断絶届けを全文公開|長老団への手紙「偽りの宗教からの決別宣誓書」


断絶届けを全文公開|長老団への手紙~「偽りの宗教からの決別宣誓書」

この手紙は「本当のイエス・キリストとの再会」を寄稿した、はじめ・まこと兄弟(仮名)が書いた長老団への手紙です。彼は、その後も家族救出のためにエホバの証人の組織に籍を残して話合いを重ねましたが、疑問に向き合ってもらえず、長老に通報されました。

長老からの指導は「神の言葉は読んでも分からない」と聖書からの語りかけを疑うように誘導され、逆に「ものみの塔組織(統治体)の言葉は疑わずに信仰するように」と人間の言葉に信仰を置くように誘導されました。

その結果、「信仰の対象が違うのであれば同じ信仰を持つ者という立場で話合いの継続は不可能だ」と悟り、今までの罪の告白と悔い改めの行動として、神を悲しませ、サタンを喜ばせる宗教からの決別の手紙を提出しました。

偶像崇拝との関わり

私、はじめ・まこと(仮名)は偽りの神を信じる組織と分かっていながら3年以上も関わりを持ち続けて、唯一まことの神とイエス・キリストを悲しませていたことを悔い改め、偽キリスト教との関わりを絶つことをここに宣言いたします。

 

創始者がピラミッド学やエジプトの偶像神との関わりを持ち、神が出エジプトのときに裁かれた偶像神のシンボルを教理の解説書の表紙に刻印していることを知りました。また後継者もこの伝統を引継ぎ、悪魔的な儀式や心霊術が行われていたフリーメーソンの集会所やマソニックホールを利用して集会を開いていたことも知りました。(塔97 12/15 10)「偶像崇拝に妥協してはならない、高価な魔術書を焼き捨てた初期クリスチャンにならって異教に関わるものを一切除きなさい」と教えられていたにも関わらず、サタンの影響を受けていた指導者から指導を受けてしまっており、その影響を受けた教えを広めてしまったことを告白します。

偶像崇拝と関わりを持っていない神の民に非難をもたらし、神を悲しませたことを後悔しています。

今後は啓示18:4の「彼女から出なさい」という神の言葉に従い、異教の影響を受けたグループから出ることにし、その影響を払拭すべく、今まで信じてきた事柄を聖書に基づいて一から見直すことを誓います。

(啓示 18:4)「私の民よ,彼女から出なさい。彼女の罪に関わったり,災厄に巻き込まれたりしないためである。」

「有翼円盤」でGoogle検索すると、このマークと酷似した太陽神ラーや他の太陽神のシンボルマークが多数出てきます。

聖書研究ー翼を広げた太陽の円盤

聖書翻訳

聖書は神の言葉であり、誤り無く保存されてきたと主張している一方で、ギリシャ語聖書写本の信頼性に疑問を差し挟み、聖書に合わせて教理を見直すのではなく、自分たちの教理に合わない聖書箇所の意味を変えるという改ざん行為に気づかずに、神のお考えとは違う教えを広めてしまったことを告白します。その結果として聖書に啓示された神のお考えとは違う、組織の独自の教理を人々に広めてしまい、神の名に非難をもたらしたことを深く悔いています。テモ二3:5や啓示22:18-19の警告に基づいて、神の言葉を信頼せず、自分の理解を絶対として聖書の意味を改ざんする組織との関係を解消することによって、神の許しを祈り求めます。

(啓示 22:18, 19) 「わたしは,すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば,神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。19 また,この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば,神は,命の木から,また聖なる都市の中から,すなわち,この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。」

(テモテ第二 3:5) 「信心深く見えても実際には神を敬っていません。こういう人たちから離れなさい。」

預言

エホバの証人は預言者として行動し、(塔72 7/1 407ページ 5-6節)エホバの名によって語ってきました(塔90 1/1 27ページ 22節)

一方で予言が外れた時は、「『エホバの名において』予言したことは一度もありません。」と矛盾した説明をしています。(目93 3/22 4ページ)

私はこの組織が神の霊に導かれ預言の業を行っていると信頼していたので、付いてきました。組織を信仰するようにとか、神のご意思と一致しているかどうか理解できなくても統治体の教えに従うように指導するということは、古代の預言者と同じ自覚をお持ちなのだと思います。

