元エホバの証人 二世の話|えぐれた心を癒やす神、イエス・キリスト


元エホバの証人 二世の話|えぐれた心を癒やす神、イエス・キリスト

打ちひしがれ、心が砕かれている方へ、「キリストの愛」を掴んでほしいと願っています。多くの方が、イエス様のもとへ、導かれますように。私の経験をお話しします。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい」
(マタイ11:28)

エホバの証人になるまで

私は1986年に生まれました。

私が幼稚園生の頃、母がエホバの証人の伝道により、家庭聖書研究をはじめました。

当時の母は、UFOを見た経験があり、霊的なものに関心がありました。母は、オカルト番組を好んで、頻繁に見ていました。幼い私も、それを見て、悪霊の不気味さを感じて、怯えていました。<この頃から、私の心はサタンの鎖につながれました。その後の人生も、サタンのメッセージを受けることとなりました>

私が文章を理解できるようになると、エホバの証人の出版物を読むようになりました。神の事、悪魔と悪霊の話を読んで、悪霊の仕業の理由が、腑に落ちました。「聖書には本当の事が書いてある」「聖書を教えているものみの塔は、真理を持っているのだ」と信じ、研究しました。エホバの特性、イエスの生きざま、忠実な人たちのエピソードを知ることが、大好きでした。統治体の事も信頼していました。

私の父は未信者で、自閉症の特徴を持ち、ギャンブル依存でした。母は境界性パーソナリティ障害の特徴を持ち、子に依存的でした。母は鬱病も患っていました。私の兄は無感覚にとらわれていました。その当時は、それらの障害についての情報が乏しく、周りの人からも批判されがちでした。私自身も、父を軽蔑し、母へ共依存し、混乱していました。家庭の中は混とんとしていました。私には人権がありませんでした。支配的な母に、自分の主導権を与えていました。無価値観・絶望感・悪魔への怯えがあり、エホバに頼る安心感だけが、心の拠り所でした。虐待の後遺症で複雑性PTSDになりました。

23歳の時、私は研究生でしたが「こんな自分をエホバに捧げても、神は喜ばないだろう」と永遠の命をあきらめていました。WTの教えでは「地獄は存在せず、死後は無である」と教育されました。「だったら、早く無になって、楽になりたい。幸せになることなんて諦めるから、せめて苦しみからから解放されたい」と願いました。

自殺を思いとどまらせたのは、神の存在と、聖書の知識を知っていたからでした。「自殺は殺人だから神が悲しむ。だけど、このままは耐えられない」と思い、心理学の本、精神疾患の本、虐待被害者の経験の本を読み漁り、自己分析をしていました。自己啓発本も参考にし、「生きるためのノウハウ」を学びました。しかし、表面上はうまく立ち回れても、心の辛さは取れません。苦しみを紛らわすために、異性に頼りました。でも心は満たされず、罪悪感に苛まれ、自分を見下げ、ののしっていました。そして、相手の事も、心の中で罵るようになりました。

集会に行くのも、研究もやめて、JW組織から離れました。「私は愛に飢えている。だけど、誰が私なんかを愛してくれるというのだ」と途方に暮れていました。異性、物質に頼り、寂しさを紛らわせていました。

26歳の時、一般の男性と結婚しました。その間も、私は神に話しかけることはやめませんでした。神への信仰は持ち続けていました。

2013年、主人が鬱病になりました。私は、主人を支えるために自分の精神を安定させたいと思い、エホバの組織に戻る決意をしました。2014年2月、エホバの証人のバプテスマを受けました。同年3月、主人の鬱病が治りました。しかし私の鬱病がひどくなり、バプテスマを受けてから3か月で、集会も奉仕も行けなくなりました。

エホバの証人時代の自分の気持ち

(1)集会と奉仕に行けない自分は、エホバに愛されない。エホバに愛されるように、努力しなければならない。現時点でも辛いけど、もっと辛い大患難を耐えなければ楽園に行けない。私には無理だ。きっと私は滅びるだろう。

(2)自分が幸せを感じてないのに、未信者に「エホバの証人になると、幸福になります」などと言えない。しかし証言をしなければ、自分は滅びる。だけど、相手にとったら、未信者のまま死ねば、その人は自動的に楽園で復活できるらしい。では、伝道は相手のためになるのか?自分の救いのために、未信者にリスクを負わせるのか?

(3)「出版物の文章は、のらりくらりしている。なぜ、シンプルな表現で教えてくれないのだろう。独特で読みにくい。私は子供時代から読んでるから、慣れているけれども、普通の人には、わかりにくいよね」「英文の翻訳だから、仕方ないか…」「そのうち改善されるだろう」と、ぼんやりと考えていました。

疑念、衝撃、断絶

2018年、私は鬱病から躁状態に陥り、集会支持ができるようになりました。集会で〈統治体は、エホバとイエスに是認された組織である。統治体の指導者は、イエス・キリストである〉という話が扱われました。私は、「統治体の兄弟はイエスに祈らないのに、どうやって指示を仰ぐのだろう」と思いました。その後、鬱状態が襲ってきて、寝込みました。

ようやく動けるようになった頃、ものみの塔研究記事で、児童性的虐待を扱う話を読み、それについてネットで調べたところ、「組織として、犯罪を隠ぺいしている」事実を知り、「これは、神の組織ではない」と、愕然としました。そして、エホバの証人の偽りを暴くブログを読み漁りました。偽預言、組織崇拝、聖書改ざん、カルト性などについて知り、「私は騙されていた。」と覚醒しました。「なんてことするんだ」と、組織に嫌悪感を持ちましたが、偽りから解放された安堵感があり、「みんなも、騙されているんだ。JWを、助けなきゃ」と思いました。

