エホバの証人の家族をものみの塔組織のマインドコントロールから救出する|管理人の実体験②

前回の記事では、私が目ざめた後、当時の配偶者にどのように気付いたことを打ち明け、覚醒の第一段階まで持っていくことができたのかを話しました。次に私が目指したのは、配偶者の義母の覚醒でした。多くのプロセスを経て、最終的に、元統治体メンバーが書いた『良心の危機』を読んでもらうところまで行ったのですが、その段階に辿りつくまでに、どのようなプロセスを経たのか、今回の記事では書いていきたいと思います。

読者の方々へのお願い:この記事を読む読者で家族の救出に関わった方がいれば、ぜひコメント欄から、その経験を分かち合って頂ければ幸いです。そうすれば、この記事の中にたくさんの経験が寄せられることとなり、同じ問題で困っている方々にとって、より有益なコンテンツへと成長させることができるからです。

作戦開始~プランAの失敗に至るまで

義母も義理の妹も、神を心から信じている信仰者でした。特に義理の妹は、とても真面目な筋金入りのエホバの証人で、開拓者としてもたくさんの奉仕をしている姉妹でした。義母の方は、性格が少しおおらかで、多少融通が利くところがありました。ちなみに、元々私がエホバの証人になったきっかけとなったのが、この義母による私への伝道だったのです。二人の性格の違いやそれまでの経緯を踏まえ、義母を最初にターゲットにすることは、明らかに適切な流れでした。

義母の家族は、少し遠い場所に住んでいたため、時々の帰省やその他のタイミングで会う程度でした。電話で話したりすることは普段からしばしばありましたが、最初の段階で、電話で覚醒に繋がる情報を伝えることは、基本的にはしませんでした。相手の中にもしも警戒スイッチが入ったら、電話ではすぐに逃げられてしまうからです。私は、直接会って話せる、丁度良いタイミングを伺っていきました。

当時の流れを記録していなかったので、具体的にどのように進めたのか、詳細を覚えていないのが残念なのですが、妻の場合とは異なり、あまり一気には攻めず、段階的に情報を出し、必要な補足を電話で話したりする、という感じで進めたと思います。というのは、妻の場合とは違い、義母の家族の場合は、特に組織に大きく躓いたりすることはなかったので、組織に対する彼らの信仰が平常な状態で、私は作戦を実行しなければならなかったからです。

義母の救出へと踏み出す頃には、私はすでに、イエスが本当の神であることについて目が開かれていましたので、義母へのチャレンジの際は、イエスの神性や、新世界訳聖書の改ざん問題なども、情報として提示したと考えられます。そして、ある日の夜、義母と電話で話しているときに、必要な前提を揃えた上で、とうとう核心を突く点を義母に伝えました。

「イエスは、きっと神なんじゃないかな」

しかし、その核心を突く言葉を言った瞬間、義母の態度が急変しました。

「かんちゃんはサタンだ!イエスが神なわけないでしょ!」

それはまるで、かつてペテロがイエスに死なないように迫った時、「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまづかせるものだ」と言われた時のようでした。(マタイ16章23節)

そしてその瞬間、最初の作戦―プランAの失敗が確定しました。その一言によって、義母は完全に心を閉ざしてしまったのです。私は、失意の中に落とされました。一度、警戒スイッチが完全に入ってしまった義母の信頼を取り戻し、再びチャレンジするのは、とても遠い道のりに感じられました。

プランBへ~作戦を練り直す

義母が僕の言葉を退けた時、他にも言っていた重要な言葉は、次のようなものでした。

「聖霊の導きのあるエホバの証人の集会に行ってないから、こんな風にサタンの影響を受けるのよ。まずはちゃんと集会に通ってちょうだい」

この事が起きた当時、すでに私は恵みによってイエス・キリストが神であると告白し、キリスト教サイドクリスチャンとの交流を深めていたのですが、義母の目から見れば、エホバの集会に行かず、世の影響を受けた義理の息子が、悪魔の影響を受けて背教的なことを言い始めた、という風にしか映らなかったわけです。ここで、現役のエホバの証人で、家族の救出を考えている方々への教訓があると思います。

ここでの義母の考えは、実際には多くのエホバの証人の思考パターンを代表しているとも言えるものです。ちゃんと集会に通っている人から疑問点を言われるのと、集会に行っていない不活発な人から言われるのでは、受け取りやすさに大きな違いが生じる、ということなのです。

私は義母の主張を考慮して、この作戦を進めていく一定の期間、しばらくエホバの証人の集会に通うことにしました。家からは少しだけ遠い会衆を選び、週に1~2回程度、私はエホバの証人の信者の一人になりすまし、集会に出席し始めました。

