1914年⑤ 二つの重なる世代説の問題点。1914年を見た世代と大患難を見る世代が重なる、というおかしなエホバの証人の新解釈

「1914年に異邦人の時が終わり、世の終わりが始まり、キリストの臨在が始まった」

1900年代前半からエホバの証人が宣べ伝えてきたこのメッセージ・教理には、実はある種のタイムリミットがありました。それは、マタイ24章の「これら​の​すべて​の​事​が​起こる​まで,この​世代​は​決して​過ぎ去り​ませ​ん」というイエスの言葉に関係するものであり、それゆえに「1914年のしるしを見た世代が過ぎ去る前に世の終わりが来る」と断言していたのですが、21世紀の幕が開ける頃、その世代が地上を去る中でタイムリミットは過ぎ、組織はこの教理をどのように延命するかの選択を迫られていました。

そして、2010年のものみの塔誌の中で、組織は「1914年」を延命するための新たな理解を打ち出したのです。それは「二つの世代が重なる」説であり、イエスの語った「この世代」を、「これらの世代」に変更する、というとんでもないものでした。

本記事では、この新たな理解の内容と問題点について取り上げ、1914年シリーズの締めくくりとしたいと思います。

1914年~過ぎ去ることの無いはずだった世代のタイムリミットとは

エホバの証人は、世の終わりについての予言を数多く外してきたことで有名な組織ですが、それらの偽予言のほとんどは、1914年という年代に強い拘りを持ったことが関係しています。ものみの塔が、この1914年という年代と関連して近年に外した最後の予言は、「1914年のしるしを見た世代が過ぎ去る前に終わりが来る」というもので、以下のフレーズが、1982年4月8日号~1995年10月22日号の目ざめよ!誌の発行目的としてずっと掲げられてきました。

「本誌は,1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます。」
―『目ざめよ!』1982年4月8日号~1995年10月22日号、p.4「目ざめよ!誌が発行される理由」

出典:元エホバの証人二世のいる場所 jw2nd.com/10018

1984年のものみの塔誌では、この予言が表紙にもなりました。

1914―過ぎ去ることのない世代

組織がなぜこのような予言を掲げたのか、それはマタイ24章におけるイエスの終末預言にあります。まず3節で、弟子たちはイエスに次のようにたずねます。

「 [イエス]が​オリーブ​山​の​上​で​座っ​て​おら​れ​た​ところ,弟子​たち​が​自分​たち​だけ​で​近づい​て​来​て,こう​言っ​た。「わたしたち​に​お話し​ください。その​よう​な​こと​は​いつ​ある​の​でしょ​う​か。そして,あなた​の​臨在​と​事物​の​体制​の​終結​の​しるし​に​は​何​が​あり​ます​か」24章3節

そこでイエスは、世界規模の戦争や飢饉などについての一連の預言を語るわけですが、エホバの証人はその最初をしるしづける世界規模の戦争を、1914年に生じた第一次世界大戦と固く結びつけているため、その1914年をイエスの臨在の始まった年代として信じています。

そして、ご自身の再臨についての一連のしるしを述べた後、イエスは次のように述べました。

「あなた方​に​真実​に​言い​ます​が,これら​の​すべて​の​事​が​起こる​まで,この​世代​は​決して​過ぎ去り​ませ​ん。天​と​地​は​過ぎ去る​でしょ​う。しかし​わたし​の​言葉​は​決して​過ぎ去ら​ない​の​です。」マタイ24章34~35節

ここでイエスが言及した「これらのすべての事」に、24章でイエスが語ったしるしの全体が含まれていると考えるには自然なことで、それゆえに、そのしるしが1914年に始まったと固く信じるものみの塔は、「1914年に起きたしるしを見た世代が過ぎ去る前に世の終わりが来る」ことを信じ、と断言していたわけです。

しかし、統治体の予想に反し、いつまで経っても世の終わりが来る気配はなく、過ぎ去ることの無いはずだった世代は過ぎ去っていき、1914年から80年が経過した後の1995年、ものみの塔はさりげなくこのフレーズを、『目ざめよ!誌』の中から削除したのです。

こうして、「これら​の​すべて​の​事​が​起こる​まで,この​世代​は​決して​過ぎ去り​ませ​ん。」というイエスの言葉は、エホバの証人にとって、世の終わりが近いことを励ます言葉となってきただけでなく、中々来ない終わりに頭を悩ます言葉ともなってきたのです。

1914年延命の最後の切り札となるか?二つの重なる世代説とは?