16「あなた方はその実によって彼らを見分けるでしょう。」17「良い木はみなりっぱな実を生み出し、腐った木はみな無価値な実を生み出すのです」(マタイ7:16~17)

JWの暴露書籍を読み、聖書を正しく伝えている書籍と、幾つかのサイトを読みました。「イエスは、神だ」と答えが出ました。イエス様に祈っていました。「エホバの証人への福音」「TRUE ARK」サイトに導かれました。サイトを読み、「私は、JW組織を出たい」と強く思いました。

現役JWである実家の母と、兄夫婦、友達から、忌避される懸念がありましたが、心の中で「人間より神に従わねばなりません」という聖句が響いていたので、組織に断絶届を出すことにしました。母と兄夫婦と話し合いをし、聖書から、「背教者の定義」を示しました。

「誰であろうと、キリストの教えを越えて、これにとどまらない者」(ヨハネ第二9)

・偽預言者(ペテロ第二2:1~3)

「私は、ものみの塔組織から離れるけど、神も聖書も信じている。反キリストでもないよ。それでも、私を無視する?お母さんや、お兄ちゃんが、私を無視したいのなら、その決定を尊重します」と言いました。兄は「無視はしないよ。でも、霊的な話はできないかな」母は「神と聖書が、私たちの共通点ね」と言ってくれて、完全拒否は免れました。

長老団との話し合いも、終始穏やかでした。「私は、真実を知ったので、この組織を出ます。エホバの証人の方たちには、お世話になりました。示してくださった数々の愛に、感謝しています」と伝え、2019年7月初め、断絶届は受理されました。

その後も、イエス様に祈りつつ、聖書を解説するサイトを読み比べていました。<三位一体、霊魂不滅、天国と地獄、携挙、大患難の真実など>も、聖書の根拠があり、真実であることを認めました。そして、バプテスマを受けなおす必要を感じました。「エホバの証人への福音」「TRUE ARK」のサイト管理人さんに、「バプテスマを受けたい」と連絡しました。

バプテスマの話し合いの時、「イエスの十字架の意味、救いとは何か」について考えました。兄弟が私のために祈ってくれました。するとサタンのベールが外されて、キリストの愛をはっきり実感しました。それまでに経験したことのない、平安と幸せと、神の愛に満たされて、私は救われました。

「主の御名を呼び求める者はみな救われる」(ローマ10:13)

サタンの視点と、神の視点

私に何が起こっていて、サタンが私に何をして、神がどうヒントを与え、導いていたか、を、神様が段階的に理解させてくれています。全ては書ききれないので、省略します。

点描画は、間近で見たらただの点で、なんの絵なのか分かりません。しかし離れて見れば、その絵全体を見ることができます。サタンは、私の視界を遮っていたのです。神は、神の視点を私に見せました。私は神の視点を選び、点描画を全体から見ることができました。それまで知っていた聖句が、散りばめられたヒント(点)で、その点が繋がったのです。そして、サタンが私をどう騙したかが、はっきりわかりました。

「悪魔は…偽りの父」(ヨハネ8:44)

「神の善良さは何と大きく、その麗しさは何と壮大なのであろう。」(ゼカリヤ9:17)

自由意志の権利

自分が、何を信じるか、自分で選択し、その責任を自分が持つ権利があります。

「人はおのおの自分の荷を負うのです」(ガラテア6:5)

サタンは、人に神以外のものを信じて選ぶようにと、巧妙に人を騙します。JW時代の私は「自分はエホバとエホバの組織に忠実です。私は真理を知っています」と思い込み、「人間組織に依存している事実」に無自覚のまま、サタンの罠にはまっていたのです。だから苦しかったのです。

神は、私に叫んでいました。「イエスキリストの十字架の愛を信じて、受け取って!命の水は、統治体からは得られないよ!」私は、その声に気づき、イエスを選びました。(聖霊が、神の声に気づかせてくれたのです)

とらわれているものが、他にもありました。サタンのメッセージを信じて、私が刈り取った実が、これです。「他人にどう思われるだろうか」という、人間の価値基準。怒りや恨みなどの感情。無価値感、罪悪感。自傷行為、心の中で人を殺す事。物質への執着心。買い物依存で借金がありました。神以外の者への依存心。

「肉の業は明らかです。それは、淫行、汚れ、みだらな行い、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄です。」(ガラテア5:19)

それらの汚れが、心にこびりついていました。虫歯が、歯を侵食して痛みを生じさせるようでした。心の虫歯は、自力では治せません。人間にも治せません。神だけが、治せます。

神を心に受け入れたら、神の愛が、サタンの汚れを引きはがし、削れた心を直してくれました。33年の人生の中で、えぐれてしまった私の心を直したのは、イエスキリストの十字架だったのです。神を信じることを選んで、刈り取った実は、愛、平安、幸福です。

「一方、霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制です。」(ガラテア5:22)

世界には、虐待や悲惨な経験から、心をえぐられて、辛い思いを抱えている人が、沢山居ます。JW組織の中にも、苦しんでいる人がたくさん居て、傷ついたり傷つけあったりしています。WT組織の鎖につながれています。その鎖を自覚して、一人でも多くの方が、キリストの愛を信じて選べるように、私は聖霊の導きに従って、神の証を続けたいと思います。

読んでくださり、ありがとうございました。

 


あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です