私が練り直した作戦は次のようなものでした。まずは一定期間、ちゃんとエホバの証人の集会に通い、義母の信頼を取り戻していくことに徹しました。同時に、その会衆の信者や長老とも信頼関係を構築していき、その上で、組織の教理に対する疑問点を長老と話し合っていく、というものです。

というのは、義母の言っていたもう一つの点として、疑問点については、会衆の長老と話し合うべきだ、という意見があったからです。もっとも、長老とどれだけ話したところで、すでにエホバの証人の教えの問題点を確信していた私は、疑問を長老に解決してもらうことが不可能であることを知っていました。私の目的は、長老と疑問点を話し合い、その上で、問題となる点について「エホバの証人の長老でもこの問題点をちゃんと答えることができなかった」という事実を固めて、その上で再度義母にチャレンジすることでした。もっともそのプロセスの中で、長老にも疑問点に気づいてもらうことができれば、それは幸いなことです。

とにかく私は、このようなプランBの作戦を考え、それを実行に移し始めたのです。

N長老と組織の疑問点について話し合う

一回目の交わり

N長老は、世俗の仕事をしながらエホバの証人の長老として仕えている兄弟で、お子さんもいて、家族みんなでエホバを信じていました。平和な雰囲気を持ち、職場でも家族でも組織の中でも立派にやっておられる印象を持ちました。

兄弟とは、初めに二人で食事をする時間を持ちました。その時は、特に組織に対する疑問点にはあまり触れず、N長老と親しくなり、自分の信仰や状況を理解してもらうための時間としました。その時の私のスタンスは、エホバの証人の信者となった後、色々な疑問が沸いてしばらく組織から離れていたこと、まだ疑問は解決しているわけではないが、エホバの存在と聖書の言葉は信じていること、まずは集会には通っていこうと考えているので、信仰面で、疑問点などの相談にのってほしい、というものでした。

私は否定的な言い方は一切しなかったので、N長老は快く了承して下さり、平和な交わりの時となりました。

長老と疑問点を話し合う

集会にしばらく通い、N長老ともある程度親しくなれたところで、いよいよ、疑問点の確信に触れていく時がやってきました。この話し合いが、一回だったか二回に渡るものだったか、もう覚えていないのですが、この際、私が話し合うテーマとして選んだものは、ものみの塔協会が歴史的に外してきた予言や、それに対する対応、他にもエルサレムの倒壊年代についても話し合った記憶があります。ただ、特に予言の失敗とその失敗に対する対応について、丁寧に話し合いました。

そして、一連の話し合いを十分に行った後、争点となったポイントを整理するために、別途資料と要点をメールで送りました。以下、そのメールの内容です。

先日は、お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。

あの後、お話をした内容について、色々と考えを巡らせていましたが、N兄弟と、私の事実認識や理解との間で相違点となった問題を整理すると、以下のようになると思いました。

一番目は、予言の定義です。
私は、協会の過去のハルマゲドンの予言を「予言」と理解していたのに対して、N兄弟は「予言」というよりは「聖書の預言解釈の範疇」であって、間違いないものとして提示されてきたわけではない、というご意見でした。

二番目は、予言通りのことが起きなかったこと場合における統治体のふさわしい対応についてです。
この点は、一番目をどう理解するかと密接な関係があります。私は、「協会の過去の予言が間違いないな予言として提示されてきた」という理解に立っていたので、それによって振り回された人々に謝罪などの誠意ある対応をすべきだし、過去の歴史を振り返る時も率直に包み隠さず語るべきではないか、と疑問を呈しました。しかし、N兄弟は、あくまで「預言解釈の範疇」であって、「エホバの名によって語られた予言」ではないため、謝罪は必要ないし、それがふさわしい対応だとも言えない、という見解でした。

三番目は、予言の失敗という問題をどう見るか?という問題です。
これもやはり、「予言」と見るのか、「預言解釈の範疇」なのかと密接に関連します。私は、エホバからの唯一の経路だる統治体が予言を繰り返し外してきたのだから、1914年や三時半の理解にも関わる重大な問題だと疑問を伝えました。しかしN兄弟は、それはあくまで預言解釈の範疇だし、仮に過去に何回か予言を外したとしても「木を見て森を見ず」にはなってはならず、全体として協会がどのようにエホバの名に誉れをもたらしてきたのかを考えれば、それはさほど重要な問題ではない、と話されました。

それで、以上の点について、改めて協会の出版物や聖書を読んで、私の考えに問題が無いかどうかを整理しました。少々長くなったので、別途ファイルにまとめましたが、お時間のある時に目を通して頂けますでしょうか?

