元エホバの証人の体験|本当のイエス・キリストとの再会


本当のイエス・キリストとの再会|元エホバの証人の証

自己紹介

エホバの証人の両親に育てられました。

2世信者として育てられつつも、神権宣教学校止まりで20歳まで研究生(未信者)でした。

21歳でエホバのバプテスマを受け、正式な信者となりました。

翌年に仕事を辞めて、アルバイトをしながら月70時間以上を布教活動に捧げる奉仕者となりました。

東日本大震災の後、福島県に引っ越して被災地での布教活動を開始しました。

その後、組織の指導者の偽善、教理の矛盾からものみの塔がイエスの用いる組織ではないことを確信し、真理の探求を経て2016年に福音を受け入れて救われました。

2世としての子供時代

エホバの証人の親の教え方について

私はエホバの証人の両親に育てられました。両親からの愛情は受けていましたが、規則でがんじがらめの生活に嫌気が差していました。

成長して集会や大会での話が理解できるようになるにつれて、組織の教える子どもの教育方法と両親が実際に行う教育方法が違うことに気づくようになりました。

組織の教育方針では何事も聖書に基いて子どもを訓練するように教えられていますが、家庭聖書研究の時以外で両親から聖書を開いて教えられた記憶はほとんどありませんでした。例えば特定のTV番組や漫画を禁止されたときに理由を尋ねても聖書から回答されることはなく、「服装が変だから」とか「現実には存在しない道具が出てくるから」という理由のみで禁止され、理不尽さを感じていました。

そのようにして両親は私に納得するまで考えさせずに次々と制限をかけていったので、次第に聖書の原則を制限とみなすようになり世の友人に比べて自由が制限されていると感じていました。

エホバの証人の集会や大会の中ではよく、親が子どもを教える場面が実演されます。その実演では、親は子どもの意見に良く耳を傾け、聖書を開いて慰めたり、優しく戒めたりして必要な援助をする暖かい場面が演じられます。しかし、実際に実演通りにできている家庭はほとんどなく、「集会に行きたくない」みたいな組織に対して消極的なことを言おうものなら、頭ごなしに怒られます。組織に厳格に従う親は子どもを引きずってでも集会に連れてきて座らせていたという話も聴いています。1世信者からはエホバの証人の親子は、大会の実演にあるような育て方をされているのだと羨ましがられましたが、子どもの時の私は、「現実は違う」ということを正直に打ち明けることができず、「なぜこんなに何度も指導されていることを両親は実践できていないのか?」と思いながら、組織の理想の教育と現実とのギャップに苦しんでいました。

集会とエホバの証人の兄弟姉妹との交流について

基本的に集会は退屈でしたので、他の考え事をしたり、空想にふけったりしながら集会が終わるのを待っていました。なぜそれでも通い続けていたというと、親を喜ばせるためと、エホバの証人の兄弟姉妹との交流は楽しかったからです。エホバの証人の家族的なコミュニティはとても魅力的だと思います。
学校のことや会社のことで悩んだときに、親身になって相談にのって励ましたり、慰めたりしてくれた兄弟姉妹との思い出は今でも忘れられません。そこにはダビデとヨナタンのような年齢差を超えた友情があったと思います。

ちなみに集会が楽しくなってきたきっかけは、高校生の時に神権宣教学校の監督から朗読を褒められたからです。それから聖書朗読の発表だけは集会で唯一楽しく、やりがいを持って果たしていました。

教理面について

エホバの証人の多くは地上の楽園で永遠に生きることを「救い」と考えていますが、そのような規則の多い生活が永遠に続くと思うとあまり魅力的に思えませんでした。

死に関しては、無意識無存在と教えられていましたが、自分が死んだ後どうなるのかと考えると恐怖を感じました。逆にエホバの教え通りに従って、永遠に生きることができたとしても、終わりが無いことを突き詰めて考えると頭が痛くなり、なんとも言えない恐れの感情を抱いていました。

イエス・キリストについては、私の罪を贖う為に身代わりとして死んでくださって、永遠の命の見込を開いてくださったとは教えられていました。しかし聖書中のイエスはパリサイ人や弟子たちを叱っている場面の方が印象に残っており、恐いお方だとイメージがあって、魅力的な方だとは思えませんでした。

