エホバの証人への返答~クリスマスを祝うべきですか?

エホバの証人への返答~クリスマスを祝うべきですか?

エホバの証人は、キリストの誕生祭であるクリスマスを祝いません。もっとも、ものみの塔の初期の時代には、クリスマスは祝われていたのですが、二代目の会長のラザフォードが、1927年に突如としてクリスマスを廃止して以降、今日に至るのです*[1]

一方、クリスマスについては、エホバの証人だけでなく、キリスト教の内部でも祝わない教会や個人が存在しています。(少数派ではありますが)

エホバの証人や幾つかの教会が、クリスマスを祝うべきでは無いと考える理由は、おおよそ次のようなものです。

  • イエスの弟子たちはキリストの誕生を祝わなかった
  • クリスマスの習慣は異教に由来する
  • 異教に基づく習慣を取り入れるべきではない

本記事では、こうしたエホバの証人の主張を取り上げつつ、クリスマスに関する聖書の記録や歴史的背景を考察していき、クリスチャンがこの祝祭を祝うことを検討する上で、参考となる情報を提供していきたいと思います。

特に、目覚めたエホバの証人の方々が、この記事を読み、クリスマスに関する誤解や先入観が解かれることを願っています。

イエスの弟子たちはクリスマスを祝わなかった

クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念するものとされ,キリスト教ととなえる宗派の大部分が祝っています。しかし,イエスの1世紀の弟子たちがクリスマスを守り行なった証拠は全くありません。「深遠な事柄の神聖な起源」(英語)と題する本はこう述べています。「キリストが誕生してから2世紀の間は,だれもキリストが生まれた正確な日付を知らず,気に留める者もほとんどいなかった」-『聖書は実際に何を教えていますか』156頁

この説明は事実です。聖書には、キリストが誕生した日付を特定できる記録は一切なく、弟子たちがキリストの誕生日を祝った記録もありません。そもそもユダヤ人の中に、誕生日を祝う習慣はありませんでした*[2]

また、ものみの塔協会が繰り返し主張している通り、イエスは弟子たちに「誕生日を祝うように」とは言わず、ただ「私の死を記念しなさい」(ルカ22:19)とだけ命令しました。ですから、一世紀のキリストの弟子たちが、主の誕生日を祝わなかったのも、不思議ではありません。

しかし、「一世紀のクリスチャンがキリストの誕生を祝わなかった」という事実は、必ずしも「キリストの誕生を祝ってはならない」と主張する理由とはなりません。なぜなら聖書は「キリストの誕生」という出来事を、明らかに喜ばしい出来事として記録しているからです。

「8 またその同じ地方では,羊飼いたちが戸外に住んで,夜間に自分の群れの番をしていた。9 すると突然,エホバのみ使いが彼らのそばに立ち,エホバの栄光が彼らの周りにきらめいた。そのため彼らは非常な恐れを感じた。10 しかしみ使いは彼らに言った,「恐れることはありません。見よ,わたしはあなた方に,民のすべてに大きな喜びとなる良いたよりを告げ知らせているのです。11 今日,ダビデの都市で,あなた方に救い主,主なるキリストが生まれたからです。12 そして,これがあなた方のためのしるしです。あなた方は,幼児が布の帯にくるまり,飼い葉おけの中に横たわっているのを見つけるでしょう」。13 すると突然,大勢の天軍がそのみ使いと共になり,神を賛美してこう言った。14 「上なる高き所では栄光が神に,地上では平和が善意の人々の間にあるように」(ルカ2:8~14)

人はだれでも、特別に喜ばしい出来事があると、その事を記念したくなるものですが、それが救い主の降臨の時となれば、なおさらのことです。ですから、後の時代のクリスチャンが、聖書の中からキリストの誕生の大切な意義を見出し、その誕生を記念するようになるとしても、決して不思議なことでは無いのです。

キリストの誕生の絵

クリスマスは本当に異教に由来するのか

キリストの降誕祭に関する歴史的背景を見ていくと、「クリスマスの起源は異教の習慣に由来する」という一般的な見解は、もっと丁寧な説明が必要な問題であることがわかります。具体的には、(1)「キリストの降誕祭」自体の由来はどこから来たものなのか、(2)クリスマスはどのような経緯で太陽崇拝の日からキリストの誕生を祝う日へと置き換えられたのか、という二つの点についてです。

イエスの誕生祭の由来はキリスト教にある

12月25日という日付に、キリストの誕生を記念する習慣自体は、たしかに紀元四世紀以降に、太陽神の誕生を祝う日を、キリストの誕生に置き換えたことに由来します。では、「キリストの誕生」そのものを祝う習慣も、異教に由来するのか、と言うと、そうとも言えないのです。

