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、20 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのだと、知るべきです。」(ヤコブ5:19~20、新改訳)
聖書の学びを提供する
エホバの証人は、多くの誤った教理を組織から教え込まれているので*[1]、正しい聖書の教えを学び直さなければなりません。ただし、一つ一つを丁寧に説明していくためには、ある程度の専門知識も求められます。お勧めの方法としては、本書やそこで紹介しているお勧め図書、ウェブサイト「エホバの証人への福音」等を先に読んでもらい、その上でわからない点などを、教会側で個別に対応していくことができます。
なお、聖書理解に問題があるとはいえ、多くのエホバの証人はキリスト教徒よりもたくさん聖書を勉強してきています。そのため、元証人の対応にあたるのは、聖書の教理にある程度精通している牧師や信徒の方が望ましいでしょう。
障害となりやすい心理を理解する
エホバの証人の社会とキリスト教の社会とでは、言葉の表現、教え、習慣などに多くの違いがありますので、その違いゆえに、教会やクリスチャンに躓く人も多くいます。例えば、「エホバの御名」が用いられないこと、十字架が掲げられていること、献金袋が回ってくること、牧師が「先生」と呼ばれていること、信徒が野外伝道をしていないこと、等々、たくさんの躓く要素が教会の中にはあるのです。
また、組織を離れた元エホバの証人は、カルトから抜け出た人に共通して見られる様々な心理的な問題を抱えている場合があります。例えば、組織を離れると、物事を自分で考え判断していく必要が生じるので、組織依存からの脱却の過程で「思考の乱れ」を感じたり、組織を離れたことによる恐怖心を抱えたりします。それで、元証人を迎える教会の信徒たちは、こうした心理的問題への理解を示し、時には辛抱強く接していくことが求められます。
なお、これらの躓きの要素や心理的問題については、本書の第五章でより詳しく説明していますので、合わせてご確認下さい。
バプテスマを授ける
キリストの福音へ正しく導かれたエホバの証人に対しては、聖書的なバプテスマを再度受け直すよう勧める必要があります。なぜなら、エホバの証人のバプテスマは、聖書的なバプテスマとは言えないからです。
教会のルールによっては、ものみの塔を正式に脱退をした後で無ければバプテスマを許可しない、という場合がありますが、エホバの証人側の状況について理解を示す余地があるかもしれません。本書でも既に述べたように、組織を正式に脱退する場合、同じ家族の信者との関係の断裂を与儀なくされます。ですから、親族の救出が完了するまでは、正式な脱退届けは良い選択とはならないのです。
また、聖書の記録を見ても、キリストを信じて救われた人は、様々な状況下で、速やかにバプテスマを受けています。ですから、教会内に洗礼を希望する元証人がいる場合は、たとえその時点でものみの塔に脱退届けを出していないとしても、当人が信仰によって新生していることが確認できれば、バプテスマを授けても問題は無いはずです。
「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」(使10:47、新改訳)
それで、エホバの証人を受け入れる教会が、このような厳しい戒律への理解を示し、洗礼を希望する元証人へ柔軟に対応して下さることが筆者の願いです。
脚注
[1] ただし、学んでいる全てのことが間違っているわけではありません。異端性やカルト性に関わるものみの塔独自の教理については、その多くが間違っていますが、それ以外の理解については比較的正しく教えられています。
お伺いします。
元エホバの証人の方で、教会に導かれイエスを主と信じるところまで来られているのですが、同じ会衆であった方と思われるエホバの証人の方が幾度も自宅に訪ねてこられ、エホバのほうに戻るように働きかけてこられるようです。どのように対処すべきか、教会としてどうアドバイスすれば良いのかご教示願えますでしょうか。
お問い合わせありがとうございます。似たような状況はよくあることですが、普通に、「はっきりと断る」ことによって、それ以降来なくなります。なので、おそらく、イエス様を信じようとしている元エホバの方に、まだはっきりと断る意志が無い状態ではないでしょうか?もしあれば、断ることは問題では無いと思います。また、元エホバの方に、組織の間違いに対する十分な確信があるようでしたら、訪問される際に、逆に訪問してくるエホバの証人に逆伝道するのが良いと思います。そうすると、相手のJWは、間違いに気づくか、二度と来なくなるかのどちらかになります。
返信をいただきありがとうございます。
教会に求める対応③の中に、「脱退届け」という言葉が出てきていますが、それは特に出す必要は無いということでよろしいでしょうか。
「訪問されなくなる」ことが目的であれば、脱会届を出す必要はございません。はっきりと断るだけで、来なくなります。どうぞご参考になさってくださいね。
ありがとうございました。
はじめまして。
素晴らしいサイトに出会い感謝致します。
親友にエホバの証人がいて、15年程前から研究生として聖書を学んでいます。初めからものみの塔の教理には疑問があったので、以前は、元々興味があった聖書の勉強のきっかけとして、また親友との親しい交流として学んでいけばいいという軽い気持ちでした。でもここ数年誘われて集会にも参加するようになりました。教理に影響されないように新共同訳や新改訳も読み、ハーベストタイムの動画も見ていましたが、気がついたら集会などにとても安らぎを得て、いろいろな教理も肯定するようになっていました。結局中川健一先生の言葉で目が覚めてまた元に戻れましたが、今は、ものみの塔の教理への矛盾と、親友たちが「被害者」であることに以前より怒りと悲しみを感じるようになりました。親友には、キリスト教の聖書を読んだり勉強していること、教理に疑問を持っていることは今まで一切言ったことがなく、言うつもりもありません。それが本当の救いに結びつくとは限らず、きっと親友を苦しめてしまうと思うからです。エホバの証人である親友をかわいそうに思い最初は聖書の話題を共有すれば少しでも救われるのではという思いから一緒に勉強していましたが、親友の道徳的で愛のある生き方や、自分が困った時助けてくれるあたたかい気持ちなどに接すると、教理まで素晴らしいものに見えてしまいました。1番つらいのは、共に聖書研究する中で、エホバ神や親友の考えや教理について褒めたり話を合わせて心にも無い事を言わなければならず、自分が偽善者だと思ってしまうことです。私自身、これまで新世界訳聖書を読んで救われたことも何度もありました。名前の呼び方が違うだけでエホバ神とキリスト教の神は同じだと自分に言い聞かせていました。でもこちらのサイトを拝読して、イエスさまが被造物でないことさえわかっていないことに愕然としました。親友との交流は断ち切れるものではないのでこれからもキリスト教の教えとものみの塔の教理とを比較しつつ学んでいくことになると思いますが、ものみの塔の教えに染まらないか、親友を傷つけないか、不安な日々です。誰にも相談出来ず、答えもないことだと思いますが、コメントさせて頂くこの場所を下さりありがとうございます。
はじめまして、サイト管理人です。コメントありがとうございます。何よりもまず、マーガレットさんが、キリストにある真理へ導かれたことを神に感謝します。ご友人に対する思いもよくわかります。そのご友人は、真実を求めている方でしょうか?もしそうであれば、たとえどんなに自分がこれまで信じてきたことが否定されようとも、真実を知りたいと願うのではないでしょうか?