イエスの弟子を志し、エホバのバプテスマへ

転機は二十歳で就職した時、自分の将来について真剣に考えるようになりました。年金がもらえるかわからない、政権交代で国の将来もどうなるかわからない。

上司や社長を観察してもあまり幸せそうに見えない。これが自分の20年後、30年後になるのか・・・

そこで将来について根本的な解決策は無いのか?とインターネットや図書館で政治経済についての記事を読み漁る日々がしばらくつづきました。もちろんそんな簡単に見つかるわけはなく、そのように突き詰めて考えて行くと不安でたまらなくなりました。

また会社の飲み会や社内のスポーツクラブ活動にも積極的に参加してみましたが、世の人とも価値観がまるで違うため馴染むことができず、エホバの証人の窮屈な教義も受け入れることができず、どっちつかずの宙ぶらりん状態になってしまい、どうやって生きていけばよいのかわからなくなってしまいました。

諸問題の解決は聖書しかないのか・・・と薄々感じつつも、制限でがんじがらめにされた生活はしたくないので、聖書を学ぶ気にはなれませんでした。

そのようなときに長老が企画したキャンプがあり、そこで思い切って若い兄弟に自分の正直な思いを打ち明けました。「エホバの証人になりたいけど、こんな気持ちでは「王国の良いたより」を心から喜んで宣べ伝えることができない。心からできないとういことは形だけ伝道してもエホバは喜ばれない」と。
がっかりさせるかと覚悟しました。しかし兄弟の返事は意外なものでした。

「バプテスマを受ける前にそこまで真剣に考えているなんてすごいよ!2世のエホバの証人の中にはバプテスマを受けたあとになって、今君が悩んでいるようなことを考え始めて問題に陥る場合もあるんだから。」と述べて、続けて
「君のように立ち止まって真剣に考えることも大切なことだと思うんだけど、次の目標に向かって一歩踏み出しながら考えることもできるんじゃない?」とアドバイスしてくださいました。

私はその時背中を押されたような感じで、不思議と素直にそのアドバイスを受け入れて見ようという気持ちになりました。両親にも「心から宣べ伝えたい気持ちにはなれないけど、とりあえず伝道者を目指してみる」ことを伝えました。

その後、最近の集会で学んだことがふと思い起こされました。それは「エホバに仕えたいという気持ちになれないなら、“仕えたいという気持ちを抱かせてください“と祈ることもできる」という内容でした。

それから祈りによってエホバに「私はまだ心から喜んであなたに仕えたいという気持ちになれません。それでも伝道者を目指して少しずつ努力してみますので、どうか心から喜んであなたに仕えたいという思いを抱けるようなきっかけを与えてください」と毎晩祈るようにしました。

そんなことを祈って1ヶ月程経った時に、エホバの集会のメッセージでヨハネ21:15-17が取り上げられました。

(ヨハネ 21:15‐17、新世界訳) 15 さて,彼らが朝食を済ませた時,イエスはシモン・ペテロに言われた,「ヨハネの子シモン,あなたはこれら以上にわたしを愛していますか」。[ペテロ]は彼に言った,「はい,主よ,わたしがあなたに愛情を持っていることをあなたは知っておられます」。[イエス]は彼に言われた,「わたしの子羊たちを養いなさい」。16 再び,二度目に彼に言われた,「ヨハネの子シモンよ,あなたはわたしを愛していますか」。[ペテロ]は彼に言った,「はい,主よ,わたしがあなたに愛情を持っていることをあなたは知っておられます」。[イエス]は彼に言われた,「わたしの小さな羊たちを牧しなさい」。17 [イエス]は彼に三度目に言われた,「ヨハネの子シモンよ,あなたはわたしに愛情を持っていますか」。彼が三度目に,「わたしに愛情を持っていますか」と言ったので,ペテロは悲嘆した。そして彼に言った,「主よ,あなたはすべてのことを知っておられます。わたしがあなたに愛情を持っていることを,あなたは気づいておられます」。イエスは彼に言われた,「わたしの小さな羊たちを養いなさい。