目ざめよの目的には「本誌は,1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で安全な新しい世をもたらすという,創造者の約束に対する確信を強めます」と長年に渡って世界中に配ってきましたが、実現しませんでした。1914年までに信者は天に挙げられ、ハルマゲドンが起こるという預言や、1975年までにハルマゲドンが来る等、エホバの名によって語ってきましたが、実現しなかったという結果からすると、エホバが語っていないことを、預言者として神の名によって語っていたことになります。以前の過ちを反省し、一般のキリスト教と同じように「その日と時刻は誰も知らない、いつも目覚めていなさい」という書かれている言葉にとどまり、「いつ終わりが来ても良いように用意をしていなさい」と軌道修正できればよかったのですが、現在も「重なる2世代」という教えに引き継がれ、2040~60年までにハルマゲドンが来ると予言を続けています。

使徒1:7で「天の父の権限で定められた時や時期について,あなたたちが知る必要はありません。」と言われているのにも関わらず、神の言葉よりも「終わりのときが知りたい」という人間的な願望を優先して知る権利のないことについて独自の教理を生み出し、いつまでに終わりが来るかの計算をやめない姿勢を貫いています。

エホバの証人の信仰を継承してきた者として、神の名に非難をもたらし、申命 18:20‐22の警告の言葉が私たちに対する神の評価です。死に値するほど神を悲しませてきたことを告白し許しを祈り求めます。

(申命 18:20‐22) 思い上がって私が命じたのではない言葉を私の名によって話したり,他の神々の名によって話したりする預言者がいれば,その預言者は死ななければならない。 21 あなたは心の中で,「エホバが話したのではない言葉だとどのようにして分かるのか」と言うかもしれない。 22 預言者がエホバの名によって話しても,その言葉が実現せず,その通りにならなければ,エホバはその言葉を話していない。預言者が思い上がってそれを話したのである。その人を恐れてはならない』。

1914年の預言に関しても、協会の相反する説明を見過ごし、今まで告白することができませんでした。

当時教えられていたこと:1914年における異邦人の時の終わりまで続き,その年には異邦人諸国家が滅ぼされ,「貞潔な処女」級の残れる者は,死んで霊者として命に復活させられる(千年王国 11章 186ページ 7節)

最新の説明:1914年のずっと前から,聖書研究者たちは,その年に苦難の時が始まると述べていました。そして,事態はまさに彼らの予告どおりになりました。(神の王国は支配している!国 2章 22ページ 29節)

当時教えられていたことは実現していなかったのに、最新の出版物では、実現したかのように歴史が書き換えられています。

聖書が信頼できる理由として、神に用いられた人の過ちも改変することなく、ありのまま語っているところです。人間の作品なら、都合の悪い部分は削除するか、後の時代に書き換えたりするのではないでしょうか。

ものみの塔誌の場合は、創始者の教えていたことが実現しなかった事実を、なぜか歴史を書き換えて、予言が実現したかのように書いてしまっています。

テモ一3:8でも援助奉仕者の資格として「二枚舌を使わない」ことが挙げられているので、神はこの行為をとても悲しんでいるはずで、エホバの証人の一員として、真実を語らない組織と歩調を合わせて歩んでしまったことを悔い改めます。私にできる償いは、詩篇26:4に従って、不真実な組織と袂を分かち、真実を語ることです。まことの神の許しを求めます。

(詩編 26:4) わたしは不真実な者たちと共に座りませんでした。 わたしは自分がどんな者かを隠す者たちと共に入って行きません。

(エフェソス 4:25) 皆さんは偽りを捨て去ったのですから,隣人に真実を語りましょう。

神の名:テトラグラマトン

私は神の名が「エホバ」と信じてきましたが、この発音はカトリックの修道士ガラティヌスが、近代の写本に付けられた発音記号を勘違いして生まれた呼び名であることを知り、間違った発音で呼び求めて神を悲しませたことを悔い改めます。(「わが主」を意味するアドナイのa-o-a-をe-o-a-と読み違え、子音のJHVH(YHWH)と組み合わせてJeHoVahという発音が生まれた。全く違う意味の言葉を勘違いして合成して生まれた発音なので、正しい発音である可能性は皆無である)

