三位一体⑥ イエスは神ですか? 使徒教父イグナティオスの証言

イエスは神なのか?すでに当サイトでは、その聖書的根拠について多くを取り上げてきましたが、読者の方々が、イエスの神性について更なる理解を深めることができるよう、あと二つの視点で、補足の情報を紹介したいと思います。一つ目が本記事のテーマ「初代教会の教父イグナティウスの証言」であり、二つ目が、次の記事で紹介する「現代にイエス・キリストと出会った人々の証言」です。

聖書の証言ではありませんが、これら二つの補足情報は、私の経験上、イエスの神性について確信を持つのにきっと役立つと思います。ぜひ心を開いて、これらの記事をお読みください。

初代教会の使徒教父、イグナティウスとは?

紀元一世紀末~二世紀初頭、新約聖書の筆者以外の当時の監督たちによって書かれた主要な書簡群があり、それらの書簡のことを「使徒教父文書」、書いた監督・リーダーたちのことを「使徒教父」と呼びます。使徒教父文書は、最終的に新約聖書の正典には数えられませんでしたが、信頼性のある書簡として、当時のたくさんのクリスチャンたちによって読まれていたものです。

それらの著作は、日本語でも『使徒教父文書』というタイトルで講談社から出版されており、誰でも読むことができます。(私も持っています)

今回特に紹介する人物「イグナティオス」は、シリアのアンテオケ教会の第三代の監督であり、監督として奉仕した時期は、紀元68年~107年頃となります。彼は、107年頃に信仰上の理由から逮捕され、ローマへ護送され、獣の餌となって殉教しました。彼は殉教する前に、複数の教会やリーダーへ手紙を書き残しており、それらの手紙が「イグナティオスの手紙」として、今日まで現存しています。

では、そのイグナティオスは、キリストの神性についてどのように理解していたのでしょうか?追って紹介していきますが、まずは彼の証言を紹介する意義を説明したいと思います。

イグナティオスは、使徒ヨハネの弟子であったと言われており、彼から直接霊的に育てられた人です。そのような人物が、イエスの神性という大きな問題について、誤った理解をしていたというのは、まず考えにくい、というのが第一の理由です。(加えて彼は、使徒パウロやペテロとも面識があったとも言われています。)

また彼は、元68年~107年頃にアンテオケ教会の監督でした。この時期は、彼の霊的父親である使徒ヨハネがまだ様々な地域で活動していた時期であり、またペテロやパウロ等の使徒たちから直接聖書の教えを受けた人々が膨大に生きていた時代です。

そのような時代にあって、彼は諸教会からの良い評判を築き、アンテオケ教会の監督として40年間も仕えたのです。ですから、そのような人物が、イエスの神性についてどう理解していたかを知ることは、使徒たちがイエスについてどんなことを教えていたのか、ということを知る手がかりとして、とても重要な意味を持つことはおわかり頂けると思います。

イグナティオスの証言

エペソのキリスト者へ

【挨拶】 テオフィロス(神を担う者の意)とも呼ばれるイグナティオスより、父なる神の偉大さと充満によって祝福され、永遠の昔から永遠不変の栄光へと予定され、(主イエスの、みせかけではない)真実の受難により、父と私達の神イエス・キリストとの御心によって、ひとつとされ選ばれた、アジアのエペソなる賞賛すべき教会へ

7節 肉であり霊であり、(父から)生まれたけれども生まれたのではない(はじめからある方)、(地上に)肉となってあらわれた神、死の中での真実の生命、マリアから生まれ同時に神から出たもの、まず苦しみを受け、然るのち苦しみなきもの、私達の主イエス・キリスト

18節 私達の神イエス・キリストは、神の摂理に従ってマリアよりはらまれ、ダビデの家系から出(ローマ1:3)、同時に聖霊に由来するもの、彼は生まれ・・・

エペソへの手紙の中で、「私達の神イエス・キリスト」と「肉となって現れた神」と言うことによって、極めて明瞭にイエスが神であることを信じていたことがわかります。

ローマのキリスト者へ

【挨拶】 テオフィロスとも呼ばれるイグナティオスより、いと高き父とその独り子イエス・キリストの偉大さにおいて憐みを受けた教会へ。すなわち有るもののすべてを意志したもう方の意志により、私達の神イエス・キリストへの信仰と愛に従って愛され照らされた教会・・・この教会にわたしは父の御子イエス・キリストの名において挨拶を送ります。彼のあらゆる戒めによって肉的にも霊的にも一つとなり・・・すべての他の色彩を洗い落とした人々へ、私達の神イエス・キリストにおいて、疵なき恩恵のゆたかならんことを祈ります。

手紙の冒頭の挨拶の中だけで、二度も「私達の神イエス・キリスト」と告白しています。

スミルナのキリスト者へ

1節 私は、あなた方をかくも慧からしめた神、イエス・キリストをたたえます。

ポリュカルポスへ

8節(信徒たちに宛てて)あなた方が私達の神イエス・キリストにあってお元気であるように祈ります。

スミルナは、黙示録の中で主から良い評価を得ている教会です。彼は教会宛てと、そこでの教会の監督であるポリュカルポスへも個別に手紙を書いています。実はこのポリュカルポスは、イグナティオス同様、使徒ヨハネの弟子として知られる人物であり、殉教で召された立派な信仰者です。

個人あてに手紙を書くぐらいですから、イグナティオスとも親しい関係にあったと思われますが、そのポリュカルポスに対して、イエスが神であることを堂々と伝えていることがわかります。

考察

もしも、紀元一世紀の使徒たちや諸教会の信者の信仰が、エホバの証人と同様「イエスは神ではない」というものであったなら、イグナティオスは「最後に異端的な教えに陥った人物」として知られ、彼の著作群も使徒教父文書の一部として数えられることは無かったことでしょう。

しかし、殉教前にイグナティオスが残した手紙の数々が、当時の多数のクリスチャンから信頼を持って読まれ、使徒教父文書の一部として数えられていった、という事実は、イエスについての彼の証言の信ぴょう性を示すものとしては十分でしょう。

また、イグナティオスを霊的に指導した使徒ヨハネは、新約聖書筆者の中でも、イエスの神性をはっきりと証言した人でした。そのような背景を踏まえると、ヨハネの影響を強く受けたイグナティオスが、キリストの神性をはっきりと証言したのも自然な流れだったと言えるでしょう。

なお、こうした議論に関わらず、イグナティウスは主に忠実な立派な信仰者でした。興味のある方は、使徒教父文書を実際に手に取り、彼の著作を読んでみることをお勧めしたいと思います。

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