その話では、イエスが木に架けられる前夜に、ペテロがイエスの目の前で3度イエスを否認するという大失敗をします。それなのにイエスは復活後ペテロに対し「これらのもの以上に私を愛していますか」と3度弁明の機会を与えるという気遣いと、ペテロが愛を表明したあとには「わたしの子羊たちを養いなさい」と述べて、ペテロを引き続き信頼していることの証として責任をゆだねられたことに感動しました。「目の前で3度自分を裏切った人間を快く赦したうえ、その人を信じ続けて重い責任を委ねることができる人間がいるのか!」と驚いたと同時に、こんな親切で感動的な仕方でその弟子に接しているイエスの姿を思い描いて、「格好いい。このような方にならついていきたい!」と思いました。

また、ペテロの視点に立ってみると、イエスから感動的な仕方で愛や気遣いを示され、「失敗してばかりいる私をまだ信頼してくださるのですか!」とか「本当に赦されたんだ!」と感じて「今までイエスの追随者として様々な苦難に遭ってきたけど、今までイエスの弟子として仕えてきて本当に良かった」と思ったのではないかと黙想していると、涙が込み上げて来ました。

私はその聖句から次のように考えました。そのような経験をしたペテロがイエスの弟子として神に仕えるのを後悔したとは思えません。ペテロのような経験をしたい、イエスのような人間になりたいと思って再び聖書を研究することを決意しました。その後エホバの教義の全てに感動してしまい、半年後のエホバの証人の大会でバプテスマを受け、正式な信者となりました。あまりにも突然の心境の変化と成長スピードだったので、親や仲間の兄弟姉妹たちは本当に驚いていました。

エホバに献身〜遠のくイエス→覚醒へ

その1年後、仕事を退職して補助開拓を半年して、アルバイトをしながら月70時間を宣教活動に捧げる正規開拓者として宣教奉仕に打ち込む生活を始めました。これがイエスの弟子として自分にできる最善の、人生を懸けた一生涯の仕事だと思って頑張りました。しかし組織の指示に従って頑張れば頑張るほど、なぜかイエスが遠のくような感覚がありました。自分が順調な時は、頑張っていない信者を裁き、自分が頑張れない時は、ハルマゲドンで滅ぼされてしまうのではないかという恐怖から必死に頑張ろうとして空回りしてどんどん落ち込んでしまうということの繰り返しでした。

組織内でも、長老たちの過度な要求、言行不一致に悩まされました。最もショックだったのは、私の母が長老に意見したときに報復として奉仕の機会を剥奪されたことです。それからこの組織が生み出す実に関して疑問を抱きながらも、「私は聖書とイエスに従っていく」と決意して、聖書を中心に学ぼうという初心に立ち返りました。改めて贖いに対する感動が蘇ってきました。どんなに頑張っても神の基準には絶対に達することができない人間の罪をイエスキリストが代わりに死んでくださったことによって罪の赦しを得ることができる。その恵みに感動してから周りの人に対して憐れみ深く接することができるようになり、人を裁く傾向が徐々に減ってきました。

しなしながら聖書を中心にものみの塔誌を読んでいくと、今まで信じていた教理に対する矛盾に気付くことが増えてきました。そこで自分の信仰を一つ一つ見直さなければと思ってインターネットや本を調べました。

そこでは組織内で私と同じような悩みを抱えている人が全国各地にいることを知らされました。自分たちの会衆が特別ひどいのではなく、組織全体でこのような問題が起きている…なぜ?聖書を正しく学んでいる唯一の組織なのに?でも人間は不完全だから組織が悪いのではなく、聖書の原則を当てはめない長老がネット上で目立っているだけのはず…と自分に言い聞かせていました。

しかし教理の矛盾に関しては聖書に照らして吟味すると、言い訳ができなくなっていきました。
例えばアダム誕生から6000年後の1975年にハルマゲドンが来るとふれ告げていたにもかかわらず来なかったことについて、組織はアダム誕生からエバの誕生までにある程度の期間があった為だと説明しています。(当時を経験された姉妹からも直接伺いました。預言が外れたあとに開催された特別大会で統治体のフランズ氏がそのように発言していたということです。)

しかし、エバの誕生から6000年後に終わりが来ることが真理であれば、エバの誕生を見ていたイエスやみ使い、サタンも終わりの時を知っていたことになります。しかし聖書によれば、終わりの時は父だけが知っていると書かれているではありませんか!