使徒1:8,11:26に基づいて、YHWHの証人からイエス・キリストの証人として歩むように初期クリスチャンに語られ、神によって「クリスチャン」という名称が与えられたのに、間違った発音に基づく名称を使って伝道してしまったことを悔い改めます。

そして聖書に従ってクリスチャンの名称を使用して伝道しているイエスの弟子を「エホバの名を使っていないから偽クリスチャンだ」と非難することによって、キリストの兄弟を迫害することでイエスご自身を迫害し(マタイ25:40)イエスの弟子たちの間に分裂をもたらしてしまったことを悔い改めます。(コリ一1:10-13、ガラテア5:20)

今後は、本質的な信仰においては妥協せずに一致し、聖書によって訓練された各々の良心を尊重することができるように、聖書の体系的な学んで本質を見極め、枝葉の部分で争わないように注意します。

聖書研究に対する態度

聖書は自分で読んでも理解できないから、霊に導かれている(と思い込んで、実際は間違いをおかすこともある)統治体の教えを信仰(絶対的なものとして信じて疑わない)するようにと教えられてきました。その教えによって聖書を文脈で読む力を低下させ、1世紀の使徒たちが教えた健全な言葉の型から外れたことを人々に伝えてしまったことを悔い改めます。

(テモテ第二 1:13)  私から聞いた健全な言葉の型に絶えず従い,キリスト・イエスと結ばれた人として信仰と愛を示しなさい。

聖書によれば、聖霊によって全員が聖書を読んで神の御心を知り、実践することができると書いてあります。理解しにくいことでしたが、聖書にはっきり書いてある神の言葉を信じることができず、イエスではない者を信仰の主人として歩んでしまったことを悔い改めます。

(ヨハネ 14:26)父がわたしの名によって遣わしてくださる助け手,つまり聖霊のことですが,その者はあなた方にすべてのことを教え,わたしが告げたすべての事柄を思い起こさせるでしょう。

(ヨハネ 16:13)しかし,その者,すなわち真理の霊が到来するとき,あなた方を真理の全体へと案内するでしょう。

(ヨハネ第一 2:20, 21)皆さんは聖なる方によって選ばれており,全員が知識を持っています。 21 私が書くのは,皆さんが真理を知らないからではなく,知っているからです。また,真理から偽りが出ることはないからです。

(ヨハネ第一 2:27)皆さんは神によって選ばれているので,誰かから教えを受ける必要はありません。選ばれていることは真実であって偽りではなく,そのことによって皆さんは全てのことを教えられています。

なお、パウロもイエスを信じて間もない頃から、エルサレムの年長者(統治体が統治体の型だと解釈する)たちから逐一指示を受けること無く、イエスと聖霊から直接導かれて伝道活動を展開したことが多い様子が描かれています。

(ガラテア 1:16~2:2)16 私を通して神の子を明らかにし,その方についての良い知らせを私が異国の人々に伝えるようにする,ということです。私はこのことについてすぐに人に相談したりはしませんでした。 17 また,私より前に使徒となった人たちがいるエルサレムに上ることもせず,アラビアに行き,それからダマスカスに戻りました。

18 3年後,私はケファを訪ねるためエルサレムに上り,彼の所に15日間滞在しました。 19 しかし,ほかの使徒たちには会いませんでした。主の弟であるヤコブに会っただけです。 20 私は皆さんに宛てて書いている事柄が偽りではないことを,神の前で断言します。

21 その後,私はシリア地方とキリキア地方に行きました。 22 しかし,キリストと結ばれたユダヤの諸会衆の人たちに顔を知られていませんでした。 23 彼らはこう聞いていただけでした。「以前私たちを迫害し,会衆を荒らしていた人が,今では良い知らせを伝えている」。 24 それで,彼らは私のことで神をたたえるようになりました。

2 それから14年後,私はバルナバと一緒に再びエルサレムに上りました。テトスも連れていきました。 2 上っていったのは啓示があったからで,異国の人々に伝えている良い知らせについて兄弟たちに話しました。といっても,主立った人たちだけに話しました。自分が無駄に走っていないこと,また無駄に走ってこなかったことを確かめるためです。

つまり、聖書を自分で読んでも分からないというのは、自分の理解であり、聖書に啓示されている聖霊の働きを信じることができなかった不信仰の結果であり、「目に見える人に頼りたい、自分で責任を取りたくない」という自己保身の気持ちから出た感情であることを認め、悔い改めます。