そして、1914年から95年が経過した2010年、「過ぎ去ることの無い世代」が過ぎ去った頃、従来の解釈の明白な変更を迫られていた統治体は、ものみの塔誌2010年4月号にて、1914年の教えを大幅に延命させる最後の切り札「二つの重なる世代」説を発表したのです。

「エホバの目的が遂げられてゆく過程での聖霊の役割」

13 三つめとして,聖霊は,聖書の真理を解き明かすように働いています。(箴 4:18)本誌は長年,「忠実で思慮深い奴隷」により,解き明かされた点を知らせる主要な経路として用いられてきました。(マタ 24:45)例えば,イエスの言及した「この世代」を構成する人々について,どんなことが理解されてきたでしょうか。(マタイ 24:32‐34を読む。)イエスはどの世代のことを述べていましたか。「キリストの臨在 ― あなたにとって何を意味しますか」という記事では,イエスが邪悪な人々のことではなく,間もなく聖霊で油そそがれようとしていた弟子たちのことを述べていた,ということが説明されました。 1世紀においても今この時代においても,イエスの油そそがれた追随者たちこそ,しるしを見るだけでなくその意味も悟る,つまりイエスが「近づいて戸口にいる」ことを悟る者たちなのです。
14 その説明は,わたしたちにどんな影響を及ぼすでしょうか。「この世代」がどれほどの年月に及ぶのか厳密に算定することはできませんが,「世代」という表現について幾つかの事柄を念頭に置くのは賢明なことです。この語は普通,ある特定の時代に生涯が重なる様々な年齢層の人々を指し,その世代は極端に長いものではなく,必ず終わりを迎えます。(出 1:6)では,「この世代」についてのイエスの言葉をどのように理解すべきでしょうか。それは,しるしが1914年に明らかになり始める時に生きている油そそがれた者たちの生涯と,大患難の始まりを見る油そそがれた者たちの生涯とが重なる,という意味であったようです。その世代には始まりがあり,もちろん終わりもあります。しるしの様々な面が成就していることは,大患難が近づいていることをはっきりと示しています。あなたも,時の緊急性を常に意識してずっと見張っているなら,解き明かされた点に歩調を合わせ,聖霊の導きに従っている,と言えます。―マル 13:37。

『ものみの塔』2010年4月15日号

およそ4年後のものみの塔誌では、もう少し詳しく、その説の定義が示されています。

「あなたの王国が来ますように」― その時はいつか」

この世代は過ぎ去らない

15 イエスは,この事物の体制の終結に関する預言の中で,「これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」と述べました。(マタイ 24:33‐35を読む。)わたしたちの理解によれば,イエスが言及した「この世代」には,油そそがれたクリスチャンの2つのグループが含まれています。第一のグループは1914年に生存していた人たちで,その年におけるキリストの臨在のしるしをすぐに識別しました。このグループを構成している人たちは,1914年に生きていたというだけでなく,その年に,あるいはそれより前に神の子として霊によって油そそがれていました。―ロマ 8:14‐17。
16 「この世代」に含まれる第二のグループを構成する人たちは皆,第一のグループに属する人たちの一部がまだ地上にいる間に生きていて,その期間中に聖霊によって油そそがれた人たちです。ですから,今日の油そそがれた人たちすべてが,イエスの述べた「この世代」に含まれるわけではありません。今日,この第二のグループを構成する人たち自身も高齢になっています。それでも,マタイ 24章34節のイエスの言葉は,「この世代」の少なくとも一部が,大患難の始まりを見るまでは「決して過ぎ去(らない)」ことを確証しています。このことから,神の王国が邪悪な者たちを滅ぼして義の宿る新しい世をもたらすまでには,あまり時間がないということも,いっそう確信できるはずです。―ペテ二 3:13。