四世紀のクリスチャンが、ローマで12月25日を祝うようになる前から、東方の教会では、1月6日に、「顕現祭」(エピファニア)*[3]という形で、キリストが世に来られた事を祝う習慣が存在していたのです。オスカー・クルーマン著の『クリスマスの起源』*[4]という本には、そのあたりの歴史的背景が詳しく説明されています。

また、以下に引用するブリタニカ百科事典にも、その点が簡潔に触れられています。

「祝日が 12月 25日となったのは,4世紀中頃の西方において異教徒が冬至に定めた太陽崇拝の祭日に,キリストの誕生を結びつけたからで,東方ではそれまで公現祭のほうが重要であった。 [ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2012]」
※「公現祭」と「顕現祭」は同じ意味。

「顕現祭」は、多くの場合、キリストの誕生だけでなく、キリストの洗礼も含めて、救い主が世に来られた事を記念する祝祭でした。この祝祭の存在や内容については、アレクサンドリアやシリア、パレスティナなどの東方教会の伝承の中に、はっきりと認められます。

例えば、エジプトで発見された、四世紀初頭にさかのぼる一葉のパピルスには、当時、1月5日から6日の夜にかけて行われていた顕現祭の典礼式文が記されており、誕生を祝う場面については、次のようになっています。

野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちは恐れ、ひざまづいて、歌った。
父に栄光あれ。ハレルヤ。
御子と聖霊に栄光あれ。
ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。

このように、クリスマスの制定の前から、東方のクリスチャンたちは、異教の習慣に基づいてではなく、ただ聖書の中に「キリストの誕生」の喜ばしさを見出したことから、その救い主の訪れを記念するようになっていったのです。

クリスマスが制定された経緯

紀元四世紀、ローマで12月25日のクリスマスが制定された背景については、一般的に「異教に由来する」と考えられていますが、ここではもう少し丁寧に見ていきます。

まず、この日は、ローマで根強い人気を誇っていたミトラス教(太陽神崇拝)において、不滅の太陽神が生まれ変わる日とされ、盛大に祝われていましたが、当然のことながら、この宗教はキリスト教にとって手強いライバルでした。そこで、「太陽を拝む日」を、「太陽の創造主を拝む日」へと置き換えることによって、キリスト教の影響を強めるのが狙いだったことは自然に考えられます。

また、そもそも聖書の中に、キリストを「義の太陽」(マラキ4:2)、「異邦人を照らす光」(ルカ2:32)とするイメージが内在していたために、義の太陽であるキリストを、異教の太陽神と対抗させたのも自然な流れだったと考えられます。

例えば、ミラノの司教アンブロジウス(334~397)は、ある説教の中で、異教とキリスト教の祝祭を対決させて、「キリストは私たちの新しい太陽である!」と語り、アウグスティヌス(354~430)も、「この日(12月25日)に、「異教徒のように太陽を拝まないで、太陽を創造したお方を拝むように」と勧めました。

こうしたクリスマスの導入の目的が功を奏し、「太陽崇拝の日」として知られていた12月25日は、いつしかその本来の宗教的な意義を失っていき、「キリスト教の誕生」というイメージへと置き換えられていったのです。

もっとも、クリスマスの導入に貢献したコンスタンティヌス帝自身は、決して純粋なキリスト教徒だったわけではなく、宗教混合主義者であったことはよく知られています。そのため、クリスマスの導入における彼の目的が、キリスト教と太陽崇拝との融合であった感は否めず、結果として、クリスマス制定後も、異教の祝祭の名残となるようなものが、生き続けることにはなりました。

こうした背景を踏まえ、キリスト教的な視点から捉えるならば、クリスマスの導入には、「異教の祝祭のイメージを払拭した」というメリットと、「異教の諸習慣の名残を存続させることになった」というデメリットの両方が存在すると見て良いでしょう。

クリスマスツリーはどうなのか

クリスマスツリー

「クリスマスツリー」は、クリスマスの代表的なイメージの一つとして定着していますが、このクリスマスツリーの起源が、異教に由来すると指摘する人は少なくありません。しかし、正しい歴史的背景を踏まえると、その指摘には多少の誤解があることがわかります。

まず、クリスマスが制定されて後、おそらく数世紀以上に渡り、人々は、様々な枝や若木や樹木を立てて、この日を祝うようになっていました。こうした枝や若木を用いる習慣自体は、古代の樹木崇拝に由来していると考えられます。