救いを得るべきみ名

救えるべき名として今の時代に啓示されているのは、「イエス・キリスト」であることを信じます。

(使徒 4:12) ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」。

1世紀のクリスチャンはエホバの名ではなく、イエスの名によって語っていたのです。

(使徒 5:40) そこでみんなは彼[のことば]に注意を向け,使徒たちを呼び出してむち打ち,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じてから,彼らを去らせた。

(使徒 8:12)しかし,神の王国とイエス・キリストの名についての良いたよりを宣明していたフィリポ

イエスの名を呼び求めていたクリスチャンたち。(使徒 9:14‐16)(使徒 9:20, 21)

(使徒 10:43)この方についてはすべての預言者が証しをし,彼に信仰を持つ者は皆,その名によって罪の許しを得ると述べています。

(使徒 15:26)わたしたちの主イエス・キリストの名のために自分の魂を引き渡した(自分の命を捧げた)人たち

(使徒 19:17)主イエスの名は大いなるものとされていった

(使徒 21:13)パウロは「主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟さえできている」

サウロがダマスカス途上でイエスと出会い、目が見えなくなった後、アナニヤから伝えられた言葉

(使徒 22:15, 16)あなたは,自分の見聞きした事柄につき,すべての人に対してその方の証人となるからです。16 それで今,なぜためらうのですか。立って,バプテスマを受け,その名を呼び求めてあなたの罪を洗い去りなさい』。

(ヨハネ 1:12)しかし,彼(イエス)を迎えた者,そうした者たちすべてに対しては,神の子供となる権限を与えたのである。その者たちが,彼の名に信仰を働かせていたからである。

(ヨハネ 2:23) しかしながら,過ぎ越しの時,その祭りのさい彼がエルサレムにいた間に,たくさんの人が彼の行なうしるしを見て,その名に信仰を持った

(ヨハネ 15:21)しかし彼らは,わたしの名のゆえにこれらすべてのことをあなた方に敵して行なうでしょう

私は初期のクリスチャンたちに倣って歩んできたのだろうかと考えさせられました。信仰の中心は明らかにエホバではなく、イエス・キリストでした。

伝えるべき福音の本質

(コリント第一 15:2-6)【口語訳】※新世界訳改訂版もほぼ同じ。

15:3 わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。

すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、

 15:4 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと

 15:5 ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。

私は霊感を受けたパウロが最も大切な点として伝えたこととは別の福音を中心に伝道してしまい、のろわれるべき者であったことを告白し、悔い改めます。この福音を伝えるという方向性で一致している信仰の仲間とともに伝道することを誓います。

(ガラテア 1:6‐9) 6あなた方が,キリストの過分のご親切をもってあなた方を召してくださった方から別の種類の良いたよりへと,これほど早く移って行くことを,わたしは不思議に思います。7しかしそれは別の[たより]ではなく,ただ,あなた方を煩わせ,キリストについての良いたよりをゆがめようとしている者たちがいるというだけのことなのです。8しかし,たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです。9わたしたちが上に述べたとおりのこと,それをわたしは今もう一度言います。あなた方が受け入れた以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明している者は,だれであろうとのろわれるべきです。

(ローマ 10:9‐14) 9その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼(イエス)を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。10人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです。 11聖書は,「彼(イエス)に信仰を置く者はだれも失望させられない」と言っています。12ユダヤ人とギリシャ人の間に差別はないからです。すべての者の上に同じ主(イエス)がおられ,この方(イエス)はご自分(イエス)を呼び求めるすべての者に対して豊かなのです。13エホバ(ギリシャ語王国行間逐語訳では“主(キュリオス)”の名を呼び求める者はみな救われる」のです。14しかし人は,自分が信仰を持っていない者をどうして呼び求めるでしょうか。また,自分が聞いたこともない者にどうして信仰を持つでしょうか。また,宣べ伝える者がいなければ,どうして聞くでしょうか。

