キリストを恨んで30年、それでもイエスは私の主となった|元エホバの証人二世の姉妹の経験

キリストを恨んで30年、それでもイエスは私の主となった|元エホバの証人二世の姉妹の経験

楽しめなかった学生時代

私は物心ついた時から20年間、エホバの証人だった。

だから人付き合いなどなく、青春時代なんて私には無い。友達と遊ぶなんてことは悪いことで、叱られることだったし、だいいち、集会に伝道にと、子どもであれ遊ぶ暇などあったものではない。遊びを断ってるうちに 誰も誘ってはこなくなった。

どの芸能人が好きか、なんて聞かれても全然わからない。だって、テレビのアンテナも外されたから。外からの情報なんて全然なかった。

参加できない学校行事も多く、学校の先生が、それは虐待だと私の親にくってかかって、先生と親が大揉めしたこともある。

先生に「あんたはそれでいいのか?」と聞かれてもね。困るんだよ。

この組織は、自由意志を持つことは許されないし、自由意志ってどんな意志なのかすら、私には理解できないのさ。将来の夢は?なんて聞かれても、わかんない、そんなの。聞かないでよ。

それでも なぜか、私の周りには、目をかけてくれる社会人が多かった。エホバの証人は、やたら 愛だのキリストだの連呼するのに、この組織は冷たく、むしろ 聖書を知らない一般人のほうが、私のことを愛してくれた。

「なんだよ、キリストの愛って。一般人のほうが、優しいじゃないか。」

組織からの脱出と新しい出会い

そんな折、私は、同じエホバの証人の人から、ここは異端かもしれないとの情報を聞きつけた。そして、近所の牧師さんの助けもあり、組織からの脱出成功。

はぁー、清々した。

だけど20年来の友人たちとの別れ。断絶。この悲しみは 今でも忘れられない。

そしてエホバの証人を、今度は 恨みに恨んだ。それは 今思えば、キリストへの恨みでもあった。私はキリストの名のもとに虐待されてきたから、宗教なんぞまっぴら御免。私の人生は私の手の中に取り戻す!と思った。

ほどなくして、仏教徒の夫と結婚。それでも、近所の牧師さんとの友達関係は続いた。

ちなみに、私は生まれてこのかた、ずっと病院通いで、病院に行っても失望するだけなので、病院に行くのもやめた。牧師さんとはよくその話はしたし、よく聞いてくれた。ある時、信仰告白しませんか?と言われて、特に断る理由もなかったので、信仰告白してしまった。

キリストに追いかけられる

その日以来、キリストは、なぜか、逃げても逃げても、私のことを追いかけてきた。

「神様。私の夫は 熱心な仏教徒なんだから、私のことを放っておいてください」と言っても、放っておいてくれない。

体調が悪い時にだけ、イエスさまを呼んで、癒してもらって、それを繰り返すうちに、キリストが私の人生とは無関係だ、などとは言えなくなってしまった。

極めつきは、「神様。私はこんなに頑張っているのに、どうして分かってくださらないんですか?もし私に悪いところがあるんだったら、教えてください!」と叫んだところ、あろうことか神様は、その日その瞬間から、私の罪をこれでもかというほどお示しになり、私はリアルにご飯が食べられなくなってしまった。

あ、もう生きていられない。神様、私は死んだほうがマシです。そう思って開いたみ言葉に、こうあった。

「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたはそれを、さげすまれません。」

キリストの虜になる

こうして私は、キリストの虜になった。

でもその信仰ゆえに、夫には猛烈に反対され続けた。毎日、毎週、辛らつで、もうその内容ときたら、書くことができない。

「神様ひどい。私に信仰を持たせておきながら、こんな状態を放置するなんて。」

そして私は、入院した。脈が異常に高くて 半年くらい仕事ができない状態になる。悲嘆にくれて入院したが、意外とそこは天国だった。そこで初めて、理解した。

「神様が、私を ここに置いてくださった」

神様が置いてくださるのがどこであろうと、神様が共におられる限り、そこは天国なのだ、と 生まれて初めて理解した。以来、どんなに反対されても、辛いという感情が湧いてこなくなった。かえって 神様を近くに感じた。

夫の変化とキリストの勝利

そして、いつのころからか、夫は、私のことを認め、頼り、感謝するようになった。

私は、主が私に与えてくださった忍耐が、重りとして、これほどまでに、夫の魂の重さを知り、これほどまでに キリストの愛は重いことを知る、天秤のような役目を果たしていることを、心から、心から、感謝するよりほかない。

キリストは、私の罪を指摘される時、それはそれは紳士なお方で、公の場から 私の罪を覆ってくださった。

そして、ストレートな福音によってではなく、言葉によってではなく、ただただ隣人に仕え 隣人に服従しつづけるキリストの愛によって、キリストを体現することを望まれた。

キリストが勝利される時、それは華々しいカッコいい勝利ではないと思う。地を這いつくばるような勝利なんだと思う。

みことばを知ることは キリストを知ること、

人生を歩むことは キリストと共に歩むこと、

世の中の人たちを尊敬することは、その人間を精巧に作った創造主を知ること、

世の中に感謝することは、キリストに感謝すること、

世の中の苦しみを知ることは、キリストの苦しみを知ること、

忍耐を知ることは、キリストの忍耐を知ること、

歴史を知ることは、キリストの歴史を知ること、

隣人を愛することは、キリストの愛を知ること、

生きることはキリスト、死ぬこともまた益

キリストは、王の王、主の主であられます。

主に栄光!

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2件のフィードバック

  1. 山口素子 より:

    私の娘もこうであったか、と思うようでした。今は亡き娘の心を見るようでした。しかし、亡くなる前に娘といろいろ話して良かったと思っています。今は私もこの宗教を離れて、幸せで娘に申し訳なく余生と思って生きております。

    • Webmaster-GJW より:

      娘さんとちゃんと心が通じ合えて良かったですね。もしも、まだ「申し訳ない」という心のわだかまりを感じてらっしゃるようでしたら、ぜひキリストの名によって赦しを求めてくださいね。必ず、神の赦しと平安が与えられます。

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