目ざめたエホバの証人へのアドバイス③|色々な問題に対処する
組織を離れる多くのエホバの証人は、様々な困難な問題に直面します。ここでは、それらの問題の一つ一つに対する対処方法を取り上げます。
組織への依存から―自立的思考の回復へ
ものみの塔は、そのカルト的な体質ゆえに、信者が組織へ依存し、特に信仰の面において自分で物事を考え判断することの無いよう教育しています。実際、自分の頭で聖書を解釈することは、「独立的な態度」として厳しく戒められるわけです。
そのため、覚醒して組織を離れる元証人は、組織への依存から脱却し、思考停止状態から、自立的思考を取り戻すのに苦労する場合があります。特に、エホバの証人としての生活が長かった人、組織への献身度が高かった人ほど、この傾向は顕著になるでしょう。
思考停止状態から回復していく過程において、「思考の乱れ」を経験することもよくあります。自分で考えようとすると、本人の意志とは関係なく、色々な思いが勝手に入ってきたり、混乱したり、精神的に異常をきたしていると感じることさえあるのです。
この問題を乗り越えるためには、マインド・コントロールについて学んだり、マインド・コントロールを用いる他の団体から救われた方と話したりすることが助けになります。自分の経験を客観視し、回復過程における思考の乱れが普通のことであると知れば、時間をかけて徐々に自立的思考を取り戻していくことができるでしょう。
また、自分で主のみ心を求めて決断を下せるクリスチャンとなれるように応援してくれる人たちと交わることも有益です。自分で選択をして、失敗し、結果を受け止めるという過程において、時には辛いこともあるかもしれませんが、何があっても慰め、応援し続けてくれる仲間の支えと祈りがあれば、少しずつ決定を下すことが怖くなくなっていくはずです。
そして、クリスチャンのためには、万事が益となるよう神が導いて下さる、という次の約束の言葉も、大きな支えとなることでしょう。
「さて,わたしたちは,神を愛する者たち,つまりご自身の目的にしたがってお召しになった者たちの益のために,神がそのすべてのみ業を協働させておられることを知っています。」(ローマ 8:28)
なお、「真理のみことば伝道協会」では、元カルト信者のための自助グループ『いたんだ葦の会』が、年に六回定期的に開かれています。興味があれば、ぜひ足を運んでみて下さい。(場所は埼玉県です)
・真理のみことば伝道協会 ウェブサイトアドレス:cult-sos.jp
恐怖心からの脱却
恐怖心は、カルト団体がよく用いる手法の一つですが、エホバの証人の場合は、特にハルマゲドンに対する恐怖、背教的行為や背教者に対する恐怖が植え付けられている場合が多いです。例として、「この組織に留まらなければハルマゲドンで生き残れない」「統治体に逆らうことはエホバに逆らうことだ」というような恐怖心です。
そのため、元証人が作成した背教者のサイトを読んだり、伝道活動や集会を休むようになったりした時に、何か悪い事が起きたりすると、「自分が組織に不忠実になったからではないか」という不安がよぎったりします。悪いニュースを見るたびに、「組織の言う通り、世の終わりが近いかもしれない」という不安を感じたりします。
このような誤った恐怖心からの脱却にあたっては、聖書の真理を学び直すこと、マインド・コントロールの手法について知ることが大きな助けになります。
一例として、組織を離れても、輸血に対する潜在的な恐れが残る場合もあります。「輸血拒否」の教理が間違っていたと頭ではわかっていても、内側ではその恐れを中々拭い去ることができないのです。このような恐怖心は、輸血の危険性(感染症・合併症)を過度に強調した医学的に偏った情報を組織から教え込まれてきたことを踏まえれば、当然の反応だと言えるかもしれません。
本書の執筆を手伝ってくれた兄弟や、もう一人の元証人の兄弟は、輸血によって助かった人の肯定的な体験談に触れることや*[1]、「献血」を行うことによって、その恐れから脱却できたと語っています。このように、正しい知識を頭で理解するだけでなく、行動によって理解したことを体験的にも知ることができれば、恐怖心からの脱却において、大きな助けとなるでしょう。
「そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」(ヨハネ8:31~32)
なお、ここで言及しているのは、「誤った教理や概念に対する恐怖からの解放」です。真の神に対する「敬虔な恐れ」は、全ての信者にとって必要不可欠です。
「エホバへの恐れは知恵の初めである。」(詩篇111:10)
心の傷を癒やす
組織の中で苦々しい経験をしてきた場合や、長年組織に献身してきた元証人の場合は、覚醒した後に、感情的な問題に直面することも少なくありません。自分を騙し続けてきた組織に対して、また二世であれば自分をカルトへ導いた親に対して、苦々しい思いを抱きやすいものです。このような感情的な問題は、エホバの証人としての献身が、多くの場合多大な犠牲を伴うものであることを踏まえれば、無理もありません。