もし、「エホバの名を呼び求めるものしか救われない」のであれば、ヘブライ語のYHWHの発音が分からない時代に生きていた人は誰も救われなかったことになってしまいます。神はそんな不公平なことをお許しになるのでしょうか。イエスの死と復活以降現代まで途切れること無く、クリスチャンがずっと宣べ伝えてきた名は誰だろうか?誰の名を呼び求めるように宣教してきただろうか?自分の伝道の方向性が間違っていたことを認めるしかありませんでした。

私は使徒たちの健全な教えの型から離れてしまった組織から離れることを誓います。

1世紀のクリスチャンが伝えたのと同じ福音を伝道することを誓います。

イエスについて聖書が啓示していること

(啓示 5:13, 14 そして,天と地と地の下と海の上とにいるあらゆる被造物,およびそこにあるすべてのものがこう言うのが聞こえた。「み座に座しておられる子羊とに,祝福と誉れと栄光と偉力が限りなく永久にありますように」。 すると,四つの生き物は「アーメン!」と言い,長老たちはひれ伏して崇拝した。

聖書は神と子羊を崇拝することを認めておられます。

(イザヤ 42:8「わたしはエホバである。それがわたしの名である。わたしはわたしの栄光をほかのだれにも与えず,わたしの賛美を彫像に[与える]こともしない。

聖書は、神にしか与えられない栄光と賛美を、み子イエスにも与えています。

(啓示 17:14 これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の,王のであるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼と共に[征服する]」。(同じ称号)

(申命 10:17 あなた方のエホバは神の主の,偉大で力強く,畏怖の念を抱かせるであり,だれに対しても不公平な扱いをせず,まいないを受け取ることもされず,

聖書によれば、イエスは主の主と呼ばれ、エホバも主の主と呼ばれています。

(イザヤ 9:6 わたしたちのためにひとりの子供が生まれ,わたしたちにひとりの男子が与えられたからである。君としての支配がその肩に置かれる。そして彼の名は,“くすしい助言者”,“力ある神”,“とこしえの父”,“平和の君”と呼ばれるであろう。

(イザヤ 10:21ほんの残りの者,ヤコブの残りの者が力ある神のもとに帰る。

聖書によればイエスとエホバに「力ある神」という称号が与えられています。

私は聖書が啓示するこのようなお方として、イエスを信じます。

(ヨハネ 20:28, 29トマスは言った。「私の主,私の神!」 29 イエスは言った。「私を見たので信じたのですか。見なくても信じる人は幸福です」。

(ヨハ一 5:20神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことを知っています。それで私たちは、真実な方のうちに、すなわち御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。

トマスの信仰告白を否定せずに受け入れたイエス・キリストを「私の主、私の神」と信じ、ヨハネが霊感によって語った方として「イエスこそまことの神、永遠のいのち」であることを信じます。

 

今までエホバの組織から教えら得てきたイエスは、聖書の啓示するイエスとは「別のイエス」を教えられ、聖書の教えるイエスとは異なった存在がなりすましたイエスを信じさせられ、他の人に伝道してしまったことを悔い改めます。

(コリント第二 11:3, 4しかし,エバが蛇のずる賢さによって惑わされたように,皆さんも何かのことで考え方が腐敗させられて,キリストに示すべき誠実さや貞潔さを保てなくなるのではないかと心配しています。 4 実際,誰かが来て,私たちが伝えたのとは別のイエスを伝えたり,皆さんが持つようになったのとは別の精神を持たせようとしたり,皆さんが受け入れたのとは別の良い知らせを告げたりすると,皆さんはすぐに許容してしまいます。

神について聖書が啓示していること

神の本質は愛(ヨハネ第一 4:8)であることを信じます。愛の神であるならば、愛する対象が存在していなければ愛することはできません。エホバの証人の信じる神は愛する対象が無い孤独な神なので、神の愛の本質とは相容れない神を信じていたことを告白し、まことの神から遠く離れた者であったことを告白します。

(イザヤ 44:24 24 あなたを買い戻す方,あなたを腹[の時]から形造った方,エホバはこのように言われた。「わたし,エホバは,すべてのことを行ない,独りで天を張り伸ばし,地を張り広げている。だれがわたしと共にいたか。

神は独りで創造の業を行ったと宣言し、同時にともにいた人格者がいたと語りかけています。

(コリント第一 8:6 私たちには父であるひとりの神がいて,この方によって全てのものがあり,私たちはこの方のために存在しています。また,ひとりの主イエス・キリストがいて,この方を通して全てのものがあり,私たちはこの方を通して存在しています。(コロサイ 1:16と比較)