※1~5の見出しに分けており、それぞれの見出しの最後の部分に質問点や確認点を添えました。

別途添付したファイルは、こちらからダウンロード可能です。※本名を伏せてます。

それに対するN兄弟の返信は、次のようなものでした。

資料を拝見しました。先日お話しした内容とお渡しした資料のとおりです。

これ以上、コメントすることはございませんので、それぞれの立場と信仰でご判断いただければよろしいかと思います。

最後に私は、次のように重要確認事項を返信し、やり取りが終わりました。

資料のご確認ありがとうございました。

一連の話し合いは、まだ幾つかのテーマを残しておりましたが、兄弟のご意向から、これで一区切りとなると判断いたしましたので、正直な感想を以下に書かせていただきます。

この度の資料は、先日のN兄弟のご指摘を真摯に考慮した上でのものでした。それも踏まえて、N兄弟のご意見は変わらない、ということは、以下のような結論となることと思います。そのように判断をさせていただきます。

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◆たとえどれだけものみの塔協会が、特定の年代に終わりが来ることを「確信できる」「間違いない」「創造者の約束」として力強く宣言したとしても、それはあくまで聖書の「解釈の範疇」であって、「予言」とは認められない。少なくとも、N兄弟はそれを予言とは認めない。

※この点について「目93年3月22日、p.4」によれば、協会側は「予言」であることは認めているようですが、「エホバの名において」語ったことを否定しています。

◆したがって、特定の年代に終わりが来ることを断定した文章を載せた雑誌を世界中で配布し、その通りにならなかったとしても、それを信じた読者に対して何らかの責任を取る必要は生じない。謝罪の必要も無い。また、読者がそれによって「エホバは約束を破った」と判断し、「エホバの名」を嘲弄したとしても、エホバの証人としては一切の責任を持たないし、「光が足りなかった」という説明で十分に筋が通ると考える。

◆「エホバからの経路としてエホバに任命され人々の語る言葉や行動は『エホバの名によって』なされたと見做される」とする洞察の説明や、その箇所で引用されている聖句は間違っている。

◆仮に「その日は誰にもわからない」とするイエスの言葉を越えて、終わりの年代予言を6回にわたって大々的に外しても、ものみの塔協会が成し遂げてきた事柄と比べれば、さほど重要な問題ではない。したがって、イスラエル史上最高の王ダビデの罪を軽く見なかったエホバの行動や、「多くを与えられた者には多くが要求される」とするイエスの言葉も真に受ける必要は無い。

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これまでに、N兄弟を含め、合わせて三人の長老に、一連の件を相談して参りましたが、全てのケースにおいて、最終的に私が持った印象は「いざという時は、聖書の言葉そのものの意味よりも、組織のルールの方が上に来る」というものでした。

とはいえ、N兄弟ほど、数カ月にわたり、真摯に向き合って下さった兄弟は他にはいませんでした。

実際に、兄弟との話し合いで気付かされた点も多くありますし、それは私にとって有益な時間となりました。私のために、兄弟が果たして下さった労苦には、心より感謝しています。

N兄弟とご家族の皆様の上に、エホバからの導きが留まりますようお祈りいたします。

残念ながら、N兄弟は、これらの点について、その聖書的な問題点に気付くことができなかったようですが、私としては、作戦の目的は果たすことができました。(あるい内心気付き始めていたとしても、体裁を装っていた可能性もあります)つまり、協会の過去の予言の失敗については、長老でさえ、筋の通った説明や弁明をすることはできない、という結論を固めることができ、再びこの結論を携えて、義母の覚醒のための再アタックをする準備を終えることができたのです。

義母の覚醒のための再チャレンジ

その後、どのようなタイミングだったかは覚えていませんが(おそらく直接会った時だと思います)、再度組織の疑問点を話し合う機会を慎重に狙い、私は義母に、これまでの長老との一連のやり取りを報告しました。流石に今回は、義母も、「かんちゃんは悪魔にやられている」と安易に否定することはできませんでした。

私が然るべきプロセスを経て、集会にちゃんと行き、長老ともちゃんと話し合い、しっかりと根拠を固めたからです。義母の組織に対する信仰に、風穴が開き始めたのを見た私は、用意していた本『良心の危機』を紹介しました。

元統治体メンバーのフランズ兄弟が書いた本であり、1914年や予言の失敗問題について、長老と話し合って固めた結論に関係する情報を、統治体メンバーの視点で書いてくれていることを説明したと思います。そして、なんと義母は、その場でその本を受け取ってくれたのです!