ただし、当時の伝承によれば、人々は一般的に、クリスマスを「聖なる日」として過ごしていたのであり、用いられる枝などについても、それらがキリスト教的なイメージで用いられることはあっても、樹木崇拝的な意味で用いられている様子はありませんでした。

また、こうした枝や若木を用いる習慣が、クリスマスツリーの登場へと繋がった可能性はありますが、今日、よく知られているクリスマスツリーの形態の起源は、決して異教的なものではなく、むしろキリスト教的なものであり、その発祥は17世紀にさかのぼります。以下、参考のために、ものみの塔誌の記事を引用します。

カトリックの新聞のこの記事は,古代において,常緑樹である「ヒイラギ,ナギイカダ,月桂樹,またマツやモミの枝に病気を撃退する魔力や治療効果があると考えられていた」ことを指摘した上でこう述べています。
12月24日のクリスマスイブに,地上の楽園の木に関するよく知られたエピソードを語ってアダムとエバをしのぶことが行なわれていた。……その木は本来はリンゴの木だったが,リンゴの木は冬には不似合いだったのでモミの木が用いられるようになり,その枝にリンゴの実が付けられた。また,来たるべきあがないの象徴として,砕いたビスケットを特別な型に入れて作ったウエハース 聖体におけるイエスの現存の象徴 および子どものための甘い菓子や贈り物も用いられるようになった」―『ものみの塔』2007年12月15日号9頁

この説明の通り、中世の西欧の教会においては、「クリスマスイブに,地上の楽園の木に関するよく知られたエピソード」が語られていました。これらは、「神秘劇」と呼ばれ、アダムとエヴァによる楽園での堕罪の物語を演じるものでしたが、そこでの「善悪の知識の木」と「生命の木」の象徴として、モミの木が飾られるようになり、それがクリスマスツリーとして定着していったのです。

そして、そのモミの木に、善悪の知識の木の実を象徴するリンゴだけでなく、罪の贖いを象徴する「ホスティア」(主の記念式のパン)も飾ることによって、堕罪に対するキリストの救済の働きを表現したのです。

このように、クリスマスツリーの形態は、聖書的な意義に基づき、その習慣が定着していったのです。

※なお、今日私たちが見る一般的なクリスマスツリーには、多くの飾り付けがなされていますが、こうした飾り付けの多くは、クリスマスツリーが、教会の前だけでなく、一般家庭の中でも用いられるようなになった頃から始まりました。

異教に由来する祝祭を取り入れるべきか

異教に由来する習慣に対するものみの塔の態度

キリスト教文化圏を除けば、基本的に、世界中のあらゆる国々の習慣や文化の多くは、異教(非キリスト教的な)に基づいているものです。しかし、だからと言って、クリスチャンがいちいち土着の文化や習慣の全てを否定していくのは現実的ではありません。ですから、「異教に基づく習慣」にどう向き合うかは、エホバの証人だけでなく、イエスを信じる全てのクリスチャンが熟考すべき問題です。

さて、「異教に基づく習慣」に対するエホバの証人の態度は、以下に紹介する「結婚指輪」についての記事で明らかにされています。その記事は、結婚する男女が「結婚指輪」を交換する習慣が、異教の習慣に基づく可能性があることを説明した上で、次のように述べています。

このように結婚記念指輪の起源は明らかではないことがわかります。結婚記念指輪を最初に用いたのは異教徒だったということがたとえ事実だとしても,そのためにクリスチャンはそれを用いてはならないということになりますか。必ずしもそうとはいえません。・・・実際,問題となるのは,結婚記念指輪ははたして最初異教徒によって用いられたかどうかという点ではなく,それが元来,偽りの宗教的慣行の一部として用いられたかどうか,そして今だにそのような宗教的意義を保っているかどうかということです。・・したがって結局,これは各人が自分の良心に基づいて決定すべき事柄です。-『ものみの塔』1972年4月15日号、255頁*[5]

つまり、ものみの塔は、結婚指輪の習慣の起源が、異教に基づくものであったかどうかではなく、その慣行に、今日においても同じ宗教的意義が保たれているかどうかが問題であるとしているのです。その上で、結婚指輪を用いるかどうかは、各人の良心の問題だとしているのです。

さて、異教に基づく文化や習慣に対する見方として、ものみの塔がここで述べている考えは適切なものであり、私も同意します。しかし問題となるのは、ものみの塔協会が、クリスマスを祝うことについては、全く別の基準を持ち出している、という点です。

クリスマスの場合はどうか

すでに本記事で述べてきたように、一般的に、クリスマスの起源には、ローマで行われていた太陽神崇拝(ミトラ教)が関係していると言われていますが、今日、世界中で行われているクリスマスには、もはや太陽神崇拝の宗教的な意義は消え去っており、残っているのは、「キリストの誕生」というキリスト教的なイメージだけです。実際に、街を歩く人々に、クリスマスの意味について訪ねても、「太陽神を祝うためだ」と答える人は、まずいないことでしょう。

