復活祭★キリストの復活の史実性と、その聖書的な意味について
2019年は、本日(4月21日)が、キリストの復活を記念する喜ばしい日となります。
エホバの証人は、毎年ニサンの14日に行う「イエスの主の記念式」を、一年の内最も重要な日と見做し、それを大切に守り行っていますが、それは聖書的に正しい態度だと言えます。事実、イエスは、パンとぶどう酒を用いる記念式を行うよう弟子たちに命令しましたが、それ以外のどんな日も、祝うようにと命令してはいないからです。
ただし、その三日後の日曜日に起こったキリストの復活もまた、極めて重要な日であり、私たちがその日を記念し、その復活を覚えることは大切なことではないでしょうか?なぜなら、クリスチャンの信仰の土台は、キリストの贖いの死~復活に至る一連の事実にあるからです。
エホバの証人が、聖書を信じ、キリストが復活したことを字義通りに信じていることは、正しい信仰だと言えます。ただし、キリストがどのようなお方として復活したのかについては、聖書からズレている所があります。
キリストの復活は、霊者としての復活ではなく、肉と骨を伴った「肉体の復活」でした。以下の聖句が示す通り、復活したキリストには、霊にはない「肉や骨」がありました。また、キリストは、焼いた魚を食べることもされました。
「わたしの手と足を見なさい。これはわたしです。わたしに触り,また見なさい。霊には,あなた方がわたしに見るような肉や骨はないのです」。40 [[そして,このように言いながら,自分の手と足を彼らにお見せになった。]] 41 しかし,全くの喜びのあまり彼らがなお信じられず,ただ不思議に思っていると,[イエス]は,「そこに何か食べる物がありますか」と言われた。42 それで彼らは焼いた魚一切れを渡した。43 すると彼はそれを受け取り,彼らの目の前でそれを食べた。
」(ルカ24:39~43)
また、キリストが復活された時、墓は空になりました。もし、彼の復活があくまで霊的なものだったのであれば、死んだ肉体自体は、墓に残ったままで良かったはずです。(ただし、復活後のキリストは、壁を通り抜けたりすることもできました。それは、彼の体が、霊的な次元と、物理的な次元の双方向を自由自在に行き来きできる多次元なものであることを示していると考えられます。)
そして、キリストの復活が、肉体を伴った体の復活であったのであれば、彼は今でも人としての性質を完全に持っていることを意味します。そして、彼が復活の初穂として描かれているということは、彼に続くクリスチャン(神の子供たち)の復活もまた、彼と同じようになる、ということを意味します。
コリント第一15章、およびテサロニケ第一4章の記述によれば、キリストの復活以降の全てのクリスチャンたちが一斉に復活する壮大な輝かしい時は、終わりの日の出来事であり、その時は近づいています。しかし、その日に復活に与らず、地上に取り残される人々には、大きな患難が生じることでしょう。
「自分は新しい契約の当事者」でもなく、「神の子供でもない」と信じる全てのエホバの証人たちは、この重要な意味を速やかに悟り、真に救われて、神の子供となる必要があります。このテーマについては、また追って詳細を解説する記事を更新するかもしれませんが、取り急ぎ、参考となる記事を以下に紹介させていただきます。
真実に気づくエホバの証人が増し加えられるよう、心よりお祈りしています。
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