『ものみの塔』2014年1月号

JW BroadCasting 、動画で説明を聞くことができます。ブロードキャスティングでは、以下のカテゴリーに沿って、動画を探してみて下さい。

ライブラリー > ビデオ > JW Broadcasting > 講話
> デービッド・H・スプレーン:この事物の体制の終わりに近づく

※当サイトのチャンネル上の引用動画は、こちらからご視聴頂けます

色々な説明はありますが、組織の理解を要約すれば、以下のようになります。理解しやすいよう図も制作したので、合わせてご紹介します。

  • イエスが語った「この世代」とは、実際にはイエスの臨在のしるしを識別する油注がれた2つの世代にまたがる。つまり「これらの世代」である。
  • 第一のグループは、1914年のしるしを識別した世代
  • 第二のグループは、大患難の始まりを見る世代であり、これら2つのグループの油注がれた者としての生涯が重なる

これが何を意味するかというと、例えば動画の中で例に挙げられているフレデリック・フランズ兄弟は、1914年のしるしを識別した第一グループ世代であり、20歳くらいでバプテスマを受け、99歳の1992年まで生きました。(ちなみに、フレデリック・フランズ氏は、ものみの塔協会の四代目の会長であり、良心の危機の著者であるレイモンド・フランズ氏の叔父にあたる人物です)

仮にこのフランズ兄弟が亡くなる二年前の1990年に、第二グループの油注がれた若い20歳の兄弟がいたとして、この兄弟がフランズ兄弟と同じくらいの100歳まで生きるとすると、1990 + 80 = 2070年となります、、、

つまり、この大幅な解釈変更によって「1914年からキリストの臨在が始まった」という教理は、2070年くらいまでは延命させることが可能となったわけです。。。

動画の中でも、「This generation」(この世代)と書いてますが、実際には「These Generations」(これらの世代)であり、「1914年を見た世代が過ぎ去る前に」から、「1914年を見た世代を見た世代が過ぎ去る前に」に変わってしまった、ということです。もはや、イエスの語った本来の言葉から、大きく逸脱した解釈になってしまっていることは明らかなのですが、エホバの証人の皆さんは、本当にこの解釈をまともに信じているのでしょうか?

「二つの重なる世代」説の矛盾点

「あなた方に真実に言いますが、これら​の​すべて​の​事​が​起こる​まで,この​世代​は​決して​過ぎ去り​ませ​ん。」

「Truly I say to you that this generation will by no means pass away until all these things happen.」

このイエスの言葉を、イエスの言葉通りに理解すれば、世の終わりの単一の「この世代」が、イエスが言及した全てのしるしを見る、ということになります。

ところが統治体は、1914年の教理とイエスの言葉が合わないために、「この世代」(This generation)ではなく、「これらの世代」(These generations)と勝手に変えてしまいました。聖書にはそうは書いていません。それらのしるしを見る世代が複数の世代にまたがるとは言っていません。それが答えです。

なお、聖書の中で「この世代」と言う時、どれくらいの期間が示されることがよくあるでしょうか?

「こう​し​て​エホバ​の​怒り​は​イスラエル​に​対し​て​燃え,彼ら四十あいだ荒野さまよわ,エホバ​の​目​に​悪​を​行なっ​て​い​た​その世代すべてついに​その​終わり​に​至っ​た​の​です。」民数記32章13節

荒野で神に逆らった「その世代」の者たちは、40年間の荒野の生活の中で息絶え、イスラエルは次の世代へと移行しました。

「こう​し​て,義​なる​アベル​の​血​から,あなた方​が​聖​なる​所​と​祭壇​の​間​で​殺害​し​た,バラキヤ​の​子​ゼカリヤ​の​血​に​至る​まで,地上​で​流さ​れ​た​義​の​血​すべて​が​あなた方​に​臨む​の​です。36 あなた方​に​真実​に​言い​ます​が,これらことすべてこの世代臨むでしょ。」マタイ23章35~36節

イエスを拒絶した「この世代」のイスラエルに対する裁きの預言ですが、この裁きは、紀元70年のエルサレムの滅びによって成就しました。イエスがこの言葉を語ったのが紀元30年頃ですから、ここでもやはり40年間です。

ですので、特定の出来事と関連する特定の世代について聖書が言及する際、40年間という期間はよく示される期間です。(もっとも、これらはあくまで事例の範疇ですが、聖書的な事例として考慮には値すると思います。)

なお、黙示録の預言では、終末のタイムテーブルとその具体的な期間が言及されており、ダニエル書の預言も合せて考慮すると、終末の患難時代はおそらく7年間になると思われます。(この点は多くの聖書学者の間でも一致した見解となっています)ですから、イエスが言及した「この世代」の期間は、おそらく七年くらいか、長くてももう少し数年プラスしたくらいを想定しているのではないでしょうか?