ですから、ものみの塔にとって「今日においても同じ宗教的意義が保たれているかどうかが」が最大の問題なのであれば、クリスマスを祝うことには何の問題も無いはずです。

しかし、協会がクリスマスを否定する時には、「起源こそが問題である」という、全く別のスタンダードを適用しているのです。

「クリスマスの起こりが異教にあることはかなり以前から認められていました。クリスマスは聖書に由来するものではなかったので,17世紀にイングランドで,またアメリカ植民地の幾つかで禁止されました。・・・クリスマスは偽りの宗教と関係があるので,神に喜ばれたいと思う人たちはそれを祝いません。そして,異教の崇拝を起源とする他のどんな祝祭日も祝いません。」-『聖書の教え』158頁

ここで述べられている通り、ものみの塔は、クリスマスを祝わない理由は、その起源に異教的な問題があるからであり、クリスマスだけでなく、異教に起源を持つ他のどんな祝祭も祝わないとしているのです。

であれば、ものみの塔は、クリスマスだけでなく、異教に起源を持つ可能性のある「結婚指輪」の習慣も禁止にするべきでしょう*[6]。(あるいは、どちらも「良心の問題」として認めるべきでしょう)

ちなみに、筆者から見て、ものみの塔がクリスマスを退ける最大の理由は、そもそもクリスマスの習慣が、ものみの塔協会が「背教したキリスト教」と見做なす、二世紀以降のキリスト教世界から派生していることにあります。

終わりに

初期のイエスの弟子たちが、クリスマスを祝わなかった以上、「クリスマスを祝うべきだ」と断定することはできません。しかし、キリストの誕生が人類の歴史を変えた喜ばしい出来事であること、誕生祭の習慣自体が、もともとキリスト教の内部から起こったものであること、今日のクリスマスに「太陽崇拝」の意義が全く無いこと、などを踏まえれば、クリスマスを祝うことを頑なに否定する理由は無いと、筆者は考えます。

むしろ、一年に一度、キリストの降誕を祝うと共に、この喜びを、神を知らない人々に伝えていく絶好の機会とすることができるのではないでしょうか?

クリスマスのこの時期、たくさんの方々が、キリストの誕生の出来事に思いを馳せ、神を称えることができますように!

 

最後に、お勧めのキリストの誕生物語をご紹介します。聖書に記録された歴史的事実を元に、キリストの誕生の様子が物語調に描かれたものです。単にストーリーを楽しむだけでなく、歴史的背景や聖書の教え・預言の解説が随所に含まれ、キリストの降誕にどれほど深い意味があるのかを、読者の方々がしっかりと理解できるよう工夫されています。

イエス・キリストの誕生(降誕)物語~クリスマスの本当の意味を味わう

脚注

[1]「『黄金時代』(英語)1927年12月14日号の『クリスマスの起源』という記事は,クリスマスが異教の祝いであり,快楽に重きを置き,偶像崇拝を伴うことを指摘した。「キリストはクリスマスを祝うよう命じなかった」「世も,肉の傾向も,悪魔も,それが今後も祝われ続けることを望んでいる。この事実は,エホバへの奉仕に全く身をささげている人たちがその祝いを退けるべき決定的な理由となる。」(101頁)

[2] ただし、ヨブの子どもたちは、誕生日を祝っていたようです。詳しくは、「誕生日の否定を論破する方法」にて説明しています。

[3] ただし、この顕現祭においても、キリストの誕生日がいつか、ということには、それほど関心が持たれませんでした。彼らが注目していたのは、救い主が世に来られたという事実を記念することであって、誕生の日付では無かったのです。四世紀のクリスマス制定前までの時代には、教会が、キリストの誕生の日付に強い関心を示すこともありませんでした。

[4] オスカー・クルーマン / Oscar Cullmann(1996)『クリスマスの起源』教文館. なお、本記事において記されているクリスマスの歴史的背景については、その多くを、こちらの書籍に負っています。

[5] 引用した出版物の発行年代は古いですが、ここで述べられている考えは、現代のエホバの証人においても、全く変わらず適用されています。なぜなら、この考えに基づき、今日でも、エホバの証人の夫婦の多くは、結婚指輪を用いているからです。

[6] 「その慣行が何百年も前にどんな意味を持っていたかではなく,現在,自分の住んでいる地域でどのようにみなされているかということです。」(目03 9/22 22-24ページ )