(マタイ 24:36、新世界訳) 36 「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず],ただ父だけが[知っておられます]。

この時初めて、聖書によって組織の教えの間違いにはっきりと気付くことができてしまいました。そこで「真理が何かはわからなくても、ものみの塔の教えの中の間違いについては聖書に基いて吟味すれば自分で気付くことができるじゃないか」と思いました。それから私は違和感を感じていた教えを次々に聖書に照らして調べていくうちに、「やっぱり間違ってたんだ」という教理が沢山あることに気付くことができるようになりました。

その後、「良心の危機」と「ものみの塔の源流を訪ねて」の本を読んで、この組織の原点から、この世の終わりがいつかについて僭越にも特定しようとして偽預言を繰り返してきたこと、周りからも「その日と時刻は誰も知らない」と聖書から指摘されながらも全く反省することなく、現在も終わりの時を特定しようとしている歴史を知った時に、この組織はイエスが選んだ唯一の組織ではないと確信しました。

真理の探求〜本当のイエス・キリストに出会う

その後真理を探求する旅を始めました。色々なキリスト教出版物を読みました。エホバの証人以外にも聖書を誤りなき神の言葉だと信じて聖書と向き合い、真理を探求している人がいることに驚きました。※エホバの証人は一般のクリスチャンは聖書をほとんど読んでいないと教えられています。

それでも最後まで受け入れることができなかった教理が三位一体です。イエスの死と埋葬と復活は素直に受け入れることができましたが、三位一体だけは非論理的に思え、ものみの塔が説明する反三位一体論 (つまり父なる神が唯一の神ならば、イエスは神であるはずがないという教え)が正しいと思っていました。しかし同時に疑問に思ったのは、キリスト教は沢山の分派があって教理もバラバラに分裂しているのに、なぜ三位一体に関してはカトリックも聖公会もプロテスタントも一致することができているのだろうと。

そこで私は今まで聖書から三位一体について検証することはしていなかったことに気づきました。そこでウィリアム・ウッド先生の「異端の反三位一体論に答える」の本を祈りながら恐る恐る読み始めました。三位一体を支持する御言葉が次々に突き刺さり、神概念の土台を崩されました。「私の信じていた神は何だったのか?真の神は何者なのか?今まで信じ従ってきたイエスは何だったのか?イエスは被造物なのか、神なのか?」と考えると夜も眠れませんでした。翌日クリスチャントゥデイに掲載されていた三位一体の連載記事を見つけました。そこで夫婦は2つの人格だけど、神の目からは「ふたりではなくひとり」マタイ19:6,新改訳(新世界訳では「二人ではなく、一体」)だという説明を読んで、三位一体について論理的に納得できなくはないと思えるまでにはなりました。
(参考URL http://www.christiantoday.co.jp/topics/sanmiittai)

それでも私の理解力を遥かに超えた概念のため、完全に信じることができず、
「神様、聖書によればイエスも神なのでしょうか。もしそうなら、イエスを神様として崇拝しても良いのでしょうか。もし間違ってたら分かるように教えてください。真理を教えてください」と祈りました。

そして聖書を新改訳聖書から福音書を読みなおしました。するとイエスが神であることが分かる聖句や、三位一体の神であるという前提で読むことによって理解しやすくなる聖句が次々に飛び込んできました。特に衝撃的だった3つの聖句を取り上げます。

ヨハネ 20:28、新改訳 「トマスはイエスに答えた。『私の主、私の神よ。』29 イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。』」(ちなみに新世界訳もこの部分はほとんど同じ訳文です)