いずれにしても、これらの事例から、聖書が「この世代」と言う時、ものみの塔が現在想定しているような100年以上の長期間を想定していないことは明らかでしょう。

1914年の教理:結論

最後に、これまでに1914年について語ってきた問題点を一通り振り返り、結論を述べたいと思います。

  1. 1914年は、元々ラッセルが世の終わりが来ると宣べ伝えていた年代であり、偽予言だったのだから、そもそもその年代に拘り続けること自体が間違っている。
  2. そもそもキリストの再臨や王権開始時期について、特定の年代を主張すること自体が聖書的に間違っている
    「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません。」使徒1:7
    「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。」マタイ24:36
  3. 1914年という教理が、ものみの塔という組織の土台となっていること自体が間違っている。真のクリスチャンの土台は、キリストの贖いと復活を通したキリストの福音であるべきです。
  4. 異邦人の時とは、地上のエルサレムが異邦人によって踏み荒らされる期間のことであり、それはまだ完全には終わっていない。つまり、異邦人の時は終了していない。
  5. 異邦人の時の期間と、ダニエル4章の巨木の幻は何も関係がない。したがって、その幻の中で言及されている七つの時も、異邦人の時の期間とは何も関係がない。
  6. 七つの時を2520日に直し、それをさらに2520年と飛躍させる解釈は、聖書の事例には存在せず、非聖書的。
  7. エルサレムの第一神殿の陥落は、紀元前607年ではなく、それよりも約20年遅い年だったことが歴史的にも聖書的に明らかにされている。
  8. 終わりの日に、長期間に渡って生じる「キリストの臨在」という教えは、聖書の中は存在しない。ものみの塔が「臨在」と訳しているギリシア語「パルーシア」は、「臨在」ではなく、目に見えて現れる「再臨・到来」を意味している。
  9. 黙示録12章に書かれている天での戦争が1914年に起きたという解釈には無理がある。なぜなら、天での戦争に続いて起こる地上での獣の活動期間は三年半なので、明らかにそれは英米世界強国ではない。もしも1914年に天での戦争で悪魔が地に投げ落とされたのであれば、ハルマゲドンはもう来ているはずです。
  10. 「2つの世代が重なる」という新たな理解は、イエスが語った「この世代」を「これらの世代」に勝手に変える行為であり、聖書に基いておらず、明らかに無理がある。

以上、合わせて10の問題点を挙げさせて頂きましたが、結論として、1914年に関わる一連の教理は、聖書的に、全く信じるに値しないおかしな教理であり、その教理を土台とする統治体と組織の権威もまた、信じるに値しない砂上の楼閣のようなものです。(逆に、一つの教理にこれらの問題点があるというのも、相当珍しいと思いますが)

「そして​また,わたし​の​これら​の​ことば​を​聞い​て​も​それ​を​行なわ​ない​者​は​みな,愚か​な​人​に​例え​られる​でしょ​う。それ​は​砂​の​上​に​家​を​建て​た​人​です。 27 そして,雨​が​どしゃぶり​に​降っ​て​洪水​が​来,風​が​吹い​て​打ち当たる​と,その​家​は​崩れ落ち,その​崩壊​は​ひどい​もの​でし​た」マタイ7章26~27節

イエスの言葉に基づかないこれらの教えと組織は、まさに砂の上に建てられた家であって、これから後に来ようとする大患難とキリストのパルーシアの日に、決して耐えることはできないでしょう。エホバの証人の方々が、この真理を悟り、異なる福音を語る闇の組織から速やかに出ることができますように。イエスの名によって祈ります。

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