ニコデモは、イエスの弟子となるためには、彼のそれまでの一切の権威や地位や功績を否定しなければなりませんでした。しかし、彼は真理を選びました。またイエスは、彼が信じてことを一切気にすることなく、なんのためらいもなく、単刀直入に真実を伝えました。
天の父が求めているのは、霊と真理によって神を崇拝する人々です。そのご友人が、真に神を求める人であれば、マーガレットさんが語るどのような真実に対しても、最終的に心を開くことになるはずです。ご友人との交流に神の祝福と導きがありますように。
あたたかいお返事ありがとうございます。心が少し軽くなりました。
真理を知ってマインドコントロールから解けた方の中にはショックのあまり体調を崩したり自死に至る方もおられると聞きました。友人は二世で何十年も組織に属し、葛藤を乗り越え最近やっと確固たる信仰を得たように見えます。ニコデモはイエスさまに認められ素晴らしい方という印象がありましたがあらためてヨハネの箇所を読んでみて、真理を求める謙遜な姿勢とイエスさまの優しさが心に沁みました。ニコデモのように歳を重ねても、いつでも、真理に出会うのに遅すぎることはないという希望を得ました。これまで友人に一切疑問をなげかけて来なかった私ですが、これからは少しずつでも、自分の考えを伝えて行けたらと思います。そのためには私の知識が十分でないので、頑張って勉強したいです。本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。
ハレルヤ!ニコデモは、イエスの埋葬を手伝った時に、パリサイ人としての彼の功績の全てを捨てました。しかし、ニコデモがパリサイ派の信仰を捨てることになったとしても、彼は聖書に対する信仰を捨てる必要はありませんでした。同じように、エホバの証人が、組織に対する信仰を捨てるとしても、彼らが聖書に対する信仰まで捨てる必要はありません。自死に至る方は、残念ながら、神に対する信仰をも捨ててしまわれたのかと察します。
マーガレット様の伝道を神が祝福してくださいますように。
組織に対する信仰を捨てたとしても、聖書に対する信仰は残り得るとお聞きし希望がわきました。しかし、イエスさまが神でないとか、神のお名前がなにより重要だと言う考えを否定されるなら、聖書への信仰も根幹から崩れるおそれもあるように思います。とにかく今は、何かひとつでも自分の疑問を打ち明ける勇気を蓄え、実践したいです。サマリアの女性の例から、未信者でもその行動が伝道につながることもあることを知りました。私にとっては伝道というと遠い世界の憧れのようなものですが、神さまのため、友人のために何か良いことを少しでもできたらうれしいです。いろいろご教示頂きありがとうございます。
先日はご親切にアドバイスをありがとうございました。日曜だけでなく金曜の集会に出るようになってから、自分の中で教理への矛盾がふくらんでいき、結局、あるきっかけで洗脳が解けたような気持ちになり、もう一切ものみの塔の教えに関わりたくなくなりました。そう決めて友人に伝えると急に楽になりました。私はもともといろいろな疾患があるのですが、その苦痛から精神的に追い詰められて、周りの物を投げたり壊したりすることがあると思っていました。でもほとんどイライラしなくなり、荒れることがすっかりなくなり本当に驚きました。エホバの証人の方の中にはDVが多いと聞きますが、人間本来の自由や権利が無意識に束縛されていることによってフラストレーションがたまり、暴力につながるのかもしれないと思いました。友人には詳細なことは話さずただ教理を受け入れられないことは伝えましたが、説得もされず、自身の信仰にも全く疑問を持たなかったようです。
私には友人を真理へ導く体力的余裕と能力がありませんでした。交流も途絶え、虚しいです。幸い聖書を嫌になることはなく、ハーベストタイムで学んでいます。あらためて、管理人様のエホバの証人を救いたいという貴いお気持ちと勇気と熱心さを尊敬しました。どうかこれからもたくさんの人を救ってあげて下さい。どこにも打ち明けられない思いを聞いて頂けて本当に助かりました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます、返信遅くなり申し訳ありません。
確かに、組織の中には、うつ病の人が驚くほど多いですし、集会に行かなくなったら急に癒されていった、という経験談も聞いたことがあります。しかし何より、組織の誤りに気づき、解放されてよかったですね!
神のことばが真理であることは、全く変わりありませんので、ぜひ学び続け、本当のイエス・キリストから、完全な救いを受け取ってください。