解決策として、自分と同じような経験をした人との交わりを持ち、自身の経験をオープンに話すことによって、心の傷が軽減する場合があります。また、クリスチャンとして、主イエスとの親しい関係を築くことは、心の傷からの回復においてとても大切なことです。
「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。」(マタイ 11:28)
「 歓ぶ人たちと共に歓び,泣く人たちと共に泣きなさい。」(ローマ 12:15)
経済的困難・将来の不安について
正しい聖書的終末観を持つ
ものみの塔は、ハルマゲドンの到来の緊急感を煽って拡大してきた組織だと言っても過言ではなく、その傾向は今日に至るまで変わりません。そのため多くの信者は、「あと数年以内には・・」という切迫感を前提に人生設計を立てていますが、組織の偽善や教理の誤りに気付いた途端、「死ぬまで生活費を工面しないといけないかもしれない」ことに気付き、人生のスパンが途方も無く長くなったように感じ、不安を覚えます。
このような不安への対処としては、正しい聖書的終末観を知ることが助けになるでしょう。クリスチャンの希望とは、将来に起こるキリストの再来の際に、朽ちることの無い栄光の体へと変えられ、天へ挙げられる、というものです*[2]。(テサロニケ第一4:13~18、コリント第一15:50~56)また、このキリストの再臨は、いつでも起こりえるものであり、明日かもしれないし、十年後、五十年後かもしれない、というものです。ですから、「あと数年以内には」ではなく、いつキリストが迎えに来られても良いように、短期的~中長期的な視点をバランス良く保ち、日々準備ができている状態で生きる、という姿勢が大切なのです。
また、再臨によって栄化されたクリスチャンはもはや罪を犯すことがありません。私たちは、キリストと共に千年の間地上を治めた後は、新天新地という完全な世界において、神と共に永遠に住むことになるのです。元開拓者のある兄弟は、こうした神の計画の全貌を学び直したことにより、大きな感動と喜びを得たと語っています。
仕事に対して聖書的な見方を持つ
高等教育・大学への進学の否定や、仕事よりも開拓奉仕や集会を過度に優先させようとする極端な見方によって、適性のある仕事や、収入面で安定した仕事に就く機会を失ってきたエホバの証人はとても多くいます。その結果、組織を離れた後、経済的な不安、将来への不安を感じたりします。しかし、具体的にどうすればよいか、という点については、間違いに気付く年齢や、適性の種類、資格や経験等、個々の証人によって状況が異なりますので、一概には言えません。ただし、仕事に対する聖書的な見方について再考しておくことは、今後の仕事や生き方を考えていく上で益となるでしょう。
仕事に関するエホバの証人の理解においては「仕事を通して神の栄光を表す」という概念が、決定的に欠けています。その結果、全てのクリスチャンに対する神のご意志は、できるだけ仕事の時間を減らして、開拓奉仕に打ち込む、という一つの型に閉じ込められることになります。確かに、ある人々に対する神のご意志はそうかもしれませんが、人には異なる個性と人生の計画が与えられているものであり、全時間の仕事であっても、それぞれの現場において、仕事を通して神の栄光を表す、という生き方もあるのです。例えば、エホバの証人の間で否定的に見られている職業として、アーティスト、スポーツ選手、大学教授等がありますが、これらの職業を通して、むしろ多くの人に福音を届けることに成功しているキリスト教のクリスチャンはたくさんいます。
「ですから,あなた方は,食べるにしても,飲むにしても,あるいはほかのどんなことをするにしても,すべての事を神の栄光のためにしなさい。」(第一コリント10:31)
また、「王国と神の義をいつも第一に求めなさい。」(マタイ 6:33)というイエスの言葉についても、エホバの証人の中では、自動的に開拓奉仕を意味することになりますが、伝道の時間数は、あくまで「神を第一にする」ことを示す表現方法の一つであって、その本質では無いのです。
こうした点を考慮しつつ、仕事に対してより柔軟で幅広い見方を持つことは、経済的な問題に対処するための一つの助けとなることでしょう。
脚注
[1] 参考情報:日本赤十字社の献血推進運動のウェブサイト(https://ken-love.jp/40minutes.html)には、急性リンパ性白血病を発症し、輸血を経験されたタレント・友寄蓮さんの体験談がYouTube動画で紹介されています。本書の執筆に関わった元エホバの証人の兄弟は、この動画を見て献血の尊さに気付かされ、「献血は、人の命を助けるためにできる隣人愛の実践の一つであり、神様も喜ばれる行為に違いない。怖いけど、勇気を出して献血してみよう」という気持ちになったと語っています。
[2] キリストが信者を迎えに来るために空中まで降りて来る再臨のことを「携挙」(空中再臨)と言う。裁きのために地上に降りてくる「地上再臨」とは区別される。