その後、義母は比較的早く、その本を読み終えてくれました。やはり、長年エホバの証人として仕えてきた義母にとって、元統治体が書いた本というのはとても興味深いものだったのでしょう。本を読んだ義母の感想は、本の内容は決して悪いものではなく、背教的なものでもなく、ちゃんと本当のことを伝えてくれている本だという印象を持ったようでした。その本を読んだことに対して、エホバに罪を犯した、という認識を持ってもいなそうな感じでした。義母は、先入観なく、その本を読んでくれたのです。本来、組織のルールにおいては、絶対に読んではいけない本を読み、その上で問題ない本だと理解してくれたのです。それは、とても大きな前進でした。

背教者の本が見つかってしまう大失態

その後、組織の問題点について格段に話しやすくなったため、幾度か義母と、色々なことを話し合ったと思います。そして、最後のターゲットとして残ったのは、義理の妹姉妹でした。たとえ義母が覚醒しても、最後の家族も覚醒していかなければ、家族分裂の危機に陥るリスクがあり、義母をエホバの証人の組織の中に閉じ込める要因ともなってしまいます。

私は、妹姉妹への救出作戦について考え始めていましたが、そうこうしているうちに、良くない事態が発生してしまいました。なんと、妹姉妹が実家の整理か何かをしている時に、義母が自宅に保管していた『良心の危機』を見つけてしまったのです。当然のことながら、これは大ごととなり、義母は背教的な行為を行ったとして、組織から悔い改めを求められました。(おそらく、審理委員会が開かれたと思います。)

義母としては、悪いことをした自覚はなかったと思いますが、組織のルール上、それが禁止されていたことは重々承知しています。最終的には、義母は悔い改めに応じ、今後一切、そのようなものを見ないというルールに同意したものと思われます。

そしてこれを機に、妹姉妹の警戒スイッチが完全に入ってしまい、妹姉妹の救出が難しくなってしまいました。また、本は私から義母へ手渡されたものでしたので、私にも白羽の矢が立ちましたが、私は所属している会衆が無かったため、その時には訴えられることはありませんでした。

最後に

その後、色々な事情があって配偶者とは別れ、私もその後に排斥されたので、今は当時の義母や妹さんとは一切関わることができなくなっています。組織からも、私と関わらないよう厳重注意されているものと思われます。

救出作戦が十分に成功しなかったことは、とても残念なことです。一方、あの家族が、組織のマインドコントロールから自由になるために、できる限りのことはやれた感触はあります。結果は残念ですが、後悔はありません。

一連のプロセスを振りかえって、教訓として言えることは、家族をマインドコントロールから覚醒させようと思う場合、ある程度の期間、集会にちゃんと通い、長老との話し合いなどを通じて、しっかりと論拠を固めた上でチャレンジすることは、良い手段の一つだと言うことです。あとは、親族の状況や性格など、色々な要素がそれぞれにあるので、何がベストなのかは人によって異なってくるでしょう。

もう一つは、エホバの証人・組織の間違いに気づくといっても、その気付き方にはレベルの違いがあります。義母は、『良心の危機』を読んだものの、エホバの証人の組織を抜けなければならない、というところまでの認識には至りませんでした。

聖書的な視点で、組織から出る必要性を自覚してもらうためには、やはり「三位一体」「新しい契約」「エホバのみ名」等のテーマにおける聖書的な正しい理解を提示する必要があるのです。(良心の危機を書いたフランズ兄弟は、本の中ではそれらの点については触れていなかったと思います)ですから、流れとしても、一足先に覚醒した救出する側のエホバの証人が、それらのテーマに関する聖書的な理解を深め、その中で救出作戦にも取り組んでいけると良いでしょう。

今回書いた私の経験が、同じ問題で悩んでいるエホバの証人にとって、役立つものとなれば幸いです。家族の救出を目指す全ての方々に、聖霊の助けと導きがありますように!

 

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2件のフィードバック

  1. 石黒 より:

    ありがとうございました、私は45年にわたる研究生でした。たくさんたくさんたくさんたくさんお話ししたいこといっぱいありますけれど3年前どこかおかしいことに気がつき始めてから黙々と探しました。そして統治体のマインドコントロールから自力で抜け出しました。まだバプテスマを受けていなかったので、静かに集会から去りました。そして今神がイエスであることを確信し、今ある組織でバプテスマを受けました。お話ししたい事はたくさんたくさんたくさんありますけれど今私は自分で気がつき抜け出すことができました。今現在いる姉妹兄弟たち主イエスに守られることを祈っています。

    • Webmaster-GJW より:

      コメントありがとうございます。長いプロセスを経て、組織から抜け出し、イエスを主とする信仰へ導かれたのですね。神の導きに感謝ですね!

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