衝撃!統治体(忠実で思慮深い奴隷)との関係を持つことができます!

衝撃!統治体(忠実で思慮深い奴隷)との関係を持つことができます!

少し前の話になるが、親族のエホバの証人から勧められて見たビデオの中で、ぞっとするような内容のものがあったので紹介したい。そのビデオとは、「JWブロードキャスティング、マンスリープログラム:2018年7月」の中の、ギレアデ学校の紹介部分で、52分目あたりからの内容だ。そこでは、ナレーターが、次のようなことを語っていた。

生徒(ギレアデ学校の)は学校生活の中で、この図書室で勉強できる時間を楽しみにしています。静かで落ち着いた環境で、忠実で思慮深い奴隷と間接的な関係を持つことができます

衝撃!統治体(忠実で思慮深い奴隷)との関係を持つことができます!

出典:JWブロードキャスティング、マンスリープログラム:2018年7月

忠実で思慮深い奴隷と間接的な関係を持つことができます?」どうやら、ものみの塔の出版物を信仰を持って読むことによって、「忠実で思慮深い奴隷級」である「統治体」と、霊的な関係(交わり)を持つことになるだと言う。

ほとんどのエホバの証人は、このセリフを聞いても、何とも思わないかもしれない。しかし、正しい聖書信仰を持っているクリスチャンが聞けば、誰でもぞっとするような言葉である。

クリスチャンは、信仰を持って聖書や関連書籍を読む時に、一体誰と交わるようになると、聖書は教えているだろうか?それは、父なる神との交わりであり、主イエス・キリストとの交わりであり、聖霊との交わりである。何かの出版物を通して、特別なクリスチャンとの交わりを持つ、というような教えは聖書には無いし、まともなクリスチャンであれば、そういう仕方で誰かが高められることに違和感を覚えるはずである。

「見よ,わたしは戸口に立ってたたいている。わたしの声を聞いて戸を開けるなら,わたしはその者の[家]に入って彼と,そして彼はわたしと晩さんを共にするであろう。」(啓示3:20)

「主イエス・キリストの過分のご親切と神の愛,ならびに聖霊にあずかることが,あなた方すべてにありますように。」(コリント第ニ13:14)

※ここで「あずかる」と訳されているギリシア語は「コイノニア」という言葉で、「交わり・交流」を意味する言葉である。聖霊との交わりを否定するものみの塔は、ここでもしっかりと意味をごまかす訳出をしている。

しかし、ものみの塔が、このような表現を用いたのは、決して偶然では無い。協会は、新約時代における主イエスの役割を全く理解していないので、キリストとの生ける交わりは一切教えないし、聖霊は人格を持たない「エネルギー」だと教えているので、聖霊との交わりも教えない。

だから、聖書的に、信者との霊的交わりにおいて「主イエスと聖霊」がいる場所に、「神からの唯一の経路」とされている「統治体」が居座っているのだ。

さらに、同ビデオプログラムの52分40秒あたりに進むと、次のような言葉も語られている。

勤勉な努力とエホバの祝福により、神権学校のスタッフは、仲間と統治体に仕えれることを特権と感じています。

衝撃!統治体(忠実で思慮深い奴隷)との関係を持つことができます!

出典:JWブロードキャスティング、マンスリープログラム:2018年7月

イエスの教えによれば、クリスチャンは、へりくだって仲間に仕えるべきだから、「仲間に仕えれる」という表現には何も問題は無い。しかしなぜ「仲間」と「統治体」が分けられているのだろうか?ものみの塔は、たとえ統治体であっても、彼らを「兄弟」と呼ぶよう指示しているが、その実質が本当に「兄弟」なのであれば、彼らは「仲間」に属するはずである。しかし、実際にはそうはなっていない。

ちなみに、この箇所において、聖書的に正しい表現とは、「仲間とキリストに仕えれることを特権と感じています。」となるはずである。このように、本来、キリストが占めるべき色々な位置に、統治体が割って入り込んでいる、これがものみの塔の真の姿なのである。

どうか、まだ組織の中にいる羊たちが、真の羊飼いの声を聞き分けることができますように。

「しかし,戸口を通って入る者は羊の羊飼いです。3 戸口番はこの者に対して[戸を]開け,羊はその声を聴き,彼は自分の羊の名を呼んで導き出します。4 自分のものをみな外に出すと,彼はその前を行き,羊はあとに付いて行きます。彼の声を知っているからです。」(ヨハネ10:2~4)

※なお、たとえどれだけものみの塔の出版物を読んでも、それらを統治体に対する信仰を持って読まなければ、彼らとの交わりは成立しない。

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