イエスに対して「私の神」と呼びかけているのに、イエスは否定しませんでした。

ヨハネ 14:20、新改訳 「その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。」

エホバの証人時代に上記の聖句がよくわからなかったのですが、真の神が三位一体の神で、信者全てに聖霊が宿ると理解して読んだ時にすっきり理解することができました。

Ⅰヨハネ 5:20、新改訳 「また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。」

まだこの時点では、イエスが被造物だとしたら偶像崇拝になってしまうのではないかという恐れがありましたが、読んでいくうちに、イエスを神として賛美し、礼拝して良いのだという喜びが内側からふつふつと湧き上がってきました。福音書を読みながらイエス様から「ここまで聖書に私が神であると書いてあるのに、まだ受け入れることができないのか」と言われているような気持ちになりました。

聖霊についても、当時はよくわからないところがありましたが、聖書によれば聖霊は神と同等で人格を持っておられると書いてあることを認めないわけにはいかず、その神の言葉を信じて悔い改め、「神様、私はあなたが唯一人格の神であると思っていましたが、間違っておりました。唯一まことの神は三位一体の神であることを信じます。」と祈りました。その後、日ごとに不思議な平安と、心から慕ってきたイエスを神として礼拝しても良いのだという喜びが強まる体験をし、イエスが神であることの確信が強まりました。私が6年前にヨハネ21章15-17節で出会った本当のイエス・キリストと再会した瞬間でした。長い回り道でしたが、ついに真のメシアである本当のイエス・キリストを見つけることができました。

この時、古い自分はキリストとともに十字架につけられて死に、新しい命をいただきボーンアゲインしました。

ものみの塔の教えるイエスは聖書の教えるイエスとは相容れない「別のイエス」(コリ一11:4)について教えていたことになりますので、私は今まで同名の別人「イエス」に従わせられていたことに気づいてしまいました。

エホバの証人は、「偽りの宗教は神について正しく教えてこなかった」と特にキリスト教世界を糾弾していますが、聖書の教える真の神について正しく教えてこなかったのはものみの塔・エホバの証人の方だったのです。

「エホバ(ヤハウェ)」についても聖書の教える本当のヤハウェとは三位一体で、エホバの証人の教える「エホバ」は唯一位格の神で相入れません。

エホバの証人は聖書を利用して組織が作り上げた全く別の神を崇拝させられている…これは偶像崇拝だ!もうこの組織に留まって偶像崇拝に関わることはできないと思いました。

エホバの証人の家庭に育った者として、エホバの証人を辞める決意をすることは、家族の分裂と、家族やエホバの証人の友人たちからの徹底的な忌避を覚悟することを意味します。でも真理を知った以上、もう暗闇の世界に留まることはできませんし、後戻りすることは本当の意味での背教を意味しますので、できるわけがありません。

教会とハーベストとの出会い

エホバの証人が偽キリストに従う宗教だと分かってしまった以上、本当のイエス・キリストの弟子たちからなるグループと繋がる必要性を強く感じました。

その後教会を探して電話し、北信カルバリー教会へ導かれました。

初めて礼拝に参加したときには、ワーシップの「あなたの瞳」という曲を聞いて感動して涙が止まりませんでした。その歌詞は「どんな痛みも、辛さも恥もあなたは受け入れられた。」キリストの愛が迫って来ました。

その日のメッセージはキリストの贖いと恵みに焦点を当てたものでした。エホバの集会ではめったに聞くことのないメッセージで、キリストの愛に飢え渇いていた私の心を満たしてくださいました。実際に礼拝に参加して次のみ言葉が心に響きました。

(列王第一 19:18、新世界訳)「18 ところで,わたしはイスラエルの中に七千人を残しておいた。すべてそのひざがバアルにかがまなかった者,皆その口がそれに口づけしなかった者である」。

エホバの証人からはキリスト教世界は堕落したところばかりだと、牧師は聖書を教えず世間話しかしないと教えられてきましたが、この教会には純粋に神を賛美し、聖書を1節ずつ丁寧に解説するメッセージを聴いて学ぼうとする人たちの集まりがあったのです。私は神様の臨在する真のクリスチャンで成るグループを見つけました!

ちなみにその話し手は統一教会脱会者で、この教会に4人の統一教会脱会者が集っていることを教えられ、神様の導きを感じました。その牧師に聖書の正しい教えを学びたいと相談したところハーベストタイムを勧められました。

偽りの教理からの解放と恵みの歩み

ハーベストタイムに載せられているメッセージを聞いていくうちに、偽りの教理から次々に解放されました。真理はあなた方を自由にするという御言葉のとおりに、恐れが消え去って平安に満たされていきました。

教会の賛美と祈りへの参加によっても、カルトの中で傷ついた心が癒やされていきました。

ローマ8章の学びなどから自分の力に頼るのではなく、聖霊に委ねきって歩むことを学び、自然と自分が変えられていく恵みを経験しました。

方向性について迷ってしまったときも、「メシアの生涯」のマタイ10章の講解メッセージにより砕かれて悔い改め、恐れずに家族に信仰告白しようと決意しました。

宣教師からキリスト教のキャンプ参加を勧められ、2017年9月に大阪のハーベスト聖書フォーラムキャンプへ参加しました。3日かけてヤコブの手紙を1節ずつ学ぶカリキュラムとグリーフケアについてのディスカッションがありました。

会場には100名以上が集っており、3日間もかけて聖書を学ぶ意欲を持つ人がこんなにいることに感動し、期待と喜びに満たされました。北海道や沖縄からの参加者もいらっしゃって驚きました。このキャンプの中で証の機会も与えられ、参加者全員に祈ってもらって本当に感激しました。私は初参加で、全員初対面だったのですが、兄弟姉妹一人ひとりと話す度に家族以上の親しみと絆を感じました。これが本当の神の家族なんだなぁと。

そこで知り合った姉妹から、福島県にハーベストで学んでいる姉妹を紹介してもらいました。姉妹との交流の中で、姉妹もカルト的教会から脱出した方で、今は南大阪福音教会に所属していることを教えてもらいました。

実家に帰省して両親の救出と信仰告白をするまでにも、北信カルバリー教会とハーベストで出会った友人たちに沢山の執り成しの祈りをしていただき、必要なアドバイザーも紹介していただきました。家族との断絶覚悟で帰省を計画していましたので、相当なストレスがありましたが、その中でも不思議な平安と、必要なアドバイスを与えてくださる方たちと出会い、イエスが前を歩いておられることを実感しました。神のご計画を歩んでいるときには平安のうちにトントン拍子に物事が進んでいくのだと改めて思いました。

その後、実家に帰省して両親の救出を試みましたが、両親に福音が届かず、信仰告白も中途半端で帰ってきて、また今後の方向性に迷ってしまいました。その時に南大阪福音教会の音声メッセージの中から「あなたはただ私に従いなさい」というメッセージを聴いて次の2つの御言葉から慰めを与えられました。

ヨハ 21:22、新改訳 「イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」

ヘブル 12:2、新改訳 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」

この御言葉の黙想していくなかで、神様は私にこのみことばを与えてくださいました。

ルカ 22:32,新改訳 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

大祭司であるイエスはいつも、私の信仰が尽きないように執り成しの祈りをしてくださっていたのです!再び私は力を取り戻し、前に進むことができるようになりました。

今、教会では、私の歩みと家族の救いのために祈りのチームを結成してくださり、毎週礼拝後一緒に祈ってくださっています。

主は今も生きておられます。羊はどんなに強力にマインドコントロールを掛けられていたとしても、羊飼いの声を聞き分けることができるのです。(ヨハネ10:3)私は異端の中から真の神様の声を聞き分け、真の羊飼いであるイエス様のもとへ立ち返ることができました。

本当のイエス・キリストの弟子として1年半ほど歩んできて感じていることは、苦難の中にも絶対的な平安があるということです。それは自分で得る平安ではなく、イエスから平安を与えられており、私はどこからきて、どこへ行こうとしているのかを聖書から正確に理解しているからです。

ヨハネ14:27、新改訳 「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

聖書は聖霊によらなければ理解できないとものみの塔は教えますが、確かにその通りで、本当のイエスに出会って、聖霊が内側から働かれるようになってから、聖書が本当に良く理解できるようになりました。特に上記のヨハネ14章も含め、ヨハネの福音書のメッセージがストレートに心に届くようになりました。

エホバの証人の時のような恐れにさいなまれながら、自分の救いのためと神と隣人への愛を証明するために、自分が空っぽになりながらも常にベストを尽くして奉仕しなければという重荷から解放されました。

そして、聖霊の内住によって、今まで絶対に変わることのできなかった私の闇の部分が徐々に、キリストの似姿に変えられている事も実感しています。例えば、ゲームにはまり出すと熱中してしまうことはエホバの証人になってからもなかなか克服できなかったのですが、大阪キャンプ以降、人の創作した物語でも起こらないような神の御業が私の人生に次々に起こっている経験をして、ゲームに対する執着心がすっぱりと止んでしまいました。

今、この記事を読んでいるエホバの証人の方がいらっしゃいましたら、是非一度自分が今まで学んできたことを横において、聖書と聖書に啓示されているイエスは本当は何者なのか、とことん向き合ってはいかがでしょうか。

一人でも多くのエホバの証人の方が、聖書からまことのイエス・キリストに出会って、苦難の中でも決して揺るがない平安に満たされた人生へと導かれることを日々祈っています。


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5件のフィードバック

  1. バルナバ高原 より:

    「エホバの証人」はよく分からないのですが、(自宅によく小冊子を手にして、訪問してくるキリスト教徒がいましたが・・、)見るからに何かっ切羽詰まった様子の方たちだなぁと、思っていましたが、書かれている事を読んで色々と察しがつきました。私も、先月に受洗・堅信(プロテスタント)した者ですので、書かれている内容に興味を持って読ませて頂きました。頑張って下さいと心から思い、祈ります。
    (私たちには主が何時もいて下さるのですから。)

    • Webmaster-GJW より:

      先月、洗礼を受けられたのですね、心からおめでとうございます!
      また、当サイトの働きのためにお祈りくださりありがとうございます。
      今後も、エホバの証人と接触する機会はおありだと思いますので、是非当サイトでご紹介する記事を参考になさってくださいね。

  2. 扶美 より:

    多分合っていると思いますが・・・
    先日の大阪のキャンプの時に、帰りのバス停でお話を聞かせて頂いた者(女)です。
    遠い所からキャンプに来て下さり、お交わりする機会を持つという祝福を与えて下さり
    感謝しています。あの翌日の礼拝に、エホバの証人の友人から聖書を勧められたことがきっかけで救われた方が、私たちの行っているバイブルスタディに初めて来られました。その友人のことを心配されていたので、別の姉妹がこのサイトを紹介していました。
     我が家にも時々エホバの証人が来られるので、このサイトでも学んでおこうと思います。

  3. 扶美 より:

    多分合っていると思いますが・・・
    先日の大阪のキャンプの時に、帰りのバス停でお話を聞かせて頂いた者(女)です。
    遠い所からキャンプに来て下さり、お交わりする機会を持つという祝福を与えて下さり
    感謝しています。あの翌日の礼拝に、エホバの証人の友人から聖書を勧められたことがきっかけで救われた方が、私たちの行っているバイブルスタディに初めて来られました。その友人のことを心配されていたので、別の姉妹がこのサイトを紹介していました。
     我が家にも時々エホバの証人が来られるので、このサイトでも学んで備えるようにしますね。感謝します。お祈りします。

    • はじめ まこと より:

      扶美さん。コメントありがとうございます。ペンネームで失礼致します。
      こちらが私の経験で合っております。こちらこそ私たちのことを気にかけてくださり感謝しております。
      貴重な経験を紹介してくださりありがとうございます。
      不思議なことにエホバの証人の伝道がきっかけで聖書に関心を持ち、正しく聖書を教えている教会やクリスチャンへと導かれるケースがあるんですね。
      私の知り合いにも何人かそのような方がいらっしゃいます。
       エホバの証人の教えを疑いなく信じている人は偽教師に惑わされている熱心な求道者なのです。
      使徒の働きの中でピリポが、ユダヤ教の視点から見ると異端で関わりを持ちたくなかったサマリア人へ、偏見による壁を乗り越えてキリストを宣べ伝えたように、エホバの証人に対しても「異端で何考えているか分からないから関わりたくない」というような偏見を乗り越えて本物のキリストを宣べ伝える働き人が必要とされています。そのためにこのサイトの情報がクリスチャンとエホバの証人の架け橋となり、エホバの証人伝道の使命を担う働き人が起こされるように祈っています。

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