主はひとりであり、かつ、聖書ではエホバもイエスも主であると語られています。

(イザヤ 45:21) …わたし]を別にしてほかにはいない。義なる救い主はわたしを別にしてはいない。

(ルカ 1:47) …は自分の救い主なる

(ユダ 25) …わたしたちの救い主なる唯一のに…

(フィリピ 3:20) …救い主である主イエス・キリスト…

(テモテ第二 1:10) …私たちの救い主であるキリスト・イエスが現れる…

(ペテロ第二 1:11) …皆さんは豊かに祝福され,救い主である主イエス・キリストの永遠の王国に入るのです。

聖書によれば救い主は神であると語りかけています。聖書に基づいて、エホバとイエスが唯一の救い主、唯一の神であることを信じます。

今まで私が集っていた組織は、神とイエスについて聖書の啓示する内容を曲げて、独自の理解に基づいた神を信じさせられていたことを認めないわけにはいきません。私は唯一まことの神を悲しませることはしたくないので、聖書の啓示する神とイエスを信じ、別のイエス・異なった福音を語ることがどれほど罪深いことが、きっと同意なさることとお思います。別のイエスとは、サタンが光の使いに変装した偽キリスト以外の何者でも無いからです。

私はイエスの弟子を自称しながら、実際のところ、偽キリストに惑わされてしまい、神とイエスの悲しまれることを行い、神の民に非難をもたらし、キリストの体を迫害してきた罪を悔い改めます。私の20歳~26歳の間のエホバに献身した歩みは、神に喜ばれているものと信じたかったのですが、聖書に基づいて謙遜に考えれば、真逆の歩みをしていたことを認めないわけにはいきません。

(ヨハネ第一 1:8‐10) 8 「自分には罪がない」と言うなら,私たちは自分を欺いているのであり,心の中に真理がありません。 9 自分の罪を告白するなら,神は信頼できる正しい方ですから,罪を許してくださり,私たちをあらゆる不正から清めてくださいます。 10 「自分は罪を犯したことがない」と言うなら,私たちは神をうそつきとしているのであり,心の中に神の言葉がありません。

ですが、そのような私にも神は憐れんでくださり、聖書に啓示された真理を教えてくださいました。

2010年にヨハネ21:15-17で出会った本当のイエス・キリストとの再会を果たしたのです。

今まで人生を懸けて慕ってきたイエスを、聖書の示すとおりに神として崇めてよいのだと思ってからは、心が平安に満たされています。そして聖書の教えが、すっと入ってくるようになりました。

(ヨハネ 14:27…わたしはあなた方に平安を残し,わたしの平安を与えます。…

(ヨハネ 8:31, 32) …「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。

イエスの言葉にとどまることにより、どんな苦難に直面しても心の根底に揺るがぬ平安と自由が与えられています。エホバの証人の方々にもぜひこの平安を味わっていただきたいと思っています。

聖書に基づいてエホバの証人人生のすべてを否定され、孤独を覚悟した私に対しても、神は御言葉を与えて励まし、さらに日本中どころか世界中のイエスの弟子たちと出会わせてくださいました。預言者たちを殺され、一人ぼっちになったエリヤに対して神は「私の民で,バアルにひざまずかなかった人たちが,まだ7000人いる」(ローマ 11:4)と励まされたかのように、私を主イエスのもとに、神の民との交わりに導いてくださったのです!私は神が導いてくださった方々とともにイエスの弟子を作る命令を実践しています。

(ヨハネ 6:68) 68シモン・ペテロが答えた。「主よ,私たちは誰の所に行けばよいのでしょう。あなたは永遠の命の言葉を持っています。

結論と悔い改め

以上の悔い改めに基づき、エホバの証人としての人生は、動機は悪くなかったものの、神とキリストを悲しませ、神の名に非難をもたらし、神の民を傷つけてきた歩みであったことを認めます。そしてこれらの罪を告白し、神への許しを祈り、祈りに調和した行動として、エホバの証人の組織とは同じ信仰を持つ者として歩むことはできないと結論しました。

エホバの証人としてのバプテスマは、聖書の啓示する神とイエスではない、別の神とイエスに基づいた間違った信仰に基づく公の宣言であったことも認めます。つまり、このバプテスマは聖書的なバプテスマではなかったのです。私はイエスの弟子として神から認められていないのに、イエスの弟子を自称して伝道してしまっていたのです。伝えている内容も聖書の啓示する福音とは異なった福音でした。

今後も聖書の啓示する真の神とキリストへの信仰と献身の歩みは変わりません。

しかし、ものみの塔・エホバの証人の生み出す実を見ると、まことの神が導いている組織であると信じられなくなりました。ことごとく、神が悲しみ、サタンを喜ばせることを行っているからです。まことの神とこの世の神、どちらに導かれているのか、行いの結果を見れば明らかです。これ以上良心を押しつぶして偽りの宗教との関わりを続けていくのは限界です。私が伝えるべきことは伝えきったと思いますので、あとは各々が与えられた情報に応じて神の喜ばれる選択をすることを祈るしかありません。

(使徒 4:19, 20)「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。20 しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」。

ぜひ自分の信仰を吟味していただき、まことの神との和解へ導かれることを心より祈っています。将来、聖書に基づく同じ信仰を持つイエスの弟子として再会できる喜びを心待ちにしています。

(コリント第二 5:20, 21)それゆえ,わたしたちはキリストの代理をする大使であり,それはあたかも神がわたしたちを通して懇願しておられるかのようです。わたしたちはキリストの代理としてこう願います。「神と和解してください」。21 罪を知らなかった方を[神は]わたしたちのために罪とし,その方によってわたしたちが神の義となるようにしてくださったのです。

しかし、エホバの証人のバプテスマの信仰告白には同意できなくなったので、2011/5/28のバプテスマの宣言を撤回し、ものみの塔・エホバの証人との宣教協力の契約を解除します。

(テモテ第二 3:5) 「信心深く見えても実際には神を敬っていません。こういう人たちから離れなさい。」という聖句に基づき、サタンを喜ばせ、神を悲しませることを行う組織からの脱会をいたします。

令和元年10月27日
真理を一から学ぶ者 イエス・キリストの証人 はじめ・まこと(仮名)

 


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1件の返信

  1. 平田 勝彦 より:

    まことさん。初めまして、松原さんのご紹介で読ませて頂きました。大変でしたね。実は、私の妻もエホバの証人をしています。私は、福音派のプロテスタント教会の信徒です。妻とは、宗教的な対立は避け、平穏に暮らしておりますが、妻のつながりで、エホバの証人とは今でも付き合いはあります。また、研究をしたいというので、過去に、長老という人と2年半くらい学び、最近では6か月くらいベテラン信徒と研究をしました。私は、エホバの証人になりたくてやったのではなく、彼らの間違いを追求したいためにに行ったのですが、彼らとの学びはやればやるほど、ぼろが出る感じで、おおよそ神学とはかけ離れたものでした。まじめでとても良い人間ばかりですが、完全にマインドコントロールされており、自分たちに都合の良いことは立て板に水のごとく話しますが、まことさんが書いているように、間違いを指摘すると逃げるばかりで、結局はまともに論ずることはできなかったです。最後は何を言っても無駄ということがはっきりしただけです。自分たちだけは楽園にいけると信じ込んでいますが、残念ながらどう考えてもイエスを神としない教えは滅びに向かっているだけです。私も妻を救いたいと思いますが、宗教論争はしないと決めていますので、ひたすら祈るばかりです。でも、まことさんが目覚めて脱退したことは本当に素晴らしいことです。ハレルヤ!です。きちんと聖書だけを読めば矛盾は解けると思うのですが、大半の人は騙されていることに気づきません。大変残念です。輸血の問題では、彼らは目覚めよ誌で「無輸血で臓器移植に成功した」という記述がありましたが、仮に無輸血でも、遺嘱する臓器には血がたっぷり入っているのですから、事実上の輸血であることに気づかないなんて笑いにもなりませんでした。さすがに私の妻も「私は臓器移植に反対する」と言っただけで反論できませんでしたが、彼らの神学はその程度のレベルなんです。情けない限りです。多くの騙されている人が解放されるように祈るばかりです。まことさんはこれから取り返して、キリストの証人として福音を述べ伝えて下さい。主の豊かなる恵みがあります様にお祈